「おニャン子クラブ」〜80年代アイドル⑪ “夕やけニャンニャン“とフジテレビの時代

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今回は、1980年代中盤のアイドルシーンを席巻した、後のAKB48グループの源流となる秋元康プロデュースのアイドルグループ「おニャン子クラブ」をご紹介します。

 


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おニャン子クラブとは?

 

1985(昭和60)年4月1日にスタートしたフジテレビの情報バラエティ「夕やけニャンニャン」(毎週 月-金曜日 17:00-18:00 生放送)の番組アシスタントとしてデビュー。

デビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のブレイク以降、グループ、メンバーソロ、ユニットでシングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を立て続けにヒットさせ、社会現象となるブームを巻き起こしました。

 

活動期間は1987年8月31日の番組終了、翌9月の解散コンサートまでのわずか2年半。

その間、メンバーの加入と脱退が繰り返され、結成時は11人、解散時は19人でした。

 


誕生の経緯

 

1983(昭和58)年からスタートしたフジテレビ土曜深夜の生放送番組「オールナイトフジ」で、アシスタントの素人女子大生グループ「オールナイターズ」が大人気に。この成功を受けて同スタッフによる平日夕方の情報バラエティ「夕やけニャンニャン」が企画されます。

 

時間帯からメインターゲットを中高生に定め、レギュラー番組に先駆けたパイロット番組として「オールナイトフジ女子高生スペシャル」(1985年2月23日、3月16日)を放送。その時出演していた中から選抜した11人でおニャン子クラブが結成されました。

 

4月1日「夕やけニャンニャン」開始。

 

1st.シングル「セーラー服をぬがさないで」

レコードデビューは3ヶ月後の7月5日。発売日前日に池袋サンシャインで発表会&握手会を開催しますが予定された500人を大幅に上回る4000人が押し寄せ、混乱を恐れ中止される程、東京圏のみで人気が加熱します。

 


おニャン子が変えた景色

 

おニャン子クラブは70年代から続く女性アイドルの持つ「特別感」を否定し、「そこら辺にいる女の子」「芸能界、テレビ慣れしていない普通の子」を集めた“素人集団“という点が、画期的でした。

 

また、大人数のグループにしたことで「この中ならこの子がいい」という“推し“による盛り上がりを醸成させた点、メンバーが頻繁に卒業、加入を繰り返しマンネリを防ぐ点も、新たな“発明“でした。

 

素人いじりが得意なとんねるずとの絡みもあって中高生男子の間ですぐに人気に火がつき、放送開始から3ヶ月後の7月に発売されたデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」が大ヒット。「ニャンニャン」「エッチ」などの際どいキーワードを盛り込んだライトなエロさも人気に拍車をかけました。

 

その歌唱力、パフォーマンス共に「学芸会」と酷評されますがティーンエイジのハートをガッチリ掴み、大ヒットを連発。秋元康氏のプロデューサー、作詞家、そして錬金術師としての評価が一気に高まりました。

 

メンバーの高井麻巳子が秋元康氏と、河合その子が作曲家の後藤次利氏と後に結婚しています。

 


文春喫煙事件

 

「夕やけニャンニャン」放送開始直後、会員番号1番、2番、3番、7番、10番の5名が局近くの喫茶店で喫煙していたところを週刊文春の記者に撮影され、スクープとして掲載される事件が発覚。メンバーは未成年であったことで解雇され、週刊誌発売翌日に番組から姿を消しました(なぜか6番樹原亜紀だけがその後復帰)。

まだ人気・知名度共にそれほど高くない時期だったことで当時は大きな騒ぎにならず終息。番組でもこの件は一切、触れられませんでした。

 


”フィーバー”は全国へ拡大

 

「夕やけニャンニャン」は番組開始当初は7局ネット。しかしシングルのヒットにより知名度が上がり、年内には全国ネット規模の23局に拡大。番組内で彼女たちが着る「セーラーズ」は、東京・渋谷の1店舗のみで年商28億円を叩き出す人気ブランドに急成長しました。

 

番組内ではメンバー選定のオーディション コーナー「ザ スカウト アイドルを探せ!」を設けて、それに合格した新メンバーが続々と加入していきます。

 

おニャン子クラブはフジテレビの「夜のヒットスタジオDELUXE」「スターどっきり㊙︎報告」を始め他局の人気音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)、「ザ・トップテン」(日本テレビ系)にも出演。当時のアイドル情報雑誌「明星」「平凡」などにも登場して全国的な知名度も上がっていきました。

 

しかし、フジテレビ系列のネット局のない長崎県などの地域での知名度は低かったのだそうです。

 


ソロ、ユニット、ファンクラブの誕生

1985(昭和60)年

9月

河合その子が「涙の茉莉花LOVE」でおニャン子から初となるソロデビュー。

1st.アルバム「KICKOFF」発売。

10月

2nd.シングル「およしになってねティーチャー」発売。

初の有料コンサートを開催。

高井麻巳子(後の秋元康夫人)と岩井由紀子のユニット「うしろゆびさされ組」が同名シングルでデビュー(アニメ「ハイスクール奇面組」主題歌)。

11月

吉沢秋絵が「なぜ?の嵐」でソロデビュー(「スケバン刑事II 」主題歌」)。

 

この1985年夏から1986年初頭にかけてが「夕やけニャンニャン」の最盛期で、視聴率は平日夕方5時台の視聴率としては異例の13%前後を獲得。レギュラーのとんねるず、田代まさし、デーモン小暮閣下、逸見政孝、三宅正治アナウンサーらが人気者になり、吉田照美、上柳昌彦らラジオ局アナウンサーが進行役として起用されました。

 

10月にフジテレビ関連会社が運営する公式ファンクラブ「こニャン子クラブ」が発足すると会員数はあっという間に10万人を超え、おニャン子はフジサンケイグループの稼ぎ頭として、あらゆる集金システムが構築されていきます。

 


加熱する人気と“卒業“

1986(昭和61)年

1月

オリジナルメンバーでも人気の高い新田恵利が「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位、30万枚以上の売り上げを記録すると共に、オマケの「新田トランプ」が高値で売買され話題を呼びました。

同月、フジテレビ「月曜ドラマランド」でおニャン子初主演福永恵規主演「ボクの婚約者」放送。以後、同枠では月に1-2本のハイペースでおニャン子メンバー主演ドラマが放送されます。

2月

国生さゆりが「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。

3rd.シングル「じゃあね」発売。シングル初のオリコン1位、グループとして最大のヒット曲に。

3月

2nd.アルバム「夢カタログ」発売。

中島美春が専門学校進学のため、河合その子がソロ活動専念のため「卒業」を発表。番組とコンサートツアー最終公演で2人の“卒業式”が行われ、以降恒例となりました。

4月

4th.シングル「おっとCHIKAN!」発売。

立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子の4人からなる“イロモノ“ユニット「ニャンギラス」が「私は里歌ちゃん」でデビュー。大方の予想を裏切りシングルが2作続けてオリコン1位に。

5月

福永恵規が「風のinvitation」でソロデビュー。

6月

城之内早苗が「あじさい橋」でソロデビュー。オリコン演歌初の初登場1位。

高井麻巳子が「シンデレラたちへの伝言」でソロデビュー。

7月

5th.シングル「お先に失礼」発売。
3rd.アルバム「PANIC THE WORLD」発売。

渡辺美奈代が「瞳に約束」でソロデビュー。

9月

新田恵利、福永恵規らオリジナルメンバーが卒業。

10月

渡辺満里奈が「深呼吸して」でソロデビュー。

11月

6th.シングル「恋はくえすちょん」発売。

この1986年のオリコンシングル1位獲得46曲中30曲、52週中の36週がおニャン子関連、年間売り上げ900万名とも言われアイドル界を文字通り席捲。セールスが低迷していたレコード業界にとっても救世主となります。

 


TBS「ザ・ベストテン」との確執

この時期、おニャン子関連が毎週2~3組ランキングしていたTBS「ザ・ベストテン」との確執が生まれます。

 

フジテレビ側が「おニャン子関連のランキングが不当に低い」とイチャモンを付け、出演をボイコット(1986年4月のニャンギラスは本人のたっての希望で特例で出演)。番組内では「諸事情により欠席」と繰り返し説明されました。

 

映画がコケ、ブーム終焉へ

 

1986年後半、初期メンバーが卒業し入れ替わりにミスセブンティーン タイアップの新メンバーが大量に加入。司会のとんねるずでさえ「顔と名前がわからない」状態に。

 

この頃から徐々に人気が低迷し始め、8月末に全国公開された主演映画「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」(同時上映はとんねるず主演の「そろばんずく」)が動員150万人と興行的に大コケ。「夕やけニャンニャン」の視聴率も下がり続けました。

 

番組終了と解散

 

1987年

1月

7th.シングル「NO MORE恋愛ごっこ」発売

2月

4th.アルバム「SIDE LINE」発売

3月

岩井由紀子が「天使のボディーガード」でソロデビュー。

4月

内海和子、国生さゆり、高井麻巳子が卒業、「うしろゆびさされ組」解散。

5月

8th.シングル「かたつむりサンバ」発売

生稲晃子、斉藤満喜子、工藤静香によるユニット「うしろ髪ひかれ隊」が「時の河を越えて」でデビュー(アニメ「ハイスクール奇面組」主題歌)。

6月

「夕やけニャンニャン」終了と「おニャン子クラブ」解散を発表。

8月

9th.シングル「ウェディングドレス」発売

5th.アルバム「Circle」発売

「解散記念 全国縦断・ファイナルコンサート」をスタート。

8月末を持って番組終了。最終回の8月31日、工藤静香が「禁断のテレパシー」でソロデビュー。

9月

9月20日、国立代々木競技場 第一体育館でのコンサートをもって解散となりました。

 

メンバー

▲会員番号の歌(1986.3.1)

 

会員番号4番 新田恵利
会員番号5番 中島美春
会員番号6番 樹原亜紀
会員番号8番 国生さゆり
会員番号9番 名越美香
会員番号11番 福永恵規
会員番号12番 河合その子
会員番号13番 内海和子
会員番号14番 富川春美
会員番号15番 立見里歌
会員番号16番 高井麻巳子
会員番号17番 城之内早苗
会員番号18番 永田ルリ子
会員番号19番 岩井由紀子
会員番号22番 白石麻子
会員番号25番 吉沢秋絵
会員番号28番 横田睦美
会員番号29番 渡辺美奈代
会員番号30番 三上千晶
会員番号31番 矢島裕子
会員番号32番 山本スーザン久美子
会員番号33番 布川智子

▲新・新会員番号の歌(1987.2.21)

会員番号34番 弓岡真美
会員番号35番 岡本貴子
会員番号36番 渡辺満里奈
会員番号38番 工藤静香
会員番号39番 高畠真紀
会員番号40番 生稲晃子
会員番号41番 貝瀬典子
会員番号42番 斉藤満喜子
会員番号43番 守屋寿恵
会員番号44番 高田尚子
会員番号45番 吉田裕美子
会員番号46番 中島早苗
会員番号47番 山森由里子
会員番号48番 我妻佳代
会員番号49(B組1)番 吉見美津子
会員番号50(B組2)番 杉浦美雪
会員番号51(B組3)番 宮野久美子

 


 

おニャン子クラブの遺したもの

 

「おニャン子クラブ」は当時、隆盛を誇ったフジテレビ、ニッポン放送、ポニーキャニオンの“フジサンケイグループ“に利益が集中し、他局やレコード会社各社からすると苦々しく捉えた関係者も多かっただろうと思います(一部、CBSソニー所属のメンバーもいました)。

 

後のAKB48グループはこの時の反省(?)から、全テレビ局、芸能プロダクション、レコード会社と方位外交を取り、“互助会“的な立ち位置にした辺りに、秋元康氏の“逞しき商魂“を感じます。

 

個人的には「おニャン子クラブ」がそれまでの女性アイドルの価値観を、後の「AKB48グループ」がレコード売上とランキング、賞レースまでも“ぶっ潰した“と感じます。

 

それが時代の流れ、マーケティングであり「売れたもん勝ち」ではありますが…

私は功罪で言えば、「罪」の方が大きかった、と思うのです。

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