「1981年の松田聖子」~80年代アイドル① 81年”最強”説

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80年代を代表するアイドル、といえばなんといっても松田聖子さんです。

当時、後に続くアイドルはもちろん、クラスの女子も全員「聖子ちゃんカット」という社会現象。「お人形さんのような」正統派のトップ中のトップアイドルでした。

 

でも、実は私は、当時そこまで聖子ちゃんに熱狂したクチでもなく「なんでそこまで人気があるんだろう」的な感じでした。

正直言うと、ハスキーボイスで苦しそうに歌うイメージが強くてそんなに唄が上手い!という認識ではなく、「かわい子ちゃんがウリ」だとばかり勘違いしていました。

 

ところが。

 

最近になり、何気なく初期の楽曲を聴いてみたら、その認識が甘過ぎた事に今更ながら気がつきました…。彼女はルックスではなく、事務所のパワープッシュもなく、その唄声で自らあの地位を勝ち獲っていたとは…。

 

メジャーであり過ぎるためにまさに「知ってるつもり」なだけでした。いろいろ調べる中で、特に「1981年の松田聖子」は私の中で、別格の存在となりました。

 

そして、これまで私もそうだった「聖子ちゃん=赤いスイトピー=松本隆さん一択」という風潮に、異論を唱えたくなりました。

 


こちらにデビューからのシングルリリース一覧があります

前述の通り、私は「1981年の松田聖子」がいちばん好きなのです。

 

81年
チェリーブラッサム
夏の扉
白いパラソル
風立ちぬ

 

ちなみに

 

82年
赤いスイトピー
渚のバルコニー
小麦色のマーメイド
野ばらのエチュード

 

83年
秘密の花園
天国のキッス
ガラスの林檎
瞳はダイヤモンド

 

と続きます。

ちなみにデビューの80年

 

裸足の季節
青い珊瑚礁
風は秋色

 

まぁこの後も名曲、ビッグヒットだらけなのですが、アイドルとして完成しつつ、ギリギリ初々しさがあり、ビジュアルも素朴であざと過ぎて胸やけする前、そして、なんといっても唄声の凄さ、という点で、81年最強説を推します。

 


 

◆聖子はなぜ「ポスト百恵」となれたのか?

 

松田聖子さんは福岡県久留米市出身。1978年4月、ミス・セブンティーンコンテスト(集英社・CBSソニー共催)の九州地区大会で、桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌い優勝。

しかし、両親の反対で全国大会を辞退します。

当時のCBSソニー制作部の若松宗雄プロデューサーが「売れる声だ」と確信しスカウト。聖子と連絡を取り続け、東京でプロモーションを始めていました。(若松氏は聖子の唄声を初めて聴いた時の衝撃を「まるで夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」と語っています)

 

所属先となるサンミュージックは数社目に訪れた事務所だったそうです。

実はサンミュージックは翌年2月に中山圭以子さんという別の歌手を同じCBSソニーからCMとタイアップして売り出す予定があり、この売り込みを断るつもりでした。

 

当時のサンミュージック社長、相澤秀禎氏は聖子に「垢抜けず爽やかでもない」という印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったそうですが、音楽プロデューサーとして信頼する女性スタッフが聖子の唄声を熱烈に推したことで「高校を卒業して、上京したらうちで預かりましょう」となり、CBSソニーのスタッフと共に久留米の実家へ説得に赴きます。

 

しかし公務員で厳格な父親の了解はなかなか得られず、ようやく「高校を卒業してからなら」の条件付きで東京行きが決まりました。

 

しかし聖子さんは自身の意思で、高校在学中に上京。

 

1979年の11月スタートの日本テレビドラマ「おだいじに」で事務所の先輩、太川陽介の相手役オーディションに合格、歌手より先に女優デビュー。そして、芸名もドラマの役名と同じ「松田聖子」に決まります。

 

そのドラマ中に洗顔料「エクボ」CMモデルオーディションを受けましたが、「エクボができない」という理由で落選。サンミュージック側も聖子のビジュアルには期待しておらず、別の女性が出演します。しかし、せめて唄だけでも、とCMソングを担当することになります。

それがデビュー曲の「裸足の季節」です(当初タイトルはそのまんま「エクボの季節」だったそうです)。

デビューは1980年4月。

 

その前月、70年代を代表するスーパーアイドル山口百恵さんが引退発表をしていました。

そのため松田聖子は「ポスト百恵は誰だ?」というメディアの話題にたびたび登り、いきなり注目の的になる、という幸運に恵まれます。

 

そこにリリースされた2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒット。

そこからの快進撃は、皆さんご存知の通りです。

 


 

◆中山圭以子さんの悲劇

 

中山圭以子さんは聖子と違い、サンミュージックからの熱烈なスカウトを受けた期待の新星で「彼女をデビューさせるまで他の子はデビューさせない」という確約までありました。

 

1980年、酒井政利プロデュース、作詞:阿木燿子、作曲:南こうせつのコンビによる楽曲「パパが私を愛してる」で、ユニリーバのシャンプー「ティモテ」のCMタイアップを付けた大々的なデビューが予定されていました。

しかし、このシャンプーの成分の一部に日本で認可されていないものが含まれている事が判明し、輸入延期、CMも放送中止になるという不運。タイアップ戦略を失い楽曲のみで売り出した結果、デビューは散々たる結果に。その後も本人出演のタイガー魔法瓶CMタイアップ曲として2曲目をリリースしましたがヒットには恵まれず、1981年に事務所を退社しました。


 

◆松田聖子の幸運

 

もし、先行するアイドルのプロモーションが予定通りだったら、そして松田聖子が事務所の言う通り、高校を卒業してから上京していたら…

松田聖子というスーパーアイドルは存在せず、80年代のミュージックシーンはまったく別物になっていたのです。

 

このタイミングと幸運を、自ら引き寄せたあたりが、松田聖子がスーパーアイドルである所以かもしれませんね。

 


 

◆私の好きな初期シングル ベストスリー

 

◆チェリーブラッサム(1981年1月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

タイトルと楽曲が一致しないナンバーワンでもあります。

ご本人は当初この楽曲は「自身のイメージと違う」とあまり気に入らなかったそうです。確かにハードなアレンジがELTの先取り的です。そしていきなりのハイトーン…。ギターのリフがカッコよすぎます。

▼この反応みると、いまの若い子が見ても可愛いんですね、クネクネ姫(笑)

 

◆夏の扉(1981年4月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

私的にはこのイントロは、ゲッターロボに匹敵するほどテンションが上がります。

 

▼悶絶夜ヒット

 

◆風は秋色(1980年10月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお

 

▼超ハイトーン

 

全くもって歌詞の中に秋色もなにも出てこない。秋の歌なのに妙に明るくポップ。でも名曲。そしてこれが「ミルキィスマイル」ではなく「風は秋色」なところが凄い(笑)。

 


 

以下は思いつくままに…

 

◆青い珊瑚礁(1980年7月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗

 

さすがに絶滅しましたが、初期はさすがの聖子も「青い珊瑚礁の子」だった時期が確かにありました。ベタすぎて長いこと敬遠してましたが、やはり名曲ですね…

▼伸びやかな唄声

 

2曲目の印象が強すぎてオーストラリアの首都並みに難易度が高くなったデビュー曲、

◆裸足の季節(1980年4月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお

 

O脚のためデビューし損いそうになった危機を乗り越えて掴んだCMタイアップも、エクボがないため映してもらえないという…

個人的には、圧倒的に一重まぶた時代の方が素朴で萌えますが。

▼夜ヒット初出演

 

◆渚のバルコニー(1982年4月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

出だしはものすごいハイトーン、そこから一転してものすごく低いキー。試練過ぎる楽曲です。

▼まだ歌い慣れてない渚のバルコニー

 


 

◆喉の酷使で生みだした「キャンディボイス」

 

この82年になると、デビュー以来の喉の酷使から自慢のハイトーンが苦しくなり、ハスキーボイスになってます(「赤いバルコニー」はその対策としてリリースされたスローバラードなのです)。

結果的にはそれが「キャンディボイス」として新たな彼女のウリになるのですが…私はやはり、80年から81年にかけての伸びやか過ぎるハイトーンに圧倒されます。

 

◆生バンド初期楽曲

 

◆ノンストップメドレーLive

 


 

◆松田聖子初期シングル曲の作詞作曲編曲者一覧(1980年〜85年)

 

ネット上でも意外と、楽曲提供者までまとまったリストがないので調べてみました。

 

01_裸足の季節(1980年4月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお

 

02_青い珊瑚礁(1980年7月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗

 

03_風は秋色(1980年10月1日)
作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお

 

04_チェリーブラッサム(1981年1月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

05_夏の扉(1981年4月21日)
作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

06_白いパラソル(1981年7月21日)
作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

07_風立ちぬ(1981年10月7日)
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲:多羅尾伴内

 

08_赤いスイートピー(1982年1月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

09_渚のバルコニー(1982年4月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

10_小麦色のマーメイド(1982年7月21日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

11_野ばらのエチュード(1982年10月21日)
作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗

 

12_秘密の花園(1983年2月3日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

13_天国のキッス(1983年4月27日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣

 

14_ガラスの林檎/SWEET MEMORIES(1983月8月1日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣、大村雅朗(ガラスの林檎)
作詞:松本隆、作曲:大村雅朗、編曲:大村雅朗(SWEET MEMORIES)

 

15_瞳はダイアモンド(1983年10月28日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

16_Rock’n Rouge(1984年2月1日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆

 

17_時間の国のアリス(1984年5月10日)
作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:大村雅朗

 

18_ピンクのモーツァルト(1984年8月1日)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣・松任谷正隆

 

19_ハートのイアリング(1984年11月1日)
作詞:松本隆、作曲:Holland Rose、編曲:大村雅朗

 

20_天使のウィンク(1985年1月30日)
作詞:尾崎亜美、作曲:尾崎亜美、編曲:大村雅朗

 

21_ボーイの季節(1985年5月9日)
作詞:尾崎亜美、作曲:尾崎亜美、編曲:大村雅朗

 

「風立ちぬ」の編曲者、多羅尾伴内は言わずもがなの大瀧詠一さんご本人です。

「ガラスの林檎」はクレジットでは細野晴臣さんと大村雅朗さんの共同編曲、となっています(細野さんが途中放棄して大村さんが仕上げたとか)

 

興味深いのはユーミン(呉田軽穂)曲のアレンジが、大村さんだったり旦那さんだったりするところ。

普通に考えて旦那さんになりそうなのに、ユーミン自身が「これは大村さんの方がいい」「今回は旦那に」とか選んでいたのでしょうかね…謎です。

 

 

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①「1981年の松田聖子」 81年「最強」説

 

 

コメント

  1. 明菜好き。 より:

    残念ながら、聖子より、中山圭子の方が歌唱力がありました。
    声質は、地味ながらキレイです。音程も合っています。
    聖子は、歌うときの思いっきりはいいですが、時々音程が外れていますよ。
    あと、本人が歌唱力を鼻にかけて歌うのも考えものです。
    これは、ドリカムの口デカおばさんも同様です。
    特にドリカムの口デカおばさんの方は、本人気づいていないようですが、近年生歌では音程を外しています。
    聖子の場合、好き嫌いが分かれるのはありますが、昔、聖子の人気があったとき(84年か85年ごろだったと思います)に母とテレビを見ていて、私と姉「聖子ちゃんかわいい。歌上手い」母「音痴やん」。ただ内心、「下手だな~」と思ったことを子供心ながら未だに覚えています。
    以降、聖子は下手。男に節操がないキャラが嫌いです。

    尾崎亜美の「天使のウィンク」大好きなので、尾崎亜美バージョンで聴きます。

    80年デビューは、良美は歌が上手いです。それに、奈保子は歌唱は地味ですが、聖子より音程が安定していますよ。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。唄のうまい、ヘタは私は論評する立場にはありません。
      ただ、私は「後の聖子」と「81年の聖子」をごちゃ混ぜにして評価していたので、「誤解しててごめんなさい」と書いたのでした。

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