「1980年の田原俊彦」〜80年代アイドル⑥ ポップでライトな「トシちゃん」伝説

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80年代アイドル全盛期。女性が松田聖子さん、中森明菜さん、と来れば、男性は田原俊彦さん、近藤真彦さんが、まさしくツートップでした。

 

1980年にデビューした「トシちゃん」こと田原俊彦さんは、激動の70年代の「ワイルドなヒデキ」に代わり、ライトで軽佻浮薄な80年代の時代性にフィットして、デビューから瞬く間にトップアイドルになりました。

 

田原俊彦 松田聖子

 

今回はシングル セールス トップ10から、田原俊彦さんの軌跡を振り返ります。

 

 

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「たのきんトリオ」80年代を代表する男性アイドル

 

田原俊彦さんは1979年、「3年B組金八先生」第1シーズンに出演。

番組放送中にファンレターの数が月18万通にも達する程の人気ぶりだったのだとか。

 

ちなみにこの時、トシちゃん18歳での中3役でした。確かに1人だけ、完成度が違いましたね。正治、顔はやばいよ。ボディやんな、ボディを!

 

たのきんトリオ

 

そして1980年6月。トシちゃんは近藤真彦、野村義男「たのきんトリオ」の先陣を切って歌手デビュー。デビュー曲「哀愁でいと」は、いきなり70万枚を超えるビッグセールスを記録して、その年の新人賞レースを総ナメにします。

 

ちなみにこの楽曲はレイフ・ギャレット「ニューヨーク・シティ・ナイト」のカバーです。

 

哀愁でいと

 

1982年には、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップとなり、デビュー曲から37作連続で、オリコンシングルチャート連続TOP10入りの記録を残しています。

 

80年代の2大歌番組、「ザ・ベストテン」では247週で最多出場記録「夜のヒットスタジオ」でも158回で出演回数ランキング6位

 

山口百恵さん&西城秀樹さんが70年代を代表するアイドルコンビで、80年代は松田聖子さん&田原俊彦さんというのが、多くの方が感じた時代の転換だったと思います。この頃の聖子ちゃんとトシちゃんは、明るく清純、健全、健康的な正統派アイドルで、高原でテニスして自転車乗ってるグリコのCMのイメージです。

 

 

 

田原俊彦シングル売上トップ10

 

それではここからは、田原俊彦さんのシングル売上トップ10に沿って、楽曲をご紹介します。

 

 

●第10位「NINJIN娘」(1982年) 35.5万枚
作詞・作曲:宮下智/編曲:船山基紀

いきなりタイトルからド肝を抜かれます。
子供番組「ひらけ!ポンキッキ」今月の歌でした。

 

●第9位「君に薔薇薔薇…という感じ」(1982年) 36.5万枚
作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀

こちらもインパクトのあるタイトル。
当時、「薔薇という漢字が書ける?」と話題になりました。

 

●第8位「悲しみ2(TOO)ヤング」(1981年) 38.0万枚
作詞・作曲:網倉一也 編曲:船山基紀

江崎グリコCMソングで、シリアスな二枚目路線の名曲です。

 

●第7位「誘惑スレスレ」(1982年) 38.3万枚
作詞:宮下智 作曲:網倉一也、編曲:馬飼野康二

「男は顔じゃないよハートさ!女は顔じゃないよノリだよ!」ときて、「やったぜ、よろしく」…これぞトシちゃんワールド。

 

●第6位「原宿キッス」(1982年) 40.6万枚
作詞:小林和子/作曲:小田裕一郎

シンセドラム鳴りまくりでノリノリです。
・・・「一度お願いしたい」

 

●第5位「ブギ浮ぎI LOVE YOU」(1981年) 48.7万枚
作詞・作曲:宮下智/編曲:船山基紀

コニカCMソング。
「毎日が!楽しくて!笑うしかない!アハハハ…バカだね~」
衣装といい、歌詞の世界観といい、スゴイとしか・・・

 

●第4位「グッドラックLOVE」(1981年) 49.5万枚
作詞:小林和子/作曲:小田裕一郎

主演映画「グッドラックLOVE」の主題歌。

こちらも二枚目路線の名曲です。

 

●第3位「恋=Do!」(1981年) 59.8万枚

作詞:小林和子/作曲:小田裕一郎

 

ノリノリのディスコソング。
サードシングルにして、チャート1位を獲得した楽曲です。
後ろの人形が恐怖です…

 

●第2位「ハッとして!Good」(1980年) 62.2万枚
作詞・作曲:宮下智/編曲:船山基紀

80年代のトシちゃん、と言えばコレです。セカンドシングル、松田聖子さんと共演したグリコ アーモンド チョコレートCMソングであり、デビュー年度の第22回日本レコード大賞 最優秀新人賞受賞楽曲。1980年当時、チャート「初登場1位」は珍しく、史上5番目の記録なのだそうです。

 

●第1位「哀愁でいと」(1980年) 71.9万枚
作詞・作曲:Andrew Joseph DiTaranto、Guy Hemric/日本版詞:小林和子/編曲:飛澤宏元

 

「デビュー曲が一番売れて、インパクトがある」というのは後のジャニーズアイドルにも受け継がれていますが、洋楽のカバーでデビューというのは異例です。

 


 

「抱きしめてTONIGHT」は?

 

なんと、デビュー曲、セカンド・サードシングルがトップ3でした。そして、トップ10は1980~1982年の楽曲で占められました。

 

え!「抱きしめてTONIGHT」じゃないの?と思う方も多いでしょうが、売上は27.9万枚でトップ10圏外です。これは1988年という時代性もあり、アイドルCDが売れないタイミングだったのが大きいと思います。それでも1988年度の「年間ベストテン」(TBS ザ・ベストテン)第1位です。

●「抱きしめてTONIGHT」
作詞:森浩美/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀

 

「トシちゃんワールド」を創った女性作家

 

 

特筆すべきが、宮下智さんという作家さんです。調べたところ女性で、海外留学経験のあるクラシック音楽の方なのです。

 

田原俊彦さん以外は少年隊や南野陽子さんに数曲しか楽曲提供しておらず、さらには、

 

・ハッとして!Good(作詞・作曲)
・キミに決定!(作詞・作曲)
・原宿キッス(作詞)
・NINJIN娘(作詞・作曲)
・誘惑スレスレ(作詞)
・チャールストンにはまだ早い(作詞・作曲)

 

という、まさに「トシちゃんワールド」な楽曲はほぼ、この方の手によるものだというのを初めて知りました。

 

「ハッとしてGood!」ではグレン・ミラー風のスウィング。

「ブギ浮ぎ I LOVE YOU」では、ポップスからブルースコードのロックンロールに転調。

ランク外ですが「キミに決定!」ではラテンディスコ調で間奏でアフロ キューバンのルンバ「南京豆売り」のフレーズを引用。

 

そしてこちらもランク外ですが、「チャールストンにはまだ早い」ではタイトル通り歌謡曲にチャールストンを導入。

 

作曲だけでなく作詞も行い、後の「モーニング娘。」のつんく♂、「きゃりーぱみゅぱみゅ」の中田ヤスタカ、「ももいろクローバーZ」のヒャダインらの元祖ともいえる、バラエティに富んだ音楽性とプロデュース力は、今回の最大の発見でした。

 

 

1980〜1985 田原俊彦 シングル売上一覧

 

1980.06.21 哀愁でいと 71.9万
1980.09.21 ハッとして!Good 62.2万

1981.01.12 恋=Do! 59.8万
1981.04.05 ブギ浮ぎI LOVE YOU 48.7万
1981.07.01 キミに決定! 33.8万
1981.09.02 悲しみ2ヤング 38.0万
1981.10.16 グッドラックLOVE 49.5万

1982.01.27 君に薔薇薔薇・・・という感じ 36.5万
1982.05.08 原宿キッス 40.6万
1982.08.06 NINJIN娘 35.5万
1982.10.15 誘惑スレスレ 38.3万
1982.12.18 ラブ・シュプール 23.4万

1983.02.17 ピエロ 33.0万
1983.05.18 シャワーな気分 26.1万
1983.08.12 さらば・・夏 31.9万
1983.11.18 エル・オー・ヴィ・愛・N・G 30.6万

1984.02.03 チャールストンにはまだ早い 30.8万
1984.05.23 騎士道 25.8万
1984.08.08 顔に書いた恋愛小説 25.1万
1984.11.14 ラストシーンは腕の中で 18.1万

1985.02.01 銀河の神話 14.8万
1985.05.16 堕ちないでマドンナ 16.4万
1985.08.14 華麗なる賭け 12.0万
1985.11.28 It’s BAD 11.5万

 

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