「格闘技 世界一決定戦」⑦〜1979 アントニオ猪木vsミスターX、レフトフック ディトン、キム クロケイド


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アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦シリーズ、第⑦回は1979(昭和54)年の激闘をご紹介します!

1979年、猪木に対してWWWF(現在のWWE)から、「格闘技世界ヘビー級チャンピオン」の称号が与えられました。

それにより(パキスタンで行われた13試合目を除き)同選手権試合、となりました。

 


 

◆11
1979(昭和54)年2月6日 大阪府立体育館  
アントニオ猪木(3R50秒 逆十字固め)ミスターX

格闘技戦史上の黒歴史。最もスッコトコドッコイな対戦相手がこの「ミスターX」です!

この時期、猪木の格闘技戦は原作 梶原一騎先生の劇画「四角いジャングル」(週刊少年マガジン連載)において、虚実入り混じりのサイドストーリーが展開されていました。実際のリングと、劇画の世界がシームレスに連携する、前代未聞のメディアミックス。そしてとうとう、劇画で生まれた謎の空手家が猪木と対戦する流れとなったのです。

    

劇画中のミスターXの敗戦は反則負けのみ。自動車に飛び乗り、自動車を片手で持ち上げ、後ろ回し蹴りで新聞記者の咥えたタバコを蹴り落とす、などなど大暴れ!期待と幻想は膨らみまくり、初の格闘技戦となる大阪府立体育会館は超満員に!

 

ところが実際にリングに登場したミスターXは、ブヨブヨとした体型にカッコ悪いマスク姿の黒人選手マスクのサイズすら合っておらず、着慣れなさ満点の胴着に覆面にマントという、素っ頓狂な出で立ちで失笑を買います。

ところが動いて見たらもの凄い強豪!…かと思いきや、やっぱりの塩々ブリ。さすがの猪木もどうにもならず、スカタンな試合で圧勝となります。

試合後、猪木は「いい加減にしろ!」と新間寿マネージャーを一喝、新間氏曰く「あんなに怒った猪木はみたことない」レベルのブチギレだったのだそうです(笑)。

 

梶原一騎先生は劇画で「あのミスターXは替え玉、正体はウィリーウィリアムスにKOされていたのだ!」とフォローするも時すでに遅し。後年明かされたところによれば、「本来頼んでいた強豪選手が、エージェントにギャラをピンハネされた挙句にドタキャンされ、仕方がないので慌ててアルバイトの黒人選手を雇った」のだとか(笑)。

 

いやぁ、凄まじいズンドコぶり。筋書きを描いたリングサイドの梶原一騎先生と新間寿氏の針のムシロぶりが見ものな、ある意味、伝説の一戦です。

 


 

◆12
1979(昭和54)年4月3日 福岡スポーツセンター
アントニオ猪木(6R 1分19秒 TKO)レフトフック デイトン

「ミスターX」が大ハズレ、だとすると、この「”スーパーマン”レフトフック デイトン」は逆パターンです。ズバリ言ってこの試合、私は数ある猪木の格闘技戦の中で一番面白いと思っています(笑)。

 

まず、このデイトンはバックボーンがよくわかりません。当時の経歴では「全米体育協会 空手選手権 優勝」「中国拳法選手権 優勝」「ボディビルコンテスト 優勝」などが語られますが、いずれも胡散臭さ爆発です。要は、ボディビルダー上がりでいろんな格闘技をかじっただけなのでは?という疑いがプンプンします(笑)。

▲公式記録を見ると「ミスターアメリカ4位」

 

さらには、リングネームの“レフトフック”は通っていたジムの名前だったそうで、必殺は“右ストレート”というややこしさも実に趣深いです(笑)ローブを首にかけて宙吊りになっても大丈夫、という「セルフ絞首刑パフォーマンス」でマスコミとファンの度肝を抜きますが、格闘家としてではなく、なんとも「ビックリ人間大集合的」な香りが…

しかし実際の試合を見ると、ガチガチの打撃はなかなかの腕前で、やたらめったらカタいのです。パフォーマンス通り首も強く、猪木の投げ技を喰らってもケロッと立ち上がり反撃して来ます。この辺りのブックの通じなさブリも、なかなかコワイです。捕まえようとしても全身にオイルを塗りたくっているらしく(試合後の猪木のコメント)、ヌルヌル逃げて、そしてやたらめったらカタいパンチにキックを四方八方から入れて来ます。

猪木はキレて、至近距離からノーモーションのヘッドバット!逃げながら打撃で反撃するデイトン、捕まえようとして逃げられる猪木、また打撃を入れるデイトン、捕まえて強烈なヘッドバットを放つ猪木、が延々と繰り返されます。

 

もはやプロレスでも格闘技戦でもない、単なるケンカです(笑)。そしてこの試合、猪木のアタマの硬さと共に、ケンカの強さがよくわかる試合です(笑)。

 

謎なのが、プロレスのセオリー無視してトンパチな試合をするくせに、セルフ ジュースで流血したりしてるんですよね…何者で何がやりたいのかホント謎です(笑)

 

予想外の健闘をみせたデイトンは、ヘッドバットの乱打からのバックドロップに(ようやく)散りました。

 


 

◆13
1979(昭和54)年6月17日 パキスタン ラホール市 カダフィスタジアム
アントニオ猪木(5R 引き分け)ジュベール ペールワン

そして13試合目は、パキスタンで行われたアクラムの息子の仇討ちマッチです。詳しくはコチラ

 


 

◆14
1979(昭和54)年10月5日 韓国 奨忠体育館
アントニオ猪木(15分06秒 弓矢固め)ウイリエム ルスカ

 

韓国遠征でルスカvs猪木 3度目の対戦。猪木とルスカは前年の欧州遠征でも対戦しており、もはや新鮮味はありません。

ルスカはプロレスラーとしては鳴かず飛ばずで、その知名度から「便利に」使われていた時期です。

原点に戻って柔道着を着用したルスカはまたも途中で道着を脱ぎ捨て(だから脱ぐなって)、最後は延髄斬りからの弓矢固めに散りました。

 


 

◆15
1979(昭和54)年12月13日 京都府立体育館
アントニオ猪木(3R58秒 KO)キム クロケイド

猪木vsウイリーの一戦が実現に向け動き出した中、vs空手のシミュレーション的に行われた一戦。

 

しかしこのキム クロケイドの実態は…本職は空手の心得のある警察官。カラテ キッドなるアヤシイ リングネームでカルガリー マットに上がっていた三流プロレスラー(しかも猪木のファンだったとか)をミスター ヒトが連れて来た、という顛末でした。

異種格闘技戦特有の緊張感もない試合はもはや普通のプロレスで、ブレーンバスター、延髄斬り、ギロチンドロップと畳み掛けた猪木の圧勝で終わりました。

 


 

このように対戦相手の劣化が激しくなってきた猪木の格闘技戦は、次戦、極真カラテの“熊殺し”ウィリー ウイリアムス戦で、事実上の「最終回」を迎えます。シチュエーション的には最も殺気に溢れた、狂乱の一戦は次回、ご紹介します!


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