「ソ連」と「東京ドーム」1989〜猪木 新日プロの大バクチ

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なにかと話題のロシア。

 

かれこれ30年以上前、アントニオ猪木の手によって「ソ連」のアマレスラー、それも五輪メダリストが大挙してプロレスに参戦したことがありました。

 

今回は1989年、ソ連「レッドブル軍団」のプロレス参戦と、新日本プロレス初の東京ドーム初開催について、ご紹介します!

 

 

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アントニオ猪木の「ソ連プロジェクト」

 

1989年11月9日、東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊。その背景には、1985年にソビエト連邦共産党書記長となったミハイル ゴルバチョフの「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」という改革がありました。

 

 

そんな中、アントニオ猪木は「ソ連のアマレス五輪メダリスト達をプロレスラー にする」という、前代未聞のプロジェクトをスタートします。

 

きっかけは、新日プロ台湾興行の際に新聞記者から「ソ連の選手はプロレスが好きみたいですよ」と聞いたことだったとか。

 

猪木さんはまだ参議院議員になる前。新日プロ社長とはいえ、立場は一介のプロレスラーに過ぎません。当時のソ連はまだまだ、社会主義国家の分厚いベールに包まれていた時期。さすがに無謀な試みで、当初はムリだろう、と言われていました。

 

しかし猪木さんはすぐにさまざまなパイプを使いソ連側と接触。密使として賠償鉄夫氏(前妻 倍賞美津子さんの弟にして当時の新日プロ取締役)と、マサ斎藤を送り込みます。

 

そしてグルジア(現ジョージア)で行われたトレーニングにはアントニオ猪木のほか、マサ斎藤と馳浩がコーチ役で参加。現地の格闘家達にプロレスを教えます。

 

しかし、ソ連はこの機会を「外貨獲得のチャンス」としか捉えていませんでした。自国のアスリートを海外に「輸出」するために「SOVインタースポーツ」というエージェントを立ち上げ、高額なギャランティと興行収入のパーセンテージを要求。

 

猪木さんの願う「交流」「友好」はまるで通用せず、「繰り返される交渉は常に金の話だった」と後に猪木さんは明かしています。

 

 

その後も交渉は続きますが、まるで進展せず。業を煮やした猪木さんは、SOVの担当者にこう言い放ちます。

 

「こちらは民間人だから、興行が中止になっても数億円の赤字で済む。でも、あなたたちは国の代表だ。このままではあなたたちの顔は潰れ、ただでは済まないでしょう。」そして彼らの眼前で契約書を破り捨て、ホテルへと引き上げました。

 

すると、SOVの関係者を介して「パグダーノフ将軍があなたに合いたいと言っている」と連絡がありました。パグダーノフ将軍は内務省のNo.2であり、ソ連柔道連盟の会長である大物です。

 

猪木さんはパグダーノフ将軍に合うと、「私はプロモーターである以上、お金は稼ぎたい。でも、彼らを日本に招聘する理由は金のためだけではない。残念だが、日本人はソ連に悪い印象を持っている。私はこの機会にソ連に素晴らしい格闘家がいることを、日本はもちろん世界にアピールしたい。それなのに、あなたたちはお金の話しかしない。」と訴えました。

 

パグダーノフ将軍は猪木さんの話を聞き終えると、「わかりました。私の権限で選手を日本に送ります。お金の話はイベントが成功した後にしましょう。」

 

こうして交渉が成立し、ソ連のレスリング選手たちが新日本プロレスのリングに上がることが決定しました。

 

 

ちなみに、後にボクシング世界チャンピオンとなる勇利アルバチャコフの誕生も、このときの副産物でした。

 

 

この時のやりとりはもはや伝説となっていますが、あくまでもスポーツ選手、純粋なアスリートであるソ連アマレスラー達に、猪木は独特な「プロレス論」を唱え、大いに共感を得たといいます。

 

猪木のプロレス論「4つの柱」

 

1.受け身は己を守るだけではない。優れた受け身の技術は、かけられた技を、より美しく見せられる。

2.攻撃は見る者に力強さと勇気を与える。攻撃した相手にケガをさせないのもまた、プロの技術だ。

3.プロレスの持つ最大の魅力は、人間が本来持っている怒り、苦しみという感情を直接、人に訴えることができることである。

4.人とは、漢字では二つの棒が支え合っているという意味だ。感動的な試合、激しい試合はレスラー同士の信頼から生まれる。

 

単に一方的に技を仕掛けて勝つだけではない「プロレス」という競技を、ショービジネスもエンターテイメントもない共産圏の人々に伝える、というのは至難の業だっただろうと思いますが、猪木は自らの技術や技を見せ、裸の付き合いをして、最後はウォッカの飲み合いで信用を勝ち取り、この偉業を成し遂げたワケです。

 

まさに「不可能を可能にする」燃える闘魂・アントニオ猪木の面目躍如。

 

この経験が、後に湾岸戦争のイラク人質開放や北朝鮮・ピョンヤンでの平和の祭典開催など数々の「闘魂外交」につながっていくのです。

 

ソ連プロレスラー世界初登場!

 

1989年2月22日、東京両国国技館。受験のため上京していた私の、記念すべき両国での初生観戦でした。この2日後には「昭和天皇大喪の礼」が行われるという、まさに昭和から平成への時代の転換期です。

 

 

「ソ連が来た!」と大書されたシンプルかつ、インパクト大な興行ポスターが記憶にあります。

 

ソ連選手は「レッドブル軍団」とネーミングされ、サルマン ハシミコフ、ビクトル ザンギエフらが新日マットに初登場。この日はエキシビションとして、若手のヒロ斎藤、松田納(後のエル サムライ)らを相手にインパクトを残します。

 

若手でも受け身のうまい、ヒロや松田をしても受け身をとるヒマがなく、ぶっこぬいて真っ逆さまにアタマから落とされる投げ技は、プロレス的なスープレックスとは異次元で、かつての強豪ローラン ボックを彷彿とさせる、危険な匂いがしました。

 

当時、「ソ連」という国はいまよりもっと「遠い国」でした。得体の知れない、畏怖を感じる国家です。実際にリングに上がる彼らも、見た目にも釣りパンツ姿で無表情、不器用でシャレが通じなそうなところも不気味ではありましたが、問答無用でガチで強そう、そして、一切プロレス慣れしていないところが異質で、それが非常に魅力的でした。

 

テーマ曲の「The Red Spectacles」がまた秀逸な選曲でした。押井守監督の映画サントラらしいのですが、極北のソビエト連邦の広大な大地を思わせる旋律は、未知のレッドブル軍団のテーマとして、どハマりしていました。

 

そして…なんと言っても名前がよかった。リングネームではなく本名なのですが、「サルマン ハシミコフ」「ビクトル ザンギエフ」「ウラジミール ベルコビッチ」など・・・

 

 

聞き慣れないのに語呂がよくて覚えやすく、なんか強そうで、口に出して言ってみたいその響き。これも彼らの人気に拍車をかけた密かな要因だったと思います。

 

 

新日プロ初の東京ドーム進出

 

猪木 新日プロはこれを期に、社運を賭けた勝負に出ます。それが、初進出となる東京ドーム大会です。

 

 

今ではあたりまえになった東京ドーム興行ですが、当時は無謀だ、と反対する声ばかりでした。広過ぎて遠くからではまともにリングの攻防が見えない、そんな何万人も観客が集まらない…etc.実際、この1989年は新日プロにとっても、猪木にとっても逆風の吹く厳しい時期であり、両国国技館より小規模の興行の集客にも苦戦していたのです。

 

猪木はここでも「環状線の理論」というものを説いて、社員を説得します。

 

「プロレスファンだけだとドームは埋まらない、というのは、環状線の内側にいる既存のプロレスファンしか見えていないからだ。その輪を広げれば、外側にいくらでも観客はいる。それを引き込むのはどうやるかを考えろ」

 

そして決行された新日プロ初の東京ドーム大会は「’89格闘衛星☆闘強導夢」と銘打たれました。

 

 

日、米、ソの三ヶ国の選手が出場する「IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯トーナメント」を柱に、獣神ライガーのデビュー戦、ベニーユキーデの格闘技戦、若手のトーナメント優勝戦に加えて、猪木の久々となる異種格闘技戦まで、思いつく限りのアイデアを詰め込んでカードを編成。

 

レッドブル軍団はサルマン ハシミコフをリーダーに、ビクトル ザンギエフ、ウラジミール ベルコビッチ、ワッハ エブロエフ、そして猪木と対戦する異種格闘技戦に柔道家のショータ チョチョシビリが加わります。

 

アメリカ軍はベイダー、ビガロにアマレス出身のバズ ソイヤーが出場。

 

新日プロ勢は藤波、長州に加えて若手の橋本、蝶野が抜擢されました。

 

4.24「格闘衛星☆闘強導夢」

 

1989年4月24日(月)。東京ドームには主催者発表5万3,800人の観客が詰めかけました。当時の主催者発表は水増しが当たり前でしたのでテキトーな数字ではありますが、私も会場に行き、まぁ満員と発表してもおかしくない程の入りでしたし、当時の新日プロとしては大成功と言えると思いました。

 

 

なにせプロレス初のドーム興行。東京ドーム自体が1988年3月に開場したばかりで初めて訪れた人もまだまだ多く、希少価値があったのも要因だと思います。

 

 

サプライズ連発、記憶に残る興行に

 

この大会は、良い意味でのサプライズがいくつかありました。

 

一つ目は、橋本真也のブレイクです。

 

橋本はトーナメント1回戦でなんと長州を丸め込みでピンフォール。初勝利、大金星でした。

 

続く2回戦でもソイヤーを破って勝ち上がったソ連レスラーのビクトル ザンギエフを、橋本は古典技の4の字固めで撃破します(私はこの四の字のインパクトが強烈で、後に武藤敬司が高田延彦を同じ技で破った時、「橋本のパクリやん!」と感じてしまいました。)

 

 

橋本は決勝戦のベイダー戦でも猛爆キックであわや、の奮闘を見せました。結果敗れてIWGPには届きませんでしたが、この日の殊勲選手は間違いなく、橋本真也。後の大ブレイクの予兆を感じさせました。

 

二つ目は、ソ連 レッドブル軍団のエース、サルマン ハシミコフ衝撃のデビュー戦です。

 

セミファイナルでクラッシャー バンバン ビガロと対決したハシミコフは、必殺の「水車落とし」一発、2分半で勝ち、ドームに強烈なインパクトを残しました。

 

 

ビガロはこの時の負けっぷりが見事過ぎて、後に”あの”北尾光司のデビュー戦の相手に選ばれてしまうのでした・・・嗚呼。

 

そして三つ目は、猪木の敗北です。

 

史上初、ロープを外した円形リングで、久々の異種格闘技戦を行った猪木は、ショータ チョチョシビリの強烈な裏投げの連発を喰らい、KO負け。自身の異種格闘技戦史上、初となる黒星を喫しました。

 

 

途中、関節技で腕を痛めた猪木が、チョチョシビリの胴着を噛んでコントロールしようとする姿が印象的でした。

 

そのほか、獣神ライガーのデビュー戦はベテランの小林邦昭と。後に「サンダーライガー」のツノあり姿しか知らない人にはこの当時のコスチュームは違和感あるでしょうね。永井豪先生デザイン画と実物はえらい違いで、会場でもカッコ悪いなぁ、と思いました。

 

 

80年代後半、悪い意味でのサプライズでプロレスファンの期待を裏切り続けた猪木・新日プロでしたが、この東京ドーム初興行はソ連勢の初登場も相まって、久々に驚きと興奮が両立した、エポックメイキングな興行となり、その後のドーム興行の原点となっていくのです。

 


 

その後のレッドブル軍団

 

エースのハシミコフは、5月25日にビッグバン ベイダーを破りIWGPヘビー級チャンピオンに輝きますが、7月12日に長州力に敗れてタイトルを失いました。この年の年末にはモスクワ大会も開催されました。

 

 

その後のレッドブル軍団の各選手も、徐々に輝きを失い、1年程度でフェードアウト・・・(その後、ハシミコフは1993年7月にはUWFインターナショナルに参戦して高田延彦のプロレスリング世界ヘビー級王座に挑戦しました)。

 

彼らはプロレスラーとして大成するには、アスリートとしてのスペックは申し分なかったのですが、根本的にセルフプロデュース能力が欠けていた、というのが印象です。

 

もっとも、そもそも彼らはショーマンシップとは対極にあり、そのプロレス慣れしていないところがウリでしたので、変に迎合してしまうと良さが失われてしまう難しさもあり、仕方のないところだった気がします。

 


 

「格闘衛星☆闘強導夢」新日本プロレス 
1989年4月24日 東京ドーム
試合開始6時 観衆5万3,800人

 

■ヤング闘強導夢杯トーナメント決勝戦 30分1本勝負
○佐野直喜(10分43秒 エビ固め)×ヒロ斉藤

■IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯トーナメント1回戦 30分1本勝負

○ビッグバン ベイダー(5分52秒 体固め)×蝶野正洋

○藤波辰爾(4分51秒 三角絞め)×ミハイル ベルコビッチ

○ビクトル・ザンギエフ(3分56秒 原爆固め)×バズ・ソイヤー

○橋本真也(3分41秒 首固め)×長州力

■マーシャルアーツ日米決戦 2分5ラウンド

△ベニー・ユキーデ(時間切れ引き分け)△飛鳥信也

■IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯トーナメント準決勝30分1本勝負

○ビッグバン ベイダー(14分37秒 体固め)×藤波辰爾

○橋本真也(7分28秒 足4の字固め)×ビクトル・ザンギエフ

■日ソ スペシャルシングルマッチ 30分1本勝負

○ワッハ エブロエフ(5分28秒 飛びつき逆十字固め)×マサ斎藤

■IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯トーナメント決勝戦 60分1本勝負

○ビッグバンベイダー(9分47秒 体固め)×橋本真也
※ベイダーが第4代IWGPヘビー級王者に

■スペシャルタッグマッチ 30分1本勝負
ジョージ高野 ○スーパーストロングマシン(17分10秒 魔神風車固め)越中詩郎 ×馳浩

■スペシャルシングルマッチ 30分1本勝負
○獣神ライガー(9分55秒 ライガー式バックドロップホールド)×小林邦昭

■米ソ スペシャルシングルマッチ 30分1本勝負
○サルマン ハシミコフ(2分26秒 片エビ固め)×クラッシャー バンバン ビガロ

■日ソ異種格闘技戦 3分10ラウンド
○ショータ チョチョシビリ(5R 1分20秒 KO)×アントニオ猪木

 

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