「巌流島の決闘」②~上陸記・船頭さんが語る猪木vsマサ斎藤戦の舞台裏!

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私は1987年のアントニオ猪木vsマサ斎藤戦の13年後、2000年にプロレスファンの友人と2人で、巌流島に上陸したことがあります。

 

何があるのかわかりませんが、とりあえず行ってみたかった、のです。壮大なる暇つぶし、単なる野次馬根性、男のロマンです(真顔)。


 

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●巌流島とは

 

「巌流島」は三菱重工と下関市が所有する無人島で、正式な名称は「船島」といいます。ここで敗れた佐々木小次郎が「巌流」を名乗ったため、この名がついたのだとか。

いまでは公園などが整備され、定期便も出ているようですが、この当時は釣り人がチャーター船で渡るほかは、たまに市のイベントが開催されるくらいの場所でした。

 


 

●謎のアクセス方法

 

行き方は友人が下関市のホームページなどで調べてくれました。

 

「巌流島渡船場」とされる現地に行くと、事務所もなにもなく、「お問い合わせ」と電話番号が書いてあるカンバンがありました。

 

恐る恐る友人が電話すると、個人宅につながり、オジサンが出て「渡りたいの?すぐ行くから待ってて」とだけ言って電話が切られました。

 

一体どういうシステムなんだ?と我々が不安になっていると、軽トラでオジサンが登場。キャップを被った、日焼けした漁師さん的な風貌の方です。

 

そしてそばに泊めてあった小さな漁船に飛び乗り、手際よく準備して「乗っていいよ」。私と友人は慌てて飛び乗り、私たちだけを載せた船は出港しました。

 


 

●巌流島へ上陸、衝撃の事実!

片道10分くらいでしょうか。波を切って、巌流島が近づいて来ます。かつて、「ワールドプロレスリング」で見た、あの光景です。

巌流島に着いたタイミングで、エンジンが止まったのでようやく、船頭のオジサンと、はじめてまともに口を聞きました。

 

オジサンは、森さんという方で、市から請負ってこの巌流島への渡し役を長年やっているのだそうです。

 

そして森さんは明らかに釣り人ではない我々を見て、「アンタらどっち?」と尋ねてきました。

 

我々が答えに困っていると、「宮本武蔵のファンなの?猪木なの?」という意味でした。我々は「猪木の方です(笑)」と答えると、森さんはなんと、一緒に船を降りて、巌流島を案内してくれるというのです。

 

我々は感激して、島をご案内いただく道中、森さんにいろいろと当時のお話しを伺いました。

「あの試合から20年経つけど、たまにアンタらみたいに巌流島に来る人がいるんだよ。猪木っちゅうのは人気あんだねぇ(笑)」

 

そしてなんと、この森さんはあの日も猪木とマサ斎藤を巌流島まで運んだ方で、我々の乗ったあの船が、まさにあの日の船なのでした。我々は知らぬ間に、猪木と同じ船で巌流島に来ていたのでした。

 


 

●独占!あの試合の船頭「森さん」が語る猪木マサ戦

 

島は思っていたより広く、そして、なんとものどかな場所でした。砂浜と雑木林、野っ原。ところどころコンクリートで整備がしてあります(太平洋戦争時には軍の要塞だったとか)。

 

 

とりあえず、武蔵と小次郎の決闘の碑があるところまで歩きながら、道中、森さんから当時のお話を聞かせていただきました。

▲森さんの後ろ姿

 

そしてこの森さんの口から出るエピソードが、どれもこれもたまらない面白さなのです。

 

「あの日、猪木さんは風邪を引いてたみたいで、船に乗った時、アタマから毛布を被ってガタガタ震えてたんだよ。こんなんで試合出来んのかな、って心配するくらい具合悪そうでさ。それが、島が近づいて、上陸する時になったらさ、もう「アントニオ猪木」なんだよ。目が凄いの。燃える闘魂、ってのはアレだな」

 

「試合は夜明けから、って聞いてたのに、全然始まらなくてさ。新聞とか雑誌記者とかヒマ持て余して、釣り道具持ってくりゃよかった、とか言ってて。やる事ないから昼寝したりキャッチボールしたりしてた奴もいたな」

 

「試合が始まったのが遅かったんで、こりゃ日が暮れるぞ、ってなってさ、慌てて松明の準備しないと、ってなって、何往復もして買い出しして準備したの」

 

「最後の方で、松明の火がついた木で殴り合いしてさ、ジュー、って肉の焼ける匂いがしてさ、ありゃたまんなかったな…」

 

「そういやこないだ、タイガーマスクと小川直也が来たよ」

 

などなど…。

 

 

舞台裏を聞いて夢がなくなるのでは、という杞憂を吹き飛ばす、リング上もだけど舞台裏の方がもっと面白いのが、猪木プロレスなのです。森さんも、生々しい舞台裏を見て幻滅するどころか、猪木プロレスの怪しい魅力の虜になってしまったご様子でした。

 

ちなみに、森さんはこの後、1991年12月18日に同じくこの巌流島で行われた馳浩vsタイガー ジェット シンの試合(翌年明け1.4東京ドームでの猪木との対戦権を賭けた一戦)も目撃されていまして、そのエピソードも爆笑ものでした。

 

「シンが試合前に控え室のテントに火をつけてさ、サーベルの先を燃やしながら出てきて…消すのに大変だったんだよ、山火事になるとこで。ありゃホンモンのキ●ガイだな」

▲ホンモノのキ●ガイ

 


 

●おわりに

 

もちろん、島では宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘についての伝承が書かれたものや記念碑的なものも見ました。ただ、それらはあくまで後付けの記念碑的なもので、あまりに伝説の出来事すぎて、正直感慨などは感じられませんでした。

 

 

ただ、驚いたことに佐々木小次郎のお墓、がここにあるんですよね。うっそうとした茂みの中で、ここだけは厳粛な空気が流れていました。

 

30分くらい滞在したでしょうか。なにもない島で、波の音だけを聞きながら、体調最悪の猪木は試合前に控え室のテントで、なにをして過ごしていたんだろう、そんな事を考えました。

 

そして、我々は再び森さんの操る船に乗り、帰還したのでした。

 

単に、島に上陸できたらいいな、くらいのつもりで行ってみたのですが、まさか当時の関係者の方にお会いできるとは思ってもみませんでした。そして、本当に親切に、面白いお話をたくさんしていただきました。

 

これこそまさに「迷わず行けよ、行けばわかるさ」な、私の巌流島上陸記です。

 

*これは2000年当時の情報です。行きたい人は最新情報を調べてからにしてくださいね。

 

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