「’81 蔵前全面戦争」1981年10月 〜猪木 新日プロvs馬場 全日プロ

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前回お伝えした「馬場vsハンセン 初対決」の前年 1981年は、ブッチャー、シン、ハンセンなどの引き抜き合戦に加え、第3極 国際プロレスの崩壊、初代タイガーマスク デビューなど、日本プロレス界にとって激動の1年でした。

今回は、10月に開催された新日プロ、全日プロの蔵前興行戦争を軸に、この年を振り返ります。

 


 

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◆ジャイアント馬場 3000試合連続出場

 

1月18日、ジャイアント馬場は「3000試合連続出場突破記念」としてAWAの帝王、バーン ガニアとAWA、PWFのダブルタイトルマッチを後楽園ホールで行いました。


 

◆タイガーマスク デビュー

 

4月の蔵前大会に初登場した(初代)タイガーマスクは、その超人的な空中殺法でプロレスファン、マスコミの度肝を抜き、鮮烈なデビューを果たしました。当初は都度、帰国しての特別参戦でしたが、各地のプロモーターからの出場要請が相次ぎ、徐々に日本マットに定着して人気が過熱していきます。


 

◆国際プロレスの崩壊

 

1981年夏、国際プロレスが活動を停止。これにより日本マット界は、猪木 新日プロと馬場 全日プロの二巨頭時代へ突入します。

 

国際プロレスは団体解散後、新日プロとの対抗戦を模索、一度は10月8日の蔵前大会への国際プロレス勢の参戦が発表されました。しかし、国際プロレス最終所属選手15人の中でマイティ井上が真っ先に新日プロへの参戦を拒否。ゴング誌の竹内宏介氏を仲介役にジャイアント馬場と会談を持ち、冬木弘道(サムソン冬木)、菅原伸義(アポロ菅原)、米村天心の3選手と共に全日本プロへ移籍します。その後、引退を考えていた阿修羅 原も、門馬忠雄氏を仲介役に馬場と会談、全日プロへの参戦が決まりました。

 

結局、新日プロに参戦するのはラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の3選手のみとなり、「はぐれ国際軍団」として猪木ファンの憎悪を浴びるヒールとして活動する事になります。

▲伝説の「こんばんは」事件

 


 

◆仁義なき引き抜き合戦

 

5月、新日プロのリングに全日プロの看板外国人選手であるアブドーラ ザ ブッチャーが登場。新日プロへの参戦を表明します。

 

その他にも、ディック マードック、タイガー戸口(キム ドク)を引き抜き、全日プロ壊滅を狙います。

 

これを知った馬場 全日プロは報復措置として7月にタイガー ジェット シンと上田馬之助、チャボ ゲレロらを引き抜き返します。

 

両団体の意地とメンツをかけた引き抜き合戦は泥沼化し、全日プロは新日の次期エース候補、若きハルク ホーガンの引き抜きを画策します。この当時のホーガンはまだまだ準エースクラスの扱いで、ハンセンのタッグパートナーとして活躍していました。

 

全日プロはテリー ファンクがボビー ダンカンを介して交渉し、一時は全日プロへの移籍が既成事実化しますが、結局は新日プロに残留。ホーガンは全日プロからのオファーをネタに、自身の扱いとギャラアップを交渉したとか。もし、この時にホーガンの全日マット移籍が決まっていれば、後のIWGP優勝→WWF王者、全米侵攻作戦にも大きな影響があり、歴史が変わっていたでしょうね。

 

そのほか、国際プロレスのエースガイジンであったアレックス スミルノフも水面下で両団体の獲得合戦がありましたが、全日プロが獲得しました。

 

ホーガン、スミルノフの両選手は両団体のポスターやチケットに写真が載っていたり、当時の混乱ぶりが伺えます。

 


 

10月8、9日 蔵前大戦争

 

10月、全日プロ創立10周年記念「81 ジャイアントシリーズ」が開幕。

 

目玉は豪華外国人選手で、ザ ファンクス、ブルーザー ブロディ、ミル マスカラス、ジミー スヌーカらの常連組に加えて、新日から移籍したてのタイガー ジェット シンと上田馬之助、ダスティ ローデスを破りNWA新世界ヘビー級チャンピオンになったばかりのリック フレアー、そして馬場の盟友である大御所 ブルーノ サンマルチノまでを投入。10月9日の最終戦、蔵前大会へと突き進みます。

 

一方の新日プロは、国際軍団とハンセン、ホーガン、タイガーマスクを軸に、前日の10月8日の蔵前大会をぶつけてきました。

 

これにより両団体は2日連続で蔵前国技館を舞台に、熾烈な興行戦争を行う事となったのです。

 


 

新日プロの1981年10月8日蔵前国技館大会は、「新日本-国際対抗戦 創立10周年記念興行第3弾」と銘打たれました。

 

対戦カードと(勝敗)は、

●アントニオ猪木vsラッシャー木村○

○藤波辰巳vs寺西勇●

●剛竜馬vsアニマル浜口○

そして、

敗者マスク剥ぎデスマッチ
○タイガーマスクvsマスクド ハリケーン●

○スタン ハンセン ハルク ホーガンvs長州力● ディノ ブラボー

 

というラインナップです。猪木は反則暴走による負けで、ここからラッシャー木村との遺恨がスタート。

藤波はジャーマンで寺西に完勝です。密かな注目カードは長州と組んでハンセン ホーガン組と対戦したディノ ブラボー。当時、新日プロはなぜかこの選手をプッシュしようとしていましたが不発に終わりました。

 


 

一方の全日プロは、1981年10月9日 蔵前国技館大会を「創立10周年記念 夢の4大決戦」と銘打ちました。

主な対戦カード(と勝敗)は

 

△ジャイアント馬場 ブルーノ サンマルチノvsタイガー ジェット シン 上田馬之助△

・NWA世界ヘビー級選手権試合
○リック フレアーvsジャンボ鶴田●

・インターナショナル選手権
●ドリー ファンクJr. vs ブルーザー ブロディ○

・IWA世界選手権試合
○ミル マスカラスvsマイティ井上●

 

メインの特別試合は典型的なベビーフェイスとヒールのタッグ戦ですが、両者リングアウトという残念な結末。引き抜きたてのため決着つけられないのはわかりますが、この辺りがこの時期の全日プロのダメなところです。

また、フレアーのNWA国内初タイトルマッチは、獲りたてのベルトをフレアーが手放すわけもなく、善戦虚しく鶴田の負け。これもまた予想通りです。

唯一、ブロディがドリーを破って11代インター王者となったのかサプライズでした。ドリーの息子ディンクくんまで巻き込んだ両者の遺恨抗争は、ますます激化していきました。

 


 

当時、常に蔵前国技館を満員にしてブーム直前の勢いの新日プロに対し、全日プロは観客動員に苦戦し、蔵前国技館で興行を打つのは年に数回がやっとでした。この興行合戦も、そんな両団体の勢いがそのまま現れて、動員も熱気も新日プロの勝ち、という印象です。

 

豪華外国人、それも現役のNWA王者まで招聘した全日プロに対し、ほぼ日本人で興行を打てる新日プロのコストパフォーマンスの高さにも注目です。

 

この年の国際軍団、タイガーマスクに、翌1982年には長州力のブレイクで一大ブームを巻き起こすIWGP前夜の猪木 新日プロですが、こと「引き抜き合戦」においては、81年末にスタン ハンセンを引き抜かれ、青ざめて馬場 全日プロに休戦協定を申し入れざるを得ず、馬場の政治力の前に事実上の敗北となりました。

 

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