【視聴レビュー②】ジータス BI砲 日本プロレス 秘蔵映像 ~20190223&24放送回

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さて、日テレ ジータス「BI砲」特集、2週目のレビューです。
1週目はコチラ>

 

▼2月23日(土) 19:00~21:00
至高の昭和プロレス名勝負列伝
~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(BI砲 3)
無敵タッグBI砲誕生&世界王座挑戦

 

●1969年5月16日 東京体育館
(第11回ワールド大リーグ戦 優勝決定トーナメント)アントニオ猪木 vs クリス・マルコフ

前回の馬場vsブラジル戦に続く優勝決定戦。オレンジタイツにオレンジタオルの若獅子 猪木。画がキレイです。猪木の試合で解説が山田隆さんなのもこの時代ならでは。レフリーはトルコ、セコンドには大熊、星野、魁、木戸、永源らの顔が。試合はマルコフの奇襲からスタート。マルコフは見た目に似合わず凶器(栓抜き)を隠し持っているラフファイター。猪木さんは場外で流血し追い込まれますが血染めのナックルパート、起死回生の卍固めで初優勝。馬場さん、坂口さんも祝福に駆けつけます。

 

●第11回ワールド大リーグ戦 表彰式

試合中は姿が見えなかったヤマハの2人もいます。準優勝の馬場さんには日テレから盾が渡されるのが意味深(単なる偶然)。参加賞?の金のハコの中身は何ですかね。表彰式後、放送席に猪木、馬場が来てインタビュー、警備もおらず大混乱。徳光さんが観客とケンカしてます(笑)

 

●1969年2月11日 秋田県体育館
(インターナショナルタッグ選手権)ジャイアント馬場、アントニオ猪木 vs ウィルバー・スタイダー、ダニー・ホッジ

BI砲のインタータッグ初防衛戦。モノクロで実況は後付けです。館内は超満員。一度同チームにベルトを奪われ札幌で奪還した1週間後の初防衛戦。1本目はスナイダーの飛行機投げで猪木が取られます。2本目、猪木さんのピンチに猛ダッシュで駆けつける馬場さん。決勝の3本目は卍固めで勝利。ホッジはほとんど目立たず。勇姿をもっと見たかった。

 

●1969年2月11日 フロリダ州タンパ
(NWA世界ヘビー級選手権試合)ジン・キニスキー vs ドリー・ファンク Jr.

これは予想外の貴重映像。同日に行われたアメリカでのNWA世界戦、現地の実況入りモノクロ映像です。終盤戦、ひたすらボディスラムとスピニング トー ホールドの繰り返しの末、28歳のドリーが世界王座奪取。試合後のスタジオでのインタビューまであるとは、日本テレビおそるべし。

 

●1969年12月2日 大阪府立体育会館
(NWA世界ヘビー級選手権試合)ドリー・ファンクJr. vs アントニオ猪木

王座脱出から10ヶ月後、世界王者ドリー初来日、26歳の猪木は世界初挑戦のフレッシュな対決。セコンドにはシニアとレイスがいます。60分フルタイムドロー試合ですが、映像は序盤と終盤のわずか数分でした。

 

●1969年12月3日 東京体育館
(NWA世界選手権)ドリー・ファンクJr. vs ジャイアント馬場

翌日は31歳の馬場が挑戦。こちらは選手権宣言からです。解説は猪木さん。馬場さんは試合開始から軽やかな身のこなし、貫禄でも圧倒します。シニアの過保護ぶりに「PTAパパ」とコメントする清水アナ(笑)。馬場さん、スリング ブレイド チックなスリーパーからランニング ネックブリーカーで先取。2本目はスピニング トー ホールドで1-1。決勝の3本目、馬場さんはジャイアント バックブリーカーも繰り出しますが、決着付かず。

ドリーは2日連続で猪木、馬場と60分フルタイムですからタフですね…。

 

●1970年3月3日 愛知県体育館
アントニオ猪木、大木金太郎、ミツ・ヒライvsプリンス・イヤウケア、ジム・オズボーン、フィル・ロブレイ

私の生まれる4日前の試合(笑)。ミツ ヒライの試合は初めて観る気が…。この年の7月からNETでの中継開始が発表された頃ですかね。すでに猪木さんは先輩の大木さんより格上感があり、若きエースの風格で、スタイルも完成された感があります。イヤウケアはブロディに影響を与えたレスラーとして知られていますが、なるほど表情の作り方がソックリ。この時期は「キング」ではなく「プリンス」なのですね。

 


 

▼2月24日(日) 17:00~19:00
至高の昭和プロレス名勝負列伝
~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(BI砲 4)

馬場&猪木のBI砲 インタータッグ防衛戦

 

●1969年8月13日 大阪府立体育会館
(インタータッグ選手権)ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキーvsジャイアント馬場、アントニオ猪木

「ブルクラ」は背格好も髪型までまったく同じ、「性能の良い中型の戦車」by清水アナ。生傷男&粉砕者のコンビは昭和の名タッグチーム。この試合は札幌で奪われたインタータッグのリターン マッチ。リソワスキーがタイツに忍ばすメリケンサック パンチにより猪木流血。その後も猪木さんが捕まり興奮した観客とブルクラが一触即発、満場騒然となる大阪府立。馬場さんの32文、16文から猪木さんが血染めの卍で大逆転、インタータッグ奪還。

 

●1970年3月3日 愛知県体育館
(インターナショナル ヘビー級選手権試合)ジャイアント馬場 vs フリッツ・フォン・エリック

馬場さんのインターヘビー防衛戦、5度目となるフリッツ戦。フリッツは1929年生まれですから、この時すでに41歳。馬場さんは32歳ですからおよそ10歳差です。レフェリー沖識名も加わってこの両雄の対決はいつもスローペース。フリッツは攻撃されるとすぐに場外に行くのでテンポが出ません。馬場さんが32文で先取、フリッツがクローで取り返し、決勝は両者リングアウト。延々続く試合後の両者の乱闘はさながら怪獣映画です。

 

●1970年4月4日 台東体育館
第12回ワールドリーグ戦入場式

外人勢はネルソン ロイヤル、ハンベロ フィルポ、ザ コンビクト、ターザン タイラー、ドンレオ ジョナサン、クリス マルコフ…とまるで劇画タイガーマスクの世界。

日本勢は大熊、小鉄、ヒライ、初出場の高千穂、“ゴールデンボーイ”坂口、吉村、馬場、猪木。

 

●大熊元司vsザ・コンビクト

動くコンビクトの映像、初めて観ました、デカい!グレート・アントニオ、ザ・マミーと並ぶ日プロ怪奇レスラーの代表格で、私は劇画タイガーマスクで読んでずっと観たかったので念願叶いました。コンビクトが秒殺。

 

●1970年8月4日 東京体育館
(インタータッグ選手権)ジャイアント馬場、アントニオ猪木 vs ザ・ファンクス

この時、テリーと猪木26歳、ドリー29歳、馬場32歳。特にテリーと猪木の絡みが新鮮です。やはり試合開始後、ドリーと猪木の絡みがいきなり20分カットされてガックリ。この部分は残存していないのでしょうか。BIが2-0で防衛。

 

●1970年12月1日 東京体育館
(インタータッグ選手権)ジャイアント馬場、アントニオ猪木 vs ジン・キニスキー、ジョニー・バレンタイン

ドリーに敗れNWAを失った荒法師キニスキー(42歳)と、東プロ旗揚げ戦での猪木との名勝負で知られる銀髪の爆撃機バレンタイン(41歳)のベテラン タッグ。バレンタインの打撃はウワサ通り強烈で、対抗する猪木、馬場の打撃にも熱が入りハードヒット マッチに。馬場さんの32文で先取。この裁定を巡り外人勢が猛抗議、なかなか2本目が始まらずミカンが飛び交う館内。この頃の猪木さんはエアプレーン スピンをよく見せます。2本目はバレンタインが毒針で馬場から取り返し1-1。決勝は猪木さんが間一髪滑り込んでリングアウト勝ち。2-1で11度目の防衛となりました。

 


 

▼2月24日(日) 19:00~21:00
至高の昭和プロレス名勝負列伝
~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(BI砲 5)
第13回ワールド大リーグ戦 BI砲よ、永遠なれ

 

●1971年3月2日 蔵前国技館
(インタータッグ選手権)ジャイアント馬場、アントニオ猪木 vs スパイロス・アリオン、ミル・マスカラス

国際プロレスが招聘するとの噂を察知した日本プロレスが「見たい外国人」投票を行い、先に来日させた2人。ファン投票1位がアリオン、2位がマスカラスでした。正統派4人のテクニカルな攻防が続きますが、中でも猪木さんとマスカラスのスピード溢れる絡みが貴重。序盤の攻防ではマスカラスのグラウンド テクニックの確かさが垣間見え、意外に手が合います。2人はシングルでも対戦していて、1-1からのリングアウトで猪木勝利。猪木さんは新日本プロレス旗揚げ後、幾度となくマスカラス招聘を試みていたのだとか。逆に馬場さんはマスカラスに対しカタイ対応、気の強いマスカラスもケンカ腰です。この頃のフライング クロスチョップもドロップキックも速い!猪木が1本目先取されます。2本目は馬場のアトミック ボムズアウェーでアリオンから。決勝の3本目は馬場さんも華麗なステップ、クロスチョップを16文で迎撃。最後は猪木のドロップキック連打からの卍。馬場もコブラでフォローして勝利。13度目の防衛を果たします。試合後、ちびっこファンが大挙してリングに乱入。

 

●デストロイヤー ガウン プレゼント セレモニー

ガウンというよりブルゾンですが、こんな企画があったんですね。司会は徳光アナ、因縁の2人(笑)、2万通の中からデストが引いたハガキをしれっとほかのハガキにすり替える徳さん(笑)松根運動部長も登場。

 

●1971年5月19日 大阪府立体育会館
(第13回ワールド大リーグ戦 優勝決定トーナメント)アントニオ猪木 vs ザ・デストロイヤー

得点上位4人による優勝決定戦、猪木はデストと対戦。鮮やかなグリーンのガウンにタオルの猪木、セコンドは大木と上田、エプロンに小沢、藤波も。もっと格下扱いされるのかと思いきや、この頃の猪木さんは自信満々、風格でもデストに格負けしていません。猪木のコブラをしのいだデストの必殺4の字固めで両者リングアウト。

 

●1971年5月19日 大阪府立体育会館
(第13回ワールド大リーグ戦 優勝決定トーナメント)ジャイアント馬場 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー

そして迎えた2試合目。71年になると花束嬢もパンタロンで急に垢抜けた印象。ブッチャーは白ステテコに裸足、まだほっそりしていて額もまだキレイです。そして2人とも動きが速い!ブッチャーは五寸釘状の凶器で反則攻撃、馬場さんは強烈&スピーディなジャイアント チョップ、16文、32文で迎撃。両者流血です。最後はブッチャーのハイアングル エルボードロップを自爆させて馬場の優勝、2年連続、V5達成。徳光さんの勝利者インタビュー。表彰式に猪木さんの姿はなく、この頃、控え室で猪木さんの「馬場に挑戦」の爆弾発言が行われていたワケです。それにしてもこの2人の対決、全日時代とはまるで別人です。

 

●1971年9月4日 田園コロシアム
(インターナショナル選手権)ジャイアント馬場 vs フリッツ・フォン・エリック

今回、何度も何度も放送される馬場さんとエリックの対戦、今回は田コロです。1本目、馬場さんが32文連発で先取。2本目はエリック必殺の鉄の爪で1-1。決勝はエリックが鉄の爪を離さず反則負け、馬場さんの防衛。試合後に猪木さんが乱入、エリックと乱闘を繰り広げ大盛り上がり。

●ラストは、かつて放送された「BI砲 Forever」の映像が流れて終了となりました。

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