昭和特撮「ゴジラ」昭和シリーズ総まくり!~1954-1975 15作品 一挙紹介

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庵野秀明監督作品「シン・ゴジラ」、ハリウッドでも今なお新作が制作される、怪獣王・ゴジラ。

 

今回は、その原点となる「昭和のゴジラシリーズ」映画15作品を、予告編と共にご紹介します。

 


 

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●ゴジラ映画の歴史

 

日本のゴジラ映画は、現在までに29作品が制作・公開されています。

〇昭和ゴジラシリーズ 15作品(1954~1975)
〇平成ゴジラシリーズ 7作品(1984~1995)
〇ミレニアムゴジラシリーズ 6作品(1999~2004)

その後、10年間のブランクを経て大ヒットした

〇シン・ゴジラ(2014)

が現在のところ、”Made in Japan”のゴジラ映画として最終作品となっています。(劇場版アニメ作品3作は除く)

 

<ハリウッド版GODZILLA>

〇GODZILLA(1998)
〇GODZILLA(2014)

そして、最新作

〇Godzilla King of Monsters(ゴジラ2)

が、2019年の公開が予定されています。

 


 

●ゴジラの生みの親

 

「ゴジラといえば円谷英二氏」が有名ですが、正確には

 

特撮の神様 円谷英二氏(1901~1970)


東宝のプロデューサー 田中友幸氏(1910〜1997)


映画監督 本多猪四郎氏(1911~1993)

の合作です。

 

1933年に公開された「キングコング」を観賞して衝撃を受けた円谷英二氏は、1954年、「インド洋で大ダコが日本船を襲う」企画を持ち込みます。そして、それを基に田中友幸プロデューサーが「G作品」企画を立ち上げ、アメリカの核実験からの着想など紆余曲折を経て1954年、本多猪四郎監督による国産特撮怪獣映画第1号「ゴジラ」が誕生します。

 

映画「ゴジラ」は当時経営が傾きかけていた東宝が立ち直るほどの大ヒットを記録。海外でも公開され、以降のゴジラシリーズは世界中で公開され、世界でもっとも有名なキング・オブ・モンスター となりました。

 


 

伊福部昭氏(1914―2006)

「ゴジラ」の音楽はなんといっても伊福部昭さんです。少年期を北海道で過ごした伊福部昭さんは、アイヌ民族や各地方から移住してきた人々の民謡を耳にして育ち、15歳から独学で作曲を始めます。1935年、厚岸の森林事務所で林務官を務めるかたわら書き上げた初のオーケストラ作品「日本狂詩曲」がクラシック国際コンクールで最優秀「チェレプニン賞」を受賞。第二次大戦後は東京音楽学校(現東京藝大)や 東京音楽大学にて教鞭をとり、芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、三木稔、石井真木、松村禎三など多くの作曲家を育てました。日本の音楽らしさを追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くのオーケストラ曲のほか、映画やバレエ音楽にも積極的で、「ゴジラ」「座頭市」「ビルマの竪琴」など300本以上の映画音楽を手がけています。

 


 

●昭和ゴジラシリーズ 

 

第1作から第7作までが、「特技監督 円谷英二」さんの時代です。

 

第1作 ゴジラ
1954年(昭和29年)
961万人 1.6億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭

単なる”怪獣もの”ではない、反戦や核への怒りといった時代を超えた強いメッセージ性を持つストーリーは、公開から60年以上が経った現在でも世界的に高く評価され、”初作にしてシリーズ最高傑作”に推すファンも。本作の「ゴジラ」は核の悲劇を体現し、恐怖の象徴として不気味に描かれ、モノクロも相まって戦争映画、恐怖映画のようです。

 


 

第2作 ゴジラの逆襲
1955年(昭和30年)
834万人 1.7億円
監督 小田基義
音楽 佐藤勝
アンギラス

1作目ラストで完全に消滅した「ゴジラ」ですが、あまりの大ヒットに続編が企画され、ポスターには「ゴジラは生きていた!」。いくらなんでもムリがありすぎ、ということで「もう1匹いた」とか設定はブレブレです。本作までがモノクロ作品ですが、早くもライバル怪獣として4足歩行の「アンギラス」が登場、舞台は大阪です。。円谷監督は本作から「特技監督」の肩書が付きました。

 


 

第3作 キングコング対ゴジラ
1962年(昭和37年)
1255万人 4.3億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭
キングコング/大ダコ/大トカゲ

シリーズ初のカラー作品、唯一のコラボ作品にして円谷監督が憧れたアメリカモンスターの「キングコング」をゲストに迎えた最大のヒット作。ラストは”両者リングアウト決着”なのが、日米の政治を感じさせます。

 

第4作 モスラ対ゴジラ
1964年(昭和39年)
722万人 3.1億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭
モスラ/モスラ幼虫(2匹)

「ゴジラ」映画ではなく単体で大ヒットした「モスラ」が登場。シリーズ唯一、ゴジラが負けた相手がこのときのモスラで、しかも幼虫です。ここまでのゴジラは悪役で、モスラが善玉でした。

 


 

第5作 三大怪獣 地球最大の決戦
1964年(昭和39年)
541万人 3.9億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭
ラドン/モスラ幼虫/キングギドラ

「モスラ」に続き、単体で大ヒットした「ラドン」も登場。本作は「宇宙怪獣キングギドラ」が初登場。見るからにラスボスのキングギドラに、モスラに説得されたゴジラとラドンが共闘。ここからゴジラが地球(人間)を護るヒーロー的な役割に代わっていきました。

 

第6作 怪獣大戦争
1965年(昭和40年)
513万人 4.1億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭
ラドン/キングギドラ

当時の宇宙ブームに乗っかり、シリーズで唯一、ゴジラがほかの惑星で戦う作品。ゴジラが当時流行っていた「シェー」をする演出は、シリアスなゴジラファンを凍り付かせました。

 

第7作 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
1966年(昭和41年)
421万人 3.3億円
監督 福田純
音楽 佐藤勝
エビラ/モスラ成虫/大コンドル

東宝お得意の「南海洋」が舞台。そのまんま巨大なエビの怪獣「エビラ」と戦います。

 


 

第8作 怪獣島の決戦 ゴジラの息子
1967年(昭和42年)
309万人 2.6億円
監督 福田純
特技監督 有川貞昌
音楽 佐藤勝
ミニラ/カマキラス/クモンガ

いよいよネタ切れが激しくなり、ゴジラの息子「ミニラ」が登場。子育てをするゴジラはメスなのか?と話題になり「パパゴジラ」と説明する事態に。ここから作りが完全に”お子様向け”になりました。

 


 

第9作 怪獣総進撃
1968年(昭和43年)
258万人 2.3億円
監督 本多猪四郎
特技監督 有川貞昌
音楽 伊福部昭
ミニラ/アンギラス/ラドン/バラン/モスラ幼虫/マンダ/バラゴン/ゴロザウルス/クモンガ/キングギドラ

映画館の入場者数が全盛期の4分の1まで落ち込み、子供達の興味も妖怪やスポ根などTV番組へと移った世相もあり、東宝は本作で怪獣映画の打ち切りを決定。ラストにふさわしく11体もの怪獣が登場する”夢のオールスター戦”映画となりました。が・・・予想外のヒット作となりあっさり継続に。

ただし、田中友幸プロデューサー、円谷英二特技監督、本多猪四郎監督、音楽 伊福部昭氏、スーツアクター中島春雄氏ら初代からのスタッフが揃って制作に関わったのは事実上本作が最後となりました。

 


 

第10作 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
1969年(昭和44年)
148万人 2.6億円
監督 本多猪四郎
特技監督 本多猪四郎
音楽 宮内國郎
ミニラ/ガバラ/アンギラス/マンダ/エビラ/大ワシ/ゴロザウルス/カマキラス/クモンガ

怪獣映画単体での公開が厳しくなったため企画された「東宝チャンピオンまつり」のメイン作品で、これまでとは違い子供が主人公の児童文学的作風。これまでの感謝を込め「監修 円谷英二」とクレジットされましたが円谷氏は病気療養中でノータッチだったとのこと。

 


 

1970年、円谷英二氏が伊東の別荘で療養中に亡くなります(享年68歳)。

ここから、特技監督が東宝入社以来、円谷監督の下で助手、助監督を務めた中野昭慶氏(1935~)になります。

 

第11作 ゴジラ対ヘドラ
1971年(昭和46年)
174万人 3億円
監督 坂野義光
音楽 眞鍋理一郎
ヘドラ

円谷氏亡き後、2年の期間を経て「東宝チャンピオンまつり」で公開された本作は公害問題を取り上げた異色作。サイケデリックやモラトリアムなどの時代背景も描かれます。敵役ヘドラの不気味すぎる容姿もですが、それ以上にヘンな恰好で”ゴジラが空を飛ぶ”衝撃はいまだに語り草です。

 

第12作 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
1972年(昭和47年)
178万人 3.2億円
監督 福田純
音楽 伊福部昭
アンギラス/キングギドラ/ガイガン

前年に大映が倒産し、ガメラ・シリーズが終結する中、本作も「東宝チャンピオンまつり」で公開。「ゴジラが他の怪獣と戦い、怪獣のチャンピオンを目指す」というチャンピオンまつり路線を決定付けました。ゴジラとアンギラスがフキダシで会話する、というあまりにも、なシーンでせっかくのサイボーグ怪獣 ガイガンの造形美が・・・。

 

第13作 ゴジラ対メガロ
1973年(昭和48年)
3月17日 98万人 2.2億円
監督 福田純
音楽 眞鍋理一郎
アンギラス/ガイガン/メガロ/ジェットジャガー

低予算にあえぐ中、前作で人気を博したガイガンを再登場させますが、メガロとジェットジャガーはデビュー作にして唯一の登場に・・・。興収も歴代ワースト2位。

 

第14作 ゴジラ対メカゴジラ
1974年(昭和49年)
133万人
3.7億円 山浦弘靖
監督 福田純
音楽 佐藤勝
アンギラス/メカゴジラ/キングシーサー

ゴジラ誕生20周年記念作品。沖縄返還、1975沖縄海洋博の話題を受け、「沖縄怪獣 キングシーサー」が登場。予算も時間も無い中での制作が続きますが本作の敵役「メカゴジラ」は当時のロボットブームもあって大人気に。長年、ゴジラのタッグパートナーを務めたアンギラスが半殺しになりいまだに死亡説と生存説で揉めています。

 

第15作 メカゴジラの逆襲
1975年(昭和50年)
97万人 3.3億円
監督 本多猪四郎
音楽 伊福部昭
メカゴジラII/チタノザウルス

前作で大人気のメカゴジラがタイトルを占拠。大人向け初期ゴジラシリーズの復活を掲げ、本多猪四郎監督と音楽 伊福部昭氏コンビが復帰しますが・・・ゴジラシリーズ観客動員数歴代ワースト1位の97万人(第1作の1/10)を記録。

 

遂に東宝はシリーズの休止を決定し。本作が昭和ゴジラシリーズ最終作品となってしまいました。

 


<関連リンク>

私感「シン・ゴジラ」

「円谷プロダクション」~ウルトラマンの光と影

昭和ウルトラマンシリーズ特集

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コメント

  1. 大石良雄 より:

    拝啓 サイトヘッド様には年末のどん詰まりご多忙の中、よろしくお願いいたします。
    *「初代ゴジラからの伝統は怪獣大戦争あたりから猛烈に崩壊が開始された」
     実は、映画とは? なんだかんだ申しても多分に政治的な関与や影響をもろに受け、ましてや当時の「TVが一般的では無く映画が娯楽の王者だった頃から、そろそろTVに食われて来たんぢゃあ無ぇか?」の時代、「唯一の被爆国-おそらく今後二度と再びどこかの国に核が落とされる事はまず無いが、、、その因果応報の落とし子として誕生したゴジラ」とは、誰がどう考えても最後までその基本路線を堅持する事は困難だったと思われます。その証拠?となるかどうか、、、第一作で大当たりしたので今度は「関西方面で大暴れしてくれ」とのリクエスト?により「ゴジ逆」が急遽造られますが、此処には「後だしじゃんけんと言いますか、かなり強引なへ理屈の設定によりアンギラスなんてぇ恐竜が出現した」と。結局こうした安易な設定をスタッキング-積み重ねればやはり「怪獣大戦争、ゴジ息子」なんてぇ路線に行かざるを得なくなるのは、もはやプロでなくても誰でも解りますね。サイトヘッド様など相当に「切れて鋭い」感性をお持ちですからね。
    *「その危ない路線を急激に引き戻し、再び正統的路線に戻した立役者-メカゴジラ」
     このメカゴジラこそ、「一時期すっかり落ちぶれて善人面?にさえなってしまったゴジラを引き戻してくれた千両役者、大功労者」なのです。この「ロボットモンスター」と言う発想は、どうも自分の思考では「西洋にはあまり無かった様な思考スタイル」であり、肉体的動物をメカ化すると言う発想は、もしかして宗教上?の理由なのかもしれませんが。
    此処に敢然と挑戦したのが「メカゴジラ 更にはメカニコング」等と言えます。
    こうしたメカニカルを前面にフューチャーしたプランニングは日本の得意とする分野であり、メカニコングと言いメカゴジラと言い本当に格好良く素晴らしいキャラクターをクリエイトしたと絶賛いたします。
    *「そのメカゴジラに本当の生命を与えた主役-それは音楽の佐藤勝さんだった」
     何でも当時「かっちゃん-勝っちゃん」と呼ばれ、あの伊福部昭先生に次ぐ地位と名誉を与えられながらも終ぞ「ゴジラの本質的なテーマをつかみきれず不完全燃焼しか無かった佐藤勝節」でしたが、この「メカゴジラのテーマ曲」で遂に佐藤勝さんは完全にテーマを掴み素晴らしい名曲を創り出したのです。大きく分けて約2曲ありますが、共通して「弦ストリングスを極力外し、ブラスメイン-しかもジャズやポップスの要素=ハーモニーやリズム、楽器の重ね方、更にリズムセクションにクラシカルパーカッションに加えてラテンパーカッション、民族的打楽器等も加え、メロディーとリズムの立ち位置をフィフティフィフティにした功績は大きい。を多分に用い、まず伊福部昭先生には出来ないであろう「軽く乗りの良い、ポップで現代的なテーマ曲」を作り上げたのです。またある時を境に更に音楽担当作曲家として「眞鍋理一朗、宮國郎」等の方々の顔も見られますが、何故か質量が軽く感じられ、どうもゴジラと言う超重量級キャラを支えるには難しかかった様に思えます。以前何かの書物での記憶曖昧ですが、佐藤勝さんが「作曲している最中、頭の中で伊福部さんの曲が鳴っていた」と。
    *「想像ですが、平成ゴジラに登場するメカゴジラ、モゲラ等の音楽の基本は此処に在り」
     平成ゴジラになって「大島ミチル様、服部隆之三代目」等が担当し、特に大島ミチル様の大天才ぶりは有名ですが、もしかしてこういった陰には佐藤勝さんの音楽があったのかもしれません。今、この令和になり益々混迷深める大変な時代となり、全てが変わった今、過去の映像を観ながら、当時を只懐かしみレトロな感覚に浸るばかりでは無く、基本を死守しつつも「変わらなくては生き延びられない」と言う事を、いやが上にも解らせられるのです。
    此処に「TVとは根本的に異なり、客が自ら足を運び銭金を払い、一期一会の他人と時間を共有しその場限りの出会いをし別れ、家庭内では不可能の大画面と音響の渦の中で観聴きする映画の奥深さ」を感じざるを得ません。既に映画は数十年前のとっくの昔から「斜陽産業であり、創りたい奴らが創って観たい奴らが勝手に観る」と言うサイクルに入っている今日、それだからこそ「ある意味開き直りの居直り精神」丸出しで、本当の意味でのエンタメってぇのを見せて欲しいですね。こういう意味でも「東宝」には期待しています。何せ「何処ぞの会社のガメラには、なかなか期待も出来難い状況」なので、、、、、、敬具

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