2018-04

音楽

80年代名盤⑤ 「佐野元春」〜1984 4thアルバム「VISITORS」

1984年にリリースされた佐野元春 4th.アルバム「VISITORS」 佐野元春氏は私の中で日本語ロックの原点的な存在です。氏のアルバムは初期三部作が好きなのですが、エポックメイキングな1枚、となるとその次に発表された、このアルバムです。...
プロレス

「スクワット」伝説 1950~ヒンズースクワットとプロレス

「金スマ」でも取り上げられた話題の本「死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい」(幻冬舎、順天堂大学医学部教授 小林弘幸先生著) 「1日たった10回のスクワットで死ぬまで歩ける」というフレーズで、高齢の方でもできる安全なスクワットトレーニン...
プロレス

リッキーvsスヌーカ 〜1981 プロレス新時代の幕開け

新日プロ 藤波vs長州による「名勝負数え歌」(1982年〜)の約1年前。 1981年の全日プロで繰り広げられた名勝負が、 “南海の黒豹” リッキー・スティムボート vs “スーパーフライ” ジミー・スヌーカ 戦です。 当時11歳、小学生の私...
音楽

YMO 1978〜 世界を席巻したテクノユニット~「なんとなくしか知らない」人向け解説

YMO イエローマジックオーケストラ 一般的な認知は、 ・メンバーは細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏 ・日本だけじゃなく世界的なバンド(ユニット) ・テクノの元祖? ・アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」 ・「ライディーン」「メトロポ...
プロレス

なぜ 猪木 新日プロ では暴動が起こったのか?〜観客心理の変化

前回は昭和の新日本プロレスで起こった「暴動」事件について、振り返りました。 観客の主張、怒りは「ふざけるな!ちゃんと試合をやれ!(決着をつけろ!)」からの「金返せ!」に尽きます。 しかし、その怒りの矛先は時代と共に変化しています。 それは一...
プロレス

猪木 新日本プロレス 暴動の歴史 1984~87

暴動…遠い異国の地で起きる事件のイメージですよね。かつて、日本でも安保闘争、学生運動など60年代までは珍しくありませんでしたが、70年代以降は(ごく一部の特殊な地域を除けば)、普通に暮らす一般大衆が(ニュースを含め)目の当たりにする事は、な...
プロレス

​プロレスTV初観戦の思い出~1975? 馬場とブラジルと黄色い花束

私が生まれて初めてプロレスを観た記憶。 劇画「タイガーマスク」 モノゴコロがついたときには7歳上の兄貴の本棚にあった「タイガーマスク」原作漫画を読んで育った私。「プロレスは昔の漫画の中の世界だ」と思っていた気がします。 ©講談社/梶原一騎/...
TVドラマ

書評「壮絶!田宮二郎」 〜1960-70年代のクールでニヒルな二枚目俳優

「昭和の二枚目俳優」といえば、私的にはなんといってもこの方、田宮二郎さんです。 1978年末、主演の人気ドラマ最終回直前に自宅で猟銃自殺、という衝撃的過ぎる最期を遂げ(享年43歳)、それから40年以上経った今でもたびたび「自殺の真相は?」と...
音楽

「夢の対決」〜70/80年代ミュージックシーン

先日、松任谷由実さんと井上陽水さんの初競演が話題になっていました。 そんな訳で今回はプロレス…ではなく昭和歌謡界、ニューミュージック(死語?)など、音楽の世界での「夢の対決」をまとめてみました。 ◆世良公則vs原田真二vsChar 「ロック...
プロレス

1984 新日本プロレス「大量離脱事件」〜ジャパンプロレスとは何だったのか?①

今回は、新日プロ「クーデター事件」の翌1984(昭和59)年に起こった、「大量離脱事件」についてです。 事件ばっかりじゃないか!…って、そうなのです。昭和の猪木・新日プロはとにかく激震してないと新日じゃない、ってくらいに、次から次に大事件が...
プロレス

「天龍とロビンソン」〜1981 天龍源一郎がプロレスに覚醒した日

※文中敬称略 ◼︎天龍が「Mr.プロレス」である理由 天龍源一郎はいつの頃からか「Mr.プロレス」と呼ばれるようになりました。それは「日本人レスラーでただ1人、ジャイアント馬場とアントニオ猪木からピンフォール(3カウント)勝ちをした選手だか...