江夏豊~1971 伝説のプロ野球オールスター・9者連続奪三振

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数々の夢の対決、名勝負を生んだプロ野球オールスター戦。特に対抗戦のない昭和のオールスターは、通常対戦のないセ・リーグとパ・リーグの対決が見られる、まさに「夢の球宴」でした。

 

その長い歴史の中で今もなお語り継がれ、50年間破られていない大記録。それが1971年、阪神タイガースの江夏豊投手が打ち立てた「9者連続奪三振」という偉業です。

 

 

「3イニングまでしか投げられない」中、あの昭和の怪物・ジャイアンツの江川卓投手もこの記録を狙いましたが、8人目までで未達(1984年)。

 

現在に至るまで、この記録を持つのは江夏豊投手、ただ一人なのです。

 

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“真剣勝負”だった当時のオールスター戦

 

昭和の時代のオールスター戦は、両リーグのプライドと意地がぶつかる真剣勝負でした。

 

オールスターが近づくと新聞やTVでは連日、両リーグの「戦力比較」や「勝敗予想」が報じられ、特に人気面でセ・リーグに大きく差を付けられTV中継もないパ・リーグは、ベテランの野村克也さんらを中心として真剣に「打倒セ・リーグ」に賭けていました。

 

実際に、ジャイアンツが空前のV9を打ち立てた1965年から1973年の間、オールスター戦では17勝8敗と、パが大きく勝ち越しています。

 

一方のセ・リーグには「年に1度のお祭りに、そんな真剣にならなくても」と余裕の空気が流れ、それがより一層、パ・リーグ選手の闘志を掻き立てていました。

 

江夏は不調だった?

 

この1971(昭和46)年、阪神タイガース・江夏豊の調子は、いま一つでした。

 

前半戦26試合に登板して6勝9敗と負け越し、防御率は3.12。この前年、1970(昭和45)年は52試合に登板して21勝17敗、防御率2.13、最多奪三振(340)タイトルも獲得していたことを考えると、物足りない数字です。

 

さらに5月5日の登板では体調不良(持病である心臓の頻脈)で3回で途中降板、当時大騒ぎになっていた「黒い霧事件」にも関与が取りざたされるなど、なにかとゴタゴタしていました。

 

しかしながら、ふたを開けてみれば江夏豊は、ファン投票セ・リーグ投手部門で堂々の1位。

 

 

江夏氏は当時を振り返り、「日刊スポーツかなんかの記者に『ようそんな成績でオールスターに出てきたな。ちょっとお客さんが喜ぶようなことをやらないといかんぞ』とハッパをかけられた」と語っています。

 

1968(昭和43)年にシーズン401奪三振の世界記録を打ち立てていた江夏からすると、「奪三振」こそがファンの期待に応える結果でした。

 

そして不調なのは、江夏とバッテリーを組む捕手の田淵幸一もでした。

 

この年の田淵は肝炎を患い、捕手としてではなく、主にライトとして出場していました。そのため、江夏-田淵の「黄金バッテリー」はこの年、このオールスターで初めて組まれたのです。

 

 

 

江夏の41球~9者連続奪三振の推移

 

1971年オールスターゲーム第1戦。開催地は兵庫県の西宮球場でした。
セ軍の監督は巨人の川上哲治。対するパ軍の監督はロッテ・オリオンズの濃人渉です。

 

 

1回裏/14球

 

有藤通代(ロッテ)2-2から空振り三振
基満男(西鉄)2-2から空振り三振
長池徳二(阪急)1-2から空振り三振

 

先発のマウンドに立った江夏が、もっとも警戒したのが「32試合連続安打」の記録を持つ阪急の長池でした。江夏はこの時「切り札にフォークを投げた」と語っていますが、厳密には「スプリットフィンガー・ファストボール」。1980年代終盤に日本球界でブームになる20年近く前に江夏が開発していた「魔球」でした。

 

2回裏/14球

 

江藤愼一(ロッテ)2-2から空振り三振
土井正博(近鉄)0-2から空振り三振
東田正義(西鉄)2-2から空振り三振

 

この回の表、江夏は田淵から借りたバットで、阪急の米田哲也からライト中段に突き刺さる特大のスリーランホームランを放っています。「1、2の3でバットを振ったら、勝手に当たって飛んだ。ど真ん中にボールがきて。いやぁ、でも後で怒られた怒られた。ヨネさん(米田)とキャッチャーの岡村(浩二・阪急)さんにこっぴどく。『先輩に恥かかせんな』って」

 

翌日の朝日新聞には「きょうは(中略)江夏デーですよ。あんな大きなやつを打つなんて…。こっちは商売あがったりだ」という、巨人の王さんのコメントが載っています。

 

3回裏/13球

 

阪本敏三(阪急)2-2から見逃し三振
岡村浩二(阪急)0-2から空振り三振
加藤秀司(阪急)1-2から空振り三振

 

そして3回のマウンドに上がった江夏。球場内は不気味なほど静かでした。

 

9人目、加藤が1-1からの3球目をバックネットにファウルを打ち上げた時、江夏が田淵に「追うな!」と叫んだことがよく知られています。江夏は「早くこの緊迫感から逃れたい、どうせスタンドに入るんだし、時間がもったいないと思った」田淵は「仮に獲れるフライでも、手を広げてワザと落そうと思っていた」と語っています。

 

そして江夏はド真ん中に速球を投げ込み、加藤はフルスイングで空振り三振。江夏は両手を挙げ、満面の笑みを浮かべて大観衆の歓声に応えました。

 

 

この時田淵は、興奮のあまりボールをマウンドに投げてしまいます。グラウンドを転がる記念のボールは、一塁を守っていた王さんが拾って渡してくれたそうです。

 

 

全セ、オールスターゲーム史上初のノーヒットノーラン

 

実はこの試合、もう一つの大記録が生まれています。それはオールスターゲーム史上初のノーヒットノーランでした。

 

全セ2番手の渡辺秀武(巨人)は2イニング、3番手の高橋一三(巨人)が1イニングを無安打に抑えると、4番手の水谷寿伸(中日)は打球を右手親指に受ける不運も投ゴロ。急遽リリーフに立った小谷正勝(大洋)も、出塁を許しません。

 

そして9回裏2アウト、遂にパの切り札・張本勲(東映)が代打に立つも凡退。結局、5回裏の1失策、6回裏の1四球のみ、外野に飛んだのは2球だけ。「オールスター史上初の継投ノーヒットノーラン」が達成されました。セの5投手が奪った「計16奪三振」も、オールスター新記録でした。

 

江夏はこの試合で、殊勲選手賞(現在のMVP)と優秀投手賞を受賞しました。

 

江夏の15連続奪三振、記録を止めたのはノムさん

 

江夏は前年、1970(昭和45)年のオールスターでも有藤(ロッテ)、長池(阪急)、池辺(ロッテ)、張本(東映)、野村(南海)を相手に5連続奪三振を記録しており、これでトータル14連続奪三振となりました。

 

そして江夏は、後楽園球場で開催された第3戦にも6回から3番手で登板。

 

最初の打者・江藤も三振に切ってとり、連続奪三振記録を15に伸ばします。続く16人目の打者は、第1戦欠場していた野村克也(南海)。

 

ノムさんは極端にバットを短く持ち、それを見た江夏は思わずマウンド上で吹き出します。

 

野村は1球目の真ん中へのストレートをなんとかバットに当てて二塁ゴロに倒れ、連続奪三振記録は15で終わりました。ノムさんは「パ・リーグで育った者として、連続だけはなんとしても止めたかった」とコメントしています。

 

江夏は1970~1973年の3年間で、計39人の打者と対戦し、なんと26個の三振を奪っています。

 

 

「当時だからできた」江夏が語る連続奪三振

 

長く「人気のセ、実力のパ」と言われた、昭和のプロ野球。江夏さんはこれらの大記録を「当時だからできた」と語ります。

 

「パのどんなにいい選手でも、人気ではセに勝てない。だから何とか『セ・リーグを負かしてやろう』っていう空気だった。エース級の投手の球を打ってやろうじゃなくて、『ホームランを』打ってやろうって、力いっぱい、豪快なスイングをする。公式戦だったら、あそこまでむちゃな振りはしないと思う」

 

コメント

  1. Bach より:

    こんにちは、いつも拝読させていただいています。

    MIYA TERU 様とはほぼ同世代。子供のころから、プロレスもプロ野球も特撮も大好きでした。

    江夏豊、私の中では最大のヒーローです。だから私もそう思っておきたいのですが、連続奪三振記録は、今年の4月に、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が10連続奪三振を記録し、江夏豊の記録を抜いたように記憶しています。

    「破られていない大記録」とありましたので、一応訂正まで。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。江夏さんの「球宴(オールスター)での」9者連続奪三振記録は、まだ破られていません。
      現代のオールスターは3回も投げないので、もう破られることはないだろう、と言ったのでした。
      その江夏さんも、佐々木投手を絶賛していますね。

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