「1983年の中森明菜」~80年代アイドル④ 1982-1985 初期シングルの軌跡

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80年代アイドルといえば、「松田聖子」さんと「中森明菜」さんがツートップです。

今回は、中森明菜さんのデビューから、初のレコ大受賞までの4年間、「初期 中森明菜 シングル楽曲の軌跡」をご紹介します。


 

「博多どんたく」での出会い

 

中学当時、周囲の「ちょっとツッパリ」な同級生の女子は全員、明菜ファンでした。セットの大変そうなレイヤードの髪型で、ペタンコなカバンに、長いスカートを翻していました。

 

私が最初に「中森明菜」を認識したのは、小学6年生の時に、たまたま通りがかった「博多どんたく」のステージでした。今は知りませんが、当時の「博多どんたく」は5月の連休中という事もあり、その年のデビューしたての新人アイドル キャンペーンの檜舞台でした。

繁華街 中洲の川の上にヤグラが組まれ、たくさんの新人アイドルが歌っていましたが、たまたま私が通りがかったときに、彼女が出演していたのです。

 

と言っても、人だかりで本人はまともに見えず。「AKINA命」「あきなLOVE」などと書かれたハチマキに特効服、ハッピを着た怖そうな親衛隊が勢ぞろいして大声で声援を送っているのを眺めて、「アキナ、という名前のアイドルがいるらしい」と、妙に記憶に残りました。

そんな彼女、それからしばらくはあまりTVでは見かけませんでしたが、ある日突然「少女A」でブラウン管に登場。「あれ、あの時のアキナ、ってこの人か」「こんなの唄うんだっけ、なんかイメージ違うな」とか思っていたら、あれよあれよとトップアイドルに。

一度見かけただけなのですが、なんだか勝手に「よかったなぁ売れて」と変な親近感が沸いていました。

 

そんな訳で、デビューからの軌跡をシングル楽曲順に、まとめてみます。

 


 

「スター誕生」

 

中森明菜は母親からの強い勧めでこのオーディション番組に出演、デビューしました。本人は特に歌手志望ではなく「苦労している家族を少しでも楽にしてあげたい、という気持ちで応募した」と語っています。しかし、いきなり合格、とはならず、3度目のチャレンジでの合格でした。

1度目は岩崎宏美の「夏に抱かれて」を唄い、某女性審査員から「この曲はあなたには大人っぽすぎる、年相応の曲を歌うべき」と指摘され不合格となります。

そこで2度目は松田聖子の「青い珊瑚礁」を唄うと、同じ女性審査員から「幼すぎる。童謡でも歌ったらどうかしら」と言われ、またも不合格に。さすがに憤りを感じた彼女は直接抗議しようとしましたが、母親に止められたのだそうです。

そして3度目。この時は自身の強い意志で山口百恵の「夢先案内人」を歌い、スタ誕史上最高得点の392点を獲得、レコード会社と芸能事務所選考も見事クリアしてデビューが決定しました(それでも某女性審査員は低評価だったそうですが)。

 


 

1982

◆01.スローモーション

デビュー曲は来生えつこ・たかおコンビの名曲、「スローモーション」。すごくよい曲で私も大好きなのですが、「新人アイドルのデビュー曲」としてはいささか地味です。しかも、この楽曲に決まるまで二転三転し、同期アイドルに比べて少し遅れて5月発売となります。

セールスも振るわずオリコンチャートは最高30位止まり。なかなかの厳しいスタートとなりました。


 

●花の82年組

この年はアイドルの当たり年と言われます。松田聖子に続け、とばかりに松本伊代(デビューは81年)、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子、シブがき隊、さらには原田知世などなど、大量の新人アイドルがデビューし、賞レースは稀に見る激戦の年でした。

 

 

●キャッチフレーズ

中森明菜のキャッチフレーズは「ちょっとHな美新人(ミルキー)っ娘」。

「ルーキーと美人をかけたんや!」とドヤ顔で言われても、真顔で「センスなさすぎ」と返すしかありません。周囲にもからかわれ、本人も相当イヤだったとか。

 


 

◆02.少女A

82年夏、2ndシングル「少女A」をリリース。この楽曲が彼女の最初のブレイクのきっかけとなります。

巻き返しを図るため当初路線を変更してコンペで選ばれたこの楽曲は、作詞の売野雅勇氏が沢田研二に提供してボツとなっていた「ロリータ」という詞を改作、そこに芹澤廣明氏によるハードなギター、ロック調な楽曲が付けられました。重低音を活かしたこのテイストはほかの新人アイドルとは異色で、目立ちました。

まだ「ヤンキー」という呼び方はなく当時は「ツッパリ、不良」。「外見や行動は不良だが中身は純情」というこの路線は山口百恵、三原順子から存在しており、80年代の「金八先生」「積み木崩し」「横浜銀蝿」などの世相を表現した楽曲、として注目を集めました。

これにより松田聖子の清純路線に対抗する「ポスト百恵」的イメージも得た彼女は、一気に若い男性層の人気を獲得してオリコン5位にランクインし、「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」への初出演も果たしました。

 


 

◆03.セカンド・ラブ

普通ならこのまま「ツッパリ路線」で行くところですが、3rd.シングル「セカンド・ラブ」はデビュー曲「スローモーション」と同じ清純派路線に戻ります。

この楽曲では少し大人びた恋愛の心情を見事に歌い上げ、20代、30代の女性層からの支持が集まるようになります。結果、
見事に初のオリコン1位(通算6週)、「ザ・ベストテン」で8週連続1位を獲得、70万枚を超える彼女最大のセールス楽曲となり、一躍トップアイドルとなりました。

 


 

1983

 

◆04.1/2の神話

そして1983年2月、4作目で「ツッパリ路線」のロックテイスト楽曲を持ってきます。

作詞は売野雅勇氏、作曲は気鋭の若手アーティスト、大沢誉志幸氏による「1/2の神話」。オリコン1位、60万枚に迫るビッグセールスとなりました。

 


 

◆05.トワイライト-夕暮れ便り-

そして来生コンビによる「スローモーション」「セカンド・ラブ」路線の楽曲「トワイライト-夕暮れ便り-」が5作目のシングル。40万枚を超えるスマッシュヒットとなります。

・清純路線、ミディアム調
・ツッパリ路線、ハード調

を交互にリリースする戦略は男性層、女性層に広くアピールし、彼女のファン層拡大につながりました。もし安易に「少女A」路線を続けていたら…一発屋で終わっていたかもしれず、彼女のブレーン、スタッフの戦略は見事です。

 


 

◆06.6 禁区

続く6枚目は作詞 売野雅勇氏、作曲は細野晴臣氏です。シンセドラムの音色と、オトナとの危険な恋愛を描いた、細野さんらしい音階が印象的な不思議な楽曲です。

ここからバラエティ豊かな有名アーティストからの楽曲提供を受けて、さまざまなスタイルに挑戦していきます。

 

これらのシングル、そしてアルバムも名曲揃いでいずれも大ヒットして、1983年歌手別総合売上1位を獲得。さらに、日本レコード大賞「ゴールデンアイドル・特別賞」を受賞、ブロマイド売上実績の女性部門で首位となるなど、完全に数多くの同期アイドル達からアタマ一つ抜き出て、松田聖子と双璧をなす、「80’トップ オブ トップ アイドル」となりました。

 


 

1984

 

◆07.北ウィング

デビュー3年目となる1984年、この頃から「明菜本人によるセルフプロデュース」が鮮明になります。

7枚目のシングル「北ウィング」は作詞 康珍化氏、作曲 林哲司氏コンビの作品。エアポートを舞台にしたスケールの大きな大人の恋愛を描いています。タイトルは当初予定の「ミッドナイト・フライト」から本人の意思で変更され、ジャケット写真も当時のアイドルとしては異例の「顔アップ」ではなく、これも本人の意向を反映したものだそうです。

 


 

◆08.サザン・ウインド

8枚目のシングル「サザン・ウインド」は、作詞 来生えつこ氏、作曲に「安全地帯」で人気絶頂の玉置浩二氏を起用。この楽曲から彼女の楽曲に「異国っぽさ」「エスニック」という新たな魅力が加わります。

 


 

◆09.十戒(1984)

9枚目「十戒(1984)」は作詞 売野雅勇氏、作曲にフュージョンギタリストとして有名な高中正義氏を起用。音楽業界でも話題になりました。

この楽曲は封印したと思われていたツッパリ路線に回帰し、集大成的なハード路線で大ヒットとなりました。なんたって「イライラするわー」です。ちなみに…この謎のタイトルは「10回 イクわよ」の隠語だ、という説を読んだことがあります…真意のほどはわかりません。

この時期、これまでのツッパリ路線、さらに来生コンビによる清純路線も終息、「アイドル」から「アーティスト」への方向性の転換が図られました。

 


 

◆10.飾りじゃないのよ涙は

10作目となる「飾りじゃないのよ涙は」は井上陽水氏の作詞 作曲。まさに陽水ワールド全開のアーティスティックな楽曲を見事に唄いこなし、幅広い層から支持されました。

 


 

1985

 

◆11.ミ・アモーレ

デビュー4年目となる1985年。11作目となるシングル「ミ・アモーレ」でレコード大賞を受賞。中森明菜は名実共に歌謡界の頂点に立ちます。

この楽曲は作詞 康珍化氏、作曲と編曲はラテンミュージック界の大御所、松岡直也氏によるものです。

「リオのカーニバル、サンバのリズム」という歌詞の通り異国情緒に溢れたこの曲は、別歌詞「赤い鳥逃げた」として当時流行りの「12インチシングル」も発売されこちらもオリコン1位の大ヒットとなりました。

 


 

80年代、栄光のアイドル・歌謡曲時代の終焉

 

この後、「SAND BEIGE -砂漠へ-」「SOLITUDE」「DESIRE -情熱-」などなど、中森明菜さんは多彩な作家陣による、バラエティ豊かなヒットシングルを連発します。

 

1980年代のシングル総売上げ932.5万枚、年間50位以内ランクイン曲数22曲と、どちらも当時の女性アイドル中、ナンバー1。
さらにはTBS「ザ・ベストテン」で1位週数69週で番組史上最多、1位獲得曲数も17曲で歴代1位と、まさに80年代を代表する女性歌手となりました。

 

1989年7月、交際していたトップアイドル、マッチこと近藤真彦さんの自宅マンションで自殺未遂事件を起こし、1年間の活動休止となりますが、復帰後の90年代もドラマ主演などで活躍。

しかし、80年代の終焉と共にテレビの音楽番組も曲がり角を迎え、栄光のアイドル、歌謡曲の時代も終わりを告げました。

 


 

中森明菜 初期シングル 一覧

 

1 スロ-モ-ション
1982年5月 30位 17.4万枚
作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお

2 少女A
1982年7月
5位 39.6万枚
作詞:売野雅勇 作曲:折澤廣明

3 セカンド・ラブ
1982年11月
1位 76.6万枚
作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお

4 1/2の神話
1983年2月
1位 57.3万枚
作詞:売野雅勇 作曲:大沢誉志幸

5 トワイライト~夕暮れ便り~
1983年6月
2位 43.0万枚
作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお

6 禁区
1983年9月
1位 51.1万枚
作詞:売野雅勇 作曲:細野晴臣

7 北ウイング
1984年1月
2位 61.2万枚
作詞:康珍化 作曲:林哲司

8 サザン・ウインド
1984年4月
1位 54.4万枚
作詞:来生えつこ 作曲:玉置浩二

9 十戒(1984)
1984年7月
1位 61.1万枚
作詞:売野雅勇 作曲:高中正義

10 飾りじゃないのよ涙は
1984年11月
1位 62.6万枚
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

11 ミ・アモーレ
1985年3月
1位 63.2万枚 作詞:康 珍化 作曲:松岡直也

 

 

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