「1985年の斉藤由貴」〜80年代アイドル②『卒業』『AXIA』を考察する

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久々に女優、CMタレントとして注目を浴びて…と思っていたら、やっぱりまたもや「24年ぶり3度目」の不倫スキャンダルでお騒がせの斉藤由貴さん。

 

80年代、彼女の楽曲は名曲が多く、当時の歌番組で独特な存在感を醸し出していましたし、当時の尾崎豊との不倫騒ぎをご存知の方も多いと思います。

 

今回は、彼女の「卒業」「AXIA〜かなしいことり」という楽曲についての考察です。

 


 

◆周囲とは一線を画した「卒業」の世界観

 

斉藤由貴「卒業」は、1985年2月にリリースされた彼女のデビューシングルです。
作詞が松本隆さん、作曲が筒美京平さん。そしてアレンジが武部聡志さん。

 

すごいメンツですね。

 

 

まずは詩の世界から考察します。

妙に引っ掛かる、琴線に触れるポイントとしては、「なんだか妙に醒めた感じ」という点です。

 

・頭掻きながら逃げるのね ホントは嬉しいくせして

・やめて思い出を刻むのは 心だけにしてとつぶやいた

・卒業しても友達と それは嘘ではないけれど
 でも過ぎる時間に流されて 逢えないことも知っている


これらは同世代の男子に対して実に上から、醒めた発言です。

 

中でも最も有名なサビの、

・卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう
 でももっと悲しい瞬間に 涙はとっておきたいの


ここなんか最たるものですね。

周りの「雰囲気で泣いてる同級生」とは明らかに一線を画したフレーズです。

 

でも、この物語の基本線はあくまでも

「東京に行ってしまう貴方を見送る女の子」

になっていて、上にあげた「以外」のほとんどは、可愛らしい描写が続き、バランスを保っています。

 

初めて一緒に無言で帰ったり、席替えで隣の子に妬いたり、駅のホームで時の電車に引き裂かれて云々とか、セーラーの薄いスカーフで云々…。

 

仮に、これが

「自分が東京に行って夢を追いかけ、地元に好きな男の子を置いていく活発な女の子の唄」

だったら、ここまで共感されなかったと思います。

曲が素晴らしく、当時の斉藤由貴ならそれでも売れたかもしれませんが、少なくとも私はこんなに評価しません。

 

松本隆さんを始め、この時代の「作家さん」がスゴイのは「自分が書きたい作品を書く」のではなく、この当時の斉藤由貴の芸能界における立ち位置やウリ、あるいは世間から見た彼女の独自性、個性を把握した上で、

「彼女が言いそうなこと、言って欲しいことを、本人が描くよりも上手く引き出して作品にする」

ところが、文字通りプロだなぁと感服するのです。

 

あらためて詩を読むと、気が強くて鼻持ちならない奴にならないように、可愛さを失わないレヴェルで彼女ならではの魅力を伝え、決して「そこら辺にある哀しいですね、ありがとう、だけの卒業ソングにしたくない」というバランスが絶妙です。

 

もちろん、筒美さんの曲と、武部さんのアレンジも素晴らしい。

イントロのあのエスニックなアルペジオが桜がハラハラ散ってるようなもの悲しい感じ+明るい希望を表現していて、イントロだけで飯が3杯は喰えます(音階的にはハラハラ散る、というより登って行ってますが)。

そしてもの悲しいのにポップ、メジャーとマイナー調の絶妙なバランスが、この「卒業」という「別れと新たな始まり」「冬から春へ」「子どもから大人へ」といったものを想起させ、甘酸っぱく切ない世界観を構築しています。

 

これらの素晴らしい詩、曲、アレンジが合わさり、益々もって「そんじょそこらの感動してよ、お涙頂戴的な卒業ソングにはしませんよ」という、制作側の意図が完成しました。

 


 

◆斉藤由貴「独特の存在」

 

この楽曲が象徴する「単なるかわい子ちゃんの普通のアイドルとは一線を画した独特な雰囲気」というのが、実際に斉藤由貴と接した周囲の才能ある大人達の、一致した印象だったようです。

関係者は第一印象を「赤いスカーフのセーラー服とポニーテールの似合う、黒髪清楚なええとこのお嬢さん」「アイドルになりたい、売れてのし上がりたい的な野心とは無縁に見えた」と口を揃えます。

 

もともと斉藤由貴は「敬虔なモルモン教徒」である事が知られ、常人とは少し価値観の違うキャラクターでした。

その佇まいは非常に文学的、いまでいう意識高い系サブカル臭もあり、ややもすると面倒臭いタイプです。

 

それでいておっとりしたポワンとしたルックス、どこを見ているのかわからない大きな瞳、天然を演出する半開きの唇に加え、彼女はミスマガジン系のコンテスト出身のためデビュー当時はグラビアで水着もよく披露しており、そこで見せる圧倒的に肉感的なカラダとのアンバランスで、ますます人気を博しました。

 

当時、「斉藤由貴のファン」を公言する有名人も多く、巨乳好きで知られインテリに憧れる野生児 前田日明氏もメロメロでした。

 


 

◆残酷な名曲「AXIA 〜かなしいことり〜」

 

彼女の「無自覚な聖母と淫売の奇跡の両立」ぶりはその後も、谷山浩子さんら多くの作家陣のインスピレーションを刺激して、「白い炎」「初戀」「情熱」など、文学的な香りのする数多くの佳作に恵まれます。

 

中でも、「そして僕は途方に暮れる」など、一連の大沢誉志幸作品で有名な銀色夏生さんの手がけたコレが、私の最も好きな楽曲です。

 

「AXIA〜かなしい小鳥」

 

作詞作曲が銀色夏生さん、編曲は武部聡志さん。ファーストアルバム「AXIA」(1985年6月21日発売)に収録された、その名の通り富士フイルムのカセットテープのCMソングでした。

 

 

この曲はいきなり

・ごめんね 今までだまってて 本当は彼がいたことを
 言いかけて言えなかったの 二度と逢えなくなりそうで…

という強烈な歌い出しで始まります。

 

その後も

・今ではあなたを好きだけど、
 彼とは別れられない

…黙って聞いていればとんでもない身勝手かつ、残酷極まりない事をほざいています。

 

そして

・2人はかなしい小鳥ね

…「わたしは」ではなく「2人は」なのがポイントです。まだ「貴方は」と言わなかっただけマシですが(笑)。

 

さらに

・いつまでもこうしていたいけど 帰れないけど帰るわね
 これから誰を愛しても ふたりは胸が痛いのね

「帰りたくない」のではなく「帰れない」…けど帰る。そしてまた「ふたりは」とあくまでも共犯であることを主張して、ラストは

 

・優しい言葉とため息で そっと私を責めないで
 優しい言葉とため息で そっと私を捨てないで

 

…素晴らしい。ここまでいくと正直で清々しさすら感じます。ヘタな綺麗事や道徳を語られるよりグッと来ます。

 

このように、普通のアイドルには唄えない世界観をさらっと唄えてしまう、というのが斉藤由貴ならではです。唄がうまい!というワケでもないのに、この人にしか出せない雰囲気があります。

 

「斉藤由貴なら仕方ない、好きって言ってくれてんだし、呪うのは出逢ったタイミングであって彼女に罪はない」

などと、男がまるで間違ってしまう彼女の魔性を、同性である銀色夏生さんが見抜き、これまた徹頭徹尾、淡々と、醒めた雰囲気で見事に描いています。

 


 

そしてこれらの過程を経て、後に「月刊カドカワ」尾崎豊さんという猛毒に触れ、誌上実況リアルタイム進行形でダメよダメよと言いながら接近し、のめり込んで泥沼のスキャンダルになるという顛末へと続くのです。

 

ここまで書いておいて何ですが、私は斉藤由貴さんが飛び抜けて好き、大ファン!ってワケではまるでなかったのですが、それでもデビュー以来の彼女の周囲の人を惑わせる独特な存在は気になっていました。

 

そしてちょうどこの時期、月刊カドカワで尾崎豊氏の連載などを読んでいた事もあり、この一連の顛末をリアルタイムに眺めていました。

 

なのでスキャンダルが騒ぎになった時は「まさかあの斉藤由貴が」ではなく、「やっぱりそうだよね、ほーら見ろ(笑)」的な印象でした。

 

見るからに魔性!ではなく、自ら積極的に何かをするワケでもなく、気がついたらなんとなく道を踏み外し、男からするとハマると誰よりキケンなタイプ。

 

最近の出来事をみても、こんな早い時期から彼女の本質を見抜いて存在ごと作品として仕立てていったプロの作家さんたち、そしてその中であくまでも自分の価値観で生きているように見える彼女、という存在が、これ以上なく面白いなぁ、と思うのです。

 

私はアーティストに聖人君子を求めることなどないですし、むしろ波乱万丈な方がよいと思いますが、すぐに「人として・・・」という正論をふりかざすこの時代、彼女のような存在は排除されてしまうのでしょうか。まったくもって面白くない世の中です。

 

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