「テクノ アイドル 歌謡曲」~80-00年代 中毒性の高い名曲・迷曲・珍曲集

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「テクノ」というジャンルを歌謡曲フィールドに広めたのは、以前にもご紹介したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の功績ですが、アイドル歌謡曲ではYMO登場以前から、そしてそれ以降も別の流れでのテクノっぽい「コンピュータ&シンセサイザー」を取り入れた楽曲が数多く存在します。

 

妙なキャッチーさと中毒性があり、耳について離れない名曲、迷曲、珍曲…今回は、そんな”テクノアレンジ歌謡曲”を、編曲家(アレンジャー)に注目してご紹介します。

 

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1979 アパッチ「宇宙人ワナワナ」

アコ、ミッチー、ヤッチンからなる3人組。凄腕スタジオミュージシャンプロデュースの「ソウルこれっきりですか」でデビューしそこそこ売れたものの、当時流行のスペースインベーダーをモチーフにしたこの楽曲はさっぱり売れず、知る人ぞ知るカルト歌謡曲です。作/編曲はムーンライダース、ティンパン・アレイの矢野誠さんです。

1980 フィーバー「デジタラブ」

鈴木慶一&糸井重里コンビ、編曲は「金子マリ&バックスバニー」「SENSE OF WONDER」の難波弘之さんです。ナベプロ のTVプログラム「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」(NET系列)からキャンディーズの後継トリオとして売り出されましたが、鳴かず飛ばずで、本作がラストシングルとなりました。

1980 榊原郁恵「ROBOT」

筒美京平&松本隆の黄金コンビが世に放ったこの楽曲が、俗にいうテクノ歌謡曲の元祖といわれています。アレンジは船山基紀さん。ピコピコしたイントロからの榊原郁恵のキテレツなロボットダンスは強烈なインパクト(さすが井森美幸さんの先輩)。Perfumeの原型と言えなくもありません。

1981 イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」

本家、細野晴臣さんと松本隆さんコンビによるYMOのセルフパロディ。
イントロがまんま「ライディーン」。欽ちゃん人気も手伝って大ヒットしました。
YMO+松武さんを模したアテブリも見どころでした。

1982 スターボー「ハートブレイク太陽族」

細野晴臣&松本隆コンビの作品で「カルトテクノ歌謡」といえばコレ、と言われる楽曲です。

一度聴いたら病みつきになる高い中毒性は取り扱い注意。すべてにおいて、なにをどうしたらこの仕上がりなのか(笑)

1983 早見優「夏色のナンシー」

こちらも筒美先生作品。編曲は茂木由多加さんで、なんと「四人囃子」のキーボーディストだったお方です。5枚目のシングルにして大ヒット、紅白初出場を果たし、彼女の代表曲になりました。

1983 小泉今日子「まっ赤な女の子」

こちらも筒美京平さん作曲のテクノアレンジ全開。次世代型アイドル、キョン2の大ブレイクにつながった名曲です。

こちらのアレンジャーは四人囃子→プラスチックスの佐久間正英さん。後に音楽プロデューサーとしてBOØWY、ザ・ブルーハーツ、GLAY、JUDY AND MARY、エレファントカシマシなど数々のアーティストを世に送り出したお方です。

1985 堀ちえみ「Wa・ショイ!」

脳髄まで痺れる楽曲と衣装…。この年に開催された「つくば科学万博」のテイストを感じます。こちらは鈴木博文&白井良明のムーンライダースコンビの楽曲。“音頭“を素地に、当時流行りのサンプリングを取り入れた野心作。もはや暴走です。

1986 水谷麻里「21世紀まで愛して」

これまた筒美京平&松本隆コンビ。資生堂「ミスヘアコロン」イメージガールのデビュー曲です。こんなことを言っておきながら、本人は21世期になる前に人気漫画家 江口寿史さんと結婚して引退しました。

活動後期、彼女はバックコーラス「あしたの黄色をつかみ隊(後のPumpKin)」を従え“不思議路線“と銘打ったハイテンションかつ意味不明な暴走パワーに満ちたシングルを連発。「ポキチ・ペキチ・パキチ」はなんと佐藤健&松本一起の「イノセントスカイ」(吉川晃司さん)コンビ作品です。

1992 細川ふみえ「スキスキスー」

「ギルガメッシュないと」で人気が爆発した巨乳グラドルのデビュー曲。作詞作曲はPizzicato Fiveの小西康陽さん。以降も同コンセプトのシングルを連発しました。

2001 深田恭子「キミノヒトミニコイシテル」

いまなお人気の深キョンも、小西康陽プロデュースでこんな中毒性の高い楽曲を唄ってました。メイクや衣装に時代を感じますね。

 


まだまだある、なんか抜けてる…気がしますが、今回はこれまで。

コレも入れろ!というリクエストをお待ちしています(笑)

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