「1983年の小泉今日子」〜80年代アイドル⑤ ニュータイプ アイドルの革新

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80年代アイドル、松田聖子さん中森明菜さんに次ぐポジションで独自の存在感を示したのが“キョンキョン”こと小泉今日子さんでした。

 

今回は「なんてったってアイドル」以前、中でもターニングポイントとなった1983年を中心に、リアルタイム世代目線で、彼女の初期楽曲を振り返ります。


 

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◆1982年 デビュー「松田聖子の劣化コピー」

 

01.1982年 3月21日
私の16才
真樹のり子/たきのえいじ 22位

 

02.1982年 7月5日
素敵なラブリーボーイ
麻生圭子/馬飼野康二 19位

 

03.1982年 9月21日
ひとり街角
三浦徳子/馬飼野康二 13位 15万

 

「花の82年組」としてデビューした小泉今日子さんは、その他アイドルと同じく、髪型から衣装まで「松田聖子さんの二番煎じ」的な量産型アイドルでした。当時の楽曲も「清純派のいたいけな女の子」路線。ただ、聖子ちゃんと比べ圧倒的に歌唱力が劣り、数多くのライバル達の中で特に目立つこともできず、「その他大勢」的な、ごく普通のアイドルでした。

 


 

◆1983 「コイズミ」覚醒

 

04.1983年 2月5日
春風の誘惑
篠原ひとし/緑一二三 10位 14万

 

05.1983年 5月5日
まっ赤な女の子
康珍化/筒美京平 8位 22万

 

06.1983年 7月21日
半分少女
橋本淳/筒美京平 4位 21万

 

07.1983年11月1日
艶姿ナミダ娘
康珍化/馬飼野康二 3位 34万

 

デビュー2年目、この1983年が、アイドル「小泉今日子」の最大の転機、その後の活躍の原点となる1年となりました。

 

4枚目の「春風の誘惑」はこれまで通り「正統派清純路線」。それでも初のチャート ベストテン入りを果たしたのは、楽曲のよさでしょう。

 

そして、続く5枚目「真っ赤な女の子」で大胆なイメージチェンジをしました。「聖子ちゃんカット」をバッサリ切ってショートカットに。これは事務所にも相談せず本人の意思だったようですが、彼女としては「デビュー1年目は言うこと聞いておとなしくしてたけど、もう好きなようにやります」という初めての意思表示だったのではないでしょうか(※正確には、この曲のリリース前のタイミングでバッサリいってたようですが、世間的な認知はこの楽曲で「見た目もキャラも変わった」でした)。私はこの楽曲が彼女のエポックメイキングな1曲だと思います。

 

結果としてこれが大当たりし、この1983年に小泉今日子さんは「松田聖子のエピゴーネン(摸倣者、亜流)」から早々にただ1人、自分の意思で離脱。楽曲のよさもあり、ザ・ベストテンなどのメジャー歌番組にも出演するようになります。

 

続く6枚目「半分少女」もチャート4位のヒット。ランキング番組の常連となり、その愛らしいルックスと活発なキャラクターで男子だけでなく女子層からも人気が高まり、「その他大勢のかわい子ちゃんアイドルとはなんか違うぞ」と認識され始めます。

 

そして、続く7枚目「艶姿ナミダ娘」。風変わりなタイトルが話題でチャートこそ3位止まりでしたが、この1983年に「小泉今日子」という存在そのものが「なんだかユニークな、そしてコケティッシュ アイドルとしてのコイズミ、キョンキョン」として、人気がホンモノになった印象があります。

 


 

◆1984 「KYON2快進撃」

 

08.1984年1月1日
クライマックス御一緒に
森雪之丞/井上大輔 4位 20万
あんみつ姫名義

 

09.1984年 3月21日
渚のはいから人魚
康珍化/馬飼野康二 1位 33万

10.同上
風のマジカル
湯川れい子 / NOBODY
※09のカップリング両A面。「ドラえもん」映画主題歌

 

11.1984年 6月21日
迷宮のアンドローラ
松本隆/筒美京平 1位 37万

 

12.1984年 9月21日
ヤマトナデシコ七変化
康珍化/筒美京平 1位 30万

 

13.1984年12月21日
The Stardust Memory
高見沢俊彦/高見沢俊彦 1位 37万

 

84年、「量産型アイドルからニュータイプ アイドルへモデルチェンジしたKYON2」の快進撃が始まります。

彼女の特長の一つにドラマ出演の多さがあります。8枚目の「クライマックスご一緒に」ドラマ「あんみつ姫」の主題歌。13枚目の「The Stardust Memory」は自身の主演映画「生徒諸君!」の主題歌です。

 

8枚目「クライマックスご一緒に」はチャート4位にとどまりますが、続く9作目「渚のはいから人魚」から、チャート1位を連発。

「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」は徹底したユニークなポップ路線、いまでいうところのきゃりーぱみゅぱみゅみたいな立ち位置でした。一方、「迷宮のアンドローラ」「The Stardust Memory」はミディアム調の名曲路線、で、攻守のバランスも絶妙でした。

 

この時期には完全に持ち前のユニークなキャラクター、歯に絹着せぬ発言で「ブッ飛んだアイドル」として認知され、初の紅白歌合戦出場を果たし、松田聖子さん、中森明菜さんに次ぐ「トップアイドル」の座を確立しました。

 


 

◆1985

 

14.1985年 4月10日
常夏娘
緑一二三/幸耕平 1位 26万

 

15.1985年 6月8日
ハートブレイカー
高見沢高橋/高見沢俊彦 6位
*限定版12インチ、KYON2名義

 

16.1985年 7月25日
魔女
松本隆/筒美京平 1位 16万

 

17.1985年11月21日
なんてったってアイドル
秋元康/筒美京平 1位 28万

 

85年、完全にトップアイドルの地位を確立した彼女の活躍には、余裕が感じられました。大映ドラマ「彼女に何が起こったか」の主演もこの年です。14曲目「常夏娘」は王道のアイドルソング、ビーチボーイズ風のサマーソングですが、ルックスは過激な刈り上げカット。16枚目の「魔女」でも奇抜なメイクと衣装で異彩を放ちます。

 

15枚目の「ハートブレイカー」は当時流行の12インチシングルでロック路線、KYON2名義でのリリースです。こんなことをやるのも男性なら吉川晃司、女性なら小泉今日子、というのが当時の立ち位置でした。

 

そして17枚目が皆さんご存知の「なんてったってアイドル」。この楽曲は、「業界のオジサン達が期待する、清く正しく美しいアイドル像」を笑い飛ばし、歌謡曲アイドルの一つの時代に終止符を打つ、アンチテーゼでした。この当時、すでにロックミュージシャンが台頭し、アイドルは古くさくてカッコ悪いものになっていました。

この楽曲に対し本人は

「本当に歌うのがイヤでしたから。またオトナが悪ふざけしてるよって(笑)。ただ、客観的に見てこの曲を歌えるのは私だけだろう、っていう自信はあったし、そういう周囲の期待を感じてはいた。だから歌う。なんかいつもそういう感じなんです。」(日経エンタテインメント!2012/4/2)

と語っています。

 


 

その後の小泉今日子さんは…

 

◆1986年〜

 

18.1986年 4月30日
100%男女交際
麻生圭子/馬飼野康二 2位 13万

 

19.1986年7月10日
夜明けのMEW
秋元康/筒美京平 2位 16万

 

20.1986年11月19日
木枯しに抱かれて
高見沢俊彦/高見沢俊彦 3位 28万

 

21.1987年 2月25日
水のルージュ
松本隆/筒美京平 1位 19万

 

と立て続けにヒットを飛ばしますが、ブッ飛び路線を早々に封印して、ミディアムテンポのしっとりした路線へ転換。その後も、主演映画の主題歌である

 

1988年10月26日
快盗ルビイ
和田誠/大瀧詠一 2位 13万

 

を経て、

 

1991年 5月21日
あなたに会えてよかった
小泉今日子/小林武史 1位 158万

 

1993年2月3日
優しい雨
小泉今日子/鈴木祥子 2位 143万

 

と、自身初となるミリオンヒットを連発して、歌だけでなくドラマに映画、それからファッションやカルチャーにおいても独自の存在感を示し、長くトップスターであり続けている…のは、もはや説明不要ですね。

 

2017年には、デビュー35周年を記念したシングルベスト盤「コイズミ クロニクル」がリリースされました。

 


 

●自身を客観視するプロデュース能力

 

よく、「小泉今日子は自己主張する初めてのアイドル」と言われますが、これは別に彼女だけではありません。松田聖子さんも中森明菜さんもそうでした。時代の寵児となるアイドルは皆、自分の言葉で話し、自分の美意識を貫いています。

 

では、なぜ小泉今日子さんは「その他大勢」で終わらなかったのか。それは、「自身を商品として客観視できる能力」に長けていたのだと思います。

これもまた、スターに共通する能力です。そうでなければ身の程知らずで自滅したり、逆に己のよさを発揮できずに終わってしまいます。

 

特に彼女は「やり過ぎ」と「大衆に求められるもの」のバランスが絶妙でした。

イケイケのブッ飛びをやれば、オーソドックスなミディアムナンバーを唄い、刈り上げしたかと思えば、突然清純なワンピースを着たり、そこにあるのは「なにやったってもコイズミですから」という自信。

 

それについて本人は「自分が主観と客観の2つに分裂していて、同時にまるで違うことを考えている。そして、その時々に応じて、どちらかの声に答えたり、その真ん中を探ったりする。それは今も変わりませんね。」「普通に考えたら当時の私のファッションって男の子ウケする要素ゼロじゃないですか(笑)。なんか刈り上げとかしちゃって、ミニスカートとかニーハイソックスとか履いちゃって、当時の価値観ではモテるわけがない。でも、女の子たちが面白がってくれて、あのスタイルがオシャレだってことになると、男の子もショートカットってかわいいじゃん、ってなるんですよ。いつもそうなんです。まず誰かが私のやっていることを面白がって、ほかの人たちを先導してくれる。」(日経エンタテインメント!2012/4/2)

と語っています。

 


 

と、ここまで散々書いておいてアレですが…

 

実は私は長年、小泉今日子さんのこの辺りのバランス感覚が、あざとく感じられて、あまり好きではありませんでした。

「小泉今日子」ほど、嫌いになる要素が少ないアイドルもいないのでしょうが、へそ曲がりな私はそのソツのなさが、計算高過ぎに感じて、苦手だったのです。

 

しかし。ここ最近の不倫カミングアウトからの独立宣言について、ホントかどうかわかりませんが「能年玲奈さんの件が関係している」という話を聞いて。

 

ホントだったら小泉今日子って、ホントにカッコいいな、と感じているのです。

 

 

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③「1984年の荻野目洋子」一緒にボーリングの思い出と初期楽曲紹介
②「1985年の斉藤由貴」 『卒業』『AXIA』を考察する
①「1981年の松田聖子」 81年「最強」説

コメント

  1. UGS より:

    こんばんは。

    記事と言うよりみうらようこさんのコメントを読んだ上で書き込みさせて頂きますm(_ _)m

    平成初頭に「コイズミブーム」が起きましたが、これは大人達が築いた社会のルールに反して自分のやりたい放題やって「見逃してくれよ~」と若者の素直な気持ちを代弁してくれたキョン2に支持が集まったと考えていたのですが、これは周りの関係者達からキョン2が言わされていただけと言う事なんですかね?
    こんな感じで素直に自分の考えを表現するキョン2だけに、恋愛するなと指導されているはずなのにデビュー当時から好きになった異性と交際してしまう等現在に至るまでの「恋多き女」ぶりと見事にリンクしてると捉えてるんですけど違うんでしょうか?

    キョン2の異性絡みのエピソードで個人的に印象に残っているのは、1984年の年間ベストテンの番組内での出来事です。
    年間ベストテンともなると10位以内に入った歌手に纏わるゲストまでもスタジオに来ていましたが、中森明菜のゲストとしてファンである根津甚八が来ました。
    しかし既に後ろに座っているキョン2も根津甚八ファンを公言しており、明菜もキョン2が根津甚八のファンである事を分かっていたので非常にやりにくそうで困っている明菜の表情と、冷めた視線を後ろから送っているキョン2の姿が印象に残っています。
    でもその時はみうらさんの話なら風見しんごと交際していた時期ですね。

    そう言えばキョン2は昔好きだったタレントとして「ずうとるびの新井君」を挙げていたのも覚えています。
    確かにキョン2の言葉は素直で説得力があり思わず納得してしまいますね。

    でも好きな彼と憧れの男性をきっちり分けられるのもまたキョン2の処世術なんだと思われます

    • yoko より:

      根津甚八はその年に来ていません。83年です。それはともかくとして。
      こういう人が彼女のファンの典型なんだと思いました。日本にはこういう人がたくさんいます。
      確証バイアスという言葉を思いつきました。また、何年か前の小保〇晴子さんの件の支持者を連想しました。

  2. みうらようこ より:

    チェッカーズのページで「フミヤとキョンキョンは付き合っているというのは公然のヒミツ」と書いてあったのをたまたま見て、ここに来ました。当時確かにそのような噂はありましたが、裏が取れたことは一度もないはずです。

    その前に風見慎吾との噂がありました。某動画サイトを観ると、当時ふたりが同じステージに立っているときに観客から「ヒューヒュー」言われている様子がありました。週刊誌でも少し書かれたようです。

    そして30年後、キョン2の自著で、ふたりが付き合っていたことが書かれていて驚きました。もちろん伏せ名ですが、内容的に間違いありません。あまりに具体的でむしろ読者に「彼だと察して」と言わんばかり。別れた時期も、彼が当時「キョン2に振られてショック」と言っていた時期とぴったり。最近になって、彼の元専属バックダンサーが某SNSで「昔ふたりは付き合っていた」と暴露していました。

    なにより事務所が同じでしたし。

    彼女はその自著で「彼を想うと普通の女の子としての幸せを感じられてうれしかった」と書いています。

    吉川晃司が番組でキョン2をスルーしたと言われていますが、そのころ吉川は彼と同郷ゆえ仲良しでよく一緒に遊んでいたので、当然ふたりのことは知っていたはずです。彼は自分がダミーとして言われていることを分かっていたと思います。ちなみに彼氏の方のダミーは伊代ちゃん。

    その他、今もろもろ振り返ってみると、彼女がお洒落とかニュータイプとか言われたのは、結局は周りの仕掛人、サブカル好きのマネジャー、一歳上のスタイリスト、そして名門エリート校卒で先端カルチャーに詳しく本物のお洒落だった彼氏の影響だったということが分かります。彼女にプロデュース能力も時代をリードする感覚もあったわけではなく、ただ彼らに従っただけ。若く忙しいのだから、そんなもの無いのが普通。彼女の実力は仕立てられたことをつべこべ言わずテレビやステージでひたすら実演したことです。

    そして何より、事務所が強かったということ。彼女に対してアンチな声は全くなく、マスコミはアゲアゲ記事ばかりを書き、番組MCは彼女を持ち上げまくり、それに大衆がなんとなく乗せられた、という構造です。

    繰り返しますが「事務所が強かった」ということです… 怖

    ちなみに、彼の方は、なぜか早々にその事務所を辞めました。

    『あなたに会えてよかった』はコアなファンの間では風見慎吾のことを歌っていると言われていました。彼女は近年、あれは実父のことを想って詩を書いたと言っていますが、これも後付けの作り話でしょう。フミヤのことじゃないと言いたいけど、じゃあ誰とも言えないし。歌の真相はともかくとして、彼女が自著で書いているとおり、彼こそが彼女の青春だったんですね…。

    すみません、チェッカーズのページで「フミヤと付き合っていた云々」があったので思わず書いてしまいました。フミヤの件が本当かどうかはともかく、彼女が強く影響を受けたのは間違いなく風見慎吾です。

    彼がいなければ彼女はハジけることなく、84年路線止まりでした。「常夏娘」のヘソ出し衣装は彼が紹介したデザイナーによるものです。ちなみに「なんてたってアイドル」の作詞家は、ふたりのことを知っていました。「夜明けのMEW」のころ、ふたりは終わりました。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。なるほど、風見慎吾さんも彼女と同じバーニングですね。調べてみると、のちにドラマで共演もしているみたいですね。

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