「すかんぴんウォーク」-1984 ”ナベプロの最終兵器” 吉川晃司 デビュー映画


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ようやく、この映画がWOWOWで、デジタル画質で初放送されました。

1984(昭和59)年2月に公開された「すかんぴんウォーク」

いまもミュージシャンと役者として第一線で活躍する、吉川晃司さんのデビュー映画…にも関わらず、上映当時にVHSビデオとレーザーディスクが発売されたのみで、以降、長年 Blu-rayはおろかDVD化もされず、もはやマスター原盤の現存すら怪しまれていた「幻の作品」です。

 


 

●映画「すかんびんウォーク」とは

 

ナベプロ期待の超大型新人、吉川晃司さん売り出しのために作られた、劇場公開 ”民川裕司3部作”映画の第1弾。

 

当時まるっきりのド新人、歌手デビュー前の吉川晃司さんは、自らを投影させた「民川裕司」18歳を演じます。東京湾をバタフライで泳いでやってくるオープニングはあまりに有名。「東京湾から上陸したのはゴジラと吉川晃司だけ」。

当時の東京湾は汚くて、吉川さん曰く「撮影後に謎のクスリを大量に飲まされた」そうです(笑)

 

ちなみに最初に会話する港湾作業員は小松の親分さん「どっから来た?」「中国!」←そのあとの”広島”“地方ね“のやりとりが聞き取りづらく、“中国人役なの?“と混乱した人が多数)。

 

他にも蟹江敬三さん、高瀬春奈さん、平田満さん、原田芳雄さん、田中邦衛さんなどなど、脇役の豪華さも見どころの一つです。

 


 

●同時上映は「うる星やつら」

 

当時の映画は二本立てが主流で、本作の同時上映は「うる星やつら ビューティフルドリーマー」。押井守監督の傑作です。

アニメ目当ての層は「訳のわからないド新人アイドル映画なんて…」と敵意むき出しで観るハメになるのですが、観終わってみると…(隠れ)吉川晃司ファンになってしまった男子中高生が、私の周囲に山ほどいました。

 


 

●単なる“アイドル映画”とは一味違う

 

当時はアイドル映画全盛。ところが本作は、そんじょそこらの量産型アイドル映画とは違います。

脚本は丸山昇一氏、監督は大森一樹氏。

お2人はこの映画を爽やかで甘酸っぱい青春の“光“だけでなく、残酷さや挫折といった“影“の部分を見事に描き切ります。

 

都会のオトナに翻弄され、反発し、なりたい自分になれない現実を突きつけられ挫折し、もがきながらそれぞれが自分の居場所を見つけていくストーリー「これは真夜中のカーボーイだ」「これってロッキーじゃん」などなど、受け手の感覚は人それぞれでしょう。

 


 

●山田辰夫さんの代表作

 

中でも、都会で歌手を目指す山田辰夫さんと、役者を夢見てやってきた吉川晃司さん、2人の成り上がりたい若者の「陰と陽のコントラスト」が見事です。

 

山田辰夫さんの名演が、無名の新人、吉川晃司という素材の持つ“どうしようもない天然のスター性とスケールのデカい原石ぶり“を際立たせました。山田辰夫さん演じる”ヨシオ”は次作でもそのままのキャラで登場します。

 


 

●大森一樹監督の出世作

 

天下のナベプロの期待の新人。普通ならば、大手映画会社がアテ書きで創る正統派歌謡映画やアイドル映画路線になるハズです。

 

しかし大森一樹氏もまた、アマチュアからいきなり(撮影所での商業映画の助監督経験もなく)「メジャー松竹で単独の脚本兼監督を担当」という、型破りなデビューを果たした、“新進気鋭の新人監督“。自身の体験を元にして大学病院を舞台にした「ヒポクラテスたち」でブレイク以降、村上春樹作品「風の歌を聴け」を経て、1982年6月に長谷川和彦、相米慎二らと若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」を設立した時期でした。

 

ATG(日本アート・シアター・ギルド)で鍛えた自主映画の地力で、ありきたりのアイドル映画とは一味違うものの、大手企画の娯楽商業映画としてもきちんとした作品に仕上げられる監督であることを本作で証明してみせました。

 

大森一樹氏は以降、東宝の信頼が厚くなり、斉藤由貴主演3部作、平成ゴジラシリーズなどを任される大監督になりました。

 


 

●脚本 丸山昇一氏は松田優作さんの“盟友“

 

もう1人の重要人物が、この丸山昇一さんです。丸山氏といえば「野獣死すべし」「探偵物語」など、松田優作さんと数々の名作を残したことで有名です。

 

松田優作さんと吉川晃司さんにも不思議な因縁というか繋がりがあり、ここでは省きますがこのお方の描くストーリーは、コメディであってもどこかハードボイルドで、短いセンテンスのやりとりの中にシニカルな笑いがあって、カッコいいんですよね。本作でもそれが随所に散りばめられています。

 

後に大森監督も「丸山さんのホンには、こんなん言わんわ、っていう台詞がある。でも吉川くんが言うとかっこいい」と語っています。

 

本作のプロデューサー、佐々木史朗氏が当時のエピソードをこう綴られています(多少抜粋しました、原文はこちら

 

丸山とは「すかんぴんウオーク」という映画で はじめて仕事をしました。 はじまりは渡辺プロの渡辺晋社長から、吉川晃司という新人を映画からデビュウさせたいと相談をされたことで、 さっそく中野の福屋旅館に監督の大森一樹、脚本の丸山昇一を閉じ込めて シナリオ作りにとりかかりました。

 

なにせ吉川くんの特技が国体レベルの水球だということで、 最初のシーンはすんなり出来ました。ヘリからのカメラが東京湾を移動していくと、 港へ向って泳ぐ青年の姿が見えてきます。 広島から、いま東京へ着いたところです。なぜ泳いできたのか、広島からは無理だろなどのリアリティはこの際、無視です。ええぞ、ええぞと丸山昇一。 これが映画や、と大森一樹。

 

異様にハイな雰囲気で滑り出し、「もう最初が決まれば大丈夫、 24時間以内にはアカデミー賞もののシナリオ完成ですよ」と保証されて、明日には電話くれよと旅館を出ました。2日間、待ちましたが連絡がなく、 私も焦り気味に旅館に足を運びましたら、 まったく進んでいず、シナリオライターになる以前の 丸山の貧乏ばなしで盛り上がるばかりで、タイトル案だけが書き散らしてあるのです。それも「泳いできた真珠」。意味不明でどうもパッとしません。

 

タイトルは実は最後まで決まらず、 私は自腹で賞金をだして、いろんな人に呼びかけ、あるCMプランナーが書いてきた『すかんぴんウォーク』にやっと落ち着いたのです。

 

『レニー・ブルース』(’74)のような悪口スタンドアップコメディを使おうとか、『女優志願』(‘58)で初日の幕が上がっていく瞬間を吉川くんが歌うラストをそんなふうにしたいとか、 やたら多くのアイディアから搾り出したシナリオも、やっと進みはじめました。

 

の佐々木史郎氏がATG時代からのつながりで、大森一樹氏を監督に抜擢したお方。なんで新人アイドル映画で「すかんぴんウォーク」というタイトルなのか、これ読んで謎が解けました。

 


 

●昭和芸能界のドン、渡辺晋氏

 

吉川晃司さんが所属する芸能プロ、渡辺プロダクションは通称“ナベプロ“。社長の渡辺晋さんは日本の芸能界とテレビの基礎を築いた重鎮です。

 

吉川晃司さんは広島の修道高校で水球部のエースで2年連続日本高校最優秀選手、日本代表に最年少で選ばれるオリンピッククラスの選手でしたが、イタリア・エジプト遠征で世界の壁を思い知らされ、それなら、とアマチュアでバンド活動をして地元で人気者だったもう一つの武器を使い、ミュージシャンとしての生き方を選択します。そこは田舎の高校生、知ってる芸能プロは「ジュリーがいるナベプロ」ぐらいだったのでしょう。

 

自ら売り込みの手紙を書いてスカウトされ、養成所で飼い殺しになりそうなところをシビレを切らし「いつデビューさせてくれるんですか?」と社長室に乗り込み、直談判した相手が、畏れ多くも芸能界のドン、晋社長でした。

 

渡辺晋社長は一目でこの無鉄砲でまっすぐな若者を気に入り、経営幹部を集めて「いまナベプロの金庫にある3億円で吉川晃司をスターにしろ」と厳命した、と言われています。

 

この時期のナベプロは後発のプロダクションに推され、かつての栄光が終焉を迎えつつあるタイミングでした。

 

「すかんぴんウォーク」のもう1人のプロデューサー、岡田裕氏によれば、

 

「渡辺さんは吉川くんを映画につづけて主演させてスターにしていこうと考えた。それで、地味でいいから青春映画をつくってくれと依頼があった。

 

音楽も晋さんが決めてた。宮川泰さん。「スターウォーズの人にする」って言うから、ジョージ ウィリアムスかと驚いたら「宇宙戦艦ヤマト」のことだった(笑)。宮川さんも映画が好きだからね。あの時代はスクリーンに映像を映して、指揮者が合わせて、音楽を一発録りしていましたね。

 

晋さんは音楽と映画がほんとに好きな人で、われわれが話してるのをニコニコして聞いて。業界のボスでいろんな噂もあった人だけど、このときは童心に返って愉しんでくれたね」

 

と語っています。

 


 

●「モニカ」と「真夜中のストレンジャー」

 

劇中、一度はデビューしたもののスキャンダルで干され、一念発起して自ら作り、それがきっかけで再デビューすることになるのがデビュー楽曲「モニカ」(作詞 三浦徳子、作曲 NOBODY)

 

本来、このレコードを売るための映画のハズなのに、なぜか劇中ではタイトルが「THANKS」となってて謎です(笑)。

 

そしてこの映画の最大の見所、エンディングにかかる楽曲は「真夜中のストレンジャー」(作詞 松尾由紀夫、作曲 佐藤健)

 

シングル「モニカ」のB面で、アルバムにも収録されず、長く CD化もされないのにファンの間で根強い人気を誇る「隠れた名曲」。吉川晃司さんはアニバーサリーライブなどで必ずこの楽曲を、いまも大切に歌い続けています。


 

●東宝なのに「日活」の匂いのするシリーズ

 

企画・制作は東宝と渡辺プロですが、撮影は日活撮影所が使われました。日活といえば文芸作品から小林旭さんの渡り鳥シリーズまで、荒唐無稽な娯楽作品を真剣に制作するスタッフ揃い。そこがよかった、と岡田プロデューサーも大森監督も口を揃えます。

 

そして3部作を通して、ここぞ、というところに登場するのは宍戸錠さん。言わずもがな、小林旭さんのライバル、“エースのジョー“です。これは渡辺晋社長たっての希望だったそうで「あいつが出ると映画らしくなる」

 

これは私見ですが、吉川晃司さんは若き日の小林旭さんとソックリで、古参のスタッフや映画関係者の多くは「あの新人の吉川晃司ってのは、若い頃のアキラみてぇだな」と感じたと思うのです。渡辺晋社長はおそらく、海の匂いがする銀幕スタアで加山雄三さんや石原裕次郎さん路線をイメージしてたのでは?と思うフシがあるのですが、雰囲気も佇まいも、どっから見ても「アキラ」です。

 

その結果、3部作の最終作「テイク・イット・イージー」は、まんま“渡り鳥シリーズ“の無国籍映画になってしまうのでした。

 

 

吉川晃司さんのアイドルとしての革命、その後のロックミュージシャンとしての生き方、さらには続編の「ユーガッタ・チャンス」「テイク・イット・イージー」については、また稿を改めて続けます。お楽しみに。

 


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