「日本沈没」~1973 社会現象となった終末小説&映画

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「日本沈没」。1973年(昭和48年)に小説が刊行されるやベストセラーとなり、映画化、TVドラマ化され社会現象レベルの大ブームを巻き起こしました。

 

本作はその後何度も映像化され、2020年にも新作アニメが公開になり賛否両論が巻き起こっていますが・・・ズバリ言って「リメイク版を観るくらいなら、まずは1973年公開の映画を観ろ」と言っておきます。

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■小説「日本沈没」とは

 

1973(昭和48)年3月、小松左京氏(当時42歳)の書きおろし小説「日本沈没」が刊行されました。

 

執筆開始は1964(昭和39)年、東京オリンピックの年。小松左京氏は構想と執筆に9年を費やし、満を持して本作を発表しました。

 

3月20日、光文社カッパノベルスより上下2巻が同時刊行。当初は3万部ずつでしたが年内に上巻204万部、下巻181万部の計385万部まで達する「空前の大ベストセラー」となります。小松左京氏は翌1974(昭和49)年に第27回日本推理作家協会賞、第5回星雲賞日本長編部門をそれぞれ受賞しました。

 

作者の小松左京氏は生前、自伝の中で本作のテーマを「日本とは何か、日本人とは何か」だったと語っています。

 

「本土決戦、1億玉砕で日本は滅亡するはずが終戦で救われた。それからわずか20年で復興を成し遂げ、オリンピックを開き、高度経済成長の階段を駆け上がって万博。日本は先進国になった。私もその渦中を駆け抜けたのだが、豊かさを享受しながら、危うさや不安がいつも脳裏にあった。日本人は高度経済成長に酔い、浮かれていると思った。あの戦争で国土を失い、みんな死ぬ覚悟をしたはずなのに、その悲壮な気持ちを忘れて、何が世界に肩を並べる日本か、という気持ちが私の中に渦巻いていた。のんきに浮かれる日本人を、虚構の中とはいえ国を失う危機に直面させてみようと思って書きはじめたのだった。日本人とは何か、日本とは何かを考え直してみたいとも強く思っていた。」

 

「日本列島沈没」はあくまで、この本題を活かすための”舞台設定”であり、地球物理学などへの関心はその後から涌いたものだったそうですが、小松左京氏は地質学、地震学、火山学、惑星科学、潜水工学、社会工学、政治学、文化人類学、民俗学など当時の最新の知見をこれでもかと盛り込み、徹底したディテールと筆致でこの作品に単なるSF小説とは思えないリアリティを持たせました。

 

中でも、「大陸移動説」を源流とする「プレート・テクトニクス」は当時の最先端の学説であり、この分野に関する作品中の解説やアイデアは「修士論文に相当する」とも評されるほど。

 

日本人の多くは、この作品で「マントル」などの地球の仕組みを知る(映画では東大の地球物理学の権威、竹内均先生が解説)と共に、「本当に日本列島は沈没するかもしれない」と驚愕したのです。

 

■時代背景

 

この「日本沈没」が出版された1973(昭和48)年は、1954年に始まり19年間続いた戦後の「高度成長期」の最終年にあたる年でした。

 

第1次オイルショック、狂乱物価とも言われたインフレーションで右肩上がりの高度成長に突然急ブレーキがかかり、「日本列島改造論」を推進していた田中角栄首相ですら「スローダウン」を表明。

 

1970(昭和45)年の大阪万博で描かれた「明るい未来」に暗雲が立ち込め、米ソ冷戦、泥沼化するベトナム戦争、公害の社会問題化なども重なり、社会全体を「漠然とした不安」が包みはじめていました。「ノストラダムスの大予言」(後藤勉著)がベストセラーになったのもこの年です。

 

本作の舞台は、1980年頃の近未来の日本。リニアモーターカーの工事が始まり、成田の東京第二国際空港が完成し、大阪湾上の関西第二国際空港も着工済みと描かれています。

 

■映画「日本沈没」とは

 

「日本沈没」
監督:森谷司郎(本編)/中野昭慶(特撮)
脚本:橋本忍
製作:田中友幸/田中収
出演:小林桂樹/丹波哲郎/藤岡弘/いしだあゆみ ほか
配給:東宝

映画「日本沈没」は配収28.2億円でこの年トップ、観客動員数880万人と当時の日本映画記録を更新する大ヒットとなり、「低迷にあえぐ邦画のカンフル剤」としてマスコミに大々的に取り上げられました。

 

本作はこの後続く「東宝大作パニックSF映画」の先鞭をつけた作品であり、同時期の松竹系「男はつらいよ 私の寅さん」「大事件だよ全員集合!!」東映系「ゴルゴ13」(高倉健主演)「女囚さそり701号 恨み節」などと並べると、異色さが際立ちます。

 

驚くべきことに、小説が刊行されたその年の年末に公開されています。小松左京氏が後に語ったところによれば「小説を発表したら直ぐに東宝がきて、映画化するから売ってくれと。そうしたらそれから4ヶ月位でもう映画になって公開されていた」。

 

小説の発売前、「カッパノベルズの広告が出た時点で映画化権を押さえた」と言われるあたり、ゴジラシリーズの生みの親としても知られる田中友幸プロデューサーの面目躍如です(また、「映画化の後、TBSでTVドラマ化する」という契約も交わされており、撮影現場にはTVドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影していたと言われています)。

 

そしてもう一つ驚くべき事実が、東宝は本作公開の3ヶ月前に、超異色の大作「人間革命」(脚本:橋本忍、監督:舛田利雄、特殊技術:中野昭慶、音楽:伊福部昭、主演:丹波哲郎、同年の配収ランキング2位)を公開しているのです。こんな強行軍で大作をリリースしたのですから、現場はかなりの修羅場だったことでしょう。

とはいうものの、ベストセラー超話題作の映画化としてコケることの許されない本作は、超豪華な制作陣が揃えられました。

 

監督は森谷司郎さん。成瀬巳喜男・黒澤明作品で助監督を務め、60年代東宝青春映画で名を馳せていましたが本作の大ヒットでヒットメーカーの仲間入りを果たし、以降、「大作専門監督」として日本映画史上もっとも過酷な撮影現場といわれた「八甲田山」(1977年)を大ヒットさせました。

 

脚本は「生きる」(1952年)、「七人の侍」(1954年)、「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)などの黒澤明監督作品の脚本をはじめ、「ゼロの焦点」(1961年)、「白い巨塔」(1966年)、「日本のいちばん長い日」(1967年)のシナリオを手がけてきた邦画最強の脚本家、橋本忍先生。本作の後も「砂の器」(1974年)、「八甲田山」(1977年)、「八つ墓村」(1977年)など次々と大ヒット作を連発しておられます。

 

本作の見どころである大迫力の特撮を担当したのは円谷英二氏の一番弟子、中野昭慶特技監督。加えて音楽は佐藤勝さん、海洋シーンの撮影は当時、撮影監督に昇格したばかりの木村大作さんという豪華な布陣です。

本作は前半、小林桂樹さん演じる田所博士、藤岡弘さん演じる小野寺、いしだあゆみさん演じる玲子の人間ドラマで構成され、中盤以降怒涛の破壊シーンが続き、この後は丹波哲郎さん(当時51歳)演じる山本総理の独壇場でした。

ぶっちゃけ、長編小説を2時間半に収めるためかなり破綻した展開もありますが、演じる俳優たちの鬼気迫る熱演で力技で、強引に封じ込めた感があります。

 

当時、観客の多くはあらすじよりも「日本が壊滅して沈没する様」見たさに集まったことでしょう。CGもない時代、その期待に応えるにはあまりに短い制作期間であり、ミニチュアによる特撮は当時の技術の限界を感じさせはしますが、実際の噴火などの災害映像を織り交ぜ、コンビナートや高速道路の爆発シーンなどはド迫力でさすがは「爆破の中野」です。

 

富士山の大噴火に続いて東京を襲った大地震では江東ゼロメートル地帯が水没(個人的にはこの地域に今もあれだけ多くの人が住んでいるのが、不思議でしょうがないのですけど)。下町に住む一家のシーンでは祖父が関東大震災の教訓から「火を出すな」と家族とやりとりした直後、防波堤が決壊して津波に飲み込まれます。ジオラマに実際に水を流して撮影された津波の場面は、コントロールの難しい水を操って一発勝負の撮影だったでしょうし、当時のスタッフの熟練の技が伺えます。中野特技監督曰く「波のうねりを表現するためにスタジオ内の特撮プールの水にビールを混ぜ込んで粘りを加えたため、スタッフ全員が悪酔いした」のだとか。

 

やがて東京全土が火の海と化し、消化弾による空からの消火活動は限界を迎えます。身体に火のついたまま逃げ惑う人々、黒こげになった遺体の山など、かつての関東大震災や東京大空襲を彷彿とさせる悲惨な描写になっています。

 

逃げ場を失った群衆が皇居に押し寄せ、自衛隊は「武器で制圧してよいか」と総理に判断を仰ぐシーンや、霞が関の国家の中枢を守るか人口密集地帯の庶民を守るかの議論など、「国を守り、国民の生命財産を守るとはいったいどういうことなのか?」と丹波哲郎さん演じる山本首相はひたすら苦悩します。

「極限状況下で為政者は何をすべきか」も本作のテーマの一つであり、日本の政治の黒幕であり「D計画」を進めた渡老人(島田正吾さん)と首相との対話では、日本人全員の海外への移民案などさまざまな方向性を示唆した上で「敢えてこのまま何もせんほうがいい」という深すぎる達観論まで飛び出します。

■「日本以外全部沈没」

 

本作を語るうえで、どうしても触れておきたいのがこの「日本以外全部沈没」です。

 

「日本沈没」のヒットを祝うSF作家の集まりで、星新一さんが題名を考案、小松左京氏ご本人の許可を得た上で盟友の筒井康隆さんが執筆した、パロディ短編小説です。

 

長編賞を「日本沈没」が受賞した第5回(1974年度)星雲賞短篇賞を受賞し、授賞式の壇上、小松左京氏は「日本沈没は完成まで9年かけたのに、筒井氏は数時間で書き上げて賞を攫ってしまった」とコメントしたそうです。

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