書評 マイトガイ「小林旭」伝説④〜自伝 美空ひばりとの結婚、巨額の借金返済など波乱万丈な生き様

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これまで”マイトガイ”小林旭さんが

仮面ライダーや戦隊シリーズなど東映ヒーローの原点だった

クレージーキャッツ、ドリフターズなどが得意としたノベルティ(コミックソング)の源流だった

などの話をしてきました。

 

今回は、小林旭さんの2冊の自伝を紐解いて、その生き様の波乱万丈ぶりをご紹介します。

 

「さすらい」(2001 平成13年/新潮社)/ 「熱き心に」(2004 平成16年/双葉社)

 

いずれも文体は軽妙な語り口調。インタビューを書き起こした形式です。独特の言い回しがそのまま書かれているので、読むと目の前で語っているかのような、リアリティがあります。

 

石原裕次郎、美空ひばりと共に「昭和の黄金期」を駆け抜けたスーパースターならではの“自慢話“も盛り沢山ですが、意外と謙虚で冷静な語り口。なにせいちいちスケールが無駄にデカ過ぎて、鼻につくどころか、爽快感を覚えます。

 

当時の「銀幕スタア」だけが持つオーラには感服するしかなく、それでいて幾つになってもヤンチャな少年のような真っ直ぐさには、微笑ましさも感じると思います。

 


 

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●子役からスターへ

 

エネルギーに溢れた幼少時代〜児童劇団入団、「ターザン」と「校長先生の青いオペル」に憧れて役者を目指したきっかけ、東映の最終審査で高倉健さんと一緒だったこと。

 

日活入社から大部屋時代の生意気ぶりでイジメられても、決して自分を曲げないタフさ。

 

やがて訪れた「渡り鳥シリーズ」期のブレイクと、当時の人気の物凄さを示す「ロケ先の駅に3万人が殺到」「飛行機を待たせた」「台湾では国賓扱い」「パスポートなしで入国」などの豪快なエピソードも満載です。

 


 

●小林旭が語る石原裕次郎、赤木圭一郎

 

下積みから少しずつのし上がる既存の俳優たちとは違う「最初からのスーパースター」石原裕次郎と、大部屋出身の自身との違いについて、冷静かつ客観的に分析されています。

「裕次郎のピークが過ぎた時期にたまたま子飼いの自分が稼ぎ出して、出がらしになるまで使っちゃえってさ」

「行き当たりばったりで作ったら結構いい結果を出しちゃった、みたいなのが俺の作品」

「ある意味で俺も裕次郎のファンだったのかもしれない」

「赤城圭一郎は嫉妬するくらいスマートで、あのまま人気が高じていたら計り知れない。もう立場が逆転する寸前だった」

などなど。

 

小林旭という人は、意外と都会育ちでオープン、冷静。ですが、会社の方針で「都会のアンちゃんが石原裕次郎」「田舎の成り上がりが小林旭」と売り出され、ファンを二分するようになって行ったのですね。

 


 

●ハリウッドからのオファー

 

決してスタントマンを使わず、大怪我を負って35日間意識不明など命懸けでアクションに挑む情熱と覚悟。

そして、ハリウッドからのオファー秘話も明かされています。当時の小林旭さんは人気絶頂期であり、日活から懇願されて諦めたそうですが「ブルースリー登場以前」の時代にもし、”アキラのハリウッド進出”が実現していたら…アクション映画の歴史が変わっていたかもしれません。

 


 

●美空ひばりさんとの結婚

 

やがて雑誌の「当代の人気者No. 1対談」で知り合った“お嬢“美空ひばりさんから一方的に惚れられ、熱烈なアタックを受けて気がついたら結婚することになっていた話は有名です。

1961年秋、雑誌での対談で「恋人はいるの?」「いないよ」「じゃあ、私と親しくしてよ」という会話から、美空ひばりの熱烈怒涛の攻勢が始まります。携帯電話もない時代に、行く先々で電話がかかり、何十人もの芸能人が集まるパーティに呼ばれて「私のダーリンよ」と紹介され…

 

トドメはひばりさんが「神戸のおじさん」と慕う興行界のドン、神戸芸能社社長の田岡一雄氏。伝説の山口組“三代目“組長が登場します。

「お嬢がアンタに惚れてると言うとんのや。天下のひばりに惚れられて、これは男冥利に尽きるやないか」

「いや、僕は結婚するにはちょっと早いんでね」

「ひばりはアンタと一緒になれなんだら飯食わんと言うとんのじゃ。ええやないか。一緒になったれや」

 

これにはさすがのアキラさんも「わかりました」と言うしかないでしょう。

1962年11月5日「戦後最大の華燭の典」「世紀の結婚式」。ひばりさん25歳、アキラさん24歳でした。

マスコミからは祝福からの掌返しで容赦ないバッシングも浴びせられたそうです。「小林旭はひばりの財産、地位を利用している」「同じ芸能人として劣等意識を持っている」などなど・・・「そう言われるのはある程度、予期してたよ。だって“天下のひばり“とたかだか日活の“渡り鳥風情”とじゃあ、それはもう月とスッポンの開きがあるってことは、はなから自覚してたからね」

 

結婚生活は長くは続きませんでした。決定的なネックは、「加藤和枝は嫁に出すけど、美空ひばりはやらないよ」と公言する、「一卵性母娘」と言われたステージママ、ひばりの母親である加藤喜美枝さんの存在でした。この時もトドメは田岡組長。

「ひばりはな、どこまでいってもひばりや。日本のひばりやから、世間の人に返してやったれや。お前一人のものやないんやで」

 

1964(S39)年6月、2人は離婚。結婚生活はわずか1年半でした。離婚会見での「(協議ではなく)理解離婚」は当時、流行語になりました。ちなみに加藤家の意向で「籍は入っていなかった」のだそうです。

「俺とひばりはね、結婚生活じゃなくて、つまるところ公表同棲だったんだよ」

 


 

●逃避行、結婚、事業進出

 

この離婚劇のあと、騒がしい世間に嫌気がさしたアキラさんはボストンバッグに現ナマ2,000万円を詰めて約1年間、海外へ逃避行。

何もかも忘れ世界中を放浪しますが、1年後の1965(昭和40)年秋、ついに日活から呼び戻されます。

 

1年後の1967(昭和42)年に小林旭さんは日活を退社。映画業界は斜陽を迎え、日活はロマンポルノ路線へと舵を切ろうとしていました。

 

そして個人事務所設立、女優の青山京子さんと結婚東映「仁義なき戦い」シリーズ東宝「青春の門」で別格の存在感を示したのも、この時期です。

 

この頃、小林旭さんはゴルフ場経営に乗り出します。しかしこれが大失敗し、4年後(1971 昭和46年)に倒産に追い込まれます。当時「1億4000万円」と報じられた借金は、実は「14億円だった」とあります。

 


 

●「昔の名前で出ています」「熱き心に」で巨額の借金を返済

 

そんな大借金の窮地を救ったのは、唄でした。

 

1970(昭和45)年にリリースした「昔の名前で出ています」がジワジワ売れ始め、結果として300万枚を超える大ヒット。1977(昭和52)年には紅白歌合戦に初出場します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その裏ではいわゆる「その筋」の借金取りにガチで拉致監禁される程の切迫した状況に。小林旭さんはその連中に「唄って返す」と直談判し、息のかかったキャバレーを斡旋してもらい、全国のキャバレーを自らクルマを運転してドサ周りリアル“ギターを持った渡り鳥“スタイルで年間200を超えるステージをこなし、1ステージ ウン十万からウン百万、取っ払いのギャラを稼ぎまくり、見事数年で完済。

 

”闇営業”どころの話ではありません。モノホンのヤクザさんから仕事を”直受け”してるんですからね(笑)。

 

その後も懲りずに不動産業やホテル事業に手を出すも失敗…。バブル崩壊の1991年末に今度は51億円に上る負債が明らかになりました。それ以外にも、大金を投入して映画初監督(「春来る鬼」)に挑んだものの、黒沢組スタッフとの熱量の差によって躓き、作品自体も不振に終わったことによる負債もありました。

 

しかし、ここでも大ヒットした「熱き心に」が窮地を救います。1986年、さらに1992年から5年連続で紅白に出場。1回の地方公演のギャラが1000万円に跳ね上がり、借金の大半を12年ほどで返したのだとか。

 

いやはや、凄まじい胆力です。

 


 

いずれの書籍も、最後は必ず日本映画界を憂い、怒りと共にオレは戦う、と締めくくられています。「さすらい」では現代の東京を舞台にした、スケールでかすぎなカーチェイス アクション映画のプロットまで語られます。

 

そうは言ってももはや、小林旭さん1人でなんとかなる環境でも時代でもないのは承知の上で、「枯れる」ことを善しとしないんですね。「昭和の大スター」小林旭さんの映画に賭け、群れず、孤高を貫く生き様は、いち早くTVに進出し、軍団を形成して成功し、早逝した石原裕次郎さんとはイチイチ対極で面白いんですよ。

 

そして何かとやかましい闇営業だのコンプライアンスだのを笑い飛ばす、豪放磊落過ぎる生き様

「小林旭激白 オレがヤクザとゴルフしたからって、誰が困るってんだよ」

 

それもあってマスコミは小林旭さんの扱いには慎重というか、敢えて触れない、みたいな空気なのもわからないではありません。ただでさえこの国は、死んだらはじめて「英雄」扱い。安心して扱えるようになるまでは、自分で価値が見極められず、ずっと値踏みしているだけなのです。

 

いま、「昭和の大スター」といえば常に石原裕次郎、美空ひばりのオンパレード。どちらが良いとか悪いとかではありませんが、存命中の小林旭さんを正しく評価する声は聞こえません。その辺りもひっくるめた上で、「やっぱり私は小林旭さんが好き」なのです。

 

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