「ジュリー 沢田研二」伝説〜シングル ヒストリー② 1977-1985

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■「勝手にしやがれ」1977(29歳)

 

1977.05.21 勝手にしやがれ 89.3万

 

この楽曲でソロとして4曲目となるオリコン1位を獲得。5週連続1位、89万枚を売り上げる大ヒットとなり、日本レコード大賞をはじめとする賞レースを総ナメにするなど、歌謡界の頂点に君臨します。

 

大晦日のレコ大受賞式には萩原健一さんや岸部一徳さんなどザ タイガース、PYGの仲間が駆けつけて歴代最高視聴率を記録。この前後数年が、日本レコード大賞の最高潮期でしたね。

 

サビで帽子を投げるアクションは一世を風靡して、小学生の間でモノマネが流行する社会現象になりました。

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■ヴィジュアル全開 快進撃期 1977-1979(29-31歳)

 

自身が欧州で発売したシングルを逆輸入して発売した英語詞によるシングル
1977.08.10 メモリーズ 3.3万

を挟み、70年代後半、ジュリー怒涛の快進撃がスタートします。

 

1977.09.05 憎みきれないろくでなし 62.5万
1978.01.21 サムライ 52.3万
1978.05.21 ダーリング 44.8万
1978.08.01 ヤマトより愛をこめて 27.0万
1978.09.10 LOVE(抱きしめたい)48.8万
1979.02.01 カサブランカ・ダンディ 39.0万
1979.05.31 OH!ギャル 27.1万
1979.09.21 ロンリー・ウルフ 8.9万

 

「勝手にしやがれ」「サムライ」「ダーリング」「カサブランカ ダンディ」など、作詞 阿久悠さん & 作曲 大野克夫さんコンビの手による一連の楽曲が、“ジュリー”黄金期の作品だと思います。

 

▼「大野克夫さんとジュリー」については、こちらのインタビューがオススメです
http://www.ntvm.co.jp/interview/archives/05.html

 

そして、作詞家の阿久悠さんも、ジュリーの想定を超えるビジュアルには毎回驚かされたとか。

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この時期のジュリーは往年のハリウッドの名画などのさまざまなモチーフに、グラムロックの奇抜なファッションを取り入れ、悪趣味ギリギリのハイセンスなファッションで世間のド肝を抜きます。男性メイクやアクセサリーを一般層に浸透させたのもジュリーの功績でした。

クラシカルなハットに着崩したタキシード、羽マフラー、アメリカン ポリスの警帽、小道具にタバコ、ウィスキーのポケットボトル、短剣や拳銃、スパンコールにタトゥ…。

   

“和製デヴィッド ボウイ”とも言われた七変化で、その妖艶かつ耽美な美しさは、いま観てもカッコ良すぎます。

中でも「夜のヒットスタジオ」での畳に革ジャン、タトゥ スタイルの回は伝説です。腕に巻かれたハーケンクロイツが大問題になりました。

沢田研二💃サムライ✩1978.1.21R

 

さらにはこの1979年に公開された映画「太陽を盗んだ男」で原子爆弾を作る理科教師を演じ、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位に。俳優としても高い評価を受けました。

 


 

■ヴィジュアル全開 第2期 1980(32歳)

 

1980.01.01 TOKIO 33.8万
1980.04.21 恋のバッド・チューニング 17.2万
1980.09.21 酒場でDABADA 14.4万
1980.12.23 おまえがパラダイス13.9万

 

1980年になると「TOKIO」でパラシュートに電飾のド派手なコスチューム、「恋のバッドチューニング」ではカラー コンタクトに電飾ギターで話題をさらいます。

そして同年には男性歌手として初めてのオールヌード写真集「水の皮膚」を発売。

一方で、バンドのリーダー井上堯之さんはこれらの過激路線に「もうついていけない」と発言、井上堯之バンドが解散となりました。

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■GS meets NEW WAVE 1980

 

1980年のアルバム「G.S.I LOVE YOU」では、「ローリング ストーンズやビートルズのサウンドをニューウェイヴ タッチで」というコンセプトのもと、当時 注目の若手ミュージシャンだった佐野元春さん、伊藤銀次さんを起用。「おまえがパラダイス」は本作からのシングル カットです。


 

■ブルーバード、お前の時代だ 1979

 

沢田研二さんはCMにも数多く起用されましたが、特に印象的なのが1979年に発売された日産 6代目 ブルーバード 610型。「スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーと共に同車のビッグ セールスに大いに貢献しました。


 

■黄金時代の終焉 1981-1985(33-37歳)

 

新たなバックバンドは1980年にALWAYS、1981年にEXOTICSとなります。

EXOTICSのメンバーは、吉田建さん(Bass)、柴山和彦さん(Guitar)、上原裕さん(Drums)、安田尚哉さん(Guitar)、西平彰さん(Keyboard)というスゴ腕揃い。

ジュリーはずっと「ソロ歌手とバックバンド」ではなく「自身もバンドの一員」というスタイルを貫いていました。

 

1981.05.01 渚のラブレター 23.9万
1981.09.21 ス・ト・リ・ッ・パ・ー 36.4万
1982.01.10 麗人 22.0万
1982.05.01 おまえにチェックイン 27.4万
1982.09.10 6番目のユ・ウ・ウ・ツ 25.6万
1983.01.01 背中まで45分 8.7万
1983.05.10 晴れのちBLUE BOY 9.5万
1983.09.21 きめてやる今夜 13.0万
1984.02.01 どん底 7.1万
1984.04.25 渡り鳥はぐれ鳥 9.3万
1984.09.25 AMAPOLA 4.0万
1985.08.08 灰とダイヤモンド 7.3万

 

1981の映画「魔界転生」では天草四郎に扮し、妖艶な演技で話題に。

「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は本人の作詞作曲。

「背中まで45分」は作詞作曲 井上陽水さん

アルバム

「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」では新進気鋭のソングライター大沢誉志幸さんを起用します。

大沢さんは「『おまえにチェックイン』は、最初に世の中に出た俺の曲。当時は伊藤銀次さんが沢田さんのプロデューサー兼アレンジャーで、木崎賢治さんがディレクションをしてました。その頃はまだ佐野元春くんもブレイク前で、僕と佐野くんが沢田さんに楽曲提供をしてて、佐野くんもちょうどスタジオに来てたので『みんなでコーラスをやろうよ』って「♪チュルルル チュッチュッチュチューヤー」を、僕と佐野くんと銀次さんと沢田さんでやった。」と語っています。

 

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この頃の楽曲も佳曲揃いなのですが、ややアーティスティックな色合いが濃くなり、比例して持ち前のポップ、キャッチーさが薄まっていくと同時に、ブラウン管での露出も減りました。

そして…1985年1月から半年間の休養を経て、デビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。

渡辺プロダクション傘下の”株式会社ココロ”を設立し、レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍します。

 


 

■ザ・タイガース再結成

 

1982年には岸部一徳さん、森本太郎さん、加橋かつみさん、沢田研二さん、岸辺シローさんの5名で「ザ タイガース同窓会」と銘打ち本格的に再結成(瞳みのるさんは不参加)。

アルバム「THE TIGERS 1982」をリリースし、シングル「色つきの女でいてくれよ」などが大ヒット、日本武道館などコンサート ツアーも行いました。

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そして2013年、瞳みのるさんと加橋かつみさんが加わったオリジナル メンバーで1969年以来、44年ぶりに完全復活。

12月の日本武道館公演から全国8会場で10万人を動員、最終日の東京ドーム公演では闘病中の岸部四郎さんもゲストとして登場。結成以来初めて、6人のメンバーが公の場で一堂に会しました。

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沢田研二さんは19歳のデビュー以来 約50年間、毎年欠かすことなくレコーディング、作品を発表、ツアーを行い続けます。

そして還暦を迎えた2008年には2大ドームコンサート「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭り」を開催。東京ドーム、京セラドーム大阪両日で5万4,000人を動員し、1,000人のコーラス隊を従え約6時間半でフルコーラス80曲を歌いきるというステージを敢行しました。

 

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以上、“ジュリー”沢田研二さんのシングル ヒストリーを、テレビで活躍した1971-1985年に絞ってご紹介しました。

確かな音楽性に裏打ちされつつ、“傾奇者”としてさまざまな奇天烈、それでいて美しくカッコいいパフォーマンスをブラウン管で魅せ続けたジュリー。

時代性も含めて、彼を超えるパフォーマーはもう現れないでしょうね。

 

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