「80年代の吉川晃司」④~1987-88 アイドル卒業・ロックアーティストへの転身

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「80年代の吉川晃司」シリーズ④、最終回です。

 

日増しに活動も音楽性もロックミュージシャン、アーティスト嗜好が抑えきれなくなっており、TV出演も激減。当然、アイドル歌謡フィールドでのレコードセールスも下降線を辿りますが、すべてはナベプロと芸能界からの脱出のための「戦略」に見えました。

 


●ウワサの”あのヒト”の曲?

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10thシングル「マリリン」1987.3.5 4位 作詞:吉川晃司/作曲:吉川晃司/編曲:松本晃彦

 

10枚目のシングルは自作曲で、次アルバムからのシングルカット。「パール兄弟」窪田晴男さんの独特のフランジャーギターの音色が印象的な、ミディアムナンバーです。

「マリリン」とはPVにも出演する「当時交際していた石原真理子さんのこと」が定説ですが、実はそうではなく、雑誌「平凡」で対談した際に「今度”マリリン”って曲を作るよ」と約束した、マリリン マーティンがモデルなのです。

カップリング曲の「ODEON」
作詞:吉川晃司/作曲:吉川晃司、後藤次利/編曲:後藤次利

 

リリース時はインスト曲でしたが、実はアン ルイスさんとのツインボーカル曲。なぜか長くお蔵入りになっていましたが、2005年発売のベスト盤で解禁されました。

 

▼ツインボーカルVer.


 

5thアルバム「A-LA-BA・LA-M-BA」1987.3.5 2位 10.8万枚

1.A‐LA‐BA・LA‐M‐BA/2.MARILYNE/3.BIG BAD BABY BASTARD/4.終わらないSun Set/5.雨のTraveller/6.Stranger in Paradise/
7.Another Day/8.Good-byeの次の朝/9.きらわれついでのラスト・ダンス/10.Raspberry Angel/11.やせっぽちの天国

 

本作から、ほぼ全ての楽曲を自ら作詞作曲。アレンジャーの松本晃彦さんは後に「お踊る大捜査線」で一躍有名になったお方です。

 

自作以外の作曲は佐藤健さん、作詞は松本一起さん、柳川英巳さん、安藤秀樹さん。参加ミュージシャンはベース後藤次利さん&ドラム山木秀夫さんコンビに加え、ドラムに江口信夫さん、松永俊弥さん、山田わたるさん、ベースに浅田孟さん、有賀啓雄さん。ギターに布袋寅泰さん、窪田晴男さん、北島健二さん、今剛さん、鈴川真樹さん、柴山和彦さん。キーボードに松本晃彦さん、富樫春生さん。コーラスに岡村靖幸さんと、これまでにない大人数の布陣となっています。

 

アルバムのイメージは「NYの喧騒」。ド派手なファンファーレのようなタイトルチューンから始まり、ビート色の強いナンバーもあれば、16ビートでヨーロッパ調の楽曲あり、とバラエティに富んだ、ご本人の創作意欲が噴出したごった煮のようなアルバムです。

 

ちょうど時期的にLPレコードからCDに移行するタイミングで、このアルバムで初めてCDを先に買った記憶があります。

 

当時はLPレコードが先行発売(2,800円)され、CDは少し発売が遅れる&価格が高い(3,200円)分、ボーナストラックが入っている、というのが当時のお約束でした(本作は10,11曲目がCDのみのボーナストラックでした)。

 


 

このアルバムからは

11thシングル「終わらないSun Set」1987.6.5 12位 作詞:吉川晃司/作曲:吉川晃司/編曲:松本晃彦

も、KDD 国際電話のCM曲としてシングルカットされました。


 

■BIG CITIES CIRCUIT~解体へのSUGGESTION

 

4.4~5.27、全24公演の意味深なタイトルのツアーが敢行されます。

 

タイトルチューンがギター弾き語りから始まるという意表の付き方でニヤリとさせられました。

 

たまたま、福岡公演で最前列のチケットが手に入ってしまい・・・まだ男性ファンが少ないこともあり異常に目立ったのだと思いますが、やたらとバックメンバーのPaPaのメンバーが私の前でソロを弾いたりしてくれるんですね。当時バンドをやっていた高校生の私は、PaPaの演奏や足下のエフェクターばかり観ていたら・・・吉川さんにマイクを向けられ”もっとオレを観ろ!唄え!”とばかりに煽られたのが、良い思い出です(笑)。

 


 

●ラストオリジナルアルバム

 

そしてついに、ナベプロ所属/ナベプロ子会社のレコード会社SMSからの最後のオリジナルアルバムがリリースされます。

 

6thアルバム「GLOUMAROUS JUMP」1987.11.21 5位 11.8万枚

1.踊れよRain/2.HOT LIPS/3.JUST A LIFE/4.BIRTHDAY SYMPHONY/5.Little Darlin’/
6.GRAMOROUS JUMP/7.HONEY PIE/8.恋をしようぜ!!/9.LAYLA/10.BACK TO ZERO

 

全曲の作詞・作曲を本人が、アレンジャーは全曲、清水信之さんが担当しました。

 

全編、キラキラしたシンセサウンドですが、スカスカしたサウンドメイクで明らかにモチベーションが下がった印象があり、もはや「心ここにあらず」といった感が否めません。この2か月ほど前にリリースされたBOΦWYの「Psychopath」も、似た印象でした。

 

「GLAMOROUS JUMP」の作曲者にある”W.GUY”は、吉川晃司&布袋寅泰のシークレット共作ペンネーム。「とどかない世界へ飛び出せ 夢のつづき 2人ならつかめるさ」という一説は、後のCOMPLEX結成を示唆しているとされています。

 

「HONEY PIE」は忌野清志郎さんに提供された楽曲で、後にRCサクセションのアルバム「MARVY」(1988年)でセルフカバーされています。

 

ラストナンバーは「BACK TO ZERO」。”ここまでのキャリアをすべてリセットして、ゼロからまた始める”という決意表明と受け取りました。

 


●幻のシングル

 

このアルバムからは
「HOT LIPS」
作詞:吉川晃司/作曲:吉川晃司/編曲:清水信之

 

が「11.21発売」と告知され、プロモ盤とPVまで制作されましたが、急遽、発売中止に。なにやら事務所とゴタゴタしてるなぁ、という感じがしました。

 

▼ロバートパーマーPVのパクリ(笑)


 

●ラスト全国ツアー「’88 TOUR “QUESTION”~now thinking with pleasure~」

 

1987.12.11~1988.4.21 またまた意味深なタイトル。結果的に初期ソロ時代のラストツアーとなりました。

 

ステージはますますアーティスティックでロック色の強いものになり、男性ファンもちらほら増えて来ましたが、まだ少数。その一方で、アイドルとしての吉川晃司ファンだった女性ファンたちが離れていった時期ともいえます。

 

ツアーパンフがユニークでした。ペーパーバックスタイルの180ページもある小冊子で、表紙は「TO-Y」の作者上條敦士さんのイラスト本人作の抽象画。内容はハービー山口さんや平山雄一さん、えのきどいちろうさんなどのエッセイ、小説に、自作ポエム、コラージュなどのアート本。

 

・・・なのに江口寿史さんによるコレ↓には笑いました。

 


 

●カウントダウンでRCサクセションと再共演!

 

1987.12.31 ”第二次バンドブーム”も成熟期になりつつあったこの年の大晦日、全国5都市で「ROCK’N’ROLL BAND STAND」と銘打たれたカウントダウンイベントが同時開催され、NHK BSによる中継もありました。

 

吉川晃司さんは札幌・月寒グリーンドームに出演。RCサクセション、泉谷しげる、子供バンド、THE ROOSTERZ、中村あゆみ&THE MIDNIGHT KIDSなどとの共演でした。

参考までにこの年の各地の出演者を・・・懐かしい名前が並んでいます。

 

●札幌月寒グリーンドーム:
金山一彦・ルースターズ・中村あゆみ・泉谷しげる・TAX FLEE・子供ばんど・吉川晃司・RC SUCCESSION

 

●新潟市産業振興センター展示ホール:
UP-BEAT、BACK-TICK、エレファント・カシマシ、小山卓治、聖飢魔 II、ハウンド・ドッグ、デルジベット、野本直美、長島秀幸、SCOOP、A-JARI、爆風スランプ

 

●名古屋市総合体育館(レインボー・ホール):
ストリート・スライダーズ、久保田利伸、大澤誉志幸、PEARL、ヒルビリー・バップス、MOJO CLUB、麝香猫、PINK

 

●神戸ポートアイランド・ホール:
白井貴子、TOPS、ちわきまゆみ、LOOK、シャムロック、THE HEART、高橋研、GWINKO、安全地帯、德永英明

 

●福岡国際センター:
ブルー・ハーツ、バービー・ボーイズ、レッド・ウォリアーズ、エコーズ、SION、ZELDA、安藤秀樹、ヒート・ウェイブ

 


 

●最後のシングル

 

12thシングル「プリティ・デイト」1988.2.3 5位 作詞:吉川晃司/作曲:村松邦男/編曲:清水信之

そしてナベプロ時代、ラストシングルがこの楽曲です。曲は自作でもなく、中期のようなキャッチー&アッパーチューンで、なにやら「”最後のご奉公”として売れる楽曲やって終われ」と言われたんだろうなぁ、とオトナの事情を想像していました。それで本人的にはそういう曲はもう書けない(書きたくない)ので、提供を受けたのではないかと・・・。

 

 

作曲者の村松邦男さんは1972(昭和47)年に山下達郎さん、大貫妙子さんらと「シュガー・ベイブ」を結成、リードギターを担当された大御所です。

 


 

●SMS(サウンズ・マーケッティング・システム)レコードの消滅

 

ここまでご紹介したナベプロ時代の吉川晃司さんのシングル、アルバムはすべてSMSレーベルからリリースされました。

 

この会社は1978年、資本提携していたワーナーパイオニアと袂を分かち、史上初の”芸能事務所直営レコード会社”として渡辺プロダクションが設立したレーベルで、桑江智子さん、小柳ルミ子さん、ザ・ドリフターズのヒット曲などで隆盛を極めた時期もありました。しかしちょうどこの吉川晃司さんの活動停止を境に消滅。ナベプロのレコード事業はカセットテープやビデオソフトを販売していたアポロン音楽工業に一本化されました。

 

SMSレベールの末期は資金もなく、発注が来てもプレスできないような状態で、吉川さんは「大砲の弾のない、戦艦大和の最期みたいだった」と語っていました。

 


 

●SMS最初で最期のベストアルバム

「beat goes on」1988.4.21 3位

モニカ/サヨナラは八月のララバイ/ラ・ヴィアンローズ/No No サーキュレーション/ユー・ガッタ・チャンス/Rainy Lane/にくまれそうなNEWフェイス/RAIN-DANCEがきこえる/キャンドルの瞳/サイケデリックHIP/MODERN TIME/すべてはこの夜に/MARILYNE/終わらないSun Set/A-LA-BA・LA-M-BA/HOT LIPS/Little Darlin’/プリティ・デイト

 

4.21、SMSレコードからのベスト盤「beat goes on」がリリースされました。
「モニカ」から「プリティ・デイト」までの全シングルに、アルバム収録曲を加えた全18曲。
後に多数リリースされまくる、吉川晃司さんの最初のベスト盤です。

 


●ラストソロライブ ”BACK TO ZERO”~THE END OF KOJI KIKKAWA

 

そしていよいよ、終焉の時を迎えます。

 

1988.5.6/5.9 日本武道館で行われたライブ”BACK TO ZERO”。

”THE END OF KOJI KIKKAWA”という衝撃的なサブタイトルが付けられていました。

 

 

この後、どうするのか、どうなるのか?は一切不明で、”無期限活動停止”とだけ告知され、ファンは気が気じゃなかった・・・と言いたいところですが。ティーンエージャーの移り気な女の子たちからしたら「なんだお休みするんなら、ほかのアイドルに!」と乗り換える人もぶっちゃけ、多かったでしょう。そのリスクも承知の上で、いったんリセットしないと、次のステージには進めない!という意思表示だったのです。

 

このライブは日本武道館に360度のセンターステージを設け、日本初の「ハイビジョン収録」というスペシャルなもので、全国各地でクローズドサーキット上映も実施されました。後にリリースされたCDとビデオソフト/LDはSMSではなく、東芝EMIから発売されています。

 

ライブアルバム「ZERO」1988.6.25

ライビビデオ/LD「ZERO -KIKKAWA KOJI HI-VISION LIVE WORLD ’88」1988.9.10

これまでの活動の集大成ですが悲壮感はまったくなく、いつも通りクールなパフォーマンス。むしろ清々した感じを受けました。

 

私はこの公演の2曲目、「LA VIE EN ROSE」のアレンジとパフォーマンスが好きです。エンディングの四次元ステップは初代タイガーマスク・佐山サトルさんと双璧じゃないかと(笑/10分40秒あたり~)。

初期ソロとしての最期の楽曲は1stアルバム収録のバラード「a day・good night」。
エンディングは光の中に去っていく演出で、最後に一言だけ、「ありがとう」。

 


 

この時、水面下ではナベプロからの独立(実際は子会社「7’sエンタープライズ」での活動)と東芝EMIへの移籍、そして布袋寅泰さんとの新ユニット”COMPLEX”結成の動きが進んでいましたが、それは始動発表の1988(昭和63)年末まで一切、明かされない”極秘プロジェクト”でした。

 

こうして足掛け4年、実質3年間の”ニュータイプ アイドル”吉川晃司さんの”反抗”と”進化”の活動に、終止符が打たれました。

 

▼最後に、35周年記念でファンの方が作成された初期の名場面集をどうぞ!

 

ビジュアルの変化がすさまじいです(笑)

 

この後の「COMPLEX結成」、そして「解散後のディスコグラフィと活動」についてはまたいずれ・・・

COMPLEX編 につづく>

コメント

  1. もっち より:

    返事遅くなってすみません。まさかお返事を貰えると思っておりませんでした!

    私は今大学生で、ファンになったのはここ半年ぐらいの新参者です。
    吉川さんのことを色々調べているうちにこのサイトに辿り着きました。
    特にアイドル時代と90年代前半の吉川さんが好きなので楽しく読ませて頂きました(^^)

    吉川さんて、シンバルキック等のライブパフォーマンスや破天荒エピソードが注目されがちで、楽曲の変遷や歌謡界とロック界の垣根を超えた活躍について言及してるのをあまり見かけなかったものですから、音楽面からアプローチしたこちらのサイトはとても嬉しくもあり、興味深く拝見させて頂きました。

    COMPLEX時代も大好きなので、とても楽しみに待ってます(^ ^)

    • MIYA TERU より:

      もっちさん、大学生なんですね!それも80年代が好きとかw
      そうなのです、吉川晃司さんは際立った存在感とか破天荒な暴れん坊ぶり、最近では渋い役者としての評価ばかりで、ミュージシャンとして、さらにはアイドル時代の正当な評価が少なくて、デビュー以来ずっと観続けてきた私からするとなんだかな、だったのです。当時「所詮、作られたアイドル」といった揶揄も多かったんですが、ジャニーズ以外で今も生き残って、ソロで武道館を満員にできる人って他にいませんし、それって「作られた」だけではなしえないと思います。
      そして今の吉川晃司さんの源流はこのセンス溢れる先人たちの感覚を吸収して、この後の布袋寅泰さんとのCOMPLEXが土台になってるんですよね。そしてそこからの歩みは、一言でいうと”リベンジ、復讐”の歴史です。そのあたりはおいおい、ここで明らかにしていきますので、たまーに覗いてみてくださいw

  2. もっち より:

    毎回更新が待ちきれない連載でした。
    続編も楽しみにしています!

    • MIYA TERU より:

      もっちさん、ありがとうございます!そう言ってもらえると励みになります。どのくらいの時期からのファンですか?続編も書きたいのですが何せ35周年ですからね・・・先は長いw そのうちに、まずはCOMPLEX編からやりますので、お楽しみに!

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