80年代の「横浜銀蝿」~1979-1983 “天下を獲った”ツッパリR&Rバンド

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2018年、TVドラマ「今日から俺は!!」」主題歌「男の勲章」(オリジナル:島大輔/1982年)が時ならぬリバイバルヒット。

そして2020年、結成40周年でオリジナルメンバー4人による復活を遂げた「横浜銀蝿」。

今回は「80年代の横浜銀蝿とは何だったのか」を語ります。

 


 

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■横浜銀蝿とは

 

1980(昭和55)年。リーゼントにキャッツアイのサングラス、ライダースジャケット、白いドカンというわかりやすぎる”ツッパリ””暴走族”ファッションに身を包み、キャッチーかつメロディアス、そしてユーモラスな楽曲を次々と送り出し、ユニークなR&Rバンドとして一世を風靡しました。

 

 

80年代前半、全国的な”校内暴力”が社会問題に。「なめ猫」「3年B組金八先生(第2シリーズ)」が話題を呼び、少し遅れて「積み木くずし」「スクールウォーズ」「ビーバップハイスクール」など、青少年の非行や校内暴力を描いたコンテンツが続々と出現し、”ツッパリ”が社会現象化していました。

 

後に「不良=ヤンキー」と呼ばれるようになりますが、当時は”ツッパリ”。長ラン(ヨーラン)~短ランにドカン(極太ズボン)の学生服は当時、本気のツッパリだけでなく、今でいうところの陰キャ以外は、全員が着ていた時代です。

 

横浜銀蝿は、本気のツッパリのアイコン、というよりはどちらかといえばライト層のアイドル的存在だった印象があります。もちろん、本気のツッパリの中で本気で崇拝していた連中もいたかもしれませんが、オリジナルの矢沢の永ちゃんほどのカリスマではなく、逆に言えばそうしたパンピー層、ミーハー層にも「わかりやすい」「ウケる」戦略が、彼らを時代の寵児に押し上げたのだと思います。

 

あまりにキャッチーなバンドゆえ、その音楽性を論評する人はごくわずかですが、マジメにアルバムを聴くとその音楽センスと演奏力には驚かされます。なにより、自分たちのキャラを俯瞰でとらえ、時代背景とマッチさせて「売れる」楽曲を作るセンスは”銀蠅一家”と呼ばれるグループのプロデュースからも伺えますが、なにより、解散後のメンバーの”出世ブリ”が、その腕前を証明しています。

 


 

■横浜銀蝿の足跡

 

横浜銀蝿の活動期間は1979年から1983年までの4年、メジャーでの活躍は実質3年間という短いものでした。これは当初から「シングル、アルバムで1位を取り、武道館を満員にする」という目標を達成したら解散、と決めていたとメンバーは語っています。

 

1979(昭和54)年

9月21日、嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)、TAKU(Ba)の4人で
THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(略称:T.C.R.横浜銀蝿R.S.)結成

 

1980(昭和55)年

9月21日、キングレコードよりシングル「横須賀Baby」、アルバム/カセット「ぶっちぎり」同時発売デビュー

 

1981(昭和56)年

1月12日 2nd.シングル「ツッパリHigh School Rock’nRoll(登校編)」、2nd.アルバム/カセット「ぶっちぎりII」発売

このアルバムはオリコン1位を獲得し、以降、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」、TBS「ザ・ベストテン」、日本テレビ「ザ・トップテン」の常連となり全国的な人気者になりました。

 

4月25日にはニッポン放送「オールナイトニッポン」1部のDJとなり、
6月23日3rd.シングル「羯徒毘璐薫’狼琉」発売、
7月7日3rd.アルバム「仏恥義理蹉䵷怒」発売

7月28日 初の著書「全開バリバリ」を出版。
9月7日には初の日本武道館コンサートを成功させます。

10月7日 4thシングル 「ツッパリHigh School Rock’n Roll(試験編)」発売

10月21日 スタートのTBSドラマ「茜さんのお弁当」に出演
11月7日 ドキュメント映画「ぶっちぎり」(東映)公開

11月18日 Johnny初のソロシングル「ジェームス・ディーンのように」 発売。前述のドラマ主題歌です。

 

1982(昭和57)年

2月24日 5th.シングル 「お前サラサラ サーファー・ガール おいらテカテカ ロックン・ローラー」、4th.アルバム「ぶっちぎりとっぷ」発売

3月16日 2回目の日本武道館コンサート

6月23日 Johnny2nd.シングル「$百萬BABY」発売

9月17日 3回目の日本武道館コンサート

10月17日 6th.シングル「あせかきベソかきRock’n Roll run」発売

12月24日 ベストアルバム「ぶっちぎりベスト・コレクション」発売

12月31日 日本レコード大賞「特別賞」受賞(銀蝿一家)

 

1983(昭和58)年

5月18日 Johnny 1st.ソロアルバム「Highway Dancer」、3rd.シングル「みにくいアヒルの子」発売

7月27日 7th.「おまえにピタッ!」発売(カネボウ化粧品秋のキャンペーンソング)

8月19日 5thアルバム「ぶっちぎりV」発売

8月26日 最後のコンサートツアー「It’s Only Rock’n Roll集会ファイナル・カウント9」が渋谷公会堂よりスタート

12月5日 ファイナルシングル「哀愁のワインディング・ロード」、 6thオリジナル・アルバム「ぶっちぎりR(リバース)」発売

12月24日 ベストアルバム「ぶっちぎりベスト・コレクションVol.2」発売

12月31日 ファイナルコンサート「It’s Only Rock’n Roll 集会ファイナルカウントダウン10」(新宿コマ劇場)にて解散

 


 

■銀蠅一家

 

島大輔 1982年、シングル「Sexy気分の夜だから」でデビュー。2nd.シングル「男の勲章」3rd.シングル「暗闇をぶっとばせ‼︎」が大ヒット。

 

紅麗威甦(ぐりぃす) 1982年、シングル「ぶりっこROCK’N ROLL」でデビュー(オリコン6位)。イントロのセリフ「エー・ウソー・ヤダー・カワイー」は当時の流行語。ボーカルは俳優の杉本哲太。

 

岩井小百合 1983(昭和58)年、シングル「ドリーム ドリーム ドリーム」でデビュー。新人賞各賞を総ナメにし、同年9月に行われた日本武道館でのファーストコンサート(15歳1ヶ月)は現在も最年少記録。

 


 

■解散後の横浜銀蝿

 

Johnny 現キングレコード上席執行役員。第2クリエイティブ本部長兼ベルウッドレコード代表取締役社長。ディレクターとして中山美穂、的場浩司、高橋良明、植村花菜「トイレの神様」などを手掛け、近年再ブレイクした島大輔「男の勲章」もこの方の作詞・作曲で当時、そのイケメンで一番人気を誇りました。

 

TAKU 作詞、作曲、編曲家として銀蝿一家の作品の他、中森明菜、三原順子をはじめ岩井小百合、おニャン子クラブなどアイドルの作品も手がけています。特に三原順子はTAKU作曲の「だって・フォーリンラブ・突然」でベストテン入りをはたしNHK紅白歌合戦出場。岩井小百合はTAKU作詞作曲の「ドリーム ドリーム ドリーム」で日本歌謡大賞最優秀新人賞を受賞。
その後、日音に入社。原盤ディレクターとして 槇原敬之、島田歌穂、本田美奈子などを担当しました。

 

翔 1997年、1998年、2003年に3度の覚せい剤取締り法違反により逮捕

 

嵐 2001年の第19回参議院議員通常選挙に自由連合公認で比例代表区から立候補するも落選。2004年に脳梗塞により開頭手術を受ける

 


 

■2020年、40周年でオリジナルメンバーによる初の再結成

 

40周年記念サイト

 

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