「カール ゴッチ」~1924-2007 ”プロレスの神様”とアントニオ猪木

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2017年7月28日、没後10年になるカールゴッチさんの墓が東京 荒川区の回向院に建立され、納骨式にアントニオ猪木さん、藤原喜明さん、前田日明さんらが出席してニュースになりました。

今回は”プロレスの神様”カール ゴッチさんについて、新日本プロレス創設期のアントニオ猪木との対決、実力世界一ベルトについてご紹介します。

*文中敬称略

 


 

●新日本プロレス旗揚げ期の猪木vsゴッチ

 

1972(昭和46)年、新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木ですが、遅れて旗揚げしたジャイアント馬場率いる全日本プロレスに比べ外国人レスラーの招聘ルートが脆弱で、頼みの綱は師と仰ぐカール ゴッチのみでした。

 

同年3月6日の大田区体育館での旗揚げ戦のメインイベントはアントニオ猪木vsカール ゴッチ戦。結果は猪木のピンフォール負けでした。

Karl Gotch German Suplex on Antonio Inoki

 

さらには10月4日の蔵前国技館のビッグマッチでも猪木vsゴッチの再戦が組まれます。この試合で猪木はリングアウトながら初めてゴッチを破り、ゴッチの持参した「実力世界一チャンピオンベルト」を戴冠します。

 

10月4日、広島大会で猪木はレッド ピンパネールを相手に同ベルトを初防衛しますが、10月10日、大阪府立体育会館で再びゴッチに敗れ、6日天下に終わってしまいました。

 

ちなみに、この10月4日と10日の猪木vsゴッチ戦は東京12チャンネル(現 テレビ東京)がそれぞれ、1時間枠の特別番組として録画中継していますが、マスター映像は現存していません(当時のフィルムやビデオテープは高価で、NHKの大河ドラマですら第1話と最終話しか残ってない、などはザラです…)。5分程度の8mmの秘蔵映像があるそうですが。。。

また、この時ゴッチが持参したチャンピオン ベルトはいわくつきで、そのエピソードは後ほどご紹介します。

 


 

●ゴッチと力道山、ルー テーズ、アントニオ猪木

 

カール ゴッチは1961(昭和36)年、日本プロレスに初来日

正統派のゴッチは当時の「悪役ガイジンvsヒーロー力道山」のスタイルに合わず、力道山とのシングルマッチは1試合のみ、引き分けに終わっています。

力道山のゴッチ評は「強けりゃいいってもんじゃない」。実に的確で含蓄のある言葉です(笑)。

 

当時の力道山の憧れであり、世界最強と言われていたのが”鉄人”ルー テーズ

世界最高峰のNWA世界タイトルを何度も保持したテーズが”陽”とすると、ゴッチはメジャータイトルとは無縁の”陰”の実力者です。

ちなみに両社の直接対決は1963~64(昭和38~39)年にかけて何度も行われており、タイトルマッチではテーズの5勝4分、ノンタイトル戦では7戦してすべて引き分け、といわれています。

 

ゴッチはその実力から1968年に日本プロレスのコーチに就任。若手のコーチ役としてアントニオ猪木に卍固めやジャーマン スープレックス ホールドを伝授。猪木 新日プロの掲げる「ストロング スタイル」の源流であり、「プロレスの神様」と呼ばれるのはこのためです。

 

 

その後、1971(昭和46)年3月には国際プロレスの「第3回IWAワールド シリーズ」に参加。

ビル ロビンソンと5回対戦し、全試合とも時間切れで引き分けます。この時、後のアンドレ ザ ジャイアント、若き日のモンスター ロシモフをジャーマン スープレックス ホールドで投げ切り、伝説となりました。

 


●新日本プロレス~UWFの”象徴”

 

ゴッチは1976年のアントニオ猪木vsモハメド アリの「格闘技世界一決定戦」ではセコンドとして猪木を支えたり、フロリダ州タンパ市の自宅、通称”ゴッチ道場”において、藤波辰巳、木戸修、藤原喜明、佐山聡、前田日明らを数多く育成。

 

1982(昭和57)年1月1日、後楽園ホールで藤原喜明とエキシビションマッチで対戦。同年1月8日後楽園ホールにおいて木戸修と対戦したエキシビションマッチが、プロレスラーとして最後の試合となりました。藤原との1戦はTV中継され、御年58歳にも関わらず見事なジャーマン スープレックス ホールドを極めました。これがゴッチの試合を観た最初で最後、という方が多いと思います。

 

1984(昭和59)年に新日本プロレスから枝分かれ的に誕生したUWFの象徴として、プロレスの”強さ”の拠り所的存在であり続けました。

 

2007年7月28日21時45分、フロリダ州タンパ市にて大動脈破裂にて逝去。享年82歳でした。

 


 

●ゴッチ ベルト

 

カールゴッチが新日本プロレス旗揚げに持参したチャンピオン ベルトは、その出自がよくわかっていません。

「1962年に奪取したオハイオ版AWAベルトのレプリカ」などいろんな説がありますが、とにかく、なんらかの理由でゴッチ個人が所有していたベルト。それに神格化されたゴッチのイメージが付加され「フランク ゴッチの世界ヘビー級王座をルーツに持つ、幻の世界チャンピオン ベルト」「真の実力世界一ベルト」と紹介されていました。

 

このベルトはアントニオ猪木vsビル ロビンソン戦、モハメド アリとの格闘技世界一決定戦の調印式、1985年9月の藤波辰巳との師弟対決など、アントニオ猪木の歴史的一番の「権威付け」の役割で度々登場しました。

そして1987年3月26日、大阪城ホール大会を最後にプロレス中継を離れることになった古舘伊知郎アナウンサーに、猪木から贈られました。後年、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に古舘氏が鑑定依頼したところ、なんと600万円の評価が付きました。

 

 

 

次回は、1973年に行われたアントニオ猪木&坂口征二vsルー テーズ&カール ゴッチの「世界最強タッグ戦」をご紹介します!

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