「上田馬之助」〜④最終回 さすらいの“金狼”

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改めて上田馬之助vsアントニオ猪木上田馬之助vsジャイアント馬場の2試合をじっくり観てみて、上田馬之助ってこういう選手だったなぁ、と懐かしく思い出しました。

 

 

「金髪に竹刀」の見た目のインパクトと比べ、シンプルに「肝心の試合がまるで面白くない」のです(身も蓋もありませんが)。

 

馬場はともかく、猪木相手にここまでのお膳立てをされても、この程度の試合しかできないのはメインイベンターとしては致命的です。腕を折られても、前田に顔面を蹴られても立ち向かっていくタフネスぶり、頑丈さはおぉ、と思いますが、要は「それだけ」なのです。

 

とにかくラフファイト、といえば言葉はよいですが単に凶器やイスを使ってモタモタしてるだけの印象しかありません。受けるときも、反撃するときも、観客がヒートするようなところがなく、無表情で緩急もなく、淡々としている。

 

天龍やカブキとの抗争も当時リアルタイムで観ていましたが、結局は引き立て役でしかなく、新日でも全日でも「シンのパートナー」というのがメインミッションでした。

 

そんな上田とサンダー杉山、坂口・ストロング小林というものすごく地味なメンツが激突する北米タッグをメインとした興行がプロレス初観戦だった私の気持ちにもなってください(笑)。

 

いくら「実はセメントが強い」とか「隠れたテクニシャン」と言われても、体型一つとっても明らかに練習不足ですし、実際の試合をどう贔屓目にみても、そんなにスゴイとはまるで思えません。

 

確かに若手時代はスパーリングや極めっこでは強かったのでしょうが、肝心の試合でそれを「観客に伝える術がない」というのが、観ていてひたすらつまらないのです(ただし、UWFイリミネーションでの前田との場外心中はいい仕事でしたね、それもあの策を授けた猪木がスゴイのですが…)。

 


 

◆上田馬之助と猪木、そして馬場

 

かつての上田は、あの第13回ワールドリーグ戦(猪木の初優勝)でも猪木のセコンドに付くほどの猪木派だったといいます。また、猪木が東京プロレスから出戻った時に「一緒に練習しませんか」と最初に声をかけたのも上田会社改革を猪木に持ちかけたのも上田です。

しかし、肝心なところで裏切りました。

これは生涯悔いが残り、「寛ちゃん、裏切ったのは俺じゃない、悪いのは馬場だ」と言い続けて亡くなりました。

 

今回のまとめでは敢えてオミットしましたが、上田が実は人格者、というエピソードはたくさんあります。猪木が暴走して怖くなり、日和った、という行動からしても、その片鱗が伺えます。

 

正論は述べるものの肝心の「それであんたはどうしたいの?」がよくわからない、妙な正義感を振りかざす、めんどくさいタイプなのかもしれません。

日プロ当時、上田が猪木にシンパシーを感じていたのは、猪木より馬場が憎かった(羨ましかった)からではないか、と考えると合点がいきます。上田と猪木は、馬場が絶対的なエースなのが気に食わない点で気があったのでしょう。

 

当時の2人共が「極めっこなら俺の方が馬場より強い」と思っていた。しかし、人気も見た目の雰囲気も、アメリカでも日本でもマットの上の実績でも会社の評価も、当時は圧倒的に馬場の天下でした。

 

馬場も「この頃の猪木は純粋に強さを求めていたけれど、真面目すぎるしプロレスラーとしての幅みたいなもので自分の敵ではない」と感じていた、とされる頃です。

「リングの上のプロレスラーの価値は強さだけではない」というのが馬場の本場アメリカで培われたプロレス感で、それは業界の常識でした。

 

また、出戻りでなにかと危なっかしい猪木と、華がなくて認めてもらえない上田は、共に幹部に対する不満を持つ同士でもあったのです。

ところが日本テレビに加えてNETがつき、週2回の放送となったことで馬場・猪木は二枚看板、二大エースとなりました。

 

自分が幹部憎さでそそのかしたと言え、猪木が野心剥き出しに、クーデターでのしあがろうとしたのを見た上田は、今度は猪木に対する警戒から密告に走ったのではないでしょうか。

 

猪木とそれだけ親しければ、猪木が上田を認めていれば、猪木派の上田はクーデターに乗っかればよかったのに、なぜ上田は猪木を裏切ったのか。

 

常識人で怖くなった、という説ともう一つ、思い当たる事があります。

 

おそらく上田はある時、「猪木が自分を何とも思っていない」事に気がついたのでしょう。自分は無二の親友だと思っていたのに、相手はなんとも思っていない、という残酷過ぎる現実。

 

上田は猪木に裏切られた気持ちから、猪木を裏切り返したつもりだったのかもしれません。

 

晩年、「裏切ったのは俺じゃない、馬場が悪い」と言い続けながら亡くなりますが、ほんとうの本音の本音は「あの時、寛ちゃんが俺を相手にしてくれなかったのが悪いんだ」と言いたかったのではないでしょうか。

 

とかく語られる、上田は実は常識人で腰の低い人である、という話は、逆にいえば猪木のように会社や業界の慣習や常識をブレイクできないタイプ、という事であり、団体を背負うようなクラスには到底辿り着けないワケです。

 

猪木は馬場に対するコンプレックスをバネに、とにかく世間をあっと言わせてやろう、と猛練習してダイナミックに大暴れします。

 

馬場は周囲にお膳立てを整えてもらい、力道山以来のプロレスの王道の中で守り守られながら、ほかに生きる道はなく、頑なに邁進しました。

 

その2人に嫉妬した上田は、持って生まれた「華」というものが違いすぎました。

 

かといって己のプロレスを磨くことはせず、ヒールとして悪いことをして観客のヒートを買う道を選びました。それはそれでシンドかったでしょうが、だから上田はスゴイ!とは私はならないのです。

 

猪木は「なぜ因縁の上田を新日マットに上げたのか」という問いにこう言い放ちます。

 

「理由はないね、別に。プロレス界の中で必要な役割というのがあれば、それを全うしてもらえばいいだけで。プロレス界はもちろんのこと、新日本プロレスだって俺の私物じゃないんだから。個人的な感情、私憤という言葉がありますが、プロレスの枠にはめ込んでしまうと、そういう個人的なものは消えてしまうんですよ」

 

そして上田はアメリカと、かつての仲間の作った2つの団体を浮き草のように流離いながら、奇しくもその2人に腕を折られても闘い続けました。

 


 

◆改めて「上田馬之助」とは

 

馬場と猪木、というのは誰しもが知るライバル関係ですが、その2人の輝きを放つ巨星の間で、さすらいの衛星のような人生だったのが上田馬之助なのだ、というのが私の結論です。

 

よりによって猪木と馬場と比べたら酷ですし、その2人に翻弄され続けた人生、とも思いますが、逆にいえばこの2人と同時期にいたからこそここまでの知名度と、一時ではありますが“日本人最凶の悪役レスラー”としてブレイクを果たした訳で、時期がずれていたらもっと凡庸なレスラー人生だったのかもしれないと思います。

それにしても、よい奥さんに恵まれましたね上田さん。合掌。

コメント

  1. 田宮繁人 より:

    おはようございます。
    先日ネールマッチを観ました! シングルで日本武道館のメイン、まさに馬之助のハイライトでしたね! 今映像で観てもスリルありますし女性客が失神した?伝説もあながちホントかと・・・確かに両者とも場外に落ちなかった事に不満の声もありますが、デスマッチはあくまでリング内で決着を付ける為の手法という猪木のポリシーから言えばこれで良かったのだと思います。
    平成になってほんとに落ちるネールマッチが実現しましたが、こちらはあくまで試合方式ありき、だったので落ちてくれないと「金返せ!」となると言う(笑)(92年の松永とレザーフェース 戸田市スポーツセンター観に行きました!)
    5年後、今度は馬場さんが馬之助に腕折りをしますが、あの馬場さんが猪木のコピー的な決着を選択したのが驚きました。
    それにしても日プロ幻のクーデターでの謎の裏切り・・・83年の著書には「自分が蚊帳の外にされたのが一番ドタマに来た」とありましたが、新役員人事には上田の名前もあり「印鑑証明(戸籍謄本だったかな?)用意しておいて」と言われていたそうですからやはり不思議ですね。
    この人の性格から言って土壇場で「怖くなった」「上の人(特に遠藤幸吉)をやはり裏切れない」と思ったのでしょうか・・・。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!
      「デスマッチはあくまでリング内で決着を付ける為の手法という猪木のポリシー」「あの馬場さんが猪木のコピー的な決着を選択したのが驚き」
      まったくもって同感です。
      そして上田の裏切りはいろんな見方があり答えは一つではないんでしょうね・・・

  2. nakataka より:

    初めまして。昭和プロレス関連で検索していたらたまたま辿り着き、同世代のプロレスファンのご意見として非常に興味深く拝読しました。

    「だから上田はスゴイ!とはならない」という考察と切り口、非常に斬新ですね。納得はしませんが十分に理解はできます。私は上田さんは凄いと思ってますし、尊敬する日本人レスラーの一人であります。その生き様が真の任侠だと思ってますので。

    リングに目を向けても、例えば仲間割れしたシンとの直接対決。ゴング前に模造品の刀に手をかけてセコンドが静止するシーンがありますが、「上田なら本物の日本刀を持ってきたかもな」と思った人も多いのでは?そう感じさせるほどの凄みを持ったヒールは、上田さんとザ・シークぐらいではないでしょうか。

    山本小鉄をビール瓶で殴打して全シリーズ欠場に追い込んだりと、一線超えて何をしでかすか分からないという恐ろしさが漂っていたように感じます。あの頃の上田さんは。

    • MIYA TERU より:

      nakatakaさま、レスありがとうございます!

      >私は上田さんは凄いと思ってますし、尊敬する日本人レスラーの一人であります。その生き様が真の任侠だと思ってますので。

      おっしゃることはよくわかります。私が「スゴイとはならない」のは、リング上の表現力の視点ですので、その生きざまはホントに”仁侠”ですよね。本編に書き忘れましたが、ずっと日本プロレス発行のライセンスを肌身離さず持っていて、コミッションとライセンス制度を作れ、と言っていたのは感銘を受けます。

      異論反論あると励みになります。またぜひ、感想お聞かせください!

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