「世界最強タッグ戦」テーズ&ゴッチvs猪木&坂口〜1973 新日本プロレス旗揚げ直後、温故知新の名勝負

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全日本プロレスの看板シリーズである「世界最強タッグ」の名称を最初に使用したのは新日本プロレスである“というのは、プロレス ファンには有名なトリビアです。

 

その試合とは、新日本プロレス旗揚げの翌年、1973(昭和48)年10月14日に蔵前国技館で行われた

「鉄人」ルー テーズ&「神様」カール ゴッチvs「燃える闘魂」アントニオ猪木&「世界の荒鷲」坂口征二

の一戦。

 

この試合に「世界最強タッグ戦」と命名したのは、ワールドプロレスリング解説でおなじみ、東京スポーツ新聞社の桜井(櫻井)康夫さんです。


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新日本プロレス最初の大一番

 

日本プロレスを離脱した坂口征二ら(坂口、小沢正志:キラー カーン、大城大五郎、ドナルドタケシ、木村聖裔:健悟)が新日本プロレスに合流したのが1973(昭和48)年4月1日。

NET(後のテレビ朝日)によるプロレス中継番組「ワールド プロレスリング」がスタートしたのが4月6日宇都宮大会

 

旗揚げ以来、経営難に喘いでいた新日本プロレスが、坂口とNETテレビという援軍を得て、最初の大勝負として挑んだのが、この蔵前大会でした。

 

命名者の櫻井さん曰く

「猪木、坂口の黄金タッグが復活したけど当時、それに見合う対戦相手がいない。そこでテーズとゴッチは?と私が提案したんですよ。最初はすごい金がかかるし、そんなのムリ、とひと言で片付けられたのですが、私が東スポの社長に話をして、結局東スポが金を出すことで実現したんです。東スポとしてはプロレスの復興に社運をかけたわけですよ。当時は団体が乱立して業界全体の人気が低迷しTVの視聴率も伸び悩んでいたという状況でしたからね。」

 

なんと、命名だけでなく企画も櫻井さんだったんですね!そして、東スポのスポンサードまで。この後、猪木のビッグマッチ、一世一代の大バクチの時には必ず、東スポの支援がありました。猪木には一世一代クラスのバクチが多すぎですし、東スポも社運賭けすぎです!(笑)

 

そして「この試合はプロレスで初めて国歌吹奏、国旗掲揚をやったんです。陸上自衛隊の音楽隊を呼んでね。テーズとゴッチが星条旗をまっすぐ見上げていて、それだけでシビレました。」(櫻井さん)

国旗掲揚&国歌吹奏は70〜80年代プロレス ビッグマッチの印象的なセレモニーでしたが、それもこの試合がルーツだったのですね。

 

現在のプロレスではテンポアップの観点から省かれてしまった儀式ですが、厳粛で権威が感じられて、私は好きでしたね…。

 


「世界最強タッグ戦」

 

1973(昭和48)年10月14日
東京 蔵前国技館
特別試合 世界最強タッグ戦/90分3本勝負
アントニオ猪木&坂口征二vsカール ゴッチ&ルー テーズ

特別レフリーはレッドシューズ ドゥーガン。「90分3本勝負」というのも時代を感じさせます。

 

この1973年時点で、テ―ズ57歳、ゴッチ49歳、猪木30歳、坂口31歳。

ルー テーズは前年の猪木vsゴッチ戦に感化され、引退を撤回して現役復帰。この試合に臨みました。

とはいえ、バリバリの「黄金コンビ」に比べ、テーズもゴッチも全盛期を遥かに越えた年齢です。

しかしながら、いざ試合になると、このベテラン「鉄人&神様」コンビのスゴさ、底知れない強さがいかんなく発揮されます。

2人は肌ツヤもよく、この年齢でこれだとしたら、全盛期はどれだけ強かったのだろう、と思います。

 


温故知新の「プロ・レスリング」

 

私がこの試合を初めて観たのは当然リアルタイムではなく、中学生の時(1980年代中盤)でした。

当時、世はUWFによる格闘技に近いスタイルが一世を風靡していたのですが、

 

このテーズ、ゴッチ2人の佇まいと技術を見て、UWFなんて言うまでもない、かつてのプロレスはこんなにも高い技術を持った達人による競技だったのか、と「ホンモノのプロレス」に驚きました。

 

80年代当時でさえ、普段見ている「プロレス」は進化というか退化というか、この1973年の試合に比べると劣化した試合ばかりだったのです。まさに温故知新。

 


1本目はテーズが伝家の宝刀バックドロップで坂口からフォール勝ち。そのキレは凄まじく、ノーモーションであの巨体を受け身の取れない軌道で投げ切る様は衝撃的です。

 

後に知ったところでは、テーズはこの試合の1週間ほど前にジャック ブリスコと試合を行い、右肩を脱臼したばかりの病み上がりだったのだとか。それゆえ、この時のバックドロップも本人的には、全然パーフェクトじゃない出来、なのだそうで…恐ろしいですね。

 

2本目は坂口が意地を見せ、ハイアングルのアトミック ドロップでテーズからフォールを奪い返し、1-1のタイ スコアに。

 

そして決勝の3本目は猪木がゴッチからゴッチ直伝のジャパニーズ レッグロール クラッチ ホールドでフォールを奪い、「黄金コンビ」が2-1で勝利

猪木vsゴッチでみるとシングルで1勝1敗、しかし猪木のゴッチからのフォール勝ちは、この時が初となりました。

両者の対決ではお馴染みの、猪木のキーロックを片手で持ち上げるゴッチ、というムーブも見られました。


 

この試合、坂口-テーズと猪木-ゴッチ、という役割分担がハッキリしています。

 

そしてタッグマッチながら、カットプレーがまったくありませんし、ロープワークも最小限。相手を振るのではなく、自身が反動を付けるのが本来のロープワークなのです。

 

坂口にはあまりそのイメージがありませんが、柔道界からプロレス入りした坂口が、最初にハワイでプロレスの手ほどきを受けたのはゴッチさんなのだとか。実際、この試合の坂口は猪木、テーズ、ゴッチの3者に引けを取らず、柔道からの転身であることを考えるとこの順応性はスゴイと思います。

 

逆にテーズ、ゴッチともに坂口のパワーに引けを取らないのもでもすごいです。

 

また、プロレスのテクニック、というと関節技にばかり目が向けられがちですが、

 

この試合ではスタンディングでのステップワーク、間合いの詰め方、そして立ち技からグラウンドへの移行の仕方、腕、首の取り方、体重移動、さらにはロープ際での“スニーキー“なヒジの使い方などなど、とにかく見所満載です。

 

4者ともに、常に相手から目を離さず、緊迫した試合となり、観客は固唾を呑んで見守ります。

 

猪木組の勝利!とは言うものの、セミリタイア組と現役バリバリ組の言わばエキシビション的な試合ですし、それにしても「鉄人&神様」コンビの底知れない強さが際立ちました。

 

それでもこの試合のクオリティの高さ、成功をきっかけに新日本プロレスは「ストロング スタイル」というブランドを確立。苦境を脱し、シンとの抗争による「第一次黄金時代」へと突き進んで行くのでした。

 

いまならNetでこの試合を観ることができます。まさにプロレスのお手本、教科書のような試合。

ぜひ一度、ご覧ください!

 

 

次回はアントニオ猪木と、鉄人 ルー テーズについてご紹介します!

 

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