「力道山」と「プロレス」はなぜ、戦後日本に大ブームを巻き起こせたのか?〜正力松太郎とCIA①

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よく語られるのは、

「大きなガイジンをバッタバッタとなぎ倒す力道山が、敗戦した日本国民の鬱屈した気分を晴らしたから」

といった理由ですが、

よく考えてみたら、不思議なことだらけです。

 

●そもそも力道山はなぜ「プロレス」を始めたのか?

●そしてその「プロレス」を、なぜテレビが中継したのか?

 

街頭テレビでの中継がなければ、あれほど多くの国民が熱狂することはなかった事は明らかです。

力道山の伝記などを読むと、プロレスを始めた経緯はわかります。

しかし、日本では未知の競技であるプロレスというものを、これまたスタート間もないテレビが取り上げ、パワープッシュしたのか、という「テレビ側から見たプロレスの価値」がずっと謎でした。

 

 


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力道山、出自の秘密

 

力道山は、日本統治下の朝鮮半島で朝鮮人の両親から生まれた朝鮮人です。

(これは今でこそ広く知られていますが、存命中はタブーでした。私の子どもの頃、70年代ごろまでは、あくまでも「長崎大村生まれの百田家に生まれた日本人」とされていた記述が多くありました)

当時、今よりも差別の激しかった時代にも関わらず、力道山は何故、あれほどの時代の寵児、大スターとなりえたのか?

 

私は長い間、それは彼の持つ天性のスター性(その人懐こい笑顔は実に魅力的で人たらしとも言われます)による、時の有力者のバックアップがあってのワザか、と納得しかけていたのですが、たまたま読んだ一冊の本で、その謎が解けた気がしました。

 

日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」 (新潮社)
有馬 哲夫

著者は早稲田大学教授。米国公文書館で「CIA正力ファイル」を発掘、公式には発表されていない日本テレビ設立の経緯を公表した一冊です。

 


正力松太郎氏

 

その名前はプロ野球ファンなら知っている、かつての読売新聞社主、東京讀賣巨人軍の初代オーナーです。

彼には他にも異名があります。「テレビ放送の父」そして「原子力の父」

 

この本で有馬氏は、米国公文書館で474ページにも渡るCIAの機密文書を読み解き、公表しました。

 

この本はそこらにある「陰謀論」の本とは違い、「ヘタな陰謀論よりスケールのデカイ真実」を明らかにしています。

ズバリ言って、この本を読んでいる人と読んでいない人では、メディアの役割についての捉え方が変わる、程のインパクトがあります。

 


 

詳しくはこの本を読んでもらいたいのですが、カンタンにポイントだけ記すと、

 

●正力松太郎氏は、米国CIAからコードネームで呼ばれる対日心理戦協力者だった

 

●「日本テレビ」は戦後、米国CIA、国防省、国務省などの肝いりで反共産主義プロパガンダとして日本に放送網を巡らすことを目的に設立された(なので「日本テレビ放送網」)

 

●米国は7年間のGHQによる軍事的占領後、サンフランシスコ講和条約により独立した日本に対して軍事的パワーによってではなく、心理情報戦略によって再占領を実施、占領状態を永続的に継続することを狙っていた

 

●正力松太郎氏によるテレビ普及策「街頭テレビ」「プロ野球中継」「アメリカ製ホームドラマ」「ディズニー番組」と並んで「プロレス中継」は、日本国民に反米感情を失わせ、親米感情を持つように、という役割があった

 

というのです。


◆プロレス、ディズニーとテレビジョン

 

これを知り、長年の私の疑問は解明された気がしました。

「プロレス」というのは実にテレビ的であり、ストーリーの描けるプログラムとして、プロパガンダに利用しやすいものだった、との指摘は、なるほど、と唸らされました。

 

朝鮮戦争後の韓国でも同様に、統治下の国民的娯楽として、力道山の弟子で朝鮮出身、馬場、猪木の兄弟子である「大木金太郎(本名 金一)」を力道山二世と襲名させ、テレビを使ったブーム作りが実施された、という歴史的事実もあります(ただし、大木に力道山程のスター性がなく、後ろ盾の朴正煕大統領が失脚した事で失敗に終わりました)。

旗揚げ間もないプロレス中継は日本テレビだけでなく、なんとNHKでも放送された程の人気番組でした。

NHK大阪放送局の実験放送期間中の1954年2月6日、全日本プロレス協会主催「マナスル登山隊後援・日米対抗試合」が大阪府立体育館からテレビ中継されており、これが日本最初のテレビによるプロレス中継といわれます。

 

しかし、日本におけるプロレス番組の牽引役は正力氏の日本テレビでした。

1957年に日本テレビが毎週土曜日夕方にプロレスの普及を図る目的の定期番組「プロレス・ファイトメン・アワー」を開始。
1958年8月29日から日本テレビ金曜夜8時枠で「三菱ダイヤモンド・アワー」(三菱電機 単独提供の日本プロレス独占中継レギュラー番組)を開始。

 

 

そして当初は、テレビ映画「ディズニーランド」との週代わり放送だったのです。

これなどは先の本にある「ディズニー番組とプロレス番組は親米化、反共プロパガンダ政策の一環」という記述を証明します。

 

ただし、これを持って「プロレスと力道山人気はCIAによって作られた!」という見方は狭すぎます。

 


◆プロレス人気爆発の理由

 

戦後、日本でプロレスブームが起こった理由としては

●開局まもないテレビでは番組のネタが不足し、当初は純粋なスポーツ中継として格好のコンテンツだった

●古くから日本人に親しまれてきた相撲や柔道に似ていて、それらより派手で単純に面白かった

●中でも力道山は突出して華があり、千両役者なので人気が爆発した

●テレビを普及させたいテレビ局、家電メーカーはキラーコンテンツとしての力道山をバックアップした

という流れだろうと思います。

 

事実、力道山が日本プロレスを旗揚げした時期はさまざまな団体が乱立しましたが、大した人気は得られず消滅していきました。

 

なので、決して力道山人気は作られたものではなく、本人の持つ天性のスター性があってこそ、なのですが、テレビ局、家電メーカー、そして正力松太郎氏やCIAから見ても大いに利用価値があり、それも加わって庇護を受け、力道山と日本プロレスは日本テレビと二人三脚で発展していった、と考えると、納得がいきます。

 


●アメリカ文化の体現者としての力道山

 

もう一つ、力道山という存在は、「華やかりしアメリカ」を体現する存在でもありました。

リーゼントスタイルの髪型、スーツを着こなし、頻繁に米国遠征に出かけ、ハワイで特訓し、血の滴るステーキを食べ、試合後にはサイダーを飲み、年下のスチュワーデスと結婚し、新婚旅行は世界一周。愛車は当時日本に数台しかないベンツ300SLガルウィング(力道山は石原裕次郎から譲って欲しいと頼まれ、別の300SLを探して斡旋したそうです)、マンションを経営(赤坂のリキアパート)し、余暇はヨットやゴルフを楽しむ…この時代の日本人からすると規格外のスーパースタァぶりで、そしてこれらはまさしく「憧れのアメリカン・ライフスタイル」を体現していたのです。

死後、闇社会とのつながりや酒乱、キレやすい性格など、なにかと悪いイメージばかりが強調される力道山ですが、こういった華やかで、大衆に支持された時期もあった、という点も含めて評価しないと、実像を見誤ると思います。

 


 

力道山の表裏社会とのつながりと、その私生活はロバート ホワイティング著「東京アンダーワールド 」(角川文庫)という本にも登場します。

こちらは戦後日本の裏社会の勢力分布とその暗躍を描いてまして、興味深いエピソード満載でオススメです。

 

次回は、正力松太郎氏と「原発」についてご紹介します。

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