「新日プロ マスカラス引き抜き計画」〜197X vs猪木はどんな戦いになったのか?


PR


今回は、アントニオ猪木とミル マスカラスについての考察です。

“仮面貴族““千の顔を持つ男“ミル マスカラスといえば、昭和 全日本プロレスで大人気を誇ったスター外国人レスラーの代表格
それ故にジャイアント馬場さんとの結びつきが強く、スタイルなどの意味でも猪木とマスカラスは最も遠い存在かもしれません。

しかし、アントニオ猪木率いる新日本プロレスは、密かにマスカラスの引き抜きを画策していました。

 


 

アントニオ猪木vsミル マスカラス シングルマッチ

 

ミル マスカラスが初来日したのは1971(昭和46)年2月、日本プロレスです。
当時はジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が人気爆発、No.2の猪木さんの人気と実力が、エース馬場さんに肉薄していました。

 

このシリーズ中にはアントニオ猪木さんとのシングルマッチも組まれました。この試合は、残念ながら映像が残っていません。

1971(昭和46)年3月6日 群馬県スポーツセンター
シングルマッチ 60分3本勝負

アントニオ猪木vsミルマスカラス

 

1本目をマスカラスがトップロープからのダイビングボディープレスで先取。
2本目は猪木さんがコブラツイストで取り返し、
決勝の3本目は猪木さんのリングアウト勝ち。

「2-1で猪木勝利」となっています。
試合後、マスカラスは潔く猪木の右手を高々と上げました。

 


 

マスカラスとBI砲

 

その後、マスカラスはもう1人の未だ見ぬ強豪 スパイロス アリオンと組んで、BI報のインターナショナル タッグ王座に挑戦。

この試合はダイジェストながら映像があります。

1972(昭和46)年3月2日 蔵前国技館
NWA認定インターナショナル タッグ選手権試合
60分3本勝負

ジャイアント馬場&アントニオ猪木
vs
スパイロス アリオン&ミル マスカラス

 

この試合の見どころは、なんといっても猪木さんとマスカラスの絡みです。

猪木さんはマスカラスの空中戦を真っ向から受け、自らもドロップキックやフライング ヘッドシザースといった飛び技で対抗します。
マスカラスもまた、得意のアマレス、ルチャのテクニックを駆使して、ポジションの取り合いや関節技などグラウンドでも引けを取りません。

  

 

1本目はマスカラスのフライング クロス アタックからのフライング ボディプレスで猪木さんがマスカラスにフォールを奪われます。

テレビ中継では導入されたての最新技術の「スローモーション」でこの攻防が何度もリプレイされ、マスカラスの美しい空中姿勢と、猛烈な受け身を取る猪木さんのコントラストが見事でした。

 

2本目は馬場さんが存在感を示します。同じくマスカラスの陰で目立たないスパイロス アリオンを集中攻撃。なんとコーナーポストから急降下フットスタンプ爆撃を決め、体固めで馬場さんがアリオンからフォールを奪い、1-1になりました。

決勝の3本目、またしても主役は猪木さんとマスカラスです。猪木さんは下から突き上げるドロップキックを放ち、トドメはアントニオ スペシャル卍固め。馬場さんもフォローに入りアリオンにジャイアント コブラの競演。

 

たまらずマスカラスがギブアップして、2-1でBI砲の完勝、タイトル防衛となりました。

 


 

馬場さんはマスカラスがキライ?

 

この試合で興味深いのが、スピーディーかつテクニカルな互いの良さを引き出し合い、立ち技でも寝技でもスイングした攻防を見せた猪木vsマスカラスに対し、馬場さんとマスカラスの絡みはぎこちなく、というより馬場さんがマスカラスを「格下扱い」に終始した点です。向き合った際にはサイズの違いを印象付けるように上から押さえつけたり、クロスチョップは16揉んで迎撃。マスカラスの気性と我の強さは有名ですが、それにしてもあまりにも冷たくないですか?というくらいのあしらいぶりで、嫌ってるかのような印象まで受けます。

 

そもそも、巨体至上主義の馬場さんからするとマスカラスのサイズ(身長180㎝)は物足りません

そして重厚な受けと信頼を信条とする馬場さんのレスリング スタイルからしても、トリッキーで自分ばかりをカッコよく見せたがるマスカラスは、気にくわないタイプなのです。

さらには眼前で猪木さんと、ここまで手が合うところを見せられては、なおさら意地でも合わせるわけにはいかなくなりました。

観客に対して「猪木と互角なマスカラスは、オレより格下」と示す必要があります。

 

場の空気を察知して自身のポジションを示す。これは馬場さんに限らず、一流レスラーにとって必要な「能力」なのです。

 


 

新日本プロレスのマスカラス引き抜き計画

 

その後、日本プロレスから猪木さんが抜け、馬場さんが抜け、マスカラスは1973(昭和48)年10月から全日本プロレスに参戦します。マスカラスはシリーズの目玉となる人気と知名度があり、全国各地の興行で「チケットが売れる」ガイジン レスラー。デストロイヤー、ジャンボ鶴田らとの試合で人気を博し、弟ドスカラスとのタッグではザ ファンクスとの兄弟対決など、昭和 全日本マットに大いに貢献しました。

しかし、思い返すとジャイアント馬場さんとの対戦はほとんど印象にありません。ほとんどがタッグ戦で、馬場さんの持つPWFへの挑戦機会もなかったことからも明らかで、

「マスカラスはあくまでも若い鶴田のライバルであり、自身の対戦相手ではない」

というのが馬場さんの考えでした(実際、馬場さんに近い関係者もそれを裏付ける発言をしています)。

 

一方のアントニオ猪木さん率いる新日本プロレスは、旗揚げ以来、ガイジン招聘ルートの弱さが悩みの種でした。なんとか自前でタイガー ジェット シンの発掘と育成に成功しましたが、シンが来日しないシリーズが問題です。この時期の猪木 新日本プロレスは対馬場、全日本プロレスなら手段を選ばずでしたし、チケットが売れるならどんなことで、人気、集客力から「マスカラスが欲しい」と考えるのはある意味、当然です。

猪木さんの側近である新間寿氏も「マスカラスを引き抜こうとしたことがある」と明かしています。

 

しかし、シンとの血を洗う抗争、ストロング小林や大木金太郎との大物日本人対決、ゴッチ、テーズやロビンソンとのテクニカルな試合、ルスカやアリとの格闘技戦を繰り広げる“燃える闘魂“アントニオ猪木と、空中殺法を武器に華麗なファイトの“アイドル“ミル マスカラスの組み合わせはミスマッチに感じる人が多かったのも事実。

 

私も猪木さん自身、マスカラスとの対戦は魅力に感じていないとばかり考えていました。

しかし、日プロ時代の感触が残っていれば、意外に猪木さん自身もまた、マスカラス招聘はやぶさかでなかったのではないかと。さらには、後にマスクド スーパースターを招聘し、タイガーマスクを生んだ事からも、マスカラス待望論はフロントの独り相撲ではなく、猪木さん自身の希望もあったのかもしれない、と考えるようになりました。

 

しかし結局、この画策は実現せず、「ミル マスカラスの新日本プロレス登場」は幻に終わります。来日前からゴング誌で一大プロモーションを張りマスカラスと親交の深かった竹内宏介さんは新間寿氏と盟友ではりましたが、日本テレビ「全日本プロレス中継」の解説者という立場もあり、「いくらなんでもそれはやめといた方が」となったのも無理もありません。

 


 

アントニオ猪木vsミル マスカラス、もし実現したら?

 

これはマスカラスが登場する時期によって、大きく結果が変わったと思います。

1970年代に実現していれば、シリーズの目玉として猪木さんはマスカラスをシンともう1人のライバルとして扱い、NWF選手権を賭けて何度も戦っただろうと思います。

事実、マスカラスは1978(昭和48)年、当時のWWWF王者スーパースター ビリー グラハムに挑戦。MSGに初めて登場したマスクマンとなりました。先代のビンス マクマホンにNYに移住を進められるほどニューヨークを主戦場としていて、3月20日の定期戦ではアンドレ ザ ジャイアント&ダスティ ローデスとトリオを組んでケン パテラ&ミスター フジ・プロフェッサー タナカ組と6人タッグマッチで対戦。この試合はなんと、当時WWFと提携していた新日本プロレス「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日)で放送されているのです。

タイミングとしては、この時期がチャンスでした。

 

それでは前者、1970年代にNWF選手権を賭けて両者が対戦した場合、どんな試合になっていたでしょうか。

私は予想に反して、白熱の好試合になった気がします。日本プロレス時代の対戦を見ても、この両者は意外に手が合うのです。マスカラスは大一番にはりきってグラウンドや飛び技を繰り出し、ライバルとして育てたい猪木さんはこれを受けまくって盛り上がる…

 

両者共に自身を強く見せる点では共通していますが、マスカラスになくて猪木さんにあるのは「受け」の技術です。結局、猪木さん次第で、マスカラスの扱いは大きく変ったことでしょう。最後はさすがに猪木さんが卍固めで勝利するでしょうが、数回の対戦中では時間切れを含む引き分けや、リングアウトでマスカラスが勝利、もあり得たと思います。

 

私としてはマスカラスはベビーフェースで猪木の敵役は似合わないので、正攻法の試合を何度か行った上で、タッグパートナーが最適だったと思います。猪木&マスカラスvsシン&上田なんて、勧善懲悪で盛り上がりそうですね(のちのバックランドやローデス、ホーガンのような立ち位置です)。

 

これがもし、1980年代以降であれば、WWFからのガイジンルートも確立していたことと、ジュニア王者の藤波さんがいますので、マスカラスと猪木さんとのシングルは数回で終わり、あとは藤波さん、そして初代タイガーマスクのライバルとしての起用になったでしょうが、ベビーフェイス同士の対決は盛り上がりませんので、こちらもパートナーとしての起用がベストな気がします。

それでもやがて発熱する日本人対決の渦の中で、徐々にお役御免になっていたでしょうね。

 

そういう意味で全日本プロレスから移籍したブッチャー、ブロディは時期が悪かった。マスカラスも移籍の時期を誤れば、散々な目に遭ったかもしれません。

 


ID:5083


PR


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です