「1.4事変」小川vs橋本 〜1999 東京ドーム ⑥最終回-総括

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「1.4事変」小川直也vs橋本真也

その①「対戦までの経緯」
その②「衝撃の試合展開」
その③「当時の私感」
その④「試合後の舞台裏ドキュメント」
その⑤「巻き起こした余波」

 

1999年「1.4事変」は橋本真也のプロレスラー人生に大きな狂いをもたらし、この後、彼は自らの新団体「ZERO-ONE」旗揚げ、エンターテイメント団体「ハッスル」参戦などを経て、2005年、若干40歳で非業の死を遂げました。(実はこの後の橋本真也の軌跡もまとめてあるのですが、あまりに膨大なボリュームのため、今回は割愛します)

 

今回は最終回として、「1.4事変」を私なりの結論をもって総括します。

 

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●あの日、なぜ小川vs橋本だったのか?

 

1999年1月4日東京ドームで小川直也の対戦相手が橋本真也であった理由。それはシンプルに「小川のデビュー以来の因縁の相手が橋本だったから」です。

 

ではなぜ、小川のデビュー戦が橋本と組まれたのか。

 

同じ柔道出身である、という理由であれば武藤でもよいのです。実際、グレートムタとして後に対戦していますが、武藤はムタとしてしか小川と向き合っていません。

 

やはりそれは、当時、橋本が新日の強さ、ストロングスタイルの象徴だったから、なのでしょう。

 

●猪木の怒り

 

あの1999年1・4の小川、というよりU.F.O.総帥 アントニオ猪木の狙いは「新日本プロレスとU.F.O.の抗争を再燃させ、長引かせる発火点とする事」でした。

 

そしてもう一つは、ドーム興行のためなら自分が忌み嫌う大仁田厚まで使う、長州・新日体制に冷や水をぶっかける事でした。

 

一方でアントニオ猪木も、ビートたけしや海賊男など観客を驚かすギミックは大好き。決して「アントニオ猪木の新日本プロレス・ストロングスタイル」とはガチガチの硬派一辺倒ではなく、観客の想像を超えて驚かせることです。それこそ武藤に言わせれば「猪木さんこそアメリカンスタイルじゃん」というところもあります。

 

ところが、猪木からすると「長州の新日はストロングスタイルではない」という理屈です。中でも長州が猪木なき後の起爆剤に選んだ大仁田の起用は、どうにも癪に触る出来事でした。

 

なぜ猪木がそこまで大仁田を嫌うのか。それは「相手にしたくもないほどのレベルだから」でしょう。「猪木が大仁田起用に怒っている」と言われる事すら頭に来るくらいに、全否定なのです。「あんなのと一緒にしてくれるな」という。

 

この時の猪木は、引退興行での売上とロス道場を退職金に、体良く追い出されて「もう運営に関わらないでください」とされた身とはいえ、まだ創始者兼大株主で、実質上のオーナーでした。

 

しかし新日を運営するのは坂口と長州。その2人は「(自分が立ち上げて苦労している)U.F.O.との対抗戦は受けないクセに、大仁田なんか使いやがるのか、俺への当てつけのつもりか、だったら小川も使え!」という理屈なのです。

 

嫉妬と蔑ろにされている事への怒りに燃える猪木が、手駒である小川直也を使ってなんらか爪痕を残すべく仕掛けてくる事は、ある意味では予想通りでした。

 

●小川の復讐

 

そして小川本人は、橋本にデビュー戦こそ華を持たせてもらいましたが、その後の再戦では頭部に危険過ぎる蹴りをくらい、失神KOされています。

 

猪木に「殺れ」と言われた小川からすると、橋本に「あの時の借りを返す」絶好の機会と感じたハズです。

 

かつて前田が長州の顔面を蹴飛ばして大怪我を負わせたのも、かつて若手時代にヒドい目に遭わされた(恥をかかされた)記憶があったからです。周囲は忘れていても、本人は決して忘れず、いつかどこかで復讐の機会を待っているものなのです。

 

●長州の目論見

 

そしてもう一方の新日側、現場監督である長州はどうでしょう。

 

長州からすれば、猪木を追い出し、子飼いである健介、永田らを用いて団体を展開する腹積もりでした。

 

その際に、コントロールしにくい武藤、蝶野、橋本の「闘魂三銃士」はなにかと目障りな存在でした。

 

腹心である馳がいる間は仲をとりもってくれましたが、その馳もよりによってライバル団体の全日に転身していなくなり、ますます長州と三銃士の溝は深まります。(それもネタに困って現役続行を希望する馳を無理やり引退させたからで、身から出た錆なのですが)

 

かねてから武藤、蝶野、橋本は長州の愛弟子である佐々木健介を格下扱い、レスラーとしての技量もハッキリ見下しており、勝った負けたのストーリーが組みにくい、というストレスも長年ありました。

 

しかし、武藤、橋本、蝶野がいないと興行人気は成り立ちません。

 

そしてこの中で、唯一本隊に属していたのが橋本でした。

 

さらに、アスリート気質の長州からすると、まるで練習をしない、グッドシェイプを保たない橋本は特に目の敵でした。

 

その橋本が、公開練習の件でついに公然と長州に歯向かいます。

 

長州のマッチメークを批判し「引退したんだから俺らに主導権を寄越せ」と言わんばかりに、「子飼いの健介ばかりエコ贔屓するな」「若い衆は皆俺についてくる」とまで言われたのです。

 

長州からすると、ついに堪忍袋の尾が切れた心境でした。逆らう者は制裁しなければ統率が取れなくなる、という大義もあります。

 

そこに、あの手この手でストーリーに絡んでくる猪木からの圧力がかかりました。

 

大仁田を上げる決断をくだした張本人である長州からすると、なんらかの生贄を差し出す必要に迫られます。「小川を使え、相手は橋本にしろ」という指名があったのかどうかはわかりませんが、これまでの経緯を考えれば、そうなるのが必然でした。

 

そして長州からしても「橋本はいっぺん恥かかされて、アタマ冷やした方がいい、そうしたら少しは大人しくなって…」という心境だったのでしょう。小川も橋本も自身がコントロールできない以上、双方潰れてくれても別に構いはしませんし、勝手にやれ、というくらいの感覚だったのではないでしょうか。

 

●橋本真也の立場

 

現場監督である長州と衝突し、このドームが終わったら無期限出場停止を受ける身でした。

 

新日マットで存在感を示すには、誰もやりたがらない小川戦を引き受けるしかありません。

 

小川は尊敬する猪木と佐山の寵愛を受け、自分自身は団体から守ってもらえるとは思えない立場。

 

わずかに親しくしている仲間達にセコンドを頼むくらいしか方法がありませんでした。

 

しかし橋本には「さすがの小川、U.F.O.もドーム大会という大きな舞台で、そこまで無茶な事はしてこないだろう」という読みの甘さがありました。

 

そのため、万が一、ガチでしかけられたらやり返す、という覚悟もないままに、リングに上がってしまいました。

 

プロレスという仕事はプロの世界であり、故意に怪我をさせたり、相手に恥をかかせたりしてはならない、という不文律があります。

 

その掟を破れば今度は自分が制裁されるか、プロモーターから干されるからです。

 

しかしこの場合、興行を仕切る立場の長州がその責務を放棄し、オーナーである猪木が仕掛けてくるという異常事態、橋本は少なくとも自身の商品価値を落とさない対処が必要でした。

 

しかし仕掛けられた橋本は動転し、さらにここで反撃してしまったら俺はいったいどうなってしまうのか、という心理で身動きがとれなくなってしまいました。

 

混乱を粛清するべく登場した長州を橋本が止め、試合後にマイクアピールしようとした橋本を長州がやめさせる、というのにそれが現れています。

 

●佐山聡の場合

 

試合前、猪木は小川に、
「橋本をぶっ殺してこい、ぬるま湯の新日の目を覚まして来い!」
と指令をくだします。

 

猪木は常々「リングの上では本気の怒りを見せろ」と言っていますし、そんな猪木の気性に慣れている佐山は「いつもの猪木さんの檄だな、まぁ橋本だからいいか、確かにそのくらいの覚悟でいかないとオーちゃんもダメだよな」くらいに受け取っていました。

 

しかし小川は違いました。「これはもう、そういう事をやらないと、俺が猪木さんに殺される」くらいに真面目に受け取ってしまいました。

 

試合前、あまりにテンパり気味の小川を見て、佐山は(会長は新日側には伝えてないんだろうな、ホントにやっちゃうのかな)と疑問に思いつつも、そうこうしているウチに、試合になってしまいました。

 

佐山はおそらく「オーちゃん、あんまりやり過ぎちゃダメだよ、あるとこまではやってもいいけど、プロレスだからね」的なことを小川に伝えたのかもしれませんが、もはや戦闘モードの小川はもはや聞く余裕もなかったでしょう。

 

●見切り発車で大混乱

 

そこから先は、試合前に起きたこと、リング上で起きたこと、試合後にあった出来事がすべてです。

 

橋本が、ガウンも着ずに、上半身にワセリンを塗りたくり、拳にテーピングをガチガチに巻いて入場して来ます。

 

小川は決意表明と、宣戦布告の意味を込めて、タブーである入場中にマイクを持ちます。

 

「橋本!死ぬ気があるならかかって来い!」

 

長州との一件以来、新日内部でも浮きまくっていた橋本は、もはやセコンドの安田くらいしか頼る者がいません。

 

気がつけばリング上は無法地帯となり、控え室で状況を見守って我関せずを貫く予定だった長州も、ここまで拗れたら興行責任者として介入を余儀なくされます。

 

一体なにがどうなって、どこまでがどう決まっているのか誰もわからない状態で、それぞれが素の状態で混乱の中にいました。

 

とりあえず、混乱の元である小川を引かせろ、と長州は新日勢に自らの態度で示します。

 

やられた本人である橋本は、長州にケツを拭かせる、貸しを作ることだけはして欲しくありませんが、この場を収められるのは長州しかいません。

 

この混乱の首謀者である猪木は、当に現場を離れ、遁走していました。

 

これが私が考える、1・4事変の真相です。

 

綿密な策略とか陰謀などではなく、とりあえず場当たり的に思いつきでやってみたものの、思った以上に小川がやり切ってしまったために、どうにもこうにも収まらなくなっただけ、そして橋本は、自らこうなる火種を知らぬ間に積み重ねてしまっていた、というところが悲劇でした。

 

ある意味で加害者であり、ある部分では巻き込まれた被害者である長州と佐山は「このくらいの試合は昔からあった、大したことじゃない」という主張で切り抜けようとしました。実際、新日マットの歴史からするとその通りなのですが、今回は舞台が大き過ぎ、やられた橋本が大物過ぎました。

 

小川はここまできたら「猪木さんに殺れと言われたから殺ったまで」というスタンスを貫き、開き直るしかありませんでした。

 

橋本は「あそこで俺がやり返していたら、事はもっと大きくなっていたから、受けるしからなかったんや」と自らを慰めますが、恥をかかされた怒りは収まらず、その怒りは小川ではなく猪木に向かいました。

 

猪木は、といえば「元はといえば言うことを聞かない新日が悪く、たとえ仕掛けられて反撃もできずただやられる橋本が情けない、やられたらやり返せない奴が悪い」というだけの話です。

 

●私にとっての「1.4事変」

 

90年代、ドーム興行を連発する坂口、長州体制下の新日は興行成績ではブームと呼べるものでしたが、長年、猪木新日プロを観てきた私からしたら、あまりに予定調和過ぎて物足りないものでした。

 

その最中に起こったこの「1.4事変」は、かつての昭和猪木新日を彷彿とさせる、刺激的でスキャンダラスな久々の大事件でした。

 

ちょうど自宅のPCからインターネットをやり始めた時期で、プロレスについてあれこれ交流する掲示板を見つけたばかりのタイミングという事もあり、とにかく連日大騒ぎして動向を見守り、あーでもないこーでもないと画面越しに語らった、思い出の事件でもあります。

 

特に試合後の大乱闘は、各関係者の素の姿と立ち位置、力関係や人間力まで露わになる点で、ものすごく面白いものだったのです。

 

「プロレスなんて八百長、打ち合わせしてるんでしょ?」としたり顔で言う人の気持ちもわかりますし、ある意味でその通りなのですが、そうではない事が起こる事もあるし、そうなった時の対処がまた見ものだったりするのです。この一件はプロレス本来の見方、面白さではありませんが、フェイクとリアルの狭間でリアルよりシリアスで、リアルよりシンドイ事をやってこそのプロレス、というのが私の見方です。

 

●猪木の橋本への言葉

 

最後に、橋本が逝去した6年後の、アントニオ猪木のこの言葉で締めくくります。

 

「まぁ、俺が言うとこういう言い方になっちゃうけど、彼は生前いい時も経験したわけだし、結果的にはいい人生を送ったんじゃないか、と思う。

 

実は6年前に彼が亡くなった時、俺はアメリカにいてね。知らせを聞いて、すぐに来日したかったけど、結局、俺が日本に着いた時にはすでに火葬されて骨になっててね。

 

だから、骨壷に向かって「元気ですかーッ!」て言いましたよ。

 

最近、その時の話を橋本の前の奥さん(和美さん)が話してたらしいね。

「あの時は、『いったいなんなんだ?ほかに言うことないのかな?』と思ったけど、いまになって思うと、橋本は喜んでるんじゃないかな」

って。

 

それはこの前、被災地に行った時もそうだったけど、俺だって最初はいつものように「元気ですかーッ!」と言っていいのか迷ってね。だけど、結果的には現地の方々から「言ってください」って言われたわけでしょう。

 

だから言葉っていうのは、場合によっては思いが伝わるのに時間がかかることもあるわけだから。」

 

コメント

  1. さねもく より:

    詳しい記事にとても面白く読ませて頂いたシリーズでした。格闘技であって興行、プロレスって光と闇が大き過ぎます。あの最強格闘家と言われた木村政彦でさえ、異変に対して格闘家の本能に切り替えきれなかった、プロレスの深い渦がそこにありますね。

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