「1999年のWWF(WWE)」①~WWEの歴史 & ”アティトゥード”とは何か?-WWE attitude era-

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元 新日本プロレス 中邑真輔選手の活躍や「アメトーク」での特集などで、世界最大のプロレス団体 WWE が注目を浴びています。

このWWE史上、最も熱く、面白かった時代、それが90年代後半からの”アティトゥード”時代(attitude era)と言われます。

 

私は1999年、渡米して当時この”アティトゥード”路線で人気絶頂だったWWF(現WWE)の興行を生観戦しました。

かれこれもう20年近く前になるんですね。。。

 

今回は、

①WWF(WWE)の歴史と”アティトゥード”時代(attitude era)とは? 

②WWF(WWF)NY MSG+ワシントンD.C.「RAW」 現地生観戦記 1999

をご紹介します!


 

■1999年のプロレス界

 

1999年。日本のプロレス界は年明け早々、橋本真也vs小川直也の不穏試合が起こり、ジャイアント馬場が逝去。大きな流れではPRIDEやK-1などの「格闘技ブーム」に押され、混迷の時代を迎えていました。

 

一方、海の向こうの本場アメリカでは、WWF(現WWE)とWCWの二大団体が激しい興行とTV視聴率戦争を繰り広げ、その人気が絶頂期を迎えます。

*WWE(World Wrestling Entertainment)は当時、WWF(World Wrestling Federation)を名乗っていましたが、同名の「世界自然保護協会(WWF)」との裁判に敗れ2002年5月5日に改称しました。そのため、本稿では当時の名称「WWF」と表記しています。


 

■WWF(現 WWE)の歴史

 

現WWE代表のビンス マクマホン氏は、私の年代の人の認識では「先代のシニアの息子、二代目(Jr.)」です。


▲左が先代のシニア氏、右が現オーナーのビンス(Jr.)

 

父親、ビンス マクマホン シニアの時代のいにしえのアメリカ マット界は、

●セントルイスを本部に世界最大の組織 NWA(National Wrestling Alliance)
●ミネソタ州からシカゴ、カナダなど北部を中心に活動する AWA(American Wrestling Association)
●東部ニューヨーク MSG(マジソン スクエア ガーデン)を拠点とするWWF

3つのプロモーター加盟団体が存在し、相互に暗黙の不可侵条約を結んでいました。

 

WWFは1963年にNWAから離脱してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を名乗った時期もありましたが、1979年からは再びNWAに加盟しWWFに改称。しかし、基本は「反主流(NWA)」ということで、日本マットではNWA主流派のジャイアント馬場率いる全日本プロレスではなく、同じ反主流派のアントニオ猪木率いる新日本プロレスと提携していたのです。

 

ちなみに・・・AWAは国際プロレスと提携していましたが国プロ崩壊後は新日本プロレスと提携。しかし総帥のバーン ガニアや王者ニック ボック ウィンクルは全日本プロレスにしか上がりませんでした。また、WWFのブルーノ サンマルチノもまた、馬場との友情で全日本のみに参戦していました。

 


 

■「1984」WWF全米侵攻作戦~Wrestle Maniaによる一大ブーム

 

ビンスJr.は不仲だったと言われる父親のシニア氏から1982年6月に株式を買い取り、AWA、新日本プロレスで頭角を現したハルク ホーガンを絶対的な団体エースに据え、1984年、テリトリーを無視した”仁義なき全米侵攻作戦”を開始します。

 

そして1985年3月、NYのMSGにて第1回レッスルマニア(Wrestle Mania)を開催。シンディ ローパー、NYヤンキース監督のビリー マーチン、モハメド アリら超豪華なゲストを迎え2万2千人の観衆と、当時のプロレス イベントでは異例の400万ドルの興行収益を上げ、「レスリング ルネッサンス」と称される一大プロレス ブームを巻き起こします。

さらに2年後のレッスルマニアⅢ(Wrestle Mania Ⅲ)ではホーガンVSアンドレ戦をメインに、ヒューストン シルバードームに当時の屋内観客動員レコードとなる9万3,000人の大観衆を集め、全米マット界での一人勝ち状態となります。

 

その後、1988~1992年頃はホーガン人気が高騰して現場から離れがちになり、ランディ サベージ、アルティメット ウォーリアー、シッド ジャスティス、ジ アンダーテーカーらが主役を担い人気を支えます(この時期、日米レスリングサミットSWSとの共催による東京ドーム興行が開催されました)。

 


 

■ステロイド、ドーピング問題からブレッド ハート時代へ

 

ところがこの時期、レスラーのアナボリック ステロイド(筋肉増強剤)によるドーピングが社会問題化し、FBIによる捜査が行われるなどWWFは逆風に見舞われました(最終的には証拠不十分で無罪判決)。

この事件によりWWFの主流はマッチョな筋肉マンレスラーから技巧・ナチュラル派の“ヒットマン”ブレット ハートに移ります。

ハートはレックス ルガー、ディーゼル(ケビン ナッシュ)、レイザー ラモン(スコット ホール)、ショーン マイケルズらとスピーディな名勝負を連発し、そして1993年からは月曜プライムタイムの全米生中継TV番組「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」→「RAW」に改称)がスタートします。

 


 

■WCWの反抗作戦、二大団体によるレスリングウォー勃発

 

一方、老舗のNWA派はWCW(World Championship Wrestling)に名称を変更し、WWF独り勝ち状態への反抗作戦を開始します。

「CNN」の設立者であるテッド ターナーの巨大資本をバックに、ホーガン、サベージなどかつてのWWFスーパースターを次々と引き抜き、ついにはWWFの「MONDAY NIGHT RAW」と同じ曜日、同じ時間帯で裏番組「マンデー ナイトロ(Monday Nitro)」をスタート。

全米キーTV局を巻き込んでの視聴率戦争:通称「マンデー ナイト ウォーズ(Monday Night War)」が勃発します。

 


 

■nWoムーブメント

 

WCWは1996年、WWFからスコット ホールとケビン ナッシュを引き抜き、そこにまさかのヒール転向したハルク ホーガンが加わり悪のユニット「nWo(new World order)」が結成、大人気となります。さらにはスティング、新人ゴールドバーグの大ブレイクも加わり、1996年6月から1998年4月までの間、83週連続で裏番組WWFの視聴率を上回る人気を獲得します。

*「nWo」は蝶野正洋が日本組織を結成。新日本プロレスでもグッズがバカ売れして経済効果43億円(1997年、電通調べ)ともいわれる大ブームを巻き起こしました。

 


 

■WWFの逆襲、”アティトゥード”路線とは -WWF attitude era-

 

WWFは人気絶頂のWCWに対抗して、1997年からHBK(The Heart Break Kid)ことショーン マイケルズとトリプルHを中心に結成した「D-X(D Generation-X)」による徹底した悪ノリ、お色気満載の超過激”アティトゥード”路線をスタートします。

 

1997年11月、善玉エースであったブレッド ハートのWCW移籍が決まると、ハートのベルトを地元カナダのモントリオールで団体側が謀略により剥奪する、世にいう「モントリオール事件」が起こります。これはプロレスにおける善玉vs悪玉の図式から、悪玉vs悪玉への歴史的転換点ともいわれ、後にドキュメンタリー映画「Wrestling with Shadows」(1999)にレスリング ビジネスの舞台裏までが赤裸々に描かれたことで高い評価を受け、プロレス ファン以外にも広く話題になりました。

この事件で世間から「悪のオーナー」というイメージがついたビンスはこれを逆手に取り、リング上で徹底的に観客のヒート(憎悪)を買うキャラクターを確立。これは育てた人気選手が次々と引き抜かれ、絶体絶命に陥ったビンスの「発明」とも言われています。なぜなら、オーナーである自身は絶対に引き抜かれないため、自分がリング上のストーリーラインの登場人物、それも悪の権化、ボスキャラになるしかなかった、という理由からです。

 

そして1998年。そのビンスの対立概念として登場したのが”ストーンコールド”スティーブ オースチンです。


 

■ビンスvsオースチン

 

1998年4月、ビンスとオースチンの抗争が始まると、悪のオーナーvsワーキング クラス(労働者階級)ヒーローの図式が大ウケし、オースチンは史上空前の人気者になります。

ビンスとオースチンの抗争はリング上だけでなく、控室やホテル、病院などあらゆる場所で勃発。ビール配送トラックでリングサイドに乗り付けてホースでビールを放射したり、駐車場でリムジンを破壊したり、ひき逃げしたり、ビンス自慢のオープンカーに生コンを注入したり、マイク タイソンを登場させたり・・・従来のプロレスの概念をぶっ飛ばす「事件」の数々が毎週、生放送され、WWF人気がWCWを上回り始めます。

悪ガキ軍団のD-Xは生放送中にライバル団体のWCWの会場に乗り込もうとしたり、CGでWCW本社ビルを爆破したり、やりたい放題で喝采を浴びます。

さらにはジ アンダーテイカーやショーン マイケルズ、自虐キャラのマンカインド(ミック フォーリー)が人気を博し、そこにニューフェイスのザ ロック(現在はハリウッドスターのドウェイン ジョンソン)、オリンピック金メダリストのカート アングル、WCWから移籍したザ ジャイアント(ビックショー)、クリス ジェリコらが活躍。

 

1999年、「RAW」は全米ケーブルTVの最高視聴率を叩き出し、全米に社会現象クラスの大ブームを巻き起こします。夏からは2大ブランド性を敷き「Smack Down!」の放送もスタートNasdaq(現在はニューヨーク証券取引所)への株式上場も果たし、WWF優位が確立されていきました。

 


 

●ビンスvsドナルド トランプ

 

ちなみに・・・もう少し後の時期ですが、2007年には現アメリカ大統領のドナルド トランプ氏がWWEのリングに登場。

当時、不動産王だったトランプ氏と、WWEのオーナー、ビンスの2人の大富豪が、双方代理選手を立てて戦わせて、負けたほうがツルッパゲにされる(両者ともにヅラ疑惑があったため)、という”バトル・オブ・ビリオネアーズ”が開催され、そのバカバカしさで全世界で話題になりました(結果はお約束でビンスが負け、本当にリング上でバリカンでツルッパゲに)。

 

後に大統領になったトランプ氏のあのスピーチやキャラはこの時のビンスの影響を受けたとも言われ、政権発足時にはビンスの妻リンダが中小企業庁長官に任命されるなど、友好関係が続いています。


 

▶次回は、1999年 現地生観戦記 をお届けします。

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