「8.26 プロレス夢のオールスター戦」〜1979.8.26 馬場と猪木、最後の共闘


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今回は、40年前の1979(昭和54)年8月26日に行われた、ジャイアント馬場とアントニオ猪木 最後の共闘。

昭和プロレス“夢のオールスター戦“をご紹介します!


 

●3団体による戦国絵巻、昭和のプロレス界

 

力道山亡き後、昭和の日本のプロレス界は3つのメジャー団体がしのぎを削っていました。

アントニオ猪木の新日本プロレス(NET:現テレビ朝日)

ジャイアント馬場の全日プロレス(日本テレビ)

そしてラッシャー木村、マイティ井上らの国際プロレス(TBS→東京12チャンネル:現テレビ東京)

3団体は日本全土で熾烈な興行戦争を続け、それはそのまま、各団体が専属契約を結ぶテレビ局同士のメンツをかけた視聴率戦争に直結していました。

 

その昭和プロレス史上でたった一度だけ、まさに「夢のオールスター戦」が開催されました。

それが伝説の「ハッテンニーロク」です。

 

正式名称は「東京スポーツ新聞社創立20周年記念 プロレス夢のオールスター戦」。その名の通り、プロレス報道で長年、全団体と持ちつ持たれつの深い関係にあった「東スポ」が、創立20周年記念イベントとして企画したものです。


 

●1979年の3団体

 

1979年のアントニオ猪木は、76年のアリ戦で背負った大借金を返済するため大車輪で奮闘中。ライバル タイガー ジェット シンを筆頭に、NWFヘビー級タイトルを賭けてダスティ ローデスやジャック ブリスコらと戦い、ボブ バックランドのWWF世界タイトルにも挑み、微妙な判定ですがタイトル奪取。さらには「格闘技世界一決定戦」でミスターX、レフトフック ディトン、キム クロケイドらと激闘を繰り広げていた年です。

 

一方の馬場も、自身のPWF王座を賭けてアブドーラ ザ ブッチャーやザ シークらと戦っていて、さらにはハーリー レイスのNWA世界ベルトを奪取(2度目)したのもこの年です。

 

国際プロレスは人気、視聴率共に後発の2団体の後塵を配し、テレビ中継も全国ネットのTBSから東京12チャンネルのローカル放送となり(1974 昭和49年)、当初は全日本プロレスと、この時期は新日本プロレスと提携して奮闘していました。

 

中でもこの当時のジャイアント馬場とアントニオ猪木は誰もが知る犬猿の仲。日本プロレスから独立以降、両者が率いる新日本プロレスと全日本プロレスは、冷戦下のアメリカとソ連、今でいうアメリカと中国みたいな緊張関係。猪木は事あるごとに執拗に馬場に対戦を迫り、馬場はことごとくこれを黙殺。猪木のNWA加盟を巡っても激しい鍔迫り合いを繰り広げ、両雄が同じリングに上がるのは「不可能」と言われた時代です。

 

そんな中、東スポは無理を承知でこの企画を進めます。当初は3団体共に「プロレス界の発展のため」という東京スポーツの趣旨に賛同し、「前向きに検討する」と約束しました。

 

しかし。

 

全プロレスファンの熱望する「馬場vs猪木」を巡り、当然のように紛糾します。

 

 


 

●難航する対戦カード、開催までの経緯

 

1979(昭和54)年6月14日、東京プリンスホテルで「夢のオールスター戦公式記者会見」が行われます。東京スポーツ新聞社 山本良太郎代表、高橋典義取締役編集長、新日本プロレス社長 アントニオ猪木、全日本プロレス社長 ジャイアント馬場、国際プロレス代表 吉原功氏の5名が揃い、8月26日、日本武道館での開催が正式に発表されました。

 

当然、主催の東スポはもちろん、なによりこの機に乗じて「ファンが待望している馬場戦を実現したい」猪木 新日プロサイドですが、「何しでかすかわからん猪木とはやりたくない」という馬場 全日プロ サイドは、歩み寄りようがありません。馬場はこれまでに散々、猪木にメディアを通じて口撃された事を引き合いに出し「猪木が過去のいきさつをクリアし、筋を通してくれることが参加の条件」と主張します。これは「これまでの猪木の非礼な発言をマスコミを通じて詫びろ、挑戦は金輪際しない、と確約しろ」というもので、当然、猪木は「信念に基づいた発言であり、馬場との対戦要求を取り消すことはできない」とこれを拒否。

 

東スポは個別に馬場、猪木と交渉を持ちますが、時間が経つにつれて開催すら危ぶまれる雰囲気になって行きました。それでは、と東スポは「馬場vs猪木の直線対決はまた次回にするとして、タッグ結成、BI砲復活ならどうだ」と提案しますが、それでも馬場は頑なな姿勢を崩しません。それくらい、馬場からすると猪木は信用ならん相手、許しがたい商売敵だったワケです。

 

すると猪木は「二階堂進コミッショナーに一任する」とパキスタン遠征へ。馬場もアメリカ遠征に出発。要は、この2人が対話するとメンツがあり話がまとまらないため、第三者が決めてよ、というポーズですね。ちなみに「二階堂コミッショナー」というのは新日が擁立していた自民党の大物代議士、二階堂進氏です。

 

7月4日、永田町の衆議院議員会館内で、二階堂コミッショナーと東京スポーツの本山社長の会談が行われます。当時の東スポによる”大本営発表”は「二階堂氏が『2人がいがみ合っていては日本プロレス界の発展の為にならず、日本プロレス界の発展の為にも2人のタッグを』と発言。これを受け本山社長がタッグ実現に向けて努力する事を約束。すぐさま両団体へ経過を報告し、馬場・猪木ともにこの案を了承。正式にメインでの馬場・猪木組のタッグマッチが決定した。対戦相手チームについては、ハガキによるファン投票(第1~第3希望チームを書いて投票)で決定する」となりました。

そして7月25日、銀座 東急ホテルで馬場、猪木、吉原の3代表会談が行われ、会談後の会見で主な対戦カードを発表。審判委員長に吉原代表が就く事も決定しました。

 

8月1日、ようやくオールスター戦の全カードが決定。発表されました。

  

 


 


 

●対戦カードと勝敗

 

改めてこの「オールスター戦」の対戦カード(と勝敗)を見ると、実に巧みに互いのプライドを尊重しながら、双方のメンツに配慮したもので、調整がさぞかし大変だっただろう、と感心します。

 

●第1試合は、3団体参加バトルロイヤル。

参加選手は、

新日プロから山本小鉄、魁勝司、小林邦昭、平田淳二、前田明、斉藤弘幸、ジョージ高野。

全日プロから渕正信、薗田一治、大仁田厚、百田光雄、肥後宗典、伊藤正男、ミスター林。

国際プロレスから鶴見五郎、高杉正彦、米村勉、デビル ムラサキ、若松市政。

試合前、山本小鉄は新日プロ勢に「全日プロの連中にだけは負けるなよ、ナメられるなよ」と檄を飛ばした、と言います。結果は、年長者の山本小鉄が、なんと大仁田厚からカナディアンバックブリーカーでギブアップ、優勝となりました。若き日の前田と大仁田が同じリングに居ただけでも事件ですね。

 

 

●第2試合は、新日プロの「前座の力道山」荒川真と、国際プロレスのスネーク奄美による「鹿児島選手権」。荒川がバックドロップからのヒップドロップで勝利しました。ちなみにスネーク奄美さんは翌1980(昭和55)年に脳腫瘍を患い、1981(昭和56)年に29歳の若さで亡くなりました。

 

 

●第3試合は、新日プロの星野勘太郎と国際プロレスのマイティ井上がタッグを組み、新日プロの木戸修、全日プロの石川敬士と対戦。「新日嫌い」で有名な井上は試合前は星野と目も合わさない様子でしたが、いざ試合が始まるとしっかりコンビネーションを見せ、結果は星野が同門の先輩、木戸からフォール勝ちでした。

 

 

●第4試合は6人タッグマッチ。新日プロの木村健吾、全日プロの佐藤昭夫、国際の阿修羅 原vs 新日プロの藤原喜明、永源遙と国際の寺西勇です。キャリアが浅く、軽量の原が捕まりますが、最後は原が寺西をピンフォール。この頃の藤原は地味で目立たない選手でした。

 

この第3、第4試合は対抗戦ではなく他団体の選手がタッグを組む形式で、決着はいずれも同門同士、となっています。

 

 

●第5試合もタッグマッチ。新日プロの長州力と国際のアニマル浜口がタッグを結成、全日プロのグレート小鹿、大熊元司組の“極道コンビ”と対戦します。後に「維新軍」で大将、副将となる長州と浜口はこれが運命の出逢いなのです…。結果は、急造タッグとは思えない長州組が活躍し、反則勝ちとなりました。

●第6試合は、団体対抗戦シングルマッチ。新日プロNo.2の坂口征二vs全日プロのロッキー羽田です。ロッキー羽田は天龍の覚醒前、全日プロ「第3の男」。天龍はこの時、海外遠征中で不参加でした。結果はキャリアでも格でも上の坂口がアトミックドロップで順当勝ち

この試合が実質、この日唯一の団体対抗戦。実は当初、坂口の相手は国際プロのグレート草津になる予定だったそうですが、草津は出場すらしていません。これは草津が負け役を拒否したからとも、馬場がかつて草津と会った際に対等の格を主張したことに激怒し干された、とも言われています。

 


 

●第7試合は、6人タッグマッチ。全日プロのジャンボ鶴田と新日プロの藤波辰巳、そしてミル マスカラスが”夢のアイドルトリオ”を結成。フリーのマサ斎藤、全日プロのタイガー戸口、高千穂明久(後のザ グレート カブキ)と対戦します。

トリプルドロップキックを決める華やか過ぎるスーパートリオと比べ、マサ、戸口、高千穂は見るからに地味です(笑)。結果はマスカラスが斎藤からフォール勝ちでした。高千穂は後のグレートカブキです。


 

●第8試合は対抗戦、シングルマッチ。国際プロレスのエース、ラッシャー木村が新日プロに移籍した元同門のストロング小林と一騎打ち。レフェリーは国際プロレスの遠藤光男氏です。団体エースでありながら1人だけメインイベントから外れたラッシャーに配慮してのセミファイナル。木村はこの時期、猪木への挑戦をブチ上げていましたので、その前哨戦という意味合いもありました。

 

結果は、木村の怪し過ぎるリングアウト勝ち。微妙な判定に館内は非難轟々、ブーイングの意味を込めた足踏みが起きたそうです。

 


 

●そしてメインイベント、第9試合はジャイアント馬場、アントニオ猪木vs アブドーラ ザ ブッチャー、タイガー ジェット シン。

馬場と猪木は日本プロレス以来8年ぶりの「BI砲」結成対戦相手は、ファン投票で決める、となっており、中間発表では、ドリーとテリーのザ ファンクスが1位、シン、ブッチャー組が2位、鶴田、藤波組が3位でした。(巻末にファン投票結果を掲載しますね)

 

ファンクスは日プロ時代、最後にBI砲からベルトを奪った因縁もあり、元NWA世界チャンプ兄弟で、知名度も人気も申し分ありません。しかし、ファンクスはだれが見ても「馬場 全日プロの選手」であり、猪木からすると1vs3。全日本プロレスとしても人気商品に猪木によって傷をつけられたくはありません。

 

馬場 猪木vs鶴田 藤波も確かに見たかったですが、格からして両者リングアウトというわけにもいきませんが、完全決着となると誰が誰からフォールを取るか、かなりややこしい話になります。

 

さらには、善玉vs善玉ですとファンも応援しにくく、せっかくのBI砲復活であれば、悪玉コンビが相手なのは正解だったと思います。シンとブッチャーは当時、双方共に団体の顔、トップヒール同士で初の顔合わせです。絵になる両者のタッグ結成は、大いに盛り上がりました。馬場とシン、猪木とブッチャーは当時、夢の対決でした。

問題は決着です。馬場が新日プロのシンを、同様に猪木が全日プロのブッチャーを押さえるワケにはいきません。普通に考えたら反則決着ですが、晴れのオールスター戦、ここはスッキリした決着が望ましいところ。となると、自ずと馬場がブッチャーから、もしくは猪木がシンから、となります。ここで動いたのは猪木でした。試合前、猪木は馬場に対して「オレに取らせてくれ」と頼み、馬場は渋々了解した模様。猪木は、シンの商品価値を下げないように一瞬のスキを突いた逆さ抑え込みでスリーカウント、勝利を収めました。

 

メインイベントのリングアナは新日プロの倍賞鉄夫氏。

入場順は、ブッチャー→シン、猪木→馬場。

開催宣言は二階堂 進コミッショナー(新日プロ側)、立会人としてPWF会長 ロード ブレアース(全日プロ側)。

メインレフェリーは全日プロのジョー樋口、サブレフェリーは新日プロのミスター高橋。

…というように、いちいち両団体のメンツに配慮したものになっています。

 

ちなみに、馬場のセコンドは大仁田厚、猪木のセコンドは荒川真、と両団体きっての「目立ちたがり屋」。2人は馬場、猪木の近くに寄り添いボディーガードを務めるフリをしながら「なんとかして写真に写ろう」と考えていたに違いありません。


 

●試合後、猪木が掟破りのマイク

 

試合後、猪木はマイクを掴み「馬場さん、次にリングで会う時は、戦う時だ!」とBI対決をアピール。馬場も「よし、やろう!」と応じ、抱き合います。

これにはプロレスファンは狂喜、遂に馬場vs猪木戦が実現か!となりますが…結局、実現しなかったのは皆さんご存知の通りです。

 


 

●「猪木コール」有名なエピソード

 

当時の新日プロ営業本部長であり猪木のマネージャーである新間寿氏は、「猪木の人気の方が馬場より上」とアピールするため、息子に小遣いを渡して友達を大量に動員して、「会場でイノキコールをやれ」と命じたそうです。それが後で馬場さんの知るところとなり露骨に嫌な顔をされた、というのは有名なエピソードです。

 


 

●幻のTV中継

 

プロレスファン待望のスーパービッグイベント「夢のオールスター戦」。しかし当時、TV中継はありませんでした。これは新日プロがNET(テレビ朝日)、全日プロが日本テレビとそれぞれ「他局には試合を放送させない専属契約がある」からなのです。

 

当時のNET「ワールドプロレスリング」プロデューサーの栗山満男氏の著書によれば、「NET側は猪木が日本テレビに出てもOKと社内で了解を取り、2局で同時生中継して盛り上げよう、と持ち掛けたが、日本テレビ側が馬場のNET出演を頑なに拒否した」とあります。日本テレビの頑なな態度には理由があり、かつての日本プロレス時代に「馬場の試合は日本テレビが独占する」という約束を日プロ幹部に反故にされ、結果的に「金曜夜8時」のプロレスアワーを後発のNETに持っていかれた、という浅からぬ遺恨があるからでした。

 

結果、日本テレビから「当日の模様は双方、スポーツニュース枠で3分以内の放送。武道館に自社の中継車を持ち込むことも禁止。持ち込み時は機材をバラして社名が分からないようにする」という過剰と思える申し出があったそうです。ところが・・・栗山氏曰く「NETは申し出通りに早朝からたった3分の放送のために機材をばらして持ち込みセッティングしたのに、日本テレビは開場30分前に中継車で乗り込んできた」そう。大ゲンカの挙句、栗山氏は「日テレの中継車を追い返し、当日の映像はNETのみが収録し、VTRを日テレに提供した」のだそうで。。。両団体の遺恨は、そのまま両テレビ局の意地とメンツを賭けた、まさに仁義なき戦いだったことを物語るエピソードですね。

 

この模様は当日夜のスポーツニュースで、NETは古舘伊知郎、日本テレビは倉持隆夫の両プロレス中継アナウンサーによる実況付きで3分間、放送されました。

 


 

●映像の現存は?

 

テレビ朝日のライブラリーに、古舘アナ実況、解説山本小鉄氏のノーカット映像が存在しています。YouTubeで海賊版が公開されているほか、久米宏さん時代のニュースステーションで突如、秘蔵映像として放送されたり、馬場逝去の追悼ニュースでもダイジェストがオンエアされました。

 

テレ朝の古舘アナが馬場の試合を、日テレの倉持アナが猪木の試合を実況したのはこれが最初で最期となりました。共にプロレスファンとして嬉しかったでしょうね…。

 

猪木vsアリ戦ノーカットが発売された現在、このオールスター戦映像のソフト化はファン待望となっています。

 


 

●たった一度、「真夏の夜の夢」

 

私は当時9歳。まだプロレスの見方もわからない時期で、この大会の意義も知らず、そもそもTV中継がないため、実施された事も後に雑誌で知りました。リアルタイムで体験した人は、さぞかし興奮したでしょうが、地方在住の人からすると日本武道館は遠い…。

  

 

後の多団体、対抗戦時代しか知らない人には分からないと思いますが、この時代、新日本プロレスvs全日本プロレスの全面対抗戦はどんな試合カードがいいか、勝敗はどうなるのか、すべてのプロレスファンが夢想したものでした。

 

そんな意味でも、この「夢のオールスター戦」はたった一度切りの夢幻、伝説なのです。


 

<おまけ>「8・26 夢のオールスター戦」BI砲との対戦相手ファン投票結果
(応募総数68,448通、無効316通)

  1位 アブドーラ ザ ブッチャー&タイガー ジェット シン組 41,193票
  2位 ドリー ファンク Jr.&テリー ファンク組 40,876票
  3位 ジャンボ鶴田&藤波辰巳組 34,405票
  4位 アブドーラ ザ ブッチャー&アンドレ ザ ジャイアント組 12,145票
  5位 ハーリー レイス&ボブ バックランド組 11,971票
  6位 アブドーラ ザ ブッチャー&ザ シーク組 9,681票
  7位 ハーリー レイス&ニック ボックウインクル組 8,637票
  8位 ジャンボ鶴田&坂口征二組 7,214票
  9位 アンドレ ザ ジャイアント&ボブ バックランド組 6,885票
10位 ビル ロビンソン&バーン ガニア組 5,612票
11位 ドリー ファンク Jr.&アンドレ ザ ジャイアント組 4,993票
12位 ビル ロビンソン&ミル マスカラス組 3,466票
13位 ジャンボ鶴田&ミル マスカラス組 3,008票
14位 ニック ボックウインクル&ボブ バックランド組 2,865票
15位 ハーリー レイス&ジャック ブリスコ組 2,710票
16位 坂口征二&ラッシャー木村組 2,609票
17位 タイガー ジェット シン&上田馬之助組 2,487票
18位 アンドレ ザ ジャイアント&ダスティ ローデス組 2,116票
19位 坂口征二&藤波辰巳組 1,879票
20位 アンドレ ザ ジャイアント&ザ シーク組 1,433票
21位 ハーリー レイス&アンドレ ザ ジャイアント組 1,284票
22位 ハーリー レイス&ドリー ファンク Jr.組 1,276票
23位 ビル ロビンソン&ボブ バックランド組 1,194票
24位 ボブ バックランド&ダスティ ローデス組 1,047票
25位 ドリー ファンクJr.&ビル ロビンソン組 1,045票
26位 ディック マードック&ダスティ ローデス組 985票
27位 アンドレ ザ ジャイアント&ミル マスカラス組 910票
28位 タイガー ジェット シン&ザ シーク組 883票
29位 ミル マスカラス&ボブ バックランド組 816票
30位 大木金太郎&キム ドク組 565票

 

 


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