「8.26 プロレス夢のオールスター戦」〜1979.8.26 馬場と猪木、最後の共闘

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今回は、1979(昭和54)年8月26日に行われた、ジャイアント馬場とアントニオ猪木、最後の共闘。 “8.26 プロレス 夢のオールスター戦“を取り上げます。

 

 

当時、犬猿の仲と言われた馬場と猪木の関係性から開催までの経緯、そして綿密に練られたマッチメイクと全試合結果、さらに中継を巡るTV局の暗闘など、空前の夢舞台の裏側を解析します。

 

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  1. 3団体による戦国絵巻、昭和のプロレス界
  2. 1979年の3団体
  3. 難航する対戦カード、開催までの経緯
  4. 対戦カードはどのように決まったのか
  5. <第1試合> 3団体参加バトルロイヤル
  6. <第2試合 20分1本勝負> 荒川真(新日) vs スネーク奄美(国際)
  7. <第3試合 20分1本勝負> 星野勘太郎(新日)&マイティ井上(国際) vs 木戸修(新日)・石川敬士(全日)
  8. <第4試合 30分1本勝負> 阿修羅 原(国際)& 佐藤昭夫(全日)& 木村健吾(新日) vs 永源遥(新日)& 寺西勇(国際)& 藤原喜明(新日)
  9. <第5試合 30分1本勝負> 長州力(新日)&アニマル浜口(国際) vs グレート小鹿&大熊元司(全日)
  10. <第6試合 45分1本勝負> 坂口征二(新日)vs ロッキー羽田(全日)
  11. <第7試合 45分1本勝負> 藤波辰己(新日)& ミル・マスカラス & ジャンボ鶴田(全日) vs 高千穂明久 & タイガー戸口(全日)& マサ斎藤(フリー)
  12. <第8試合 60分1本勝負> ラッシャー木村(国際)vs ストロング小林(新日)
  13. <第9試合 時間無制限1本勝負> ジャイアント馬場(全日) & アントニオ猪木(新日) vs アブドーラ・ザ・ブッチャー(全日) & タイガー・ジェット・シン(新日)
  14. 試合後、猪木が掟破りのマイク
  15. 「猪木コール」有名なエピソード
  16. 幻のTV中継
  17. 映像の現存は?
  18. たった一度の「真夏の夜の夢」

3団体による戦国絵巻、昭和のプロレス界

 

力道山亡き後、昭和の日本のプロレス界は3つのメジャー団体がしのぎを削っていました。

 

アントニオ猪木の新日本プロレス(NET:現テレビ朝日)

ジャイアント馬場の全日プロレス(日本テレビ)

そしてラッシャー木村、マイティ井上らの国際プロレス(TBS→東京12チャンネル:現テレビ東京)。

 

 

 

 

 

 

3団体は日本全土で熾烈な興行戦争を続け、それはそのまま、各団体が専属契約を結ぶテレビ局同士のメンツをかけた視聴率戦争に直結していました。

 

その昭和プロレス史上でたった一度だけ、まさに「夢のオールスター戦」が開催されました。

それが伝説の「ハッテンニーロク」です。

 

 

 

 

 

 

正式名称は「東京スポーツ新聞社創立20周年記念 プロレス夢のオールスター戦」。

 

その名の通り、プロレス報道で長年、全団体と持ちつ持たれつの深い関係にあった「東スポ」が、創立20周年記念イベントとして企画したものです。

 

会場の日本武道館には長蛇の列ができ、超満員札止めの熱狂ぶりでした。

 

  

 

 

  

 

1979年の3団体

 

1979年のアントニオ猪木は、76年のアリ戦で背負った大借金を返済するため大車輪で奮闘中。ライバル タイガー ジェット シンを筆頭に、NWFヘビー級タイトルを賭けてダスティ ローデスやジャック ブリスコらと戦い、ボブ バックランドのWWF世界タイトルにも挑み、微妙な判定ですがタイトル奪取。さらには「格闘技世界一決定戦」でミスターX、レフトフック ディトン、キム クロケイドらと激闘を繰り広げていた年です。

 

一方の馬場も、自身のPWF王座を賭けてアブドーラ ザ ブッチャーやザ シークらと戦っていて、さらにはハーリー レイスのNWA世界ベルトを奪取(2度目)したのもこの年です。

 

国際プロレスは人気、視聴率共に後発の2団体の後塵を配し、テレビ中継も全国ネットのTBSから東京12チャンネルのローカル放送となり(1974 昭和49年)、当初は全日本プロレスと、この時期は新日本プロレスと提携して奮闘していました。

 

中でも、この当時のジャイアント馬場とアントニオ猪木は誰もが知る犬猿の仲。

 

日本プロレスから独立以降、両者が率いる新日本プロレスと全日本プロレスは、冷戦下のアメリカとソ連、今でいうアメリカと中国みたいな緊張関係。

 

猪木は事あるごとに執拗に馬場に対戦を迫り、馬場はことごとくこれを黙殺。猪木のNWA加盟を巡っても激しい鍔迫り合いを繰り広げ、両雄が同じリングに上がるのは「不可能」と言われた時代です。

 

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そんな中、東スポは無理を承知でこの企画を進めます。当初は3団体共に「プロレス界の発展のため」という東京スポーツの趣旨に賛同し、「前向きに検討する」と約束しました。

 

しかし。

 

全プロレスファンの熱望する「馬場vs猪木」を巡り、当然のように紛糾します。

 

 

 

難航する対戦カード、開催までの経緯

 

1979(昭和54)年6月14日、東京プリンスホテルで「夢のオールスター戦公式記者会見」が行われます。

 

 

東京スポーツ新聞社 山本良太郎代表、高橋典義取締役編集長、新日本プロレス社長 アントニオ猪木、全日本プロレス社長 ジャイアント馬場、国際プロレス代表 吉原功氏の5名が揃い、8月26日、日本武道館での開催が、正式発表されました。

 

 

主催の東スポはもちろん、なによりこの機に乗じて「ファンが待望している馬場戦を実現したい」猪木・新日本サイドですが、「何しでかすかわからん猪木とはやりたくない」という馬場・全日本サイドとは、歩み寄りようがありません。

 

馬場はこれまでに散々、猪木にメディアを通じて口撃された事を引き合いに出し「猪木が過去のいきさつをクリアし、筋を通してくれることが参加の条件」と主張します。これは「これまでの猪木の非礼な発言をマスコミを通じて謝罪しろ、挑戦は金輪際しない、と確約しろ」というもの。

 

当然、猪木は「信念に基づいた発言であり、馬場への対戦要求を取り消すことはできない」とこれを拒否。

 

東スポは個別に馬場、猪木と交渉を持ちますが、時間が経つにつれて開催すら危ぶまれる雰囲気になって行きました。

 

それでは、と東スポは「馬場vs猪木の直線対決はまた次回にするとして、タッグ結成、BI砲復活ならどうだ」と提案しますが、それでも馬場は頑なな姿勢を崩しません。それくらい、馬場からすると猪木は信用ならん相手、許しがたい商売敵だったワケです。

 

すると猪木は「二階堂コミッショナーに一任する」とパキスタン遠征へ。馬場もアメリカ遠征に出発。要は、この2人が対話するとメンツがあり話がまとまらないため、第三者が決めてよ、というポーズです。

 

ちなみに「二階堂コミッショナー」とは、当時新日が擁立していた自民党の大物代議士、二階堂進氏です。

 

7月4日。永田町の衆議院議員会館内で、二階堂コミッショナーと東京スポーツの本山社長の会談が行われます。

 

当時の東スポによる”大本営発表”は・・・

「二階堂氏が『2人がいがみ合っていては日本プロレス界の発展の為にならず、日本プロレス界の発展の為にも2人のタッグを』と発言。これを受け本山社長がタッグ実現に向けて努力する事を約束。すぐさま両団体へ経過を報告し、馬場・猪木ともにこの案を了承。正式にメインでの馬場・猪木組のタッグマッチが決定した。対戦相手チームについては、ハガキによるファン投票(第1~第3希望チームを書いて投票)で決定する」

となりました。

 

 

 

そして7月25日、銀座 東急ホテルで馬場、猪木、吉原の3代表会談が行われ、会談後の会見で主な対戦カードを発表。審判委員長に吉原代表が就く事も決定しました。

 

 

そして8月1日。ようやくオールスター戦の全カードが決定。発表されました。

 

 

 

 

対戦カードはどのように決まったのか

 

対戦カードをマッチメイクしたのは、新日本プロレスのアントニオ猪木、全日本プロレスのジャイアント馬場の両巨頭。主催者側である東京スポーツから桜井康雄が調整役として参加しました。

 

 

本来であれば国際プロレスの吉原功社長もカード編成に加わるのが筋ですが、当時の新日本・全日本、そして主催の東スポから見ても国際プロレスは「オマケ」。吉原氏には審判員長という“名誉職”を与えられる代わりに、口出しすることは許されませんでした。

 

 

基本線は、猪木vs馬場を筆頭に、新日本と全日本のシングルでの直接対決はなし。両団体が売り出したい選手を挙げて、序列や力関係などを踏まえ、どちらかが得する・損するがないように、慎重に組み上げられました。

 

 

 

改めてこの「オールスター戦」の対戦カード(と勝敗)を見ると、実に巧みに互いのプライドを尊重しながら、双方のメンツに配慮したもので、調整がさぞかし大変だっただろう、と感心します。

 

<第1試合> 3団体参加バトルロイヤル

 

参加選手:

新日本 = 山本小鉄、魁勝司(北沢幹之)、小林邦昭、平田淳二、前田明、斎藤弘幸、ジョージ高野
全日本 = 渕正信、薗田一治(ハル薗田)、大仁田厚、肥後宗典、百田光雄、伊藤正男、ミスター林
国際 = 鶴見五郎、高杉正彦、米村勉(米村天心)、デビル紫、若松市政

 

第1試合は、東スポから「前田vs大仁田」案も出されますがNG。「各団体の所属全選手を出場させたい」という意向で、バトルロイヤルとなりました。

 

若手の中に古参の山本小鉄を入れたのは東スポ・櫻井氏の提案だったそうですが、その山本小鉄は試合前、新日プロ勢に「全日本の連中にだけは負けるなよ、ナメられるなよ」と檄を飛ばしたと言います。

 

結果、その山本小鉄が、なんと大仁田厚からカナディアン・バックブリーカーでギブアップを奪い、優勝。

 

 

いまとなっては、若き日の前田と大仁田が同じリングに居ただけで”奇跡”です。

 

 

<第2試合 20分1本勝負> 荒川真(新日) vs スネーク奄美(国際)

 

 

これは新日vs国際ですんなり決定。場を沸かせる“前座の力道山”荒川の技量が買われたのだと思いますが、奄美を抜擢したのは猪木と言われており、意外な気がします。結果は荒川がお得意の原爆固めでフォール勝ち。しかしながら関節を極められてもヌルヌルと脱出する奄美の“スネーク“ぶりに、驚きの声が上がりました。

 

ちなみにスネーク奄美さんは翌1980(昭和55)年に脳腫瘍を患い、1981(昭和56)年、29歳の若さで亡くなりました。

 

 

<第3試合 20分1本勝負> 星野勘太郎(新日)&マイティ井上(国際) vs 木戸修(新日)・石川敬士(全日)

 

 

当初、東スポは「星野vs井上」を提案しますが、互いに気が強く、試合が壊れることが懸念されてタッグ結成に。ここで馬場から入団したて・売り出し中の石川が挙げられ、ベテランの木戸が抑え役として起用されました。

 

「新日嫌い」の井上は、試合前に星野と目も合わさない様子だったそうですが、試合になるとそこはプロ。見事なコンビネーションも見せ、星野が同門の木戸からフォール勝ちを収めました。

 

<第4試合 30分1本勝負> 阿修羅 原(国際)& 佐藤昭夫(全日)& 木村健吾(新日) vs 永源遥(新日)& 寺西勇(国際)& 藤原喜明(新日)

 

 

馬場から売り出したい選手として佐藤の名が挙がると東スポは藤原とのシングルを提案。馬場は「佐藤を潰す気か!」とNGが出て、タッグマッチに。中堅どころの永源、健吾、寺西・・・に、新鋭・阿修羅 原が組み入れられました。国際としては原を売り出したく、もっと上の鶴田・藤波絡みのカードに組み込みたかったのでしょうが、相手にされませんでした。

 

 

 

<第5試合 30分1本勝負> 長州力(新日)&アニマル浜口(国際) vs グレート小鹿&大熊元司(全日)

 

 

東スポとしては「長州vs浜口」を実現させたかったようですが、馬場からNG。全日の看板タッグである小鹿&大熊の極道コンビの対戦カードが決まっていなかったため、長州と浜口が組み、タッグ戦となりました。

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東スポ・桜井氏は「だったら極道コンビvs星野&健吾組では?」と提案しますが、星野と小鹿が日プロ時代から犬猿の仲という理由でNGに。

 

結果は長州と浜口が急造タッグとは思えない活躍を見せ、反則勝ち。後に両者が「維新軍団」を結成するのはこの時、誰も想像すらしていませんでした。

 

 

<第6試合 45分1本勝負> 坂口征二(新日)vs ロッキー羽田(全日)

 

 

この日唯一の、新日vs全日のシングルマッチです。

 

当初、坂口の相手は当時「顔が似ている」と言われていた国際のグレート草津が予定されていましたが、草津が負け役を拒否してNGに。

 

馬場も「相手が坂口なら」、ということで全日の若手である羽田が抜擢されました。結果は坂口がアトミックドロップで順当に貫録勝ち。天龍は当時、海外遠征中で不参加でしたが、天龍がいたら果たしてこのカードがどうなっていたのか、興味があります。

 

 

 

ちなみに草津・・・。当日、草津は三島の自宅に引きこもり、付き人の高杉政彦が無理やり武道館に連れて来たものの、結局試合には出場せず。草津はかつて付け人を務めた馬場に偉そうな態度を取って逆鱗に触れており、日プロ所属時代もバトルロイヤルでいつも袋叩きにあっていたトラウマもあり、存在自体「なかったこと」のように扱われました。

 

 

<第7試合 45分1本勝負> 藤波辰己(新日)& ミル・マスカラス & ジャンボ鶴田(全日) vs 高千穂明久 & タイガー戸口(全日)& マサ斎藤(フリー)

 

この日、マッチメイクが一番難航した一つがこのカードと言われます。当然、東スポは「藤波vs鶴田」を提案。本人らもやりたい意向でしたが馬場からNG。馬場は2人のタッグ結成ですらOKしなかったそうです。

 

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馬場からすれば、「ジャンボをジュニアの藤波と同格に扱ってもらっては困る」だったのでしょう。

 

そこで東スポが、人気者で来日中のマスカラスを加えることを提案。夢のアイドル・トリオ結成となりました。

 

 

対戦相手はアメリカでタッグ経験もある斎藤と高千穂に、売り出し中の戸口に。馬場はこの機会に高千穂を帰国させて若手の指導役にしたい意向でしたが、高千穂にその意思はまったくなし。高千穂がグレート・カブキとして大ブレイクするのは、もう少し後の話です。

 

この日最大の見せ場は、夢のトリプル・ドロップキック。オールスター戦を象徴する名場面です。

 

 

 

<第8試合 60分1本勝負> ラッシャー木村(国際)vs ストロング小林(新日)

 

 

団体エースでありながら1人だけメインイベントから外れたラッシャーに配慮してのセミファイナル。対戦相手は、かつて国際を造反した“裏切り者”ストロング小林となりました。

 

経緯を考えれば危険なマッチメイクですが、それでも対戦がOKになったのは、小林、そして猪木戦に向けて身柄を引き受けた東スポ双方に、吉原社長への“禊”の意識があったのではないでしょうか。また、木村はこの時期、猪木への挑戦をブチ上げており、その前哨戦という意味合いもありました。

 

レフェリーは国際プロレスの遠藤光男氏。これが伏線でした。結果、木村の「怪し過ぎる」リングアウト勝ち。微妙な判定に館内は非難轟々、ブーイングの意味を込めた足踏みが起きたと言われています。

 

 

 

 

 

<第9試合 時間無制限1本勝負> ジャイアント馬場(全日) & アントニオ猪木(新日) vs アブドーラ・ザ・ブッチャー(全日) & タイガー・ジェット・シン(新日)

 

そして、メインイベント。馬場と猪木は、日本プロレス以来8年ぶりの「BI砲」結成。

対戦相手は「ファン投票で決める」となっており、中間発表ではドリーとテリーのザ・ファンクスが1位、シン&ブッチャー組が2位、鶴田&藤波組が3位でした。

 

ちなみに当時のファン投票結果はこちら。NWA、WWF、AWA世界王者やアンドレ、ロビンソン、マスカラスらの人気レスラーが票を集めました。別の機会で見てみたかったドリーム・タッグも結構あります…。

 

(応募総数68,448通、無効316通)

1位 ブッチャー&シン 41,193票
2位 ザ・ファンクス 40,876票
3位 鶴田&藤波 34,405票
4位 ブッチャー&アンドレ12,145票
5位 レイス&バックランド 11,971票
6位 ブッチャー&シーク 9,681票
7位 レイス&ニック8,637票
8位 鶴田&坂口7,214票
9位 アンドレ&バックランド 6,885票
10位 ロビンソン&ガニア 5,612票
11位 ドリー&アンドレ4,993票
12位 ロビンソン&マスカラス 3,466票
13位 鶴田&マスカラス 3,008票
14位 ニック&バックランド 2,865票
15位 レイス&ブリスコ 2,710票
16位 坂口&R木村 2,609票
17位 シン&上田2,487票
18位 アンドレ&ローデス 2,116票
19位 坂口&藤波 1,879票
20位 アンドレ&シーク 1,433票
21位 レイス&アンドレ1,284票
22位 レイス&ドリー1,276票
23位 ロビンソン&バックランド 1,194票
24位 バックランド&ローデス 1,047票
25位 ドリー&ロビンソン 1,045票
26位 マードック&ローデス 985票
27位 アンドレ&マスカラス 910票
28位 シン&シーク 883票
29位 マスカラス&バックランド 816票
30位 大木&ドク 565票

 

ファンクスは日プロ時代、最後にBI砲からベルトを奪った因縁もあり、人気・知名度も申し分ありません。しかし、ファンクスは今や「全日所属」。猪木からすれば1vs3ですし、全日本としても猪木に”傷”をつけられたくはありません。

 

 

さらに、馬場&猪木vs鶴田&藤波となると決着がさらにややこしい話になります。加えて、善玉vs善玉ではファンも応援しにくく、「せっかくのBI砲復活なら相手は最狂悪コンビ」の結論は、正解だったと思います。シンとブッチャーは当時、双方共に団体の顔、トップヒール同士で初のタッグ結成。馬場とシン、猪木とブッチャーは当時、「夢の対決」でした。

 

 

問題は、シンとブッチャーの意向でした。両者は共に団体は違えどライバル意識が強く、馬場は「ブッチャーはダメと言うだろうな」と漏らしていたと言います。しかし結果は両者ともにOK。シンはこの大舞台のメインを張れることにノリノリで、ブッチャーは特別ボーナスが出るなら、と“らしい”条件付きでした。

 

残るは決着です。馬場が新日本のシンを、同様に猪木が全日本のブッチャーを押さえるワケにはいきません。普通に考えたら反則決着ですが、晴れのオールスター戦、ここはスッキリした決着が望ましいところ。

 

となると、自ずと馬場がブッチャーから、もしくは猪木がシンから、となります。ここで動いたのが猪木でした。試合前、猪木は馬場に対して「オレに取らせてくれ」と頼み、馬場は渋々了解した、と言われています。

 

最大の難問であったマッチメークが終わると、馬場と猪木は会見でこれまでのギスギスがなかったように互いを尊重するコメントを連発。猪木が「雰囲気を掴むために、オールスター戦前に全日本プロレスのリングに上がろうかな」と言えば、馬場も「次のシリーズからでもどうぞ」と笑顔で返しました。

 

試合は開始前から大盛り上がり。

 

メインイベントのリングアナは、新日本の倍賞鉄夫氏。
入場順は、ブッチャー→シン、猪木→馬場。
開催宣言は二階堂 進コミッショナー(新日本サイド)、立会人としてPWF会長 ロード ブレアース(全日本サイド)。
メインレフェリーは全日本のジョー樋口、サブレフェリーは新日本のミスター高橋。

…というように、いちいち両団体のメンツに配慮したものに。

 

シンとブッチャーがスムーズな“悪の連携“を見せれば、

 

 

BI砲も2人がかりのアームブリーカー、

馬場はシンに16文、ブッチャーのお株を奪う凶器攻撃。

 

 

猪木はブッチャーの巨体をブレーンバスターで叩きつけ、延髄斬りを見舞います。

  

 

最後は、猪木がシンの商品価値を下げないよう、一瞬のスキを突いた逆さ抑え込みでスリーカウント。勝利を収めました。

 

ちなみに、馬場のセコンドは大仁田厚、猪木のセコンドは荒川真、と両団体きっての「目立ちたがり屋」。2人は馬場、猪木の近くに寄り添い、ボディーガードを務める・・・フリをしながら「なんとかして写真に写ろう」と考えていたに違いありません。

 

 

試合後、猪木が掟破りのマイク

 

試合後、猪木はマイクを掴み「馬場さん、次にリングで会う時は、戦う時だ!」とBI対決をアピール。馬場も「よし、やろう!」と応じ、抱き合います。

 

  

 

これにはプロレスファンは狂喜、遂に馬場vs猪木戦が実現か!となりますが…結局、実現しなかったのは皆さんご存知の通りです。

 

馬場はこの猪木のスタンドプレーに、「だからアイツは信用できないんだよな・・・」との思いを強くしたことでしょう。

 

 

 

「猪木コール」有名なエピソード

 

当時の新日プロ営業本部長であり猪木のマネージャーである新間寿氏は、「猪木の人気の方が馬場より上」とアピールするため、息子に小遣いを渡して友達を大量に動員して、「会場でイノキコールをやれ」と命じたそうです。

 

 

それが後で馬場さんの知るところとなり露骨に嫌な顔をされた、というのは有名なエピソードです。

 

 

幻のTV中継

 

プロレスファン待望のスーパービッグイベント「夢のオールスター戦」。しかし当時、TV中継はありませんでした。これは新日プロがNET(テレビ朝日)、全日プロが日本テレビとそれぞれ「他局には試合を放送させない専属契約がある」からです。

 

  

 

当時のNET「ワールドプロレスリング」プロデューサーの栗山満男氏の著書によれば、「NET側は猪木が日本テレビに出てもOKと社内で了解を取り、2局で同時生中継して盛り上げよう、と持ち掛けたが、日本テレビ側が馬場のNET出演を頑なに拒否した」とあります。

 

 

日本テレビの頑なな態度には理由があり、かつての日本プロレス時代に「馬場の試合は日本テレビが独占する」との約束を日プロ幹部に反故にされ、結果的に「金曜夜8時」のプロレスアワーを後発のNETに持っていかれた、という浅からぬ遺恨があるからでした。

 

結果、日本テレビから「当日の模様は双方、スポーツニュース枠で3分以内の放送。武道館に自社の中継車を持ち込むことも禁止。持ち込み時は機材をバラして社名が分からないようにする」という過剰と思える申し出があったそうです。

 

ところが・・・栗山氏曰く「NETは申し出通りに早朝からたった3分の放送のために機材をばらして持ち込みセッティングしたのに、日本テレビは開場30分前に中継車で乗り込んできた」そう。大ゲンカの挙句、栗山氏は「日テレの中継車を追い返し、当日の映像はNETのみが収録し、VTRを日テレに提供した」のだそうで。。。両団体の遺恨は、そのまま両テレビ局の意地とメンツを賭けた、まさに仁義なき戦いだったことを物語るエピソードです。

 

この模様は当日夜のスポーツニュースで、NETは古舘伊知郎、日本テレビは倉持隆夫の両プロレス中継アナウンサーによる実況付きで3分間、放送されました。

 

 

 

映像の現存は?

 

テレビ朝日のライブラリーに、古舘アナ実況、解説山本小鉄氏のノーカット映像が存在しています。

 

YouTubeで海賊版が公開されているほか、久米宏さん時代のニュースステーションで突如、秘蔵映像として放送されたり、馬場逝去の追悼ニュースでもダイジェストがオンエアされました

 

テレ朝の古舘アナが馬場の試合を、日テレの倉持アナが猪木の試合を実況したのはこれが最初で最期となりました。共に「プロレスファンとして嬉しかった」と語っています。

 

猪木vsアリ戦ノーカットが発売された現在、このオールスター戦映像のソフト化はファン待望となっています。

 

たった一度の「真夏の夜の夢」

 

私は当時9歳。まだプロレスの見方もわからない時期で、この大会の意義も知らず、そもそもTV中継がないため、実施された事も後に雑誌で知りました。リアルタイムで体験した人は、さぞかし興奮したでしょうが、地方在住の人からすると日本武道館は遠い…。

 

 

後の多団体、対抗戦時代しか知らない人には分からないと思いますが、この時代、新日本プロレスvs全日本プロレスの全面対抗戦はどんな試合カードがいいか、勝敗はどうなるのか、すべてのプロレスファンが夢想したものでした。

 

そんな意味でも、この「夢のオールスター戦」はたった一度切りの夢幻、伝説なのです。

 

 

 


 

 

 

 

 

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