「MSGタッグ リーグ戦」 〜1980-1984 新日本プロレス 年末タッグの祭典

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今回は、全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」(詳しくはコチラ)に対抗して1980年から1984年まで開催されていた、新日本プロレス「MSGタッグ リーグ戦」をご紹介します!

 

全日プロに比べ、新日プロはシングル戦のイメージが強く、タッグ リーグ戦はイマイチ、と言われていましたが…

 

この時期のタッグリーグ戦はいま見ると、なかなかどうして豪華な顔ぶれで、実際、非常に面白かったのです。

 

タイトルの由来は、当時提携していたWWFの総本山、ニューヨークのマジソン スクェア ガーデンから。毎年春にシングルのリーグ戦である「MSGリーグ戦」(1978〜1982)、そして年末がこの「MSGタッグリーグ戦」というのが、IWGP誕生前の新日本プロレスの定番でした。

 


 

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■1980(昭和55)年 第1回大会

アントニオ猪木&ボブ バックランド 34点 優勝
スタン ハンセン&ハルク ホーガン 32点
アンドレ ザ ジャイアント&ザ ハングマン 26点
タイガー ジェット シン&上田馬之助 24点
坂口征二&ストロング小林 20点
藤波辰巳&木村健吾 15点
ウィリエム ルスカ&バッド ニュース アレン 10点
長州力&星野勘太郎 9点
ジョニー パワーズ&オックス ベイカー 0点

 

アントニオ猪木はWWF王者ボブ バックランドと「帝王コンビ」を結成。新興パワーコンビのスタン ハンセン&ハルク ホーガン組を破り、優勝しました。

この頃のアンドレは決まったパートナーがおらず、ヘタに強い選手と組ませると全勝優勝してしまい面白くないため、いつも雑魚キャラと組まされるのが定番。このザ ハングマンは元スーパー デストロイヤー。フランス語が話せるのもアンドレのパートナーの必須条件でした。ちなみにこのザ ハングマン、田中リングアナが「コールしにくい選手」として挙げてましたね。

 

この当時、坂口と長州が北米タッグ王者。長州はコンビ結成が予定されていたキラー カーンが多忙で帰国できずベテラン星野勘太郎と、坂口はかつての盟友ストロング小林と、それぞれコンビ結成となったのだそうです。

 

また、前NWFチャンプ ジョニー パワーズとオックス ベイカーの「妖気コンビ」は仲間割れで途中棄権…とされていますが、実態は塩試合ぶりに激怒した猪木が強権発動して強制帰国させたのだとか。この時期の新日プロはリングの中が過激です。

 


 

■1981(昭和56)年 第2回大会

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14671424

▲次期シリーズ予告。古舘アナに次ぐNo.2、保坂アナです!

 

アンドレ ザ ジャイアント&レネ グレイ 38点 優勝
アントニオ猪木&藤波辰巳 36点
スタン ハンセン&ディック マードック 36点
タイガー戸口&キラー カーン 23点
坂口征二&木村健吾 20点
ラッシャー木村&アニマル浜口 18点
長州力&谷津喜明 16点
パット パターソン&バッドニュース アレン 11点
サモアンズ1号&2号 5点
エル カネック&スーパー マキナ 4点

 

前年度優勝のバックランドがスケジュールの都合がつかず、猪木はヘビー級に転向したばかりの藤波辰己と「師弟コンビ」結成。

スタン ハンセンはディック マードックと「テキサス ロングホーンズ」を結成。

ほかにも坂口と健吾、維新軍結成前の長州と谷津のアマレス コンビはぐれ国際軍、カーン&戸口組やメキシコ勢など、なかなかの顔触れです。

 

最終戦、リーグ戦首位がアンドレ&グレイ組、2位は師弟コンビとハンセン&マードック組が同率で優勝戦進出決定戦となりました。

決定戦は両者リングアウトからの延長戦でマードックが藤波にブレーンバスターを狙ったところに猪木がドロップキック。そのまま藤波が丸め込み殊勲のピンフォール。

 

師弟コンビvsアンドレ組の優勝戦では猪木がグレイにつかまり、藤波がアンドレに18文からジャイアント プレスの必殺フルコースで圧死。老獪なグレイがフランス語でアンドレをコントロールし、アンドレ組の優勝となりました。

 

ちなみにハンセンは、このシリーズ後に全日本プロレスへ移籍してしまうのです…。優勝決定戦は大阪でしたが、その2日前の蔵前大会で、ハンセンはローラン ボックと夢のコンビを結成。選手コール時に、トレードマークのテンガロン ハットを客席に投げ入れました。それが新日プロへの惜別の意思だった、と判明するのは1週間後のことでした…。

 


 

■1982(昭和57)年 第3回大会

アントニオ猪木&ハルク ホーガン 28点 優勝
キラー カーン&タイガー戸口 23点
坂口征二&藤波辰巳 22点
アンドレ ザ ジャイアント&レネ グレイ 20点
ディック マードック&マスクド スーパースター 21点
アドリアン アドニス&ディノ ブラボー 9点
エル カネック&ペロ アグアヨ 4点
ウェイン ブリッジ&ヤング サムソン 0点

 

スタン ハンセンがいなくなったこの年、猪木はホーガンとタッグ結成。2度の欠場など体調不良の中、前年度優勝を逃し、なにがなんでも優勝したい、またホーガンをハンセンに変わる新エースに育てたい、という猪木の意向による抜擢でした。

藤波に叛旗を翻した長州はラッシャー木村とのコンビ結成でエントリーが予定されていましたが拒否して米国遠征に出たため、不参加です。

 

この年はダークホース、タイガー戸口&キラー カーンが大活躍。猪木組にリングアウト勝ちして坂口&藤波組に1点差で決勝進出。首位の猪木&ホーガン組との優勝決定戦となります。

戸口とカーンは優勝決定戦でも大暴れ。猪木組を圧倒しあと一歩、まで追い詰めますが、最後はアックスボンバーと延髄斬りの豪華な競演から猪木が戸口を卍固めで捕らえギブアップ勝ち。猪木&ホーガン組の優勝となりました。

 

マードック&スーパースターも良いタッグチームでしたが、アドニス &ブラボーはイマイチ(ブラボーが)。どこかの年で、マードック&ローデスのアウトローズと、アドニス&オートンのマンハッタンコンビが参加していたら、めちゃくちゃ面白いリーグ戦になっていたでしょうね…。

 


 

●1983(昭和58)年 第4回大会

アンドレ ザ ジャイアント&スウェード ハンセン 32点
アントニオ猪木&ハルク ホーガン 28.5点 優勝
ディック マードック&アドリアン アドニス 27.5点
長州力&アニマル浜口 26.5点
藤波辰巳&前田明 24点
キラー カーン&タイガー戸口 16.5点
坂口征二&木村健吾 14点
ボビー ダンカン&カート ヘニング 5点
オットー ワンツ&ウェイン ブリッジ 5点

 

この年、衝撃の6.2蔵前、第1回IWGP優勝戦での「舌出し失神事件」の因縁浅からぬ猪木とホーガンはコンビ解消と誰もが思いましたが、ディフェンディング チャンピオンとして2年連続でエントリー。

 

藤波&前田のニューウェーブコンビ、長州&浜口、マードック&アドニスなど強力コンビが揃います。

 

アンドレがコンビを組んだスウェード ハンセンは省略すると新聞などに「S ハンセン」と書かれ勘違いする人続出。しかしこのハンセンはマードック組の場外ツープラトン パイルドライバーで負傷欠場に追い込まれ、アンドレ組は首位にも関わらず決勝を辞退。

猪木&ホーガンはコンビネーションでギクシャクしながらも首位を保ち、公式戦で敗れたマードック&アドニス組との優勝決定戦となり、猪木&ホーガン組が2連覇達成。

 

ホーガンはこのシリーズ帯同中、ビンス マクマホン(jr.)にWWF「全米侵攻作戦」のエースとして白羽の矢を立てられWWFと専属契約を交わします。そして、帰国後の翌1984年1月23日、MSGでアイアン シークを下しWWF世界ヘビー級チャンピオンとなりました。

ハルク・ホーガン、WWF戴冠直後の来日

▲ホーガンのWWFベルト戴冠を伝える古舘アナ


 

■1984(昭和59)年 第5回大会

ディック マードック&アドリアン アドニス 23点
アントニオ猪木&藤波辰巳 22.5点 優勝
アンドレ ザ ジャイアント&ジェリー モロー 21.5点
坂口征二&木村健吾 13点
タイガー戸口&ケリー ブラウン 8点
ストロングマシーン1号&2号 8点
ハルク ホーガン&ワイルド サモアン 0点

 

この年、UWFとジャパンプロレス勢の大量離脱で参加メンバーも一気に寂しくなりました。

さらに、開幕直前に本大会に参加するため来日したダイナマイト キッド&デイビーボーイ スミスの「ブリティッシュ ブルドッグス」が全日本プロレスに引き抜かれ、空港で強奪されて「世界最強タッグリーグ戦」に出場する、という前代未聞の大事件が起こります。

UWFについてはコチラ>

ジャパンプロ大量離脱事件はコチラ>

 

さらにさらに。シリーズ目玉のホーガンは開幕戦のみ出場したものの以降は欠場して電撃帰国。表向きは負傷を理由にしていましたが、既にWWFの大エースの身。本国アメリカでのスケジュール優先なのは明らかでした。

 

まさに踏んだり蹴ったりの中行われたリーグ戦は、久々となる猪木&藤波の師弟コンビ、マードック組、アンドレ組の3組が争い、アンドレ組が伏兵マシン組に敗れ脱落。アンドレのパートナーは元国際プロレスで「稲妻二郎」として活躍した旧知のモローでした。

 

優勝決定戦は首位マードック組vs2位の師弟コンビとなり、リング外のゴタゴタを吹き飛ばす素晴らしい試合内容に。師弟コンビが大逆転で初優勝して、存続すら危ぶまれていた新日本プロレスの牙城を首の皮一枚で守りました。この試合は「マードック」編でもご紹介しています。>詳しくはコチラ

 

長く蜜月関係にあったWWFと新日本プロレスの提携はこの時期からビンスjr.が実権を握りギクシャクして来まして、年末恒例の「MSG」を冠したタッグリーグ戦は、この年で終了となってしまいました。

 


●ホーガン躍進の原点

 

1982、1983の2年連続でアントニオ猪木とタッグを組み、そのテクニックとインサイドワークを真近で学び、そして盗んだホーガンは、1983年の第1回IWGP優勝、そして1982年、1983年のこのMSGタッグ リーグ戦優勝を確固たる実績と自信として、その後の全米侵攻から始まるWWF(WWE)大躍進の立役者、グローバル クラスのスーパースターとなりました。

>WWF全米侵攻作戦についてはコチラ

 

猪木は、ホーガンを敵として戦って育てたシンやハンセンとは異なり、タッグ パートナーとして育成したのです。

 

歴史に「if」はありませんが、あの時、猪木がホーガンと組まず、藤波、前田らを後継者として育成していたら…その後のプロレスの歴史は大きく変わっていた…かもしれません。

 


■「スターサイクル」

 

最強タッグの「オリンピア」と違ってこのシリーズのテーマ曲というわけではありませんが、

当時の新日本プロレスでは「次期シリーズ」紹介時にこのジェフ ベックの名曲「スターサイクル」が使用されていました。

第4回MSGシリーズ 予告

クラプトン、ペイジと並ぶ「世界三大ギタリスト」ベックが1980年6月にリリースしたアルバム「THERE AND BACK」のオープニングチューン。

来日公演でこの曲が日本でだけ異様に盛り上がるのをご本人が不思議がった、という逸話を聞いたことがあります。

 


●新日本プロレス タッグリーグの歴史

 

〇MSGタッグ リーグ戦(1980〜1984)の後、

〇IWGPタッグ リーグ戦 (1985)

〇ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦(1986〜87)

〇SUPER GRADE TAG LEAGUE(1991〜98)

〇G1 TAG LEAGUE(1999〜2011)

と名称を変え、

〇WORLD TAG LEAGUE(2012〜

となり、現在も続いています。

 

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