「UWF」とは何だったのか?~②新日プロUターン/前編


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●新日プロUターン

 

UWF勢の新日Uターン(当時の古館アナ調で言えばカンバック・サーモン)は85年の年末。両国国技館の新日プロのリングに上がり、藤原、木戸、高田、山崎らを代表してスーツ姿で挨拶したのは若干26歳の前田日明でした。

「1年半UWFとしてやってきたことが何であるかを確かめに来ました」

 

当時中3の私からすると納得の元サヤというか、前田たちがまたテレビで観られるところに戻ってきてくれて良かった、というか、佐山がいなくなった今、これが一番いい選択、との思いでした。

 

そして翌1986年新春シリーズから始まったのは、アントニオ猪木への挑戦権を賭けた「UWF代表者決定リーグ戦」。これには新日プロとの対抗戦を期待した私は肩すかしをくらいました。約一カ月、仲間同士での潰し合いリーグ戦を勝ち抜いたのは予想通り前田と藤原。てっきり前田が勝ち、ついにアントニオ猪木と一騎打ち!と期待しましたが…これまた裏切られ、藤原に軍配が上がります。「藤原に足首を極められた前田がギブアップした直後、藤原は前田のスリーパーで締め落とされた」というのはよくできたシナリオでしたが、前田はどういう心境なのだろう、と気になりました。

 


 

●猪木vs藤原

 

そして85年2月6日、両国国技館での猪木vs藤原戦。

藤原は社長であり師である猪木とメインを張れるだけで感無量だろうな、と思いましたし、実際試合は終始、猪木ペースで危なげなく終わり、猪木の強さだけが際立ちました。藤原の猪木リスペクトが溢れる、猪木ファンの私からすると蔵前ラストマッチ長州戦と並ぶ、非常に良い試合でした。

 

そして、ラスト付近で急所(実際はその近く)への蹴り、一本足頭突きにカウンターで狙いすましたナックルパート(実際はエルボー)、そしてフィニッシュはUっぽいスリーパー、といった「奥の手を出し」た「ように見せてあげた」ところに、猪木の藤原への気遣いを感じました。

別に猪木からしたらいつも通り延髄からのピンフォールであっさり勝って格の違いを見せつけてもよいのですが、これからUWF勢との抗争でストーリーを続けていく以上、そういう訳にもいかない、という興行上の都合もありますが、なんとなくそれよりもかつての付け人で苦労をかけた藤原への気遣い、に感じたのです。

 


 

●前田覚醒、怒りのハイキック

 

ところが、そんな気遣いをまるで理解できず、一人激昂したのがセコンドの前田です。アキレス腱固めでの「角度が違う」などにイチイチいきりたち、エプロンに駆け上がって猛抗議。そして勝ち名乗りを上げる猪木に駆け寄って見事過ぎるハイキック一閃。マットに崩れる猪木を尻目に新日勢とド迫力の大乱闘。この時の前田の木村健悟に対する軸足蹴りからのゴンタ顔でのメンチ切りは実にデンジャラスで、仁義なき戦いばりの新たな魅力を爆発させます。

この乱闘で、解説の東京スポーツ櫻井康夫さんの「これはいけませんねぇ、前田クンへの見方を変えますねぇ」の名解説と共に、一気に私の中で前田株が上がりました。なんというか、力道山→猪木に継承された「本気の怒り」の表現者として、前田が実に魅力的に映ったのですね。

 

ただ、その後の控え室での「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」発言に対しては、「そんなに言うならオトナの事情なんかに屈せず、お前が勝ち上がれよ」と醒めた見方もしていましたが。

 

そして当然、今後のストーリーは猪木と前田がいつ直接対決するのか、になると誰もが思っていましたが、まさかとうとう実現することなく終わりになるとは夢にも思いませんでした。。。

 

今にして思えば、最初から猪木と前田をぶつけてしまってはUWFの商品価値がなくなるので、まずは2月に藤原と、そして3月の東京体育館で前田と一騎打ち、という計算があったのか、と理解できますが、しかしながらこの試合後の前田のハイキックが、その後の流れだけではなく、彼のレスラー人生までも大きく変えてしまうのです。

 


 

●元祖イリミネーションマッチ

 

続く1986年3月、東京体育館で新日-UWFの5vs5イリミネーションマッチが行われます。

当初は猪木-前田、藤波-藤原の二大シングルマッチ、とされていたようですが、私的にはこの本邦初公開となるイリミネーションマッチは結果的に大当たり、練りに練られた展開にシビれました。まさに、私が観たかったのはこういう展開だったのです。1人ずつテーマに乗っての入場から会場は大盛り上がり、特に前田入場直後の(テーマ曲が鳴る前から)爆発的な猪木コールは感動的でした。

試合はゴンタ顔で猪木を慇懃無礼に挑発する前田と、それに応えようとして周囲に止められる猪木というやりとりから始まり、実際に禁断の顔合わせ、猪木と前田のコンタクトも数回見られました。この時の猪木は「オレは別に前田から逃げてないぞ」というええカッコをしつつ、直接対決になるとやはりメガトン級の前田の蹴りを持て余し、どうにもやりにくそうなのが印象的でした。

さらに、猪木らしい策で急遽新日勢に組み込まれた上田が、実にいい役回りを演じます。序盤は意図的にまるで試合に出してもらえず、どうなることかと思いきや、前田の蹴りを頭部でモロに受け止めての場外心中、これで一気に新日勢が形勢逆転する展開には恐れ入りました。

 

また、各選手の当時の序列が明確になった展開も興味深かったです。

入場では山崎→高田→木戸→藤原→前田(先陣の山崎がUWFのテーマ、藤原は花束投げ、そしてあくまで全員地味なトレーナー姿)
対する新日勢は星野→上田→健吾→藤波→猪木(スパルタンX、ビューティフルフライトからのマッチョドラゴン)。

入場前にリングコールするスタイルも当時は異例でしたね。

 

試合展開は

①健吾が山崎に蹴られまくりながら逆さ押さえ込みで先勝→②藤原が星野をアキレス腱固めで悶絶勝ち→③前田が健吾をフルボッコ葬→④藤波と藤原が両リンで消えます。

ここで新日には猪木と上田のみ、対するUWFには高田、木戸、前田が残り新日圧倒的不利、と思いきや、

⑤上田が前田と場外心中

で劇的に流れが変わります。

⑥猪木は残る高田をスリーパーで仕留めると、⑦木戸には延髄からのピンで危なげない二人掛けでキッチリ締めました。

 

この興行は蔵前での維新との4対4綱引き、5対5の勝ち抜き戦に並ぶ、大ヒット作品と思います。

このイリミネーションマッチはその後も様々な団体でも行われますが、この時の展開、完成度、興奮は超えられていないと思います。

私は試合後に猪木が高田、木戸を讃え握手を交わすものの、前田はそれを無視して控え室に引き返す姿を見て、その後の展開がますますわからなくなりました。

https://youtu.be/A3nv4kGQd4M

 


 

●ジュニア版名勝負数え歌

 

UWF勢新日Uターンの副産物的な成果といえば、高田伸彦と越中詩郎のIWGPジュニアヘビー級王座を巡る名勝負ですね。

 

ちょうど猪木-藤原戦の86年2月6日、新設されたIWGPジュニア王座決定戦でコブラを破りまさかの初代チャンピオンになっていた越中。しかしUWF同士でのリーグ戦に出ていて王座決定リーグ戦に出ていなかった高田はあっさり初対決、初挑戦で破り、第2代チャンピオンに輝きます。ちなみにこの試合は第4回IWGPシリーズ中の後楽園ホールで組まれ、ノーテレビ。雑誌レポートを見るに高田圧勝、との事でした。さらには初代タイガー引退後、コブラ登場前に抜擢されてポストタイガーを期待されていた高田の戴冠は、全日あがりの越中よりも納得感があり、私もてっきり今後は高田ジュニアチャンピオンロードが続くと思い込んでいました。

 

そんな2人の対決を初めてテレビで観た時のことは鮮明に覚えています。すでに高校でバンド活動をスタートしていた私は、スタジオ帰りのバンドメンバーの自宅で福岡スポーツセンターのこの試合中継をたまたま観たのです。周囲のプロレスに詳しくない連中に対して「高田が勝つよ」とタカをくくって見せていたところ、予想外に越中が奮闘し、蹴られまくりながらも両者リングアウトで引き分け、というのに驚きました。そしてなにより、どうしてもコブラが抜け出せなかった初代タイガーのイメージを払拭する、新時代のジュニアの試合、という内容に魅せられました。

 

イケメンで都会の匂いのする蹴りと関節技がキレまくるクールな高田に対して、演歌の匂いのする泥臭い越中の粘りがなんとも対照的で、徐々に会場人気も越中に集中していきました。その後もこの2人は戦い続け、終盤はタッグリーグであわや前田木戸から金星か、という試合までやってのけて人気を高めていきました。特に越中は他選手が避けていたUWFとの真っ向勝負により新日での居場所を確保し、厳しい見方をしていた新日ファンの支持を集めていきました。

 


 

●幻の前田vsブロディ戦

 

猪木vs藤原戦以降、新日とUWF勢はタッグマッチばかりが組まれていました。「吸収合併」を狙う新日プロに対して、あくまでも「業務提携」を主張するUWFは、権力対反権力、どうしてもUWFが魅力的に映ります。研ぎ澄まされた蹴りと関節技を武器に先鋭的なスタイルを貫こうとするUWF勢に対し、星野勘太郎、全日プロから移籍したばかりの越中らを除く大半の選手は及び腰で、猪木も積極的に関わろうとしません。

 

中でも期待の前田はなかなかブレイクできずにいました。そこには、あのハイキックの恐怖、「前田は何しでかすかわからん」という警戒感が感じられました。そして前田はどんどんカタくなり、日増しにフラストレーションが募っているように見えました。しかし、前田にも問題があるように見えました。どうにもドン臭く、「普通のプロレス」が決してうまくないため特にガイジンとは噛み合わず、まるでスイングしないため観ていて面白くないのです。

 

札幌で予定されたブロディとのシングルはボイコットの影響で坂口との対戦に変わり、鬱憤晴らしの前田に対してブッカーの責任感から引き受けた坂口は持ち前の体力だけで立ち向かいますが噛み合うワケもなく、いがみ合いに終始した凡戦に終わりました。


 

●伝説のアンドレ戦

 

そして1986年4月29日、三重県津市体育館でのちに伝説となる試合が行われます。前田日明とアンドレ・ザ・ジャイアントの一戦です。

この試合は一部地域を除いてノーテレビでしたし、当時はネットもない時代で私も福岡在住、ではありましたが、週プロその他でなにやら不穏な試合、前田があのアンドレ相手にセメントマッチをやらかしたらしい、という噂はすぐに耳にしました。

 

しかし私はいささか不可解でした。かつてのアンドレは、若手時代には前田を「買っている」ように見えていたからです。83年のIWGPリーグ戦では、「猪木のところの期待のヤングボーイ」という感じで、ニールキックも含めて技を受け切っていましたし。
この試合は多くが語られていますので割愛します。いまもって誰が黒幕か、と諸説ありますが、この時期の前田はシメられる、お灸を据えられるような「出た杭」であったのは間違いありません。

 

しかし結果として、ガイジンレスラーの「ボス」であるアンドレを戦意喪失に追い込んだ前田は、ますますもって新日フロントから見ると手に負えない存在になっていきます。しかし、ノーテレビだったため当時はあくまでコア層の中での評価に過ぎず、ブラウン管の中の前田は相変わらず攻め込む時はいいが受けに回ると下手くそ丸出し、未完の大器的な見え方をしていました。

 


 

●前田vs藤波戦

 

そんなフラストレーションの中、大阪城ホールでのIWGPリーグ戦、藤波とのシングルマッチ。

2ブロックリーグ戦、Aブロックには猪木、坂口、アンドレら、Bブロックには前田、藤波、マードック、上田らが入っていました。

前田が勝てばBリーグトップで決勝戦に進出、Aリーグトップの猪木と一騎打ち、というシチュエーションでした。

結果はご存知の通りダブルノックダウン、両者KOでドロー。前田はマードックと同率で並ぶことになり、決定戦でマードックに敗れてしまい、またもや猪木戦はお預けとなります。

この試合で終始、藤波は前田の蹴りをまともに受け続け、UWF、中でも前田にだけは通じないと思われていた「受けの凄み」を見せつけます。両者が並ぶと体格の差は如何ともしがたく、やっぱり次世代を担うのは前田、の印象を強くしますが、この試合は驚異的な藤波のプロレスセンスと、叩き上げの気力体力によって名勝負たり得た、というのが私の感想です。

 

途中、コーナーでの大車輪キックで藤波が目尻から大流血するというハプニング、そのためエンディングもダブルノックアウトという怪しいものでしたが、試合後の「無人島と思っていたら、そこに仲間がいた」と藤波を絶賛した前田のコメントは本音だっただけに、私を含めた多くのプロレスファンの記憶に残りました。しかし、この試合の年間最高試合受賞は、個人的には納得いきませんでしたね…。ダブルノックダウン、という灰色決着でしたからねぇ…。

 

>次回、新日プロUターン後編につづきます!


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2 Comments

  1. ズンとねる

    対猪木に関して言えば、当時小学6年生だった私は、IWGPでのマードックとの代表者決定戦でのリングアウト負けと、その後の京都での佐川トーナメントでの健悟と両者フェンスアウト?に、真剣に、これに勝ってりゃ猪木戦実現したのにー。と歯痒く思った物でしたが、後年、ミスター高橋によれば、前田は負け役を快く引き受けてくれる、実に物分かりのいいレスラーだった?らしいです。そーいや、シリーズ主役のビガロにアッサリ、フォール負けしてたなー。

    • adminredcm

      レスありがとうございます!前田Uターン以降のIWGPの目立たなさぶりはヒドイものでしたね。佐川杯トーナメントもありましたねぇ…すっかり忘れていました(笑)

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