「UWF」とは何だったのか?~④新生UWF旗揚げ~崩壊


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●新生UWFの誕生

 

1988年5月、私は浪人中の受験生でした。

実質2年に渡る新日Uターン期を経て、新日を解雇された前田に高田、山崎、安生、宮戸、中野が合流し、後楽園ホールで「新生UWF」として旗揚げ戦「STARTING OVER」を行います。

所属選手6名、対戦3試合のチケットがわずか15分で完売するという異常な盛り上がりを見せ、その後も月一ペースで興行を行い、テレビ中継はなくてもビデオ販売を行いながら、週プロの臨時増刊号でのプッシュもあり圧倒的な支持を集めていきます。

 

8月には有明コロシアムでシュートボクシングとの合同興行「真夏の格闘技戦」を行い、前田-ゴルドー戦をメインに大成功を収めます。

チケットぴあによる販売、レーザーとスモークによる演出、全選手入場式、ルール面でも5ノックダウンと3エスケープなど画期的な仕掛けも功を奏し、高田-バックランド、前田-ドールマンなどで勢いを増すと、1989年には藤原、船木、鈴木が合流。

 

11月には遂に東京ドームで「U-COSMOS」を開催してブームは頂天を迎えます。

 


 

●U-COSMOS

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89年、私は大学生で横浜に住んでいました。

鶴龍抗争真っ盛りの全日武道館なんかと並んで、このUWF初となる東京ドーム大会も生観戦しましたが、印象に残ったのは安生vsチャンプア戦、鈴木vsモーリス・スミス(いずれもUが負けた試合)と、ディック・フライにスタンディングアキレスを極めて激勝した藤原の3試合。

周囲はUWF初のドーム興行、というだけで大騒ぎ、お祭り騒ぎでしたが、私はドールマンに破れた山崎は置いておいて、高田前田の試合は、ハッキリ言って非常に不満足でした。なんというか、この2人の試合には真剣勝負というにはあまりにヒリヒリしたものがなく、肉体も弛んでいて、そんなんで世間をごまかせると思ってんのか、ブームに浮かれて甘えてるな…と感じたのが正直なところです。

 

メガネスーパーPRESENTS U-COSMOS
1989年11月29日 東京ドーム 観衆60,000人

1. プロフェッショナルレスリング(30分1本勝負)
中野龍雄 ○(7:09 裸絞め)× 宮戸成夫
2. 格闘技戦(3分5R)
安生洋二 △(5R判定引分け)△ チャンプア・ゲッソンリット(ムエタイ)
3. 格闘技戦(7分7R)
鈴木みのる ×(4R 1:29 KO)○ モーリス・スミス(マーシャルアーツ)
4. 格闘技戦(3分7R)
藤原喜明 ○(2R 0:37 アキレス腱固め)× ディック・レオン・フライ(キックボクシング)
5. 格闘技戦(5分7R)
山崎一夫 ×(3R 0:48 腕ひしぎ十字固め)○ クリス・ドールマン(サンボ)
6. 格闘技戦(45分1本勝負)
高田延彦 ○(10:55 腕ひしぎ十字固め)× デュアン・カズラスキー(レスリング)
7. 格闘技戦(5分7R)
前田日明 ○(2R 1:28 膝十字固め)× ウィリー・ウィリヘルム(柔道)

*船木は骨折のため欠場。

 

当時、私はちょくちょく、後楽園ホールで週プロのターザン山本編集長(当時)と並んで新日を観ていました(立ち見です)。当時の新日プロは前田らが抜け、どうにも低迷して歯がゆい時期で、私はターザン山本編集長に「だからダメなんだ」「もっとこうするべきだ」とかなんとか、ファンであるが故に厳しいことばかり言ってました。ある日、後楽園ホールでの新日プロ観戦後に週プロ編集部に来ないか、とお誘いを受けました。そして応募もしていないのにお茶の水の山の上ホテルで行われる「週刊プロレス U-COSMOS座談会」に参加する話になりました。

 

●U-COSMOS 週プロ座談会

 

メンバーは「UWF信者」と呼ばれる人らがほとんどで、全日プロはもちろん、新日プロも観ません、観たことがありません、って人もいました。当時は「UWFはプロレスとは違う、一緒にしないでくれる?」的な急進派が多くてですね。それに文化人やら今でいう意識高い系の知的な鑑賞競技、という空気だったのです。(私はそのノリが大キライでしたが)

 

その座談会、私はあくまでも「プロレス全体のファン」の目線で参加しました。別にターザン山本編集長や編集部からそのような打診があった訳でもないのですが、勝手に私はその立ち位置を期待されて呼ばれたような気がしていました。

 

私は「UWFの役割はプロフェッショナルレスリングへの原点回帰」と「それを通じて世間に対してプロレス=八百長という色メガネを払拭する運動」と定義した上で臨み、「高田選手みたいにレスリングの五輪メダリスト相手にレスリングをせず、蹴りで倒すというのはどうなのか?」といった論点を展開しました。アマレスラーにレスリングでは敵わないからキックで、というのは戦略としては正しく、当然の話なのですが、私からすると「UWFはプロレスラーの強さを証明する」のが役割だと思っていましたので、グーにパーだして勝つんじゃなくて、グーにはもっと強いグーで勝つのがプロ、要は「プロレスラー」としてのプライドないの?というお話です。

 

当時、そしてこの座談会でも「わが世の春」「Uだけは真剣勝負」という論調が圧倒的でしたので、場の空気として私が浮いていた事は間違いありません。(笑)ただ、あんなのを観て「真剣勝負だー」と浮かれさせていたらヤバいぞ、というのが当時の私の率直な感想でした。一般世間の目は冷静で残酷なので、もっとしっかりやらないと化けの皮が剥がれるぞ、とずっと思っていました。

 

最後に私は「プロレス界は馬場と猪木の引退を業界としてキチンとやり遂げるべき」「統一コミッションとプロライセンスを作れ」という、もはや完全にU-COSMOSとは関係ない結論を主張して終わらせました(笑)。

 


 

●船木参入!と足踏み

 

イギリス遠征を経て新日には戻らず猪木-前田対談の末UWFに合流した「青春ヘラクレス」船木。イエローのバンダナに日の丸パンツで臨んだ89年8月横アリでの高田戦は鮮烈でした。

私は夏休みで帰省していて福岡電気ホールでのクローズドサーキットで観戦したのですが、摺り足から掌底の骨法ムーブで開始早々高田をノックアウト寸前まで追い込む船木に戦慄しました。というより、あれはノックアウトにすべきでしたね…レフェリーのミスター空中は明らかにフラフラな高田をよそにカウントをストップし、試合続行。最後は盛り上がりにかけたままキャメルクラッチで高田の勝利。「真剣勝負を謳うUWFにも序列があり、負けたら困る場合は負けにしない」というのが露呈し、これにはU信者と呼ばれる層からも批判が殺到しました。

 

私はこの当時、船木にものすごく期待していました。見る影もなくブクブク肥った当時の高田に代わり、ビジュアル的にものすごくカッコよかったのです。しかしそんな船木がバックランド戦でコーナーからミサイルキックして反則負けになったりしてるのを見て、UWFはもうダメかもしれん、と思い始めました。

 


 

●新生UWF崩壊

 

ドーム大会からスポンサーについたメガネスーパー(イメージキャラクターは田代まさし)が本格的にプロレス界に参入。SWS旗揚げと並行して、UWFに不協和音が聞こえ始めます。UWFとSWSの業務提携話が何度も浮上しては消える中、前田はフロント、神社長の横領、背任で訴えると騒ぎ始めます。その結果、逆に前田が会社への背任行為として5ヶ月間の出場停止処分を受けるという異常事態に。

1990年12月、松本運動公園体育館で船木の呼びかけにより欠場中の前田がリングに上がり、全選手で万歳三唱、選手の一致団結をアピールし、事態は収束するかと思われましたが…神社長が所属選手全員を解雇して、これをもって新生UWFは「自滅」という予想外の理由により、あっけなく崩壊することになりました。

当時の私の心境としては、みっともないの一言につきます。あれだけ理想を掲げ、他団体を貶しておきながら、内輪揉めからの崩壊というのは情けなさすぎました。世代は違いますがなにやら連合赤軍の内ゲバみたいな感じがしました。

 

私がドーム大会頃から感じていた前田ら主力選手達の慢心、旗揚げ時に一時感じらせた理想へ邁進する輝きはもはや感じられず、急進派が急ぐことも進むこともやめたらそうなるのは当たり前、特にお山の大将と化していた前田に対しては、批判していた長州や猪木となんら変わらないどころか、綺麗事言うだけタチが悪い、という感想でした。

 


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