アントニオ猪木の強さ・格闘技術の源流~③ゴッチ以外にもいた!影響を受けた名レスラー達

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前回②でご紹介した通り、現在では「ゴッチ-猪木の師弟関係」ばかりが有名ですが、日本プロレス時代の猪木さんは、続々と来日する世界最高峰の他の強豪レスラー達からも、貪欲に技術を吸収していました。

 

 

今回は「日本プロレス、若手時代のアントニオ猪木のプロレス・スタイルに影響を与えたレジェンド達」をご紹介します。

 

 

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“鉄人” ルー・テーズ

 

NWA世界王座を幾度となく腰に巻いてレスリング・ビジネスでも頂点に立ち、力道山の憧れの存在だった「20世紀最強の鉄人」。

 

 

猪木さんは若い頃、多くの外国人レスラーに「若い頃のテーズに似ている」と言われています。それは背格好や手足の長さ、バランスのよさや柔軟性といった猪木さんの素養を見抜いた、先輩たちの「最高の誉め言葉」です。

しかし猪木さんは意外なことに「当時はそれほど特別な存在として捉えていなかった」と語っています。そして同時に「年を重ねるごとに、レスラー以外の部分も捉えるようになって次第に存在を意識するようになりました。」とも。

 

技術的な面では「ルー・テーズからはバックドロップのコツを学んだ。いわゆる『へそで投げる』投げ方。組んだ瞬間にへそを天井に向け、下腹で相手を跳ね上げる、それがテーズ式だった。テーズは特に体が大きいわけではなかったが、腕が猿のように長くて強くて、引く力が物凄かった。」と語っています。

 

 

>ルー・テーズとアントニオ猪木「闘魂vs鉄人ものがたり」はこちら

 

>「世界最強タッグ戦」テーズ&ゴッチvs猪木&坂口〜1973 新日本プロレス旗揚げ直後、温故知新の名勝負はこちら

 

”野生の男” ディック・ハットン

 

第41代NWA世界ヘビー級チャンピオン。レスリングの名門オクラホマ農業大学時代に全米選手権を3連覇、1948年ロンドンオリンピックにも出場しています。日本には1962(昭和37)年、日本プロレスの第4回ワールドリーグ戦に来日。力道山とシングルで対戦した際もグラウンドレスリングで翻弄したと言われています。また、ハットンと初戦シングルで対戦した吉村道明さんは試合後、「いやぁ、強い!クラウザー(カール・ゴッチ)より強い!」とコメントしています。

 

 

猪木さんは「ハットンからはコブラツイスト、技のタイミング、無駄のない動きを学んだ。」と語っています。ルー・テーズも当時「寝技では古今東西、ハットンに敵う者はいない」と語る実力者でした。

 

“魔術師” パット・オコーナー

 

第42代NWA世界ヘビーチャンピオン。「魔術師」の異名を持ち、変幻自在のテクニックを繰り出す技巧派で、特に寝技は達人でした。アントニオ・ロッカ、ペドロ・モラレスと共に「ドロップキック三人男」と言われ、ルー・テーズによれば「プロレス最高のドロップキックの使い手」。

 

1963(昭和38)年初来日。力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦しています。オコーナーは、ジャイアント馬場さんにランニング・ネックブリーカー・ドロップのアイデアを示唆したことでも知られています。

 

 

猪木さん曰く「パット・オコーナーにはよくグラウンドを教えてもらった。寝技をコーチするのが趣味みたいな人で、他のレスラーはみんな嫌がって近寄らなかった。おかげでマン・ツー・マンで、じっくり教えてもらえた。」

 

 

”ミネソタの砂嵐” サニー・マイヤース

 

「ミネソタの砂嵐」の異名で知られる、元NWA世界ジュニア・ヘビー級チャンピオン。バーン・ガニアのライバルで、来日中に猪木の素質に惚れこみ、「猪木を自分に預けろ、こいつはルー・テーズになれる」と力道山に掛け合ったのは有名です。

 

 

実際、アメリカ遠征中の猪木の後見役を務め、猪木さんが東京プロレスを旗揚げした際にはブッキングも含め、全面協力しています。猪木さんは「サニー・マイヤースからは、どんな相手にも合わせるセンスを盗ませてもらった。」と語っています。

 

 

>「太平洋上猪木略奪事件」 1966 〜東京プロレス時代のアントニオ猪木はこちら

 

“殺人狂” キラー・コワルスキー

 

コワルスキーは教えを受けたのではなく、「憧れの」存在。日本では耳削ぎニー・ドロップ事件と「殺人狂」「死神」の異名通り、痩身で妖気的ヒールイメージが強いコワルスキーですが、かつては“ターザン”や“アポロ”などと名乗り、見事な筋肉美を誇っていました。

 

 

コワルスキーは1963(昭和38)年に初来日。第5回ワールドリーグ戦に出場し東京都体育館での決勝で力道山と対戦したほか、開幕第2戦目の蔵前大会ではアメリカ武者修行から凱旋帰国したジャイアント馬場と時間切れ引き分けの死闘を演じています。再来日となる1968(昭和43)年の第10回大会では馬場と決勝を争い、アントニオ猪木とも対戦しました。

 

猪木さんは「日本に来た時には、もう昔の面影がだいぶ薄れてましたね。俺の初期のファイティングポーズ写真は、最高にカッコいい頃のコワルスキーのポーズと同じなんですよ。よく真似していた。」と語っています。トップロープからのニー・ドロップや、構え方、パンチを放つ所作などにも、影響が見て取れます。

 

 

 

その他の強豪レスラーと”猪木流”とは

 

彼ら以外にも猪木さんは、印象に残ったレスラーとして「力道山好みのリッキー・ワルドー、華があって素晴らしかったのを覚えてます。」

 

「レオ・ノメリーニも印象に残っている。」

 

 

「でもプロレスラーとしていろんなことを学んだと実感できたのは、アメリカ修行時代ですね。ディック・ザ・ブルーザー、鉄の爪フリッツ・フォン・エリック・・・と名前を挙げます。

 

 

 

そして猪木さんは、自身のプロレス・スタイルについてこう語ります。

「俺の場合、最初に影響を受けた力道山から”ケンカ殺法”、次のゴッチは”テクニックの組み立て”、そしてテーズからは”王者の風格”というようなモノを受け継いで、さらに”異種格闘技”という世界まで興味を持ってしまうくらい、ある意味で自分のスタイルを特定しなかったから、どんな相手にも合わせられる引き出しを作ったんだと思う。」

 

 

続くシリーズ④では、「イワン・ゴメスとバーリ・トゥード」について掘り下げていきます。

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