アントニオ猪木 必殺技の歴史〜【前編】 1960-1979 日本プロレスから新日本プロレス創成期まで


PR


“燃える闘魂”アントニオ猪木は、時代や年齢と共に、数々の必殺技を編み出して来ました。

プロレスラーが誰しも必殺技を変遷するかといえばそうでもなく、生涯ずっと同じフィニッシュホールドで貫く選手がほとんどで、途中から必殺技を「加える」「強化する」ことはあっても「変える」のはごくわずか。その点においてアントニオ猪木は異色の存在です。日本人レスラーではほかに、武藤敬司選手が猪木同様、年齢と共に必殺技を変遷していきました(ラウンディング ボディ プレス~ドラゴンスクリューから四の字固め~シャイニング ウィザード)。それでも3つ程度で、猪木のバリエーションは群を抜いています。

 

その遍歴を追う前編では、日本プロレスでのデビューから東京プロレスを経て、新日本プロレス創世記までをご紹介します!

*必殺技=「ピンフォールを奪う、ギブアップを奪うフィニッシュホールド」のみを記載しています。

 


 

■日プロ時代 1960-1966

 

オレンジタイツの「若獅子」時代、猪木の代名詞といえば

⚪︎コブラツイスト

でした。日本人としては手脚の長い体型に似合う必殺技として、強豪外国人相手に奮闘する時代の必殺技です。


 

■東プロ時代 1966

 

若くして新団体のエース、座長となった猪木の新たな必殺技は、

 

⚪︎アントニオドライバー

 

でした。フロントネックロックの体勢から相手をブッコ抜き、脳天を叩きつけるこの技はフロントネックチャンスリーと呼ばれ、猪木は日プロ時代に対戦したサンダー ザボーから盗んだとされます。

相手の腕を自分の腕に巻き付けるブレーンバスターとの違いは、相手の首だけを支点にしてブッコ抜くところ。元々は横にツイストするレスリングの技がベースですが、見映えのよい”フロントネックチャンスリードロップ”としてアレンジされ、さらに「アントニオドライバー」というネーミングと共に、アメリカン+ヨーロピアンの要素も合間って新時代の旗手としてのイメージと共に、若獅子 猪木の新必殺技でした。後に大流行するDDTの源流的な技で、初代タイガーマスクもつなぎ技ですが使っていました。

 


 

■日プロ復帰時代 1967-1971

 

日プロ復帰後の猪木はアントニオドライバーをあまり使用しなくなり(封印の理由には諸説ありますが、己の腰にものすごい負担がかかる事、とされています)、後に代名詞となる新必殺技

⚪︎卍固め

を開発します。

ライバルであるジャイアント馬場がコブラツイストを使い始めた事もあり、卍固めはコブラツイストの上位互換技として生まれました。ヨーロッパマットでは古くからある技(グレープバイン ホールド、オクトパス ホールド)でメキシコ ルチャリブレの関節技「ジャベ」にも見られる技ですが、重心をガッチリ落して締め上げを強化したこの技はカール ゴッチとの特訓で生み出され、ネーミングも一般公募で決定するなど、新必殺技、秘密兵器として公開されました。

この頃には馬場と猪木はどちらも試合を決めるポイントゲッターとなり、猪木の卍を馬場がコブラでフォロー、という図式も見られます。中でも特にWリーグ初優勝となるクリス マルコフ戦の血染めの卍は、鮮烈な印象を残します。

対戦相手を下に屈服させた上で流血した顔を観客に向け咆哮する、という様式美もあり、ここ一番の大技として晩年まで多用します。

 


 

◼︎新日プロ時代 1972-1990

 

自らの新団体、新日本プロレスを旗揚げして以降の猪木は、変わらず大一番では卍固めを繰り出しましたが、併せて日プロ時代から得意にしていた

⚪︎原爆固め(ジャーマン スープレックス ホールド)

をフィニッシュに使用します。

実際はそれほど使用頻度は高くないのですが、(日本プロレス時代の)ドリー ファンクJr.とのNWA戦、ジャック ブリスコ戦、そしてなんといっても昭和の巌流島といわれたストロング小林戦で首一点で小林の巨体を支え、叩きつけた反動で自らの両足がバウンドするという気迫の一撃で「猪木といえばジャーマン スープレックス」として印象に強く残ります。

 

テクニック面での師であるカール ゴッチ、アメリカ遠征でタッグを組んだ先輩ヒロ マツダの得意技でもあり、強靭な背筋と首を持ち、柔軟な猪木はこの2人よりもこの技に向いていましたが、当然この技も腰、首に与えるダメージは大きく、ここ一番にしか使わないため余計に必殺技としてのイメージが強くなりました。

 

マスクド スーパースター戦で首に大きなダメージを負って以降、藤波辰巳、タイガーマスクといった新たな使い手が登場したこともあり猪木はジャーマンをほぼ、使用しなくなりますが、1984.8.4 長州力との蔵前決戦や1988.8.8 藤波辰巳戦で唐突に放つなど、コンディションがよければ使用したい意向は強かったようです。

 

⚪︎弓矢固め(ボーアンド アロー バックブリーカー)

日プロからネーミングを継承して開催した新日プロ創世記のワールドリーグ戦、優勝を決めたのは意外にもこの技、ボーアンド アロー(バックブリーカー)です。

必殺ではありませんが代名詞といえるリバース インディアン デスロック、派生では鎌固めがありますが、それらは試合を決めるというよりは痛め技。このボーアンド アローも後に中盤の痛め技となりますが、新日プロ創世記にはカラダが固くて重いキラー カール クラップウィリアム ルスカを仕留めるなど、列記としたフィニッシュ技でした。

 

⚪︎バックドロップ

若き日の猪木が体型を含めよく似ている、と言われた憧れの大先輩ルー テーズの必殺技、岩石落しもまた、もちろん猪木の必殺技です。

1975年に行われたテーズとの一戦では開始と同時に本家の一撃をくらい、破壊力を体感しましたが、猪木は意地でかけかえすものの、フィニッシュはブロック バスター ホールド、という微妙な決着を選びます。

バックドロップでフィニッシュした大一番としては、大木金太郎との遺恨マッチと、ウイリアム ルスカとの異種格闘技世界一決定戦でしょう。しかしながらルスカ戦は連発で仕留めていることからも、猪木はあまりにポピュラーになり過ぎたこの技にはあまり思い入れはなく、せめて連発しないと説得力がいまひとつ、と感じていたのでしょうか。

なにより、猪木のバックドロップは片足を抜いて投げるクセがあり、傍目にもテーズ式より威力が半減しています。猪木の、このバックドロップとの関係、執着心のなさは謎が多いです。

 


 

⚪︎ブレーンバスター

 

もう一つのポピュラーな大技としてはこの脳天砕きも挙げられます。もちろん猪木も使用し、この技で試合を決める事も多かったのですが、そこは猪木のこだわりからか、バックドロップと同じくこのポピュラーな大技で単純に試合を決めることは新日創世記以降はあまり好まず、リング外の相手をエプロンから呼び戻す際に多用していました。

76年のオールスター戦で馬場の目前で巨漢のアブドーラ ザ ブッチャーを見事に投げ切ったのは面目躍如でしたが、テレビ放送がなかったこともあり、逆に突然正統派として向かって来たタイガー ジェット シンにこの技でピンフォールを取られ、ベルトを奪われた印象の方が強いのはなんとも皮肉です。

 


 

⚪︎急降下ニードロップ

 

殺人スケジュールの死闘を以前ご紹介した欧州遠征の予告ポスターに描かれたのは猪木のこの姿でした。

おそらくは日プロ時代に名手、キラー コワルスキーから学んだこの技に、相手をダウンさせると猛然とトップロープに駆け上がり、両手を獲物を狙う鷲のように開いて天空から舞い降りるというアレンジを施し、「急降下」ニードロップという必殺技に仕立てるところが猪木一流のセンスです。

一連のアクションが試合に緩急をもたらし、トドメの一撃としての説得力があり、ブレーンバスターやバックドロップでダウンした相手へのトドメとして、またタッグマッチでの数少ない連携技として多用しました。

 

この技をハンディカメラで狙ったテレ朝スタッフを叱り飛ばした、というエピソードがある程、猪木はこの一連のアクションを大切にしていたようです。このアクションは現在、新日プロのエースである棚橋弘至選手が必殺のハイフライフロー前のムーブに継承しています。

 

【後編】に続きます!

 

<関連記事>

猪木太平洋上略奪事件!~東京プロレス旗揚げから崩壊まで

アントニオ猪木vsカール ゴッチ

アントニオ猪木vsルー テーズ

アントニオ猪木vs大木金太郎

アントニオ猪木vsストロング小林

アントニオ猪木vsローランド ボック~狂気の欧州遠征

アントニオ猪木vs藤波辰巳 1988.8.8

 


ID:3452


PR


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です