アントニオ猪木 必殺技の歴史~【後編】1980-1998 プロレスブーム全盛期から引退試合まで

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”燃える闘魂”アントニオ猪木 必殺技の歴史。

 

 

【前編】では日本プロレスでのデビューから東京プロレスを経て、新日本プロレス創世記までをご紹介しました。

 

【後編】では、プロレスブーム最高潮の70年代後半から、98年の引退試合まで、そして引退試合の相手はなぜドンフライ?なぜフィニッシュホールドはコブラツイスト?についてもご紹介します!

 

*必殺技=「ピンフォールを奪う、ギブアップを奪うフィニッシュホールド」のみを記載しています。

*重複あり

 

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■新日本プロレスブーム時代(70年代後半~80年代)

 

⚪︎腕ひしぎ逆十字

 

かつてはアームバー、十字架固めなどプロレスの古典的な痛め技であり、実際に日プロ時代にも若干フォームの違うこの技が使用されていました。猪木は柔道王ウィリアム ルスカとの決戦に備え古典柔道、柔術からの派生技としてのこの技に磨きをかけ、自ら仕掛けられた際にブリッジでかわすという見所と共に、この技を「必殺技」に昇華させます。

 

ゴッチのジャーマン、ルーテーズのバックドロップ、ロビンソンのダブルアーム、そしてこのルスカの腕ひしぎと、猪木は自身が本家の破壊力、奥義を体感した上で引継ぎ、決して単なるパクリ、見様見真似ではない、という正統性、説得力に誰よりも拘りました。

 

一連の異種格闘技戦では完全に必殺技として認知され、また通常のプロレスマッチでもタイガー ジェット シン上田馬之助との抗争、アクラム ペールワンとの伝説の一戦を経て猪木は怒り狂うと最終的には相手の腕を折る、というイメージを植え付けた上で(これらはいずれも腕ひしぎではありませんが)、この「腕ひしぎ逆十字」は80年代のはぐれ国際軍団との一連の抗争時に多用しました。

 

中でも1対3逆鱗の変則マッチ、寺西勇に極めたこの腕ひしぎは、入り方から極まり方まで、説得力あり過ぎの破壊力でバツグンです。

 

 

逆に、晩年カウントダウンでの数少ない名勝負、東京ドームでのビッグバン ベイダー戦はポイントがズレ、フィニッシュの説得力としていまひとつなのが残念でした。

 

⚪︎延髄斬り

 

1976年の世紀の一戦、モハメド アリとの「異種格闘技世界一決定戦」で生み出したアリキックの派生から、猪木は相手の後頭部に高くジャンプして放つ新必殺技、延髄斬りを編み出します。

 

初公開は後楽園でのアリ戦公開スパー、木村健吾。(この写真の相手は木戸修です)

 

 

当初は呼称が安定せず、回し蹴り、ラウンド ハウス キック延髄蹴りなどと呼ばれていましたが「延髄斬り」が定着。晩年まで猪木の必殺技となりました。

 

足の裏で蹴る、いわゆるストンピングが主流であったプロレスの世界に、足の甲で蹴る廻し蹴りを導入したのは実は猪木が初めてなのです。

 

猪木は相手の体型や弱点に合わせてフィニッシュを変えるこだわりがあり、中軽量級相手には投げ技を、大型で体の固いタイプには卍固めを、超大型にはニードロップを、と開発して来ましたが、この延髄斬りは相手の体型を問わず、そして、もたもたせず電光石火、一撃必殺で仕留められ、延髄という人間の急所を刺す蹴り技、ということから一般層に対しての説得力もある、と至れり尽くせりの新発見でした。

 

 

時には2mを超える相手の頭上より高い位置まで飛び上がり、長い滞空時間で真一文字に旋回して遠心力を利用して斬りつけるという美しいフォームは(未だに)ほかに真似されないオリジナリティがあり、居合抜きやバッティングフォームに通じる爽快感があります。(アメリカマット、WWEでも「エンズイギリ」と呼称されています)

 

一方で当たりが浅い時にもそれまでの展開に関係なくフィニッシュされてしまう、それまでの大技に比べ唐突である、ということから「省エネ技」とも揶揄され、体力の落ちた猪木が楽している、という批判にさらされる技でもありました。

 

しかしながら、いまだに猪木以上の使い手がいないこと、プロレス技でフィニッシュたり得る数少ない蹴り技であること、セコンドの佐山サトルがその物凄さに思わず笑ってしまう程の引退試合のドン フライ戦での強烈過ぎる一撃など、やはりこの技はオリジナリティのある必殺技を編み出し続けた猪木の一つの集大成的な技です。猪木さんは「サッカーのボレーシュートを参考にした」と語っていたそうです。

 

 

国会議員初当選の時のコピーは「消費税に延髄斬り、国会に卍固め」でした。

 

 

■セミリタイア時代 1992-1998

 

国会議員となり、文字通りのセミリタイア時代に突入した猪木は、最期の新必殺技として

 

⚪︎チョークスリーパー

 

を駆使します。元からプロレスのスタミナを奪う技として古典的な「アナコンダ殺法」を、UFCでのホイス、その後のヒクソンらグレイシー一族の活躍にヒントを得て、温故知新、王政復古的な殺しのテクニックとして復活させた技になります。

 

それ以前から猪木は「カンバックサーモン」UWFとの抗争で藤原喜明、木戸修らをこの技で仕留めており、パクリではなくこちらが元祖、といった自負と矜恃があるのが強みでもあります。

 

単発出場となった猪木は自らの体力の衰えと総合格闘技ブームの盛り上がりを踏まえてこの技をこれまで以上に多用し、天龍源一郎戦、ジェラルド ゴルドー戦、ウイリアム ルスカとの再戦など、猪木のカウントダウンはこの技一辺倒でした。

 

隙あらば締め落とす、という緊迫感を保ち、力勝負では敵わないが油断すると斬り殺されるかもしれない、という「武道の達人的」なイメージを最終形態として身に纏うことに成功します。

 

⚪︎コブラツイスト

 

1998年4月4日。東京ドームでの「アントニオ猪木引退試合」。現役最後のフィニッシュホールドは、コブラツイストでした。

 

 

ここからは余談ですが、「猪木引退試合の相手がなぜドン フライで、そしてラストがなぜコブラツイストだったのか」というお話です。

 

 

●なぜ猪木引退試合の相手はドン フライで、最後はコブラツイストだったのか?

 

引退試合の相手は「当日のトーナメント覇者」。この時点でトーナメントには、ドン フライと小川 直也が勝ち残っていました。

 

ドン フライは1996年「UFC8」王者で、総合格闘技の猛者です。
小川直也は元柔道王にして、この時点で猪木の一番弟子ともいえる存在でした。

 

誰もが小川直也との対決で闘魂を伝承して”後は頼んだぞ”と引退、という筋書きを思い描きます。猪木が惨敗して終わるのも猪木らしい。しかし、猪木の選択はフライでした。

 

小川がフライに敗れ、溜息とどよめきの起こるドームで私は「猪木は最後までええかっこしいを貫くのだな」「猪木はそんなにお人よしではないか」とほくそ笑みました。

 

小川相手の引退試合で、猪木が圧勝してしまえば小川の商品価値を落としますし、猪木惨敗でらしさを示す、というにはこの時点での小川には物足りなさしかありませんでした。そしてなにより、プロとしての試合運びがヘタクソな小川相手では、さしもの猪木でも思い描くような試合ができなかったことでしょう。

 

一方のフライは猪木との関りはほとんどありませんでしたが、当時猛威を奮いプロレスを失墜させる総合格闘技の雄。対立概念を意識する猪木としてテーマのある選手です。

 

しかし、プロレスラーとしては未知数のフライ相手に、猪木はどう戦うつもりなのだろう。「予定調和の大団円」というイメージが見えない中、試合が始まりました。

 

実況は1988年8月8日以来の古舘伊知郎アナウンサー。万感の思いを込めて、走馬灯のように駆け巡る”かつてのアントニオ猪木”を語りつくす気でマンマンだったと思います。それは試合を見守る超満員、ほんとうに立錐の余地もないほど詰めかけた東京ドームの観客も同じでした。

 

猪木の最後の試合、延髄斬りからの卍固めなどありとあらゆる技が観たい。でもやっぱり、アルティメットファイターでもあるフライ相手だし、ファイナル カウントダウンでずっと必殺技としてきたチョークスリーパーでフィニッシュ、と誰もが予想していたと思います。

 

しかし猪木は、わずか4分ほどでこのコブラツイストからのグラウンドコブラへの移行で唐突に試合を決め、自らのレスラー人生にピリオドを打ちました。タイガーキング(佐山サトル)とのカウントダウン戦で久々にフィニッシュとして繰り出してはいたものの、今や完全に痛め技の部類に属するコブラ決着には、久しくプロレスから遠ざかっていた、さらにはずっと見ていた多くのプロレス、猪木ファンが「?」マークでした。

 

しかし私は、己のレスラー人生での最初のフィニッシュ ホールドであり、さらにはプロレスの代表技で誰しもが知っている技であるこのコブラツイストを選んで、総合格闘技寄りの選手であるフライからギブアップを取って終わらせた辺りが、猪木がほかのプロレスラーとは違う、特別な感覚と分析力の持ち主である証明のような気がしました。

 

わずか4分余りの短期決戦は、久々に猪木との約束を果たして実況にカンバックした古舘アナが用意していたストーリーの3分の1も話せないもので、観客からしてもあっけにとられるものでしたが、年齢からくる衰えの中で、現役バリバリのドン フライと長々と名勝負を繰り広げる予定調和は説得力に欠ける、という判断だったのではないかと思います(もちろん年齢的な限界であれ以上はムリだった、とみる向きもありますが)。

 

猪木はやはり、最期まで猪木であり、「猪木のプロレスは予定調和を破壊する、プロレスに興味のない一般大衆への説得力こそ至高」というポリシーを貫いたのだと思います。それ故に相手は小川ではなくフライであり、短期決戦でコブラ決着であったのだと。

 

そしてあっという間の短期戦で思い入れもなにも関係なく試合を終わらせたのを目の当たりにして、改めてアントニオ猪木とはええ格好しぃで、ええとこどりで、負けた弟子の仇を果たす師であり、総合格闘技より俺のプロレスが上だというエゴイストで、さらに現役の連中に総合格闘技全盛時代にアジャストしたプロレスとはこういう風に見せるんだよ、というメッセージを感じました。

 

それからなんといっても、てっぺんまで立錐の余地もない(過去最高の観客動員でした)東京ドームの観客が、老いたとはいえいまだに猪木がマウントポジションからひっくり返して拳を握る「怒り」に腰を浮かせてしまう、そして一挙手一投足に感情移入して興奮する様を見て、「もうこんなプロレスラーは二度と出てこないだろうな」と胸が熱くなりました。

 

この試合での猪木は防戦一方でしたが必ず切り返しで優位を保ち、足関節でも余裕を持って対処、マウントポジションからの切り返しもきちんとセオリーに則った説得力を保ちました。

 

さらにはフィニッシュへの流れで繰り出した延髄斬りのもの凄い威力はセコンドの佐山サトルが思わずおでこに手を当てて笑ってします程にフライの頭部を激震させ、弓を引くナックルパートで追い込んで、反撃に来たところをスルスルとコブラに行き、猛烈な締め上げから体制が崩れるとグラウンドコブラに移行、そのまま締め上げてフィニッシュへ。

 

これが予定通りなのかアドリブなのかわかりませんが、いずれにしてもプロレスがわからない人がみても効いてるとわかり、思わず声を上げてしまう、これぞ猪木プロレス、という見事なムーブでした。

 

 

 

アントニオ猪木「必殺技(フィニッシュホールド)」以外の「得意技」については、また改めてご紹介します!

 

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