アントニオ猪木vsビル・ロビンソン 1975~ベスト・オブ・ベストバウト①

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アントニオ猪木の名勝負シリーズ
vs ストロング小林戦
vs 大木金太郎戦
に続いては、1975年のvsビル・ロビンソン戦です。

 

私はこのロビンソン戦が「アントニオ猪木の生涯を通じてのベストバウト」だと思います。

と、いうより、20世紀、21世紀を通じたプロレスにおけるベストバウトだと言っても構わない、というくらいの試合です。

 

何度も言いますが「ブロディ戦が猪木の名勝負」と思っている人、そして「猪木ってどこが凄いの?」って人、そして「プロレスって八百長でしょ?」という人こそ、この試合をぜひ、観てみて欲しいと思います。

 

この頃、猪木が標榜していた「ストロングスタイル」「キング・オブ・スポーツ」とはどういう意味なのか、がわかります。

 


 

ストロング小林、大木金太郎、この2試合は実は、このロビンソン戦をご紹介するための前フリでした(笑)。そこから説明しないと、この試合への流れが説明できないのです。

 

まず大前提として、プロレスラー アントニオ猪木の肉体的なピークは、1975年のこの試合(32歳)から1976年のアリ戦(33歳)頃まで、と言えます。

 

そして、小林戦、大木戦共に「猪木が試合をコントロールし、相手のよいところを引き出した上で勝った名勝負」ですが、このロビンソン戦はそうではありません。終始、ロビンソンに試合をコントロールされ、先手先手を打たれ、あわやホームグラウンドの大観衆の前で大恥をかかされるくらいのリスキーな戦いを強いられました。

 

なにせロビンソンはプロモーターであり社長である(平たく言えばギャラを払ってくれる)猪木に、華を持たせるどころか、いいところを出させる気はさらさらなく(事前の約束はさておき)、勝ち逃げする気満々のような展開を仕掛けてきました。しかし、別に不穏試合とかアクシデントではありません。正々堂々、技と技のぶつかり合いが、丸々1時間続くのです。

 

予定調和ではない試合だからこそ余計に、猪木の本当の強さ、凄さがよくわかる試合なのです。

 


 

時代背景を含め、「日本統一」を掲げる当時のアントニオ猪木視点でいえば、

 

国際プロレスのエース小林、日本プロレスのエース大木を撃破し、次に選んだのが国際プロレスの元エースで、当代きっての人気実力ナンバーワン ガイジンであるロビンソン

という、日本統一に向けた一戦、という事になります。

 

小林戦、大木戦は「試合に至る両者の立ち位置込みの名勝負」でして、正直、いまの派手でスピード感のあるプロレスを見慣れてる人からすると物足りないかもしれないのですが、このロビンソン戦に関しては「試合(技術)だけをみても、最高の名勝負」です。

 

ロビンソンは日本では国際プロレスに参戦しており、猪木との対戦はありません。なので、この猪木とロビンソン戦は長年「夢の対決」として、熱望された顔合わせでした。

 

当時5歳の私は残念ながらリアルタイムではなく、後からビデオでこの試合を観ただけの世代ですが、中学生になりはじめてこの試合を観た時に「現在は絶滅したプロフェッショナル・レスリングというのはこういう事を言うのか」と衝撃を受けました。

 

その頃、UWFムーブメントの最中でしたが、何のことはない、それより十年以上前に、猪木とロビンソンはそれよりもっと高度な、技術の攻防をみせていたのです。

 


 

◼︎“人間風車”ビル・ロビンソンとは何者?

英国マンチェスター出身。ウィガンでスネークピット(蛇の穴)と呼ばれた名門ジム「ビリー・ライレージム」で、英国伝統のキャッチ・アズ・キャッチキャン・スタイル(フォール決着あり、関節技も使用可能なレスリング)を学び、19歳でプロレスデビュー。世界各国をサーキットして一流レスラーとなります。猪木の師であるカール・ゴッチとは同門で兄弟弟子、といった関係でした。

 

初来日は1968年4月。英国レスリング界とつながりのあった日本レスリングの父・八田一朗氏(日本レスリング協会会長)と、国際プロレス 吉原功社長が早稲田大学レスリング部の先輩と後輩であった縁から旗揚げ間もない国際プロレスに参加。

 

人間風車(ダブルアーム・スープレックス)を日本初公開し、そのままニックネームとなりました。

当時の国際プロレスはまだストロング小林、ラッシャー木村ら日本人選手が育っておらず、ロビンソンはIWA世界ヘビー級王者に君臨して日本組の善玉ガイジン・エースとして活躍、若手選手の育成も行います。

 

この時代、まだ外国人選手=悪役レスラーという中で、毎週TBS水曜夜7時のゴールデンタイム放送される国際プロレスの中継で、反則なしの正統派、そして日本組サイドで活躍するロビンソンは大人気となりました。

 

ロビンソンはプロレスラーというより欧州、米国、日本だけでなく中東やアジア諸国でさまざまなスタイルを経験した「レスリングマスター」でもあり、アメリカではAWAエリアで若き日のリック・フレアー、アイアン・シーク、ケン・パテラ、サージャント・スローターらを指導しています。

 


 

「試合だけをみても最高の名勝負」と言いましたが…ところがこの試合もまた、小林戦、大木戦以上にもっとものすごい舞台裏が存在するのです…おそるべし昭和プロレス。

 

次回はこの試合の舞台裏、「ジャイアント馬場の逆襲」をお送りします。

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