仮面貴族「ミル マスカラス」〜夏休みの思い出① 昭和の夏の風物詩~千の顔を持つ男

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夏が来ると思い出すもの・・・たくさんありますが、今回ご紹介するミル マスカラスは、まさに”昭和の夏休みの風物詩”的存在の、超人気覆面レスラーでした。

 

その風貌から”仮面貴族””千の顔を持つ男”の異名を持つミル マスカラスと、弟であるドス カラスの”マスカラス ブラザーズ”は、昭和全日本プロレスの夏興行、サマー アクション シリーズに、スカイハイのテーマ曲と共に来日。華麗な空中殺法とコスチュームで、全国の夏休み中の小中学生、ちびっこファンを会場に動員して熱狂の渦を巻き起こしました。

 

 


 

●ミル マスカラスとは

 

「千の顔を持つ男」「仮面貴族」ミル マスカラス。

メキシコのプロレス、ルチャ リブレを世界に発信した、世界で最も有名な覆面レスラーです。

その人気と知名度はメキシコ、日本だけでなくアメリカやヨーロッパでも高く、世界を股にかけて活躍しました。

本名アレン(アーロン) ロドリゲス、1942年7月15日生まれと言われていますので、70歳をゆうに超えていますが、いまだに現役でリングに上がり続けています。

 

ニックネームは「千の顔を持つ男」「仮面貴族」ですが、来日前には「悪魔仮面」とも。確かにKISSのメイクに似て悪魔っぽいといえばそうかも。

その名の通り、かつては試合ごとにマスクやコスチュームを変えていました。アステカの羽のついたもの、ソンブレラにブルゾンなど金ピカで、アステカ王朝とかそんなイメージです。

          

 

また、「空中殺法」と呼ばれるメキシコ ルチャ リブレ流の飛び技も、日本マットではマスカラスが元祖的存在です。

70年代から80年代中盤にかけて、毎年、夏になると全日本プロレスの「サマーアクション シリーズ」に来日し、テーマ曲「スカイハイ」に乗って登場。試合前にオーバーマスクを観客席に投げ込むのが恒例で、全国の会場では、つめかけたちびっこファンの争奪戦が繰り広げられました。


 

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●初来日前から人気爆発

 

初来日は1971年2月、日本プロレスの「ダイナミック ビッグ シリーズ」スパイロス アリオンと組んでジャイアント馬場&アントニオ猪木のインターナショナル タッグ王座に挑戦し、猪木とのシングルマッチも組まれました。

 

マスカラスは、来日の3年も前からプロレス&ボクシング雑誌の「ゴング」誌で、なんと47回も特集が組まれる「まだ見ぬ強豪」でした。その熱の入れようは「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」と呼ばれるほど。ゴング誌はマスカラス人気で発行部数を伸ばした、といいます。

 

見た目に煌びやかなコスチュームと、試合ごとに変わるマスクは実にフォトジェニックですし、さらに当時の記事では「マスカラスのドロップキック22連発」「リングの上に立っているより飛んでいる時間の方が長い」などファンタジックな紹介がなされ、ファンの幻想は膨らみまくりでした。

 

実は初来日より1年前の1970年、国際プロレスが「あなたがプロモーター」という企画を組みファンが日本に呼びたいレスラーを募集。結果は1位がスパイロス アリオン、2位がミル マスカラスでした。すると、老舗の日本プロレスが71年に2人をセットで招聘してしまったのです。そして、1位のアリオンは大して記憶に残らずマスカラスが人気を独占。のちに猪木、馬場が抜けた後の日本プロレスの目玉レスラーとなりました。

 


 

●全日プロでの活躍

 

1973年10月からは全日本プロレスに参戦。私がハッキリ記憶しているのは1977年8月25日、雨中の田園コロシアムで行われたvsジャンボ鶴田戦です(この試合はこの年のプロレス大賞の年間最高試合賞を受賞しました)。

当時の日本テレビ「全日本プロレス中継」ではマスク プレゼント企画があったり、スカイハイにあわせたプロモビデオが流れたり、マスカラスは特別な選手でした。

絶対に素顔を晒さず、マスクを変える時に瞬時に被り変える得意技(かくし芸?)もよく披露していました。

 


 

●メキシコでは映画スター

 

「マスカラスは人気者でメキシコでは映画スターだ」というのは当時から有名でしたが、実際はデビュー自体がアクション映画、コミックとプロレスのメディアミックス企画だった、のだそうです。1966年から製作された主演映画は実に30作品を数え、ミル マスカラスは正義のヒーローとしてスクリーンやコミックでも活躍しました。

 

ちなみに、私がかつて勤めていた映画フィルムを販売する商社に、マスカラス本人がフィルムを買いに来たことがあるそうです(私は残念ながら入社前でした)。

 


 

●エゴイストで自己中なスーパースター

 

マスカラスはプライドが高く、終始自分のペースで試合を展開しないと気が済まず、自分が認めない対戦相手の技はロクに受けないので有名です。

 

自分がいかにカッコよく見えるか、にもうるさく、リングサイドで写真を撮るカメラマンのシャッターの音が聞こえると次の技に移行する、という笑い話もある程。

 

子供の頃から好きだったマスカラスが対戦してみたらとんでもなくイヤな奴で、キライになる選手も山ほどいるそうです。

 

そのため、時折試合中に揉めて不穏になる事も多い(日本マットではブロディ&ハンセン戦など)のですが、負けん気が強く腕にも自信があるので、まったく引きません。あの体格で世界で長く活躍しているので、そのくらいでないとやって来れなかったのでしょうね。


 

1979年の「8・28 夢のオールスター戦」ではジャンボ鶴田、藤波辰巳とスーパーアイドルトリオを結成するなど、大活躍をみせますが、

80年代中盤から、初代タイガーマスクの衝撃を目撃したプロレスファンからするとマスカラスの「空中殺法」は物足りなくなり、「飛ばなくなったマスカラス」などと揶揄され、その輝きは失われて行きました。

 

やがて長州らジャパン勢が全日本プロレスに殴り込んで日本人抗争が主流になると徐々に来日回数も減って行き、86年の来日を最後に全日プロから離れ、90年代はみちのくプロレスなどインディーを活躍の場に移します。

 

 

そんなマスカラスもいまでは「レジェンド」として2014年にはテリーファンク(当時70歳)とマスカラス(同72歳)の合計142歳 世界最高齢タッグ を結成したりと、現役を続けています。

 

年齢的にあと何回、来日できるかわかりませんが、ミル マスカラスの勇姿は、昭和のプロレスファンの記憶に強く刻まれています。

 

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