新日プロ「G1クライマックス」〜1991 第1回 ダークホース 蝶野の優勝とは何だったのか?

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初開催から25年以上、四半世紀も続く新日プロ「真夏の祭典」 G1クライマックス
今回は1991年の第1回大会、ダークホース 蝶野正洋の優勝と、G1開催がもたらした”意義”についてご紹介します!


 

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●G1クライマックスが「画期的」だった理由

 

ネーミングは競馬好きで知られる坂口社長。

「ヘビー級のスター選手(=G1クラス)だけによる最強決定戦」というコンセプトのリーグ戦です。

 

かつての日本プロレス「ワールド大リーグ戦」、全日プロ「チャンピオンカーニバル」など、日本プロレス界でもこの手の「シングルマッチのリーグ戦」企画は古くからありますが、この「G1」は少し変わっていました。

 

まず、短期決戦であること。

第1回は名古屋大会と両国3連戦の計4興行しかありません(ちなみに当初の大会名は「サマーナイト フィーバー in 名古屋」「バイオレント ストーム in 両国国技館」で、G1の名は大会名には冠されていませんでした)。

そのため、総当たりではなく、A/Bブロックに分かれてのリーグ戦となりました。

 

もう1つは、出場選手の顔触れです。

第1回 G1クライマックス の出場選手は8名。

藤波辰爾、長州力、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、
ビッグバン ベイダー、スコット ノートン、クラッシャー バンバン ビガロ。

俗にいう「負け役」「黒星供給役」が1人もおらず「ホントにエース級だけ」のリーグ戦、というのはかなり異例です。

 

プロレスの仕組みとして「勝っても負けても傷がつかない」のはレスラーの商品価値を落とさない、また選手のプライド、メンツ的にも重要な要素です。そのため、どうしてもこの手の「シングルマッチリーグ戦」では、明らかに格下の負け役が組み込まれたり、勝ったり負けたり(引き分けたり)、になりがちです。

 

さらに、この頃にはUWFブームの影響もあり「両者リングアウト」や「反則、不透明決着」というプロレスの悪しき慣例はほぼ絶滅していました。

 

そのため、この時期、このメンツでのリーグ戦となれば「誰が勝ってもおかしくない=逆に言えば大物選手が必ず負ける」という事が明らかです。

 

これらがこの大会の画期的さと、新日プロの出し惜しみをしない攻めの姿勢を表し、ファンの期待が一気に高まったのです。

 


 

●「サマーナイト フィーバー」の成功がヒント

 

この大会のヒントとなったのが、1987年8月に行われた「サマーナイト フィーバー in 両国国技館」2連戦。

当時、ニューリーダーvsナウリーダーの世代闘争真っ只中で、1日目は5vs5のイリミネーションマッチ、2日目は猪木&マサ斎藤vs藤波&長州(マサがビザの関係で帰国できず、武藤が代役)戦が行われ、2日共に大盛況でした。

 

大会場連戦はカード編成が難しく、日によってチケットの伸びに偏りが出る、というリスクがありますが、そこさえうまくやれば移動やリング設営などの経費を抑えて利益が出せる、というメリットがあります。

かつて興行の世界では「2.8月は(客入りが芳しくない)鬼門」とされましたが、夏休み時期に固めて興行を打てば、地方からの動員も見込めます。

 

この試みは1990年8月に後楽園ホール7連戦「バトル ホール ア ウィーク」(「闘魂三銃士 突撃7連発」と称した三銃士が主役)も連日超満員で大成功。第1回G1クライマックスで初の「両国3連戦」が決行されることとなりました。

 


 

●戦前予想

 

Aブロック:藤波辰爾、武藤敬司、スコット ノートン、ビッグバン ベイダー

Bブロック:長州力、橋本真也、蝶野正洋、クラッシャー バンバン ビガロ

 

記念すべき第1回優勝者は誰なのか。

格でいえば藤波、長州。実力でいえばベイダー、あるいはノートン?

順当に実力をつけてきている三銃士ではありましたが、まだまだトップの壁は厚い時期。それでも一発を狙えるとしたら華のある武藤?爆発力の橋本?

 

やはり、Aブロック本命は藤波かベイダー、対抗が武藤
Bブロックは本命は間違いなく長州、大穴で橋本

そんな予想が繰り広げられました。

 

器用ではありますが物分りの良いビガロは、来日当初の怪物性が薄れ、この手のリーグ戦では負け役をやらされそうな雰囲気が否めません。

 

そして蝶野正洋

当時の蝶野は、後の「黒のカリスマ」ではなく、白のハーフパンツ時代。ファイトスタイルもオーソドックスなテクニシャン タイプでした。

「闘魂三銃士」の中でも天才的な身体能力と華やかなルックスを持つ武藤敬司、猛爆キックで爆発力がありスーパーヘビー級ガイジンと真っ向から渡り合える橋本真也と比べると、どうしようもなく「地味な試合巧者」という印象しかありませんでした。

そのため「蝶野優勝」を推す声はほぼ皆無、プロレス通であればあるほど(今後の展開的にも)「あり得ない」というのが、当時の見方でした。

 


 

●波乱のリーグ戦、長州全敗・藤波脱落!

 

ところが、名古屋で開幕したリーグ戦はBブロック本命の長州がいきなり蝶野 必殺、ルー テーズ直伝の「STF」でギブアップ負け、という衝撃の結果に。長州は続く両国2連戦でもビガロ、橋本に連敗して全敗となり、最終戦は負傷欠場となり、「引退か?」とまで囁かれる事態になりました。

 

Aブロックは藤波がベイダーを破り好スタートするものの、武藤に敗れ、ノートンと両者リングアウト引き分けで優勝戦線から脱落。この結果、Aブロックはノートンに敗れたものの藤波とベイダーからピンフォール勝ちを奪った武藤が優勝決定戦に進出。

 

Bブロックは橋本と蝶野がそれぞれ長州とビガロを下し、直接対決が引き分けとなったことで同点で勝ち残りました。

 

これを受けて8・11最終戦では橋本vs蝶野が優勝戦進出決定戦を行い、その勝者が武藤と優勝戦を行う事になりました。

 


 

●1991年8月11日 バイオレントストーム in 両国国技館大会

 

橋本と蝶野の「優勝戦進出決定戦」は第5試合に行われました。

橋本は得意の猛爆キックで蝶野を追い詰めます。

この両者は若手時代、ヤングライオン杯で優勝を争った過去があり(1987)、その時は蝶野が一瞬の隙をついて首固めで優勝を果たしていました。

橋本はその轍は踏まない、と攻め込みますが痛めている右膝を蝶野が捕獲、必殺のSTFをこれでもかとかけ続け、ついに橋本がギブアップ。蝶野勝利となりました。

 


 

G1 CLIMAX 優勝決定戦 時間無制限1本勝負 武藤敬司 vs 蝶野正洋

いよいよメインイベント、G1の初代王者を決める戦いです。

この時点での過去の両者の対戦成績は、武藤が12勝1敗1分と圧倒的リード。

さらに決定戦から3試合後でインターバルがあるとはいえ、2試合目の蝶野は疲労困憊。この日1試合目の武藤の圧倒的有利な状況です。

 

2試合目となる蝶野は短期決戦を仕掛けるか、と思われましたがやはり優勝決定戦という硬さからか、グラウンドからのじっくりとした展開に(この戦略は明らかに武藤有利であり、スタミナ的に蝶野不利がますます色濃くなるチョイスミスだと思いました)。

 

しかし、蝶野は驚異的なスタミナを見せ、この試合は新日プロ新時代を予感させる、スピーディに大技が飛び交うクリーンかつスポーティな、互角の名勝負となります。

 

武藤がフラッシュリングエルボー、ローリングソバット、スペースローリングエルボーと、高い身体能力を活かした空中技を見舞えば、蝶野はバックドロップ、ショルダーアタック、パイルドライバーで反撃。

そしてジャーマン、ドラゴンスープレックスに卍固め、アキレス腱固めやインディアンデスロックからの釜固め、ゴッチ式パイルドライバーなど、往年の新日プロ ストロング スタイルを彷彿とさせる大技までが繰り出され、オールド ファンも熱狂させます。

 

館内も武藤優勝!一色から、徐々に蝶野への声援が多くなって来ました。

 

しかし、蝶野必殺のSTFを武藤が凌ぎ、やはりこの大一番のフィニッシュは武藤必殺のムーサルトプレスか…そりゃそうだよな、と館内の観客誰もが思った瞬間。

 

蝶野は武藤のムーンサルトを両ヒザによる剣山で切り返し、まさかのパワーボムで3カウント!

 

この下馬評と連戦で不利な状況を覆す「あり得ない」蝶野優勝に、両国の館内は大爆発。

蝶野のテーマ「FANTASTIC CITY」が流れる中「座布団が舞う!座布団が舞う!こんな光景見たことないぞ‼︎」(実況の辻アナウンサー)。座布団が雨あられのように力尽きた両者の上に降り注ぎました。

 

この瞬間の大爆発こそ、新日プロの新時代の幕開けであり、後の蝶野正洋の大ブレイクにつながり、さらにはいまに続く「G1ブランド」の原点となったのです。


 

●闘魂三銃士による締め

 

試合後、リング上には藤波、長州ではなく、闘魂三銃士の姿がありました。

そして蝶野がマイクを取り「1.2.3.ダー」で締め。館内には「ワールドプロレスリング」のテーマ曲「SCORE」が流れ、大団円。

名実ともに三銃士が新日プロの天下を獲る歴史的な瞬間に立ち会えた観客はいずれも「もの凄いものを見てしまった」という心地良い興奮に酔いしれていました。

 

しかし、蝶野選手ご本人は「当時のスター選手が次々と脱落して、まだ人気選手ではない自分の活躍で暴動が起こるんじゃないか、ヤバいだろ、早くトンズラしてぇな、という気持ちだった」と語っています。

 


 

●「第1回G1クライマックス」と「蝶野優勝」の残したモノ

 

この日の結果は、単なるリーグ戦優勝ではなく、猪木時代から長く続いた、これまでの新日プロの潮流を一気に変える、エポックメイキングな「事件」でした。

 

○遺恨や流血ではなく、高い身体能力による競い合うプロレス

○格や序列ではなく、若手の勢いがそのまま反映されるプロレス

○不透明決着を配し、勝ったり負けたりするスポーツライクなプロレス

 

そして、

○藤波 長州時代から、闘魂三銃士時代への転換

を意味していました。

 

80年代後半から迷走し、UWFにおされっぱなしで業界の盟主という地位が危うくなっていた新日プロにとって、冬の時代の終焉と、新たな黄金時代の幕開けの到来を予感させる興行でした。

     


 

以降、「G1クライマックス」はこの後25年以上に渡り開催され続ける、恒例の「真夏の祭典」になりました。

年々、大会は大規模になり、出場選手も増え、対戦方式もリーグ戦やトーナメント戦などブラッシュアップが繰り返されています。

 

しかしこの時、「ダークホース蝶野正洋の優勝」というビッグサプライズと、思い切った「闘魂三銃士の躍進」がなかったら、おそらくはここまで恒例化する超人気ブランドにはならなかった、と思います。

 


 

【G1クライマックス歴代優勝選手】

1991 第01回 蝶野正洋
1992 第02回 蝶野正洋
1993 第03回 藤波辰爾
1994 第04回 蝶野正洋
1995 第05回 武藤敬司
1996 第06回 長州力
1997 第07回 佐々木健介
1998 第08回 橋本真也
1999 第09回 中西学

2000 第10回 佐々木健介
2001 第11回 永田裕志
2002 第12回 蝶野正洋
2003 第13回 天山広吉
2004 第14回 天山広吉
2005 第15回 蝶野正洋
2006 第16回 天山広吉
2007 第17回 棚橋弘至
2008 第18回 後藤洋央紀
2009 第19回 真壁刀義

2010 第20回 小島聡
2011 第21回 中邑真輔
2012 第22回 オカダカズチカ
2013 第23回 内藤哲也
2014 第24回 オカダカズチカ
2015 第25回 棚橋弘至
2016 第26回 ケニーオメガ
2017 第27回 内藤哲也
2018 第28回 棚橋弘至
2019 第29回 飯伏幸太

 

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