追悼「ダニー・ホッジ」1932-2020~もし初期UFCに出場していたら?

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1993年、UFC第1回大会でプロレスラーのウェイン・シャムロックがグレイシー柔術のホイス・グレイシーに敗れた時、多くのプロレス関係者の口から「全盛期のホッジが出場していたら」との声が聞かれました。

 

日本でも知名度の高いルー・テーズ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンではなく、なぜホッジなのか?そしてなぜ彼がUFC(総合格闘技)向きだと言われたのか。今回はそんなお話しです。

 

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”バーリトゥード(何でもアリ)センセーション”を巻き起こした第1回UFC

 

1993年11月12日、後の総合格闘技の世界的普及の幕開けとなったイベント「UFC:Ultimate Fighting Championship」第1回大会が開催されました。

 

・キックボクサーのパトリック・スミス、ケビン・ローズイヤー
・極真空手のジェラルド・ゴルドー
・伝統派空手のジーン・フレジャー
・プロレスラーのケン・ウェイン・シャムロック
・相撲力士のテイラ・トゥリ(元 高見州)
・プロボクサーのアート・ジマーソン
・ブラジリアン柔術家のホイス・グレイシー

 

計8名による「ノールール」トーナメントで周囲の下馬評を覆し優勝したのは、当時まだ無名だった軽量級のホイス グレイシー。「グレイシー柔術」が世界にその名をとどろかせた瞬間でした。

「もしもUFCに、全盛期のホッジが出場したなら」

 

この質問にルー テーズは「1分以内に対戦相手は目をえぐられ、鼻をもがれ、さらに両耳を引きちぎられるだろうね。」

 

ビル ロビンソンも「5分以内に手足全部へし折ってホッジが勝つ。」

 

この2人の猛者中の猛者にそう言わしめるダニー・ホッジとは、何者なのでしょうか。

 

ダニー・ホッジとは

 

ダニー・ホッジ Daniel Allen Hodge
1932年5月13日 – 2020年12月24日

アメリカ合衆国 オクラホマ州 ペリー出身の元プロボクサー、プロレスラー。

日本では「鳥人」、海外では「Dynamite」の異名で知られます。

 

アメリカではアマレスとボクシングで全米を制した唯一の男として知られ、「世界の偉大なスポーツマン ベスト100」や過去75年間の「プロレスラー トップ12」にも選出。

 

ヨーロッパマットの強豪ビル・ロビンソンは「アメリカの3大シューターはルー・テーズ、カール・ゴッチ、そしてダニー・ホッジ」とその名を上げます。

 

ホッジは大学でレスリング部に所属し、戦績は46戦全勝。
NCAA選手権3回優勝。AAU全米選手権4回優勝。

レスリングでは19歳で1952(昭和27)年ヘルシンキ オリンピックに出場し5位入賞、1956(昭和31)年メルボルン オリンピックでは銀メダルを獲得。

 

その偉業を称え、大学レスリングの全米年間最優秀選手に「DAN HODGEトロフィー」が贈られるのだそうです。

レスリング部時代に勧誘を受けてボクシングを始め、オクラホマ州チャンピオン、1958年には全米ゴールデングローブ ヘビー級チャンピオンに。

 

10か月という短期間ながらプロボクサーとしても活動し、ヘビー級世界7位、8勝2敗の戦績を残しています。元オリンピック アマチュア レスリング代表選手のプロボクシング転向は話題となり『スポーツ・イラストレーテッド』誌(1957年4月1日)の表紙にも登場しました。

>ホッジのプロボクサーとしてのキャリアはコチラ

 

1959(昭和34)年、NWAプロモーターにスカウトされ、27歳でプロレスラー デビュー。

 

エド”ストロングラー”ルイスに師事し、デビューからわずか1年後の1960(昭和35)年7月、NWA世界ジュニアヘビー級王者に就くという天才ぶりを発揮。

 

その後、通算12年5か月もの間、同王者に君臨し続けました。

日本マットでの活躍

 

1967(昭和42)年、国際プロレスの旗揚げシリーズに初来日。ヒロ・マツダの挑戦を受け、60分時間切れドローの大熱戦を演じます。ヒロ マツダとのライバル抗争は全米でもドル箱で、当時、Jr.でメインイベントを張るのは異例だったそうです。

 

 

1968(昭和43)年1月にも国際プロレスに参戦。ルー・テーズと対戦してTWWA世界ヘビー級王座を奪取。大者テーズ相手に、Jr.ヘビー級とヘビー級の壁を超える「2階級制覇」を成し遂げました。

 

その後、日本プロレスにも参戦。ウイルバー・スナイダーとタッグを組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲からインターナショナル タッグ王座を奪取。

 

 

1972(昭和47)年9月にも日プロの「第3回NWAタッグ リーグ戦」にネルソン・ロイヤルとのコンビで参戦。

 

1974(昭和49)年7月には全日本プロレスに参戦。ジャンボ鶴田と対戦し、30分時間切れで引き分け。

 

1976(昭和51)年3月、ルイジアナ州でヒロ・マツダを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を再び獲得。

 

しかし、直後に自動車事故を起こし首を骨折する重傷を負い、そのまま引退しました(44歳)。

 

引退後、1985(昭和60)年には新日本プロレスの招きで来日し、WWFヘビー級タイトルマッチ ハルク・ホーガンvs藤波辰巳戦の特別レフェリーを務めています。

 

1990年代には高田延彦率いるUWFインターナショナルの招きでたびたび来日し、ルー・テーズ、ビル・ロビンソンと共に、タイトルマッチの立会人を務めました。

 

2005(平成17)年にはWWE「RAW」にゲスト出演。

 

同年10月に久々に来日し、ビル ロビンソンがコーチを務める高円寺のレスリング ジム「U.W.F.スネークピットジャパン」にてトークショーと、ロビンソンと3分間スパーリングを行い、2014年にはアントニオ猪木さんとも再会を果たしました。

猪木さんはこの時「現役時代からすごい握力だったけど、今もやっぱり強かったね。ホッジはレスリングだけでなくボクシングも強かったし、昔、今でいうアルティメット(MMA)みたいな競技があったら、大変な実績を残しただろうね」と語っています。

 

 

その後はレスリングのコーチを務める傍ら、オクラホマ州の複数のMMA団体から要請を受けコミッショナーに就任。

 

2020年12月24日、88歳で亡くなりました。

 

”リンゴ潰し”と”狂気”

 

ダニー・ホッジといえば「アップル クラッシュ(リンゴ潰し)」がトレードマーク。ホッジは80歳を過ぎても、両手のリンゴを同時に握りつぶす驚異的な握力を誇りました。

 

 

 

1985(昭和60)年、引退後のホッジ(当時53歳)が新日本プロレスにレフェリーとして来日した時、外人控え室のシャワーの栓が回らなくなって大騒ぎになりました。原因は、ホッジが使ったときに栓を「かる~く締めた」せいだった、という逸話があります。

 

もう一つ、ホッジには「キレやすい性格」という特徴があります。テーズによれば、ホッジがキレると目がトロンとなり、何をしでかすかわからないアブナさで、対戦相手に非常に恐れられていたのだとか。

 

対戦中にテーズが張り手を食らわせた瞬間ホッジがキレてしまい、危険を察したテーズは自ら場外にエスケープして落ち着くのを待った、と言います。この試合後、ホッジはテーズの控室を訪れ謝罪した上で「ミスター テーズ。私はあなたをとても尊敬していますが、顔を平手で張るのだけはやめてください。何をするのか私でもわからなくなりますから」。

 

ホッジはそれ以前にSTFをかけられた瞬間にもキレてテーズに謝罪していて、テーズは「ホッジ相手に何をしたらいいのか分からなくなったよ」と語っています。

 

また、テーズは「自分の方が関節技を知っていたから、試合でホッジに負けることはない」と言いつつ、関節技が使えないような場所での、いわゆるケンカなら?という質問に対しこう答えています。

 

「私はホッジとケンカするほど愚かではない」

 

ホッジのキレやすい性格は幼少期に育った場所が消防署で、昼夜かまわず鳴るサイレンの音が原因ではないか、という説があります。

 

また、サーキット中の車中で人前で自慰にふける(本人曰く減量のためらしいです)などの奇行も、テーズや上田馬之助など複数の証言により、明かとなっています。

 

この”狂気”的な一面が、日本を含む世界的なプロレスラーとしての評価において、テーズの後塵を拝する理由とも言われます。

 

ホッジがUFC向きといわれる理由

 

ホッジがUFC(総合格闘技)向き、と言われるのはボクシングとレスリング、打撃とグラップリングで高いレベルにある選手であることと、驚異的な握力、脚力などの身体能力。そしてこの「キレやすい性格と狂気性」にありました。黎明期のUFCはいまよりももっと過激、野蛮な空気でしたので、異様な舞台で萎縮するどころか一瞬で狂気のスイッチが入るホッジが推薦された、というワケです。

 

その後、総合格闘技の技術が進化し、「総合格闘技としての戦い方」が生み出された現代においてはまた話は違うと思いますが、この当時「パンチと高速タックルを持ち、キレたら容赦なく相手を殺しかねないダニー ホッジが最強」という期待値は、誰よりも高かったのです。

 

Jerry Brisco vs Danny Hodge – (GCW 1973/10/01)

 

 

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