追悼「ハーリー レイス」~1943-2019 ”NWA世界王者”レイス&フレアーの時代


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2019年8月1日、また一人、昭和を彩った名レスラーが亡くなりました。
天龍や武藤選手がそう呼ばれる前は、「ミスタープロレス」の呼称はこの人のものでした。

1980年代、昭和の全日本プロレスの”NWA世界ヘビー級チャンプ”はレイス&フレアーです。
今回は「追悼 ハーリー レイス」をお送りします。


 

●「GALAXY EXPRESS」

 

70年代後半からプロレスに「入場テーマ曲」が導入され、NWA世界チャンプだったレイスにはこの「GALAXY EXPRESS」が使用されました。

ゴージャスでオトナの夜の香りがするこの楽曲は、レイスの持つ”世界最高峰”の風格と実にマッチした名曲でしたが、当時、原盤がなかなか手に入らない「入手困難曲」の最高峰でもありました。

 

後にNWAチャンプとなった”狂乱の貴公子”リックフレアーにも引き継がれ、同一楽曲がNWA世界王者のテーマ=レイス&フレアーの入場曲、となりました。この音源はcoverのようですが、レイスの日本での名場面付きですのでご勘弁を。

 


 

●1980年代の「世界王者」

 

1980年代は、”世界最高峰”NWAがレイス&フレアー、AWAがニック ボックウィンクル、WWFがボブ バックランド。その間、各団体で短命王者は数多く存在しますが、長くこの4人がプロレスの”世界王者”だった時代でした。

 

月刊ゴング誌で「ニューヨークMSGでレイスvsバックランドがダブル世界戦」といった記事を読むだけで、映像は観ることができなくても妄想が膨らみまくりでした。結果は当然、引き分けに決まっているのではありますが。

 


 

●”ハンサム””美獣”の謎

 

ハーリー レイスは時折、全日本プロレス中継実況の倉持アナから「ハンサム” ハリー レイス」と呼称されていました(ハリーもポイント)。

 

渋くてたまらないオトナの男の魅力をたたえた風貌ではありますが、チャウチャウ犬のようなルックスで、俗にいう二枚名、”ハンサム”じゃないんじゃないか?と当時、不思議な感じがしました。日本での異名の”美獣”も同様です。

 

実はこれは、レイスがデビュー当時、1930年代のギャングたちの愛称にあやかって、”プリティボーイ” ラリー ヘニング&”ハンサム” ハーリー レイスのタッグチームとして活躍したことに由来するのだそうです。このコンビは1965年1月にAWA世界タッグ王座をブルクラコンビ(ディック ザ ブルーザー&クラッシャー リソワスキーから奪取しています。

 


 

●初来日は日本プロレス

 

高校生時代から”カーニバルレスラー”として経験を積んだレイスが本格的にプロレス界に進出した1960年代、アメリカ武者修行時代のアントニオ猪木とも対戦しています。

そのレイスの初来日は1968(昭和43)年2月、日本プロレスです。このシリーズはNWA新チャンピオン、ドリー ファンクJr.の初来日シリーズでもありました。

 

2月26日に大阪府立体育館でアメリカでは宿敵であるディック ザ ブルーザーと組んで、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持するインターナショナル タッグ王座に挑戦。

1969(昭和49)年12月にはドリー ファンク シニアとコンビを組み、1970(昭和45)年11月の来日時にはジョニー バレンタイン、ジン キニスキーとのコンビでアントニオ猪木&吉村道明が持つアジアタッグ王座に挑戦。

1972(昭和48)年3月には坂口征二のUNヘビー級王座に挑戦しています。


 

●NWA世界王者時代

 

日本プロレスではネームバリュー的に馬場、猪木のシングル挑戦がなかったレイスが、初めてNWA世界王者(第47代)となったのは1973(昭和48)年。下した相手はドリー ファンクJr.でした。

 

そしてレイスは同年から主戦場を全日本プロレスに移し、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、アブドーラ ザ ブッチャー、ミル マスカラスとの防衛戦を繰り広げます。

 

7月にヒューストンでジャック ブリスコに敗れ、そのブリスコ(第48代王者)は1974(昭和49)年、鹿児島でジャイアント馬場に破れ王座を失います(ジャイアント馬場のNWA初戴冠、第49代)が、7日後に豊橋で奪還して帰国。

以降、NWA王座は

1975.12 テリー ファンク(51代)
1977.2  ハーリー レイス(2度目、52代)
1979.8 ダスティ ローデス(53代)
1979.8 ハーリー レイス(3度目、54代)
1979.10 ジャイアント馬場(2度目、55代)
1979.11 ハーリー レイス(4度目、56代)
1980.9 ジャイアント馬場(3度目、57代)
1980.9 ハーリー レイス(5度目、58代)
1981.4 トミー リッチ(59代)
1981.5 ハーリー レイス(6度目、60代)
1981.6 ダスティ ローデス(2度目、61代)

と変遷。短期間に王座を失うことはあってもその都度奪回する”レイス時代”を迎えます。

 

1982(昭和52)年にレイスはジャンボ鶴田を下しUNヘビー級王座を、そしてジャイアント馬場からPWFヘビー級王座も奪取します。

そして1983(昭和53)年11月、リックフレアーがレイスを下しNWA初戴冠(第64代)。

ここから翌1984(昭和59)年までが”レイス&フレアー時代”で、その後は1990年代まで”フレアー時代”となりました。

レイスは通算8度NWA王座に君臨し、当時のベルトが通称「レイスモデル」と言われるほど、NWAを象徴する”King of Kings”でした。


 

●WWF王者とのW世界戦

 

1978(昭和53)年1月フロリダでWWF王者スーパースター ビリー グラハムと、
1980年9月にニューヨークのMSG(マディソン スクエア ガーデン)、および
同年11月にセントルイスのキール オーディトリアムにてボブ バックランドと、

それぞれの王座を賭けて対戦しています(3試合とも引き分けや反則裁定によりタイトル移動なし)。

 


 

●ファイトスタイル

 

レイスのファイトスタイルは悠然としたスローモーなもので、クラシカルな”ザ アメリカン プロレス”。大技らしい大技はバーチカル スープレックス(ブレーンバスター)とフィニッシュのダイビングヘッドバットぐらいで、あとは基本的な打撃、投げ、締め技と、それからトップロープからデッドリードライブで投げ”られる”くらい。このスタイルは後継のフレアーにも踏襲され、「80年代のNWA王者のスタイル」を確立しました。

 

その両者が田園コロシアムで激突したこの試合は、私の大好きな試合です。

 

1980年5月22日
田園コロシアム 特別試合
ハーリー レイスvsリック フレアー

 

当時は両者ともにタイトル保持者ではなく、NWA世界戦でもない単なる特別試合なのですが、逆にそのシチュエーションが完全決着を生み、”80年代のアメリカンプロレス、全日本プロレス”を代表する隠れた名勝負です。

 

当時、新日本プロレスが大ブームを巻き起こし、私もアントニ猪木、藤波vs長州、初代タイガーマスクに夢中でしたが、この試合だけは当時高価だったVHSビデオテープから消せずに、いまだに所有しています。

 

私は近年、相手の技をお約束で受けるだけのショッパイレスラーがプロレスが「巧い」と評価される風潮には「そうじゃねぇだろ」と思ってしまうのですが、この両者の佇まいと攻防は、猪木vsロビンソン戦などの”テクニカル コンテスト”とは対極にある、もう一つの”大衆芸能としての昭和プロレスの魅力”だと思います。

 

ご冥福をお祈りします。


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