「プロレス第3世代」〜天下を獲り損ねた男たちの悲劇

※当サイトで掲載している画像や動画の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属します。

ID:8920

2020年2月22日、新日本プロレスの中西学選手が現役を引退。
「第3世代」が久々に注目を集めました。

 

そう、お笑い同様、プロレス界にも「第3世代」が存在するのです。

今回はその「プロレス第3世代」の功罪について、私見を述べます。(文中敬称略)

 


スポンサーリンク

●プロレス「第3世代」とは?

 

新日本プロレスなら永田裕二、中西学、小島聡、天山広吉

全日本プロレスなら秋山準、大森隆男

など、90年代以降にデビューし、1990-2000年代に全盛期を迎えたレスラーが、こう呼ばれました。

(厳密には力道山世代から数えると「第5世代」くらいになるのですが…細けぇこたぁどうでもいいです)

 


●第3世代の不幸

 

彼らの不幸は、直上に

武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の“闘魂三銃士“

三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の“四天王“

がいた、という事実。

 

三銃士と四天王は、さらにその上のアントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスク、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎という“超がつくスーパースター“達に対して、「若さ」と「身体能力」で果敢に挑み、試合内容と結果だけでなく存在感も含めて、世間の耳目を引き、厳しいプロレスファンの期待にも応え続けました。

 

ゴールデンタイム撤退というハンデを追いながらも、90年代の両団体は共に武道館、ドームを常に満員にして、売上では最盛期を記録。

 

しっかり“天下を獲り“ました。

 

しかし、その次の第3世代は、見事に天下を獲り損ねました。

 

第3世代の選手たちはそれぞれ団体を背負い、チャンピオンにもなり、大きな大会で優勝し、興行のエースにはなりましたが。

少なくとも私は、“天下を獲り損ねた“と思っています。

 

彼らを好きな人には申し訳ないですけど、多くのプロレスファン、そして彼ら自身も、そう思ってるんじゃないですかね。

 

彼らはいずれも、プロレスラーとしての素養は高かったと思います。

 

永田、中西、秋山などはアマチュアレスリングの実績もあり、全員、体格にも恵まれていました。

団体にも期待され、いい試合もしてましたし、会場に行けばファンもたくさんいて、熱心な応援も受けてました。

 

でも、私はどうしてもノレなかった。

 

好みの問題もありますが、私は彼らのやってるプロレスは、「プロレスファンにだけウケるプロレス」「内向きのプロレス」であり、世間に届かない気がして、ずっともどかしい思いがありました。

 

さらにカンタンにいえば第3世代には華がない。フツーの人が見て「お!カッコいいじゃん」と思えるスーパースターも不在でした。

 


●「暗黒のゼロ年代」の戦犯は誰だ

 

この時期、2000年代のプロレス界は「暗黒のゼロ年代」と呼ばれます。

「K-1やPRIDE、総合格闘技ブームに押されて、プロレス市場が縮小した冬の時代」「失われた10年」とも言われます。

 

第3世代には外的要因で、気の毒なことがたくさんありました。

・総合格闘技が出現し、プロレスラーとプロレスマーケットを食いものにして拡大し続けたこと。

・彼らの直上の世代、三銃士と四天王がいつまでも居座り、主役の座を譲らなかったこと。

・アントニオ猪木が新日本の対立し、介入によってリング上がガタガタし続けたこと。

・WWEが世界を制圧し、有力なガイジンレスラーが来日しなくなったこと

などなど。

 

しかし、それでも私は、この時期のプロレス人気低迷の最大の理由は、「第3世代のプロレスが面白くなかった」ことにあると考えています。

 

その事実は図らずも、2010年代に入り棚橋弘至、中邑真輔、そしてオカダカズチカらが天下を獲り、第3世代が中堅ポジションに追いやられてから、新日本プロレスが「奇跡のV字回復」を遂げたことにより、証明されました。

 

いやいやそれは、ブシロードってスポンサーが付いて、経営がうまいからだろって?

カネがあれば、経営がうまければ客が入るほど、プロレスは甘いもんじゃありません。

 

総合格闘技ブームが終わったからだろって?

たとえ外敵が死んでも、自分たちの価値がなかったら、プロレスは低迷し続けたままだったでしょう。

 


●プロレス冬の時代

 

2000年代に入ると、人気とネームバリューのある三銃士、四天王も、さすがに年齢からくる衰えが隠せなくなっていました。

 

また、オーナーである猪木が再三現場に介入し、ファン無視のカード変更や贔屓の格闘技寄りの小川直也、藤田和之らをゴリ押し登用するなど、ファンの顰蹙を買いまくりました。

 

新日本プロレスは2004年を境に、急激に売上が縮小します。

 

外敵である総合格闘技の盟主PRIDEは、2006年を境にフジテレビと切れ、地上波放送がなくなった途端、急激に凋落の一途を辿りました。

アントニオ猪木は2005年に新日本プロレスの株式を手放し、ゲーム会社のユークスが親会社になりました。

 

総合格闘技ブームと猪木介入がプロレス衰退の原因であれば、ここから新日本プロレスは復活してないといけないのですが、実際はさらに2011年まで、低迷を続けるのです。

 

急激にV字回復した のは2012年のブシロード体制以降。なので「ブシロードのおかげ」と受け取られがちですが。

この時の主役はすでに棚橋弘至、中邑真輔、そしてオカダカズチカらであり、第3世代ではありません。

 

要するに、第3世代のプロレスがきちんとマーケットから(少なくともコアなプロレスファンからだけでも)支持されて、チケットが売れていれば、あそこまでの迷走、低迷はなかったハズなのです。

 

しかし第3世代は内輪だけで「コップの中の嵐」を繰り返し、総合格闘技ブームに対しても、その人気を盾に主導権の取り返しを狙い介入を繰り返す猪木に対しても、そしてそれ以降も、あまりに無策過ぎました。

 

2004年10月、象徴的な出来事がありました。

 

新日に愛想を尽かして出て行った長州力が突如、会場に現れ、こんなマイクを放って現場監督に電撃復帰した事件です。

 

「永田、よ~くお前だけ上がって来たな。天下を獲り損ねた男がよく上がって来た。一つだけ聞いとけよ。
中にいる人間が信頼されなくて、外に出た人間がこのど真ん中に立ったって言うことはわかるか。
俺をあげた人間が罪を背負うのか、今までこういう状態になったテメーラが罪を背負うのか。」

 

この時点でファンは猪木の介入に嫌気が差しており、永田らを支持していたハズ。

 

しかし、場内は大長州コール。

 

永田の応援に駆けつけたライガーにまでブーイングが浴びせられる始末でした。

 

プロレスファンは、格闘技もどきのプロレスなんか観たくない、猪木の介入にも、それに抗えない新日にもムカついている。

しかし、永田ら第3世代のプロレスに満足か?と言えばそうでもない。

だったら、猪木に物申せるであろう長州を支持しとくか。

そんな雰囲気でした。

 

長州はその空気を敏感に察知して、ズバリ「天下を獲り損ねた」と表現したのです(結果として長州にしても、第3世代を使っての復興はできませんでしたが)。

 

プロレスは「なにと戦うのか」が重要です。

試合相手ではなく、世間とか観客とか、ファンとかアンチとか、どうせこうなるだろ、という予定調和とか。

 

そしてそれを裏切ったり、期待を超えて初めて人は面白いと感じ、また観たいと思い、感動したりカタルシスを感じるという、ややこしいジャンルなのです。

 

プロレス大好き、の第3世代のプロレスは、実は同じくプロレス大好きなプロレスファンからみても、いくら「いい試合」をしてもどこか物足りず、何かが足りない。

 

哀しいことに、これが現実でした。

 


●第3世代のプロレスは、何が「面白くない」のか?

 

第3世代の「前後」を体験していない人に、コレを説明するのは難しいのですが。

年齢的に第3世代でプロレスにハマった人もそれなりにたくさんいますし、めっちゃ面白かった!感動したし!って人もいるでしょう。

だからそういう人からすると「なに言ってんだよコイツ」かもしれないです。

 

私自身、いろいろありすぎてコレだ!という理由は語れません。

それでも何とかして理由を挙げるとしたら…

 

●仲良しこよしのローテーション、エンジョイプロレス

 

この世代の特長は、同世代の仲の良さです。

人間的にも良い人が多く、他人を蹴落として、ではなく「持ち回りで皆で盛り上げて行きましょう」的な思考が強い印象。

実際にタイトルも大きな大会の優勝もグルグルローテーションして、次に誰が勝つか、チャンピオンになるのか、「順番」が容易に予想できる感じでした。

誰が負けても救済措置があり、ヒリヒリした勝負論がない。

ヘンにプロレスが“上手く“なり、観ていてなんのドキドキハラハラもない。ハプニング性もない予定調和に見えてしまう。

もっとも団体側がこうした「複数エース制」を取ったのは、裏返せば1人1人に突出した個性や強さがなく、競争原理が働かないから、なのですが。

 

また、「80年代のプロレスブームで憧れて入門したレスラーが多い」世代でもあります。

そのため「プロレスラーになること」自体が目的化し、「現状に満足してる感じ」が透けて見える。

 

そして「ボクたちはプロレスが好きなんです」とプロレス村の中に閉じこもり、黙々と「仕事」をこなし、決して突き抜けようとしないのも、興醒めでした。

 

折から世間では総合格闘技ブーム。

ガチだヤオだのといった理屈を抜きにしても、負けたらすべてを失うオールorナッシングのシビアな勝負を観た後で、彼らの「エンジョイ プロレス」を観て、誰が面白い!と思うのでしょうか。

 

●見た目、ルックスもまた、「プロレス村の論理」

 

後ろ髪の長いダサい髪型、ひたすらギラギラしたハーフタイツ、シェイプしてない寸胴体系…その後の棚橋らの世代と比べて、どっちが「世間ウケ」するかは、説明するまでもありません。

 

こうした内向きの「プロレスラーはプロレスファンだけを相手にしていればいい」という意識が、彼らのプロレスが面白くなかった理由だと思うのです。

 

それ以前のレスラーだって一部を除いて多くはそうじゃないか、と言われたらそりゃそうなのですが、全然違います。

 

昭和よりもさらにマーケットが激変してる以上、さらに何かを加えて 変えないとならないのに、何にも変わらず、相変わらず同じことを(劣化コピーして)やり続けたのは、無策としか言いようがないのです。

 

もちろんコレはレスラーだけではなく団体を運営するフロント陣にも責任があります。なまじっかかつての黄金期を経験してる世代が多くいて、その栄光にすがり思い切った手が打てなかった(アイデアもなかった)。

 

しかし、彼らからしても「結局はリング上がすべて。そこで観客を惹きつけて動員してくれないと、なんともならん」が本音だったんじゃないでしょうか。

 


●”外”と戦った第3世代

 

私のいう「外と戦った」は、総合格闘技のリングに上がった、という意味ではなく、「プロレスファンじゃない人たちにも興味を持たせ、観たいと思わせる、チケットを買わせる行動」を指します。

 

とは言えこの時期、世間では総合格闘技ブーム。地上波TVのゴールデンタイムで各局がしのぎを削り、大晦日、紅白歌合戦の裏には格闘技番組が3つも並ぶ“バブル“。これを利用しない手はありません。

 

その意味で第3世代で唯一、“外と戦った”と言えるのは、永田裕志選手です。

 

永田選手は総合格闘技界での猪木とTV局の覇権争いに巻き込まれ、よりによって強豪中の強豪、ミルコ クロコップ、エメリヤエンコ ヒョードルと総合格闘技のリングで試合しています。

 

当時の裏話を知ると、彼なりに現状に危機感を覚えての、決意の出陣であったことがわかります(後輩にあたる藤田和之の活躍と怪我も要因の一つ)。

 

しかし、結果はどちらも1分持たずに秒殺されての惨敗。

 

直前まで対戦相手が決まらないとか、通常の試合をこなしながらの強行出場など、同情すべき点はありますが…

 

しかしプロレスファン、プロレスマスコミがどんな擁護を並べても、それはやっぱり「プロレス村の理屈」にしか過ぎない、と思うのです。

 

ほかにも、新日本プロレスは一時期(高田再戦の直後)、ヒクソン グレイシー招聘に動いたことがあります。

その時、ヒクソン迎撃要員として白羽の矢が立ったのは中西学(藤田和之も立候補、最後は長州の名前も挙がりました)。

…実現しなくてよかった、としか思えません(笑)

 


●第3世代の貢献

 

コレを挙げるとしたら、ただ一つ。「下の世代に主役の座を譲った」ことにあります。

皮肉でも何でもなく、ソレしかないです。

ただし、コレが彼らの貢献なのか、はたまたその下の世代、棚橋選手らの努力の賜物なのかは、意見が分かれるところでしょう…。

 

最後に、面白いエピソードを。

2019年末、デビュー20周年を迎えてベテランの域に達した棚橋弘至選手が、突如こんな言葉を発しました。

「このまま、このままこのまま、尻すぼみで終わっていくのか!20年迎えて、俺は思ったよ。やるなら今しかないじゃん。永田先輩、中西先輩、小島先輩、天山先輩、“逆世代闘争”仕掛けるなら、今でしょ!」

 

しかし、名指しされた第3世代は、何のアクションも起こさず仕舞いでした…。

 

コメント

  1. もつもつお より:

    先日、後楽園ホールで永田と鈴木がシングルのリマッチやって永田が負けてたけど、そこで永田が鈴木と組んで50代の底力見せるとかやれば、団塊ジュニアの同世代に何か訴えられたんだけど、何もアクションせず終わってしまった。やっぱ、第三世代はサラリーマンと思って永田にはガッカリ。永田は、もう無理なんだったら、とっとと引退してほしいわ。

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!「第三世代」のプロレスって、「いい試合」は多いのかもしれませんが「勝負論」がないんですよね。。。お互い仲良し同士が勝ったり負けたり。。。いみじくも棚橋選手も指摘していましたね。

  2. ワタナベヒロシ より:

    全く同感です。

  3. 田宮繁人 より:

    確か猪木が現役で藤波や長州らニューリーダーと戦ってた時は武藤、高田、ジョージらが第三世代と言われてましたので新日本の枠で言うなら永田、天山、小島、中西らは厳密には第4世代なんですね(笑)
    彼らが天下を取れなかった理由は御指摘通り様々ありますが、私は理由の一つに橋本、武藤らが退団してしまい直接対決で彼らを倒す機会が殆ど無く(G1で中西が武藤を倒し優勝した時は千載一遇のチャンスだったのに)タナボタ的に王者やエースの座が廻って来たことも一因かと思います。しかしあらゆるスポーツの中でプロレスほどスター作りや世代交代が難しい競技はないですね。
    力道山が不慮の死を遂げた時はBIと言う逸材が頭角を現し繁栄しましたがBI以降はプロレス界は言わば初めて世代交代を経験したのですから…

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます!
      かつて友人と話したことがあるのですが、日本のプロレス団体は「組」で「親分と子分」、基本は「一代限り」なんですよね。
      なので本来、「代替わり」はあり得ないと考えた方が無理がないんですよ。

      力道山が急逝してBI時代になりますが、それぞれが組を興し、それ以降は継承はなされてない。
      馬場さんも鶴田さんには譲らない、天龍さんは出た。馬場さんが亡くなっても三沢さんは跡目を相続できず、自ら組を興した。
      猪木さんもいろいろ言われてますが藤波、長州、前田にも譲る気はなかったでしょう。

      「結果的に」上がいなくなったから跡を継いでますが、本来、エースになりたけりゃ組を興すしかない訳です。

      あの時、武藤、橋本が残っていても譲るなんて生易しいことは考えられず、もっと遅れただけな気がします。
      なので、やっぱり第三世代は自力の問題だった気がします(笑)。

タイトルとURLをコピーしました