「格闘技 世界一決定戦」⑥〜1977-78 アントニオ猪木vsモンスターマン、ウェップナー、ミルデンバーガー

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アントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」シリーズ⑥の今回は、2〜3年目となる1977-78年の戦いをご紹介します。

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◆06 1977(昭和52)年8月2日 日本武道館 アントニオ猪木(5R1分38秒 KO)ザ モンスターマン エベレット エディ

ルスカ、アリとの試合で世界的に有名になったアントニオ猪木の次なる対戦相手は、「全米プロ空手世界ヘビー級王者」ザ モンスターマン エベレット エディ。アメリカで「マーシャルアーツ」として人気のプロカラテ(WKA)には、ライト級チャンピオン ベニー ユキーデがいて、そしてスーパーヘビー級チャンピオンが、このモンスターマンでした。

 

長い手足から変幻自在のド派手な蹴りワザを駆使するモンスターマンとの試合は大盛り上がり。最後は元祖パワーボム的なスタンプ ホールドからギロチン ドロップで猪木が快勝しました。アリ戦とは打って変わってわかりやすく見せ場の多い展開で格闘技戦中屈指の名勝負、と言われました。

私的には…フィニッシュがいまひとつで画竜点睛を欠き、リアリティからも評価が低い一戦なのですが、新間寿氏に直接お聞きしたところ、猪木さんご自身もお気に入りの1戦のようです。それでもフィニッシュ直前、ロープ際で足をかけて押し倒すテクニックが見事です。テーズしかり、名レスラーは皆、ロープ際の技術が高いんですよね。リング中央ではなく、勝負処はロープ際にあるのです。

 


 ◆07 1977(昭和52)年10月25日 日本武道館 アントニオ猪木(6R 1分35秒 逆エビ固め)チャック ウエップナー

この時期、アリとの再戦への気運が高まっていたこともあり、再びヘビー級プロボクサーとの対決です。ウエップナーは「喧嘩屋」と呼ばれる映画「ロッキー」のモデル。見た目にもバウンサー(用心棒)的な凄みがあります。1975年にはアリと対戦してダウンを奪って15R戦い、判定負けという実績があります。また、猪木対アリ戦と同時に行われたニューヨークでの「格闘技オリンピック」でアンドレ ザ ジャイアントと異種格闘技戦を戦い、場外リングアウト負けしていました。

 

この試合、猪木は佐山サトル考案のオープン フィンガー グローブ着用で臨み、果敢にパンチ勝負に出ます。猪木はボクサー相手によくパンチ勝負を挑むんですよね…これについては後述します。

 

ボクシング対決ではさすがに分が悪く何度かダウンする猪木ですが、空を切ったに見えた延髄斬りの反対の脚が顔面に当たってダメージを与え、古典的なプロレスの大技、逆エビ固めでギブアップ勝ちを収めました。

 


 

◆08 1978(昭和53)年4月4日 フィラデルフィア アリーナ アントニオ猪木(3R 1分19秒 KO)ザ ランバージャック ジョニー リー

猪木の異種格闘技戦はついにアメリカへ輸出されます。フィラデルフィアで、アントニオ猪木に加えて坂口征二、ストロング小林の異種格闘技戦をマッチメイクした「格闘技オリンピック」を開催。

坂口は猪木戦の雪辱を狙うモンスターマンと、ストロング小林は柔道オリンピック メダリストのアレン コージ(後のバッドニュース アレン)と対戦。

 

ランバージャックは「全米プロカラテでモンスターマンのライバル」という触れ込みでしたが、モンスターマンと比べるともっさりした動きの選手。猪木は危なげなく、延髄斬り、ダブルアーム スープレックス、バックドロップと畳みかけ、3RでKO勝ちしました。

 


 

◆09 1978(昭和53)年6月7日 福岡スポーツセンター アントニオ猪木(7R 1分58秒 KO)ザ モンスターマン エベレット エディ

フィラデルフィアで坂口にKO勝ちしたモンスターマンが、猪木と再戦。この試合は初戦と比べてほとんど話題にも上らず、映像ソフト化もされていません(梶原一騎氏が制作した映画「四角いジャングル」で紹介されています)。

 

この再戦での猪木は、防戦一方の初戦とは打って変わり、自らパンチ、キックのケンカファイトを仕掛けます。数々の異種格闘技戦で、猪木は打撃系の格闘家との間合い感覚を掴み、そして自身との打たれ強さとスタミナに圧倒的な自信を持つようになっていました。「見た目に派手な打撃でも、急所にさえ入らなければ負けない」

 

猪木は異種格闘技戦においてもこの時期には、ある程度相手に打たせて見せ場を作り、その上でウェイトとスタミナで圧倒した上で得意のグラウンドで勝つ、という展開をする「余裕」がありました。結果、スタミナ切れしてフラフラのモンスターマンにグラウンド コブラでトドメを刺してレフェリーストップ、TKO勝ちを収めました。

 

映画「四角いジャングル」では「あまりに一方的な展開に、全米プロ空手協会からやり過ぎだ、と抗議が来た」とナレーションが付加されています。

これは一方で、この時期の猪木には相手を強く見せることも、はたまた商品価値を見切ると何もさせずに一方的に倒すだけの実力があった、とも言える訳です。天才故に商品価値のない相手には見向きもしない、要は飽きるのも早い、とも言えますが。ウェイトの軽い打撃系選手との戦い方の見本のような試合で、私は実は1試合目より好きな試合だったりします(笑)。

 


 

◆10 1978(昭和53)年11月9日 フランクフルト フェストホール アントニオ猪木(4R 1分15秒 逆エビ固め)カール ミルデンバーガー 

ローランド ボックの招きで行われた「狂気の欧州遠征」の中の一戦→詳しくはコチラ

 

相手はWBC世界ランキング3位、この時点から10年前ですが1966年、アリに挑戦してレフェリーストップで敗れたものの怒涛の攻めでアリに「ジョー フレイジャーよりタフな相手」と言わしめた、かつての強豪プロボクサーです。

 

この欧州遠征は連戦かつ対戦相手が日替わりでコロコロ変わり、猪木はロクな準備もなくこの試合へ挑んだハズですが、猪木はグローブ着用でボクシングで延々やりあった後、ものの見事な延髄斬りから逆エビ固めで快勝を納めました。

 

この試合の延髄斬りの決まり具合は強烈無比で、一見の価値ありです。

 

この格闘技戦は欧州遠征のオファーにあらかじめ含まれていたのか?それとも現地で要請されたのか?など細かい点は不明ですが、この時期の猪木はプロレスだろうが格闘技戦だろうがお構いなし。「目の前の敵をぶっ倒すという点では同じ」という姿勢だったのだろうと思われます。

 

また、格闘技戦における猪木の特異点は、自分の得意のフィールドに相手を引っ張り込むだけでなく、相手の競技について理解を深めて、自身のスキルに組み込もうとするところ。特にボクサー相手の試合は猪木は必ずグローブ着用で、序盤はボクシングで戦いを挑みます。

 

>次回⑦では、さらにアタリハズレの大きな1979年の戦い模様をご紹介します!

 


 

「アントニオ猪木 格闘技世界一決定戦」BACK NUMBER

①1976 vsルスカ、アンドレ、アリ、ペールワン

②1976 vsモハメド アリ前編~前夜祭でのギャラ総取り爆弾発言!

③1976 vsモハメド アリ中編~20世紀最大のスーパーファイト!

④1976 vsモハメド アリ後編~試合後のバッシングと大きすぎる代償!

⑤1976 vsアクラム ペールワン~猪木と2人のペールワン

 

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