「格闘技 世界一決定戦」⑨〜1984 アティサノエ、1986 スピンクス、1989 チョチョシビリ

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さて、これまで8回に渡ってお送りしたアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」シリーズ、今回が最終回です。

vsウィリー ウィリアムス戦で終わった…と思われた猪木の格闘技戦は、80年代中盤から思い出したように単発で続きます。

が…かつての「殺気」と「熱」は見る影もなく…猪木の衰えだけが目につき、いずれも見るに耐えない凡戦でした。

 


 

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⑰1984(昭和59)年9月20日 大阪府立体育館 〇アントニオ猪木(5R 0分25秒 片エビ固め)アノアロ アティサノエ●

アティサノエは、もはやなんの格闘技ジャンルでもなく「小錦の兄」という、正気の沙汰ではない対戦相手。プロレスができない相手との対戦なら異種格闘技戦なのか…ジャイアント馬場vsラジャ ライオン戦を笑えません。

 


 

⑱1986(昭和61)年10月9日 両国国技館 「INOKI闘魂LIVEパート1」 〇アントニオ猪木(8R 1分33秒 体固め)レオン スピンクス●

久々のプロボクサー スピンクス戦は、対戦相手のネームバリューと実績は申し分ないものではありましたが…

同時開催の「前田日明vsドン 中矢 ニールセン」の引き立て役にしかならない超凡戦。ガッツ石松 特別レフェリーの起用も、ズンドコぶりに拍車をかけました。

試合後に当時の妻である倍賞美津子さんから「ウチらの商売、お客さんを満足させられなくなったらオシマイ、さっさと引退したら」といった「強烈なダメ出しを受けた」、という話を聞いたことがあります。

「猪木時代の終焉。新格闘王は前田」という、世代交代的な試合となってしまいましたが、改めて段取りの効かない相手との格闘技戦の難しさがよくわかる試合でした。

 


 

⑲1989(平成元)年 4月24日 東京ドーム「格闘衛星 闘強導夢」 格闘技ヘビー級選手権試合 ●アントニオ猪木(5R 1分20秒 KO) ショータ チョチョシビリ〇

 

新日本プロレス初となる東京ドーム大会「格闘衛星 闘強導夢」のメインイベントで行われたミュンヘン五輪 柔道金メダリストとの一戦。ロープを外し、アタッチメントを付けた円形リングで行われるという斬新なアイデア。

そして初のドーム大会のメインで猪木が格闘技戦初のノックアウトによる敗北。

 

ある意味、猪木らしい「格闘技戦の幕引き」と思えた試合でした。

 

なので、大阪城ホールの再戦で猪木が星を取り返したのは…ファンとしては嬉しい反面、蛇足だった気がしてなりません。

 

⑳1989(平成元)年5月25日 大阪城ホール 異種格闘技戦
格闘技ヘビー級選手権試合
〇アントニオ猪木(2R 01分07秒 裏十字固め)ショータ チョチョシビリ●


 

この後、「猪木引退カウントダウン」においてもルスカ、ウィリーなどかつての強豪と、そしてジェラルド ゴルドー、ドン フライなど新たな強敵との「格闘技戦」は引退まで続きましたが、もはや「格闘技世界一決定戦」という本質は影を潜め、単なるリバイバル、プロレスの1試合というものでした。

 

 

「アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦」は文字通りの”20世紀最大のスーパーファイト”、”未踏の敵地での凄惨な腕折りマッチ”から”ズンドコ”まで、スケールも試合相手、内容もまさに玉石混合、実に振り幅の大きなものでした。

 

それを含めて、既成のプロレスの枠をブチ破り、外のジャンルに相手を求めフルスロットルで”戦いのロマン”を展開するアントニオ猪木の真骨頂といえるのでしょう。

 


 

<アントニオ猪木 格闘技世界一決定戦 全戦績>

20戦 16勝1敗3引き分け

 

■1976(昭和51)年

01)2月6日 東京 日本武道館 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(20分35秒 TKO)ウイリエム ルスカ●

02)6月26日 東京 日本武道館 格闘技世界一決定戦
△アントニオ猪木(15R 引き分け)モハメッド アリ△

03)10月7日 東京 蔵前国技館 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(23分44秒 TKO)アンドレ ザ ジャイアント●

04)12月9日 東京 蔵前国技館 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(21分27秒 レフェリーストップ)ウイリエム ルスカ●

05)12月12日 カラチ ナショナル スタジアム 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(3R 01分5秒 ドクターストップ)アクラム ペールワン●

■1977(昭和52年)

06)8月2日 東京 日本武道館 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(5R 01分38秒 KO)ザ モンスターマン エベレット エディ●

07)10月25日 東京 日本武道館 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(6R 01分35秒 逆エビ固め)チャック ウエップナー●

■1978年(昭和53)年

08)4月4日 フィラデルフィア アリーナ 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(3R 01分19秒 KO)ザ ランバージャック ジョニー リー●

09)6月7日 福岡スポーツセンター 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(7R 01分58秒 KO)ザ モンスターマン エベレット エディ●

10)11月9日 フランクフルト フェストホール 格闘技世界一決定戦
〇アントニオ猪木(4R 01分15秒 逆エビ固め)カール ミルデンバーガー●

■1979(昭和54)年

11)2月6日 大阪府立体育館 WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
〇アントニオ猪木(3R 50秒 逆十字固め)ミスターX●

12)4月3日 福岡スポーツセンター WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
〇アントニオ猪木(6R 01分19秒 TKO)レフトフック デイトン●

13)6月17日 パキスタン ラホール市 カダフィスタジアム 格闘技世界一決定戦
△アントニオ猪木(5R 引き分け)ジュベール ペールワン△

14)10月5日 韓国 奨忠体育館 WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
〇アントニオ猪木(15分06秒 弓矢固め)ウイリエム ルスカ●

15)12月13日 京都府立体育館 WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
〇アントニオ猪木(3R 58秒 KO)キム クロケード●

 

■1980(昭和55)年

16)2月27日 日本武道館  WWWF格闘技世界ヘビー級選手権
△アントニオ猪木(4R 01分24秒 両者ドクターストップ)ウイリー ウイリアムス△

■1984年(昭和59)年

17)9月20日 大阪府立体育館 異種格闘技戦
〇アントニオ猪木(5R 25秒 片エビ固め)アノアロ アティサノエ●

■1986(昭和61)年

18)10月9日 東京 両国国技館 INOKI闘魂LIVE
〇アントニオ猪木(8R 01分33秒 体固め)レオン スピンクス●

■1989年(平成元)年

19)4月24日 東京ドーム 異種格闘技戦
〇ショータ チョチョシビリ(5R 01分20秒 KO)アントニオ猪木●

20)5月25日 大阪城ホール 異種格闘技戦
〇アントニオ猪木(2R 01分07秒 裏十字固め)ショータ チョチョシビリ●

コメント

  1. 田宮繁人 より:

    おはようございます。
    ちょうど昨日、アティサノエ戦、スピンクス戦を観ました(笑)。
    実はこのアティサノエ戦は会場で観ました。
    当初はホーガンが参加予定だったので、同年のIWGP優勝戦(長州乱入事件)のリベンジ戦が絶対組まれる!と期待して特リン切符買ったらまさかのホーガンキャンセル(涙)! 学生に特リン(当時は一万円)は痛かったのに・・・。
    ガッツ石松がアティサノエのトレーナーについて幻の右を伝授とアングル組んでましたが、そんな付け焼き刃が通じるわけないことなんて素人でもわかります(苦笑)。
    猪木の延髄斬りも浴びせ蹴りも全くセールしないスピンクスはパンチドランカーだったのか? 同じ不完全燃焼でもアリ戦のような緊張感も殺気もなく、大凡戦に終わってしまい(せめてフィニッシュだけでももう少しなんとか・・・)当時の猪木ファンとしての辛い心情が蘇りました(涙)。
    今宵はチョチョシビリ戦(こちらは好きな試合です)チェックします!

    • MIYA TERU より:

      おはようございます。アティサノエ戦、スピンクス戦のころの猪木さんは切ないですよね(笑)。チョチョシビリ戦はいい試合でした。あの衝撃のラストも含め・・・それだけに大阪城のリターンマッチは蛇足だった感が否めません・・・。

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