「猪木 日本プロレス追放事件」④〜1971 当時の猪木の言い分

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①馬場と猪木
②時系列ドキュメント
③関係者コメント集
に続いては、この事件について長く「通説」とされてきた、「当時の猪木の言い分」をご紹介します。

*文中敬称略

 

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アントニオ猪木の言い分

 

かれこれ30年前。この猪木追放〜馬場との確執をはじめ、力道山時代からの日本プロレスの内幕を自らの著書で暴露していた門茂男氏(日本プロレス・コミッションの事務局次長、プロモーター組織 ジャパンプロレスリングユニオン 主宰者)。

 

以下は門氏が取材して執筆した「あくまでも当時の猪木の言い分」であり、先の検証とは日取りや場所が違うなど曖昧なところも多く、この方はそもそも「馬場に対してはとかく辛辣な記述が多い」方、ではありますが、長く「通説」とされていた内容ですので概要のみ記載しておきます。

 

1987年刊行「これを知ったらヤミつき わッ!場外乱闘だプロレス」(ワニブックス)より、以下、猪木自身のコメントとしての記述

 

 

美津子と結婚して6日目(1971年11月8日)、後楽園ホールでテレビマッチがあった※。

 

この日、上田馬之助が、「自分達の子分を引き連れて、銀座・四谷・六本木などで月300万円も呑んで会社のツケにしてる芳の里をこのまま社長にして置いたのでは我々レスラーはお先真っ暗だ。この際、今迄のアノ野郎という気持ちを改めて、馬場さんと腹を割ってトコトン話し合って日プロを改革してください」と言って来たので、試合が終わったあと馬場選手と赤坂の山王飯店で話し合った。

 

この日の結論はダラ幹の芳の里、ポンコツの吉村道明、会社の金を湯水の如く使っている遠藤幸吉と無能な九州山あたりに退職金を払ってこの際お引き取りを願って、後はプロレスラーによるプロレスラーの為の日プロを我々2人が牽引車になって引っ張って行こう、というものだった。その時、12月13日を決行日に決めた。

 

馬場は、「猪木君、君と僕は血盟を誓った同士だ」と言った後、「振り出した手形が迫っているのに金が足りないので金を貸してくれ」と言うので、僕は3000万円を馬場に用立ててあげようと、代官山の日プロの女事務員(現MK夫人)に馬場に渡してくれ、と念を押して預けた。

 

2日後、女事務員から「馬場さんは金の都合がついたから猪木さんの金は返す」という連絡があった。この頃から馬場も上田も、僕を冷たくあしらい出した。

 

11月30日だったと思うが、日本プロレスは芳の里の命令で緊急の選手全体会議を開いたが、僕はその会に出して貰えなかった。

 

翌日聞いた話だが、馬場は手形決済の金を日プロから借り、その見返りに「猪木は貴方に社長を辞めて貰うつもりでいる。貴方の後釜の社長は猪木サイドのKというプロモーターに据えようとしている」と芳の里に喋りまくったそうだ。

 

(猪木と馬場の間では)「クーデターだの下剋上なんてことを言われるのは日プロにとってマイナスだから、芳の里さんだけは期限をきって暫く社長に居て貰おう」と言うことになってたのに、いつの間にか僕1人が悪者にされてしまった。

 

12月3日、僕は「今度のことは悪いことをしたと思って反省している。今度からリング一筋に頑張るから」と芳の里さんにワビを入れたが聞いてもくれなかった。

 

次の年の8月。馬場に逃げられた日プロから、「お前が大嫌いな馬場が居なくなったから帰って来てくれ。最高の待遇で迎える」
と言って来たが、「僕は悪人で問題児ですから」と言ってお断りをした。

 


 

この「猪木が用立てた馬場の手形返済金」問題は、1975年12月11日の、力道山十三回忌追善大試合を巡る確執の際にも、猪木側から蒸し返されています。それは猪木が「追善大試合興行に参加する条件として、その時の借金を返せ」と主張した、というものです。

 

しかし上の書籍では「用立てたてあげたのに寝返りの見返りに日プロに肩代わりさせた途端に馬場は裏切りやがった」と言っており、辻褄が合いませんね…。とにかく猪木は「馬場はああ見えて金に汚い奴だと言いたい」のだということだけは、よくわかります。

 


※このシリーズは調べてみると「第2回NWAタッグリーグ戦」。ただ、決勝戦は11/1に東京体育館で行われており(猪木・坂口組がコワルスキー&バディーオースチン組に勝ち優勝)、その後に後楽園ホールでテレビマッチがあった日付は謎でした。


 

おわりに

 

以上、4回に渡って、日本プロレス史上最大の事件である「猪木追放」について可能な限り、まとめてみました。

 

改めて、馬場と猪木はもちろん、上田や当時の所属レスラー達の派閥やパワーバランス、そしてその後の関係性や運命を考えると興味が尽きません…ほんとに面白過ぎます。

 

そして、これらの動きが「たった1シリーズの間に起こった事」というのが驚きでした。

 

上田の裏切りというのは晩年、本人がいくら否定しても、どこからどうみても事実のようですが、仮に上田の裏切りがなかったとしても、馬場と猪木の両雄が並び立つ歴史、というのはあり得なかった、というのもまた、必然だったと思いますね…

 

わがままは猪木の罪
それを許さないのは馬場の罪  (完)

 

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