「1981年の谷津嘉章」〜日本プロレス史上、最も悲惨なデビュー戦

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1981年6月、蔵前国技館において、期待の超新星レスラーが国内デビュー戦を行いました。

その男の名は、「モスクワ五輪幻の金メダリスト」谷津嘉章。

 

猪木&谷津

 

今回は、谷津の「日本プロレス史に残る悲惨なデビュー戦」を当時の背景と共にご紹介します!

 

 

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谷津嘉章とは?

 

「日本アマレス界最強のヘビー級」谷津 嘉章。

 

谷津

 

日本大学レスリング部時代に全日本学生選手権、全日本選手権で優勝を重ね、日本代表として1976(昭和51)年モントリオールオリンピック出場(8位)。

 

米ソ冷戦の影響で日本がボイコットした1980(昭和55)年のモスクワ オリンピックに「出場すれば、金メダル間違いなし」と言われていました。

 

その谷津の新日本プロレス入りは、当然、大注目でした。

 

プロレスデビューはニューヨーク・MSG(マジソン スクエア ガーデン)という破格の扱い。

 

 

その後半年に亘りWWFエリアを武者修行。帰国直前には藤波辰巳と組み、WWF世界タッグ王座に挑戦しています。

 

 

 

待望の国内デビュー戦

 

そして待望の帰国第1戦、谷津の国内デビュー戦はなんと大会場、蔵前国技館のメインイベント。それもアントニオ猪木とタッグを組むという大抜擢です。

 

かつて同じアマレスから鳴り物入りでプロレス入りしたジャンボ鶴田の国内デビュー戦も師匠・ジャイアント馬場と組んでザ・ファンクスの世界タッグに挑戦するタイトルマッチでしたので、それを彷彿とさせる扱いです。

 

しかしながら。新日本プロレスと猪木は、そんなに「優しい世界」ではありません。

 

なんとその対戦相手は、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー組!

 

ジャーン!

 

当時、新日プロ ガイジンのエースで日の出の勢いのハンセンと、全日プロから移籍したばかりの凶悪ブッチャーの電撃合体は、ゴジラとガメラがそろい踏み、ゲームのしょっぱなでいきなりラスボスが2体、この世の終わりのような絶望感です。

 

猪木&坂口組、猪木&藤波組ですら分が悪いくらいなのに、よりによってデビュー戦で対戦・・・いくら大型新人・スーパールーキー谷津への期待が大きいとはいえ、無茶なマッチメイクです。

 

勝算は誰が見てもゼロ。ならば谷津がどこまで立ち向かうのか、善戦に期待…というのが観客の気持ちです。

 

しかし、やはりこの2人はハンパなく、繰り広げられたのは想像以上の「阿鼻叫喚の地獄絵図」だったのでした。

 

 

衝撃のデビュー戦

 

水曜スペシャル枠・特番のTV中継、控え室の猪木と谷津が映ります。

 

 

谷津は「猪木さんもいることだし、大船に乗った気分で、新兵器も使いたいと思います」と頼もしい(?)コメント。緊張しすぎなのか根が図太いのか、ニヤニヤしています。

 

 

それを見た隣の猪木は険しい表情。

 

 

アントニオ猪木はテンション低めに「(谷津は海外武者修行でデビューに向けて)まぁ、一年みっちりやってきてくれたと思います。今日はまぁ、とにかく力いっぱいやって…。まぁあの、結果見ないと分かりませんけど、ンムフフ。私もこの前、ニューヨークでタッグ組んどけばよかったんですけど、スケジュール合わなくて…。まぁ、とにかくやるだけやります、今日は。」と歯切れの悪いコメント。

 

そして両軍の入場です。

 

 

 

ハンセンとブッチャーの超豪華な初タッグに、館内は大興奮状態です。

 

 

試合開始前、猪木が谷津に気合注入の張り手!これに雄叫びを上げて応えた谷津が先発です。

 

 

谷津はハンセンに突進するとアイリッシュホイップ、ハンマースルー、ショルダースルー。そしてドロップキック連発!館内は驚きの声に包まれました。

 

 

しかし…。この試合の谷津の見せ場はこれだけでした。

 

ハンセンは谷津の果敢な攻めにまるで付き合わず、パンチ、膝蹴りでカンタンに谷津をぶっ倒します。それでも谷津はなんとか下からのヘッドバットで反撃を試みますが、ハンセンは猛烈なパンチ、エルボーの乱打から、ここでブッチャーにスイッチ。

 

 

 

大歓声の中、新日マットに登場したブッチャーは強烈な地獄突き、ヘッドバット一閃!

たまらず、もんどりうって倒れる谷津。

 

 

つかまりっぱなしの谷津は途中、なんとか猪木につないで反撃するも、ブッチャーはブレーンバスターまで放つハリキリぶり。猪木も劣勢です。

 

 

そしてまた谷津が出てくるとガイジン コンビはクイックタッチを繰り返し、徹底的に孤立させて、流血に追い込みます。

 

 

 

そしてフィニッシュはハンセン必殺のウェスタン ラリアート!猛烈な勢いで谷津の首をかっ切り、完璧なピンフォール勝ちをおさめ、ハンセンは返す刀で猪木にもラリアート!

 

 

リング上をハンセン、ブッチャー組が占拠・・・この場面で、テレビ生中継は終了となりました。

 

 

公開処刑は終わらない

 

しかし、テレビ中継が終わっても、谷津の受難は終わりません。

この試合は3本勝負なのです…。

 

2本目、ハンセンとブッチャーはなおも谷津を徹底的になぶり殺し。
パンチ、エルボー、地獄突き、ヘッドバット、ストンピング・・・

 

 

「ぎぇぇぇ」という不気味な谷津の悲鳴というかうめき声が響き渡り、もはや衝撃映像、事故映像です。

 

 

2本目はそのまま大混乱の中、ガイジンコンビの反則負け。

なし崩し的に決勝の3本目が始まりますが、もはや谷津は完全に戦意喪失、戦闘不能状態。

 

 

孤立した猪木はうがい用のビール瓶を持ち出して狂乱ファイトで反撃を試みますが、

 

 

特別レフェリーのユセフ トルコ速攻で反則をとられ、結果は2-1でガイジンコンビの勝利。

 

こうして記念すべき谷津の国内デビュー戦は、前代未聞の公開処刑マッチとなりました。

 

記念すべきプロデビュー戦を会場で観戦していた谷津のご両親が激怒して「プロレスなんか辞めてすぐに戻ってこい」と主張したのも頷けるお話です。

 

谷津のプロレス入りを後押ししたレスリング協会長の福田富昭氏も「これは大変な世界に谷津を入れてしまった。プロレスとは恐ろしい世界だと思いましたよ」

 

 

カード編成は大混乱

 

実は、この日の対戦カードは、当初、まるきり違うものでした。

 

アントニオ猪木はダスティ ローデスと組んで、スタン ハンセン、タイガー ジェット シン組と、ブッチャーはキラー カーンとのシングルマッチが組まれていたのです。

 

 

ところが、さまざまなハプニングが起こります。

 

まず、シンがブッチャーの新日移籍に反発、馬場率いる全日プロへの移籍を決めます。

 

さらに、ローデスがこの大会の3日前、1981年6月21日になんと、自身2度目となるNWA世界チャンピオンになってしまい、来日をキャンセルしてしまいます。

 

rodes_nwa

 

メインのカードのうち、2名が欠場という異常事態。

 

これでハンセンはシンではなく、ブッチャーとのタッグ結成となる…のはまだわからなくはないですが、なぜに猪木のパートナーが谷津だったのか?

 

「猪木が愛弟子に敢えて与えた試練」といえばカッコいいですが、結果的には谷底に突き落とすだけでなく、上から放水して二度と上がれなくするほどの鬼畜の所業です(笑)。

 

猪木は「若手の抜擢」が好きで後に高田信彦、武藤敬司、船木優治、山田恵一などが登用されましたが、彼らは皆、必死で爪跡を残しました。

 

しかしこの谷津のデビュー戦では猪木はほぼコーナーから動かず、檄を飛ばすのみでした。結果としてワンサイドのなぶり殺し、公開処刑・・・もはや谷津になんらかの問題があって「制裁された」と言われた方が納得できるような展開でした。

 

プロレスファンは「結果的に谷津は今日は負けましたが、将来に期待が持てますね!」・・・と言う気マンマンで観ていたのですが・・・

 

「いくらなんでもダメだこりゃ」からの「なんなの?谷津は何か悪いことしたの?」と感じたくらいでした(笑)。

 

 

ブッチャーとハンセンのそれぞれの事情

 

ブッチャーは新日移籍直後で、これが新天地での猪木との初遭遇。とにかく自身のアピールをしなければ、と必死でした。

 

ハンセンはハンセンで、ブッチャーになめられるわけにはいきませんし、実は全日本プロレスから移籍の誘いを受けている時期(この年の暮れに移籍)でもあり、ヘタを打って商品価値を下げるワケにはいきません。

 

それでなくとも互いに日本マット界での生き残りを賭けて、さらにはどちらの強さと商品価値が上なのかというライバル心があります。

 

「俺たちにゃグリーンボーイに華持たせるなんて余裕も、配慮するヒマも必要もない」というタイミングであったことも、谷津の「不幸」につながりました。

 

hansen&butcher

 

その後の谷津嘉章のレスラー人生

 

谷津は長州力 維新軍の若頭を務め、長州らと共に全日本プロレスに移り、長州らの新日プロUターン後は全日プロに残り、鶴田との「五輪タッグ」で活躍しました。その後、天龍SWSでは崩壊の元凶となり、その後のインディー団体でも、再び長州と合流したWJでもトラブルメーカーに…。

 

「もし谷津が、あんな悲惨なデビュー戦でなかったら…」

しかしながら、「そんな谷津だから、あんなデビュー戦だったのだ」とも感じてしまうのでした。

 


 

新日本プロレス 3大スーパーファイト〜創立10周年記念興行第1弾)
1981(昭和56)年6月24日 東京 蔵前国技館
観衆1万1000人

 

1.20分1本勝負
○ジョージ高野(10分13秒 体固め)前田明●

2.20分1本勝負
○星野勘太郎、永源遙(11分52秒 逆さ押さえ込み)荒川真、藤原喜明●

3.マーシャルアーツ世界ライトヘビー級選手権 2分6R
○ドン ウィルソン(2R 1分55秒 KO)アシュラフ タイ●

4.IWGPアジアゾーン予選リーグ30分1本勝負
○長州力(6分56秒 体固め)木村健吾●

5.30分1本勝負
○藤波辰己(4分39秒 体固め)ブラック キャット●

6.60分1本勝負
○タイガーマスク(15分55秒 リングアウト)ビジャノⅢ●

7.60分1本勝負
○タイガー戸口(9分45秒 反則)キラー・カーン●

8.60分3本勝負
○スタン ハンセン、アブドーラ ザ ブッチャー(2-1)アントニオ猪木、谷津嘉章●

1.○ハンセン(9分06秒 体固め)谷津●
2.○日本組(0分38秒 反則)外人組●
3.○外人組(1分16秒 反則)日本組●

コメント

  1. UGS より:

    MIYA TERUさん

    こんにちは。
    以前私がブログ記事の中で本来書き込みしたいと言っていたのがこの記事でした。
    まずは当時の画像や対戦カードを載せて頂きありがとうございました。
    これを見せて頂いた事で何故あんな試合内容になったのかが自分なりに推測出来ました。

    まず試合前のインタビューにおける猪木の表情とコメントを見るに、谷津に過剰な期待をしているようには思えませんね(勿論期待ゼロではないでしょうが)。そして「今からお前を恐怖の谷に落としてやるからな!」と企んでいるようにも見えません。
    むしろ「こんなカード組みやがって・・・」と言うような表情に伺えます。

    この猪木の思いの元となるのは、やはり急なカード変更の影響でしょうね。
    残された出場選手の名前だけ見ると、あまりにも「細い」ように感じました。
    こんなに細くなったのはローデスのギャラが高いからでしょうか?
    でもチケットの中央にユセフトルコの写真が載っているだけでもやっぱり最初から細いのかもしれません(苦笑)。
    とにかくあてにしていたローデスとシンがいなくなった事でカードだけでなく興行自体をどのような方向に持っていけば良いかの軌道修正を迫られてしまったように考えます。
    そこでハンセンとブッチャーを合体させて圧倒的な強さを見せようとする事に変更したのは分かるのですが、何故谷津が猪木のパートナーに選ばれたのか?
    私の推測の結論を言うと、単に適当なジャブ役が他にいなかったから消去法で谷津が選ばれたのではないでしょうか?

    残されたメンバーの中から誰を猪木のパートナー(ジャブ)に持って来ようかと考えた場合、まず坂口が一方的にやられるとなると当時のストロング小林並に転落しそうですし、藤波はまだジュニアで今後ヘビー級に転向する事まで視野に入れると商品価値を傷付けたくない思いがあるでしょう。タイガーマスクもしかりです。
    そして長州と健悟はまだ中堅の域から抜け出せていない状況ですし、藤原やジョージ、前田もいますが基本前座です。
    なので止むを得ず谷津を起用する以外に選択肢は無かったのではないかと。勿論営業サイドとしては幻の金メダリストとしての話題性の期待もあったでしょうし、むしろ新人谷津なら負けて当然ですからね。
    どうせまともに技を繰り出す事も受身も出来ない時期でしょうから徹底的に痛め付けられる事しか出来なかったのかもしれません。
    それに破格の新人を勝たせる(光らせる)目的でひょうきんプロレスをやらせる訳にもいかないでしょうし・・・

    しかしあまりにもやられ過ぎました。そして先の面子の「細さ」をカバーする為に三本勝負に設定したのでしょうが、あまりにも酷過ぎて二,三本目を直ぐに終わらせたってところでしょうね。

    もし約40年経過した今の価値観で私にマッチメイクさせて頂けるのであれば、むしろ超開き直り且つ自虐の意味で荒川真辺りにやらせるのはどうかと考えたのですが・・・ダメか(爆)

    • MIYA TERU より:

      コメントありがとうございます。なぜ谷津だったのか?ですけど・・・ご指摘の通り消去法、ではあるものの、私は何かしら谷津の言動に猪木さんが怒ってたのでは、と思ってしまいます(笑)。まぁ後年、武藤やリョートマチダに対しても似たような試練を与えて(その時は自ら手を下してますけど)ますので、ソレが猪木流の教育方針、とも言えますけどね。

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