追悼「ビッグバン・ベイダー」~1987-2018 vsスタンハンセン、髙田延彦との激闘

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ビッグバン・ベイダーが亡くなりました。享年63歳・・・。彼は日本マットで誕生し世界で活躍した、”日本マット最後の大物ガイジン レスラー”でした。今回は追悼の意を込めて、私も生観戦したベイダー2つの名勝負、vsスタンハンセン戦とvs高田延彦戦を振り返ります。

 


 

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ビッグバン・ベイダーとは

 

新日プロでIWGPヘビー級、全日プロで三冠ヘビー級の両メイン王座を獲得した最初のレスラーであり、世界タッグ(全日プロ)、IWGPタッグ(新日プロ)、GHCタッグ(NOAH)の3大タッグ王座を獲得した最初のレスラーでもあります。アメリカではWCW世界ヘビー級チャンピオンにも輝き、WWF(現在のWWE)でも活躍。またUWFインターナショナルでは高田延彦とも激闘を繰り広げました。

   

 


ベイダー日本初登場

 

以前ご紹介した1987年12月27日、TPG両国暴動事件でした。この時は素顔でしたが、その後マスクをかぶり、煙の吹き出る制作費5万ドルの甲冑姿のコスチュームでおなじみでした。

 

この80年代後半から90年代はかつての「ガイジン天国、黄金時代」は終焉を迎えつつある時期で、日本マットの中心は日本人抗争がメイン。しかしベイダーは、新日プロではアントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、そして闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)さらに全日プロ~NOAHでは四天王(三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明)、秋山準、そしてUWFインターナショナルでは高田延彦、山崎一夫、田村潔らと激闘を繰り広げた、”最後の大物ガイジン”と言ってもよいビッグネームです。

ベイダーはその中でほんとうに数々の名勝負を繰り広げて来ました。190センチ170キロの巨体にも関わらずトップロープからムーンサルトをこなすなど、フィジカル面でもテクニック面でも優れていましたし、貪欲に日本マットのファンのニーズを掴むスマートさ、クレバーさがありました。

 


 

●自身が挙げるベストバウト vsスタン ハンセン戦

 

新日プロのエース ガイジンであるベイダーが、全日プロのエース ガイジンであるスタン ハンセンと超ド級の”バトル オブ スーパー ヘビー ウェイト”、名勝負を繰り広げたのは1990年2月10日「スーパーファイトin闘強導夢」。私も当然、会場で生観戦しましたが、試合開始前から場内は「完全に出来上がっている」興奮状態でした。

 

この大会は、元横綱 北尾光司のプロレスデビュー戦(vsC.B.ビガロ)、マサ斉藤のAWA戴冠(vsラリー ズビスコ)、猪木が初めて「1,2,3ダー」を披露した、などなど数々の伝説に残る新日プロ2回目のドーム興行でした。

 

そしてなんといってもこの大会のサプライズは、全日プロ勢の新日プロ参戦。これは猪木の政界進出、坂口征二の社長就任によってジャイアント馬場との距離が急速に縮まり、急転直下全日プロ勢の新日参戦が決定。当時は「ベルリンの壁が崩れた」と言われました。

全日プロからはジャンボ鶴田が最初で最後の新日マットに登場(鶴田 谷津vs木村 木戸)、天龍源一郎は二代目タイガーマスク(三沢光春)と組んで長州力、ジョージ高野と対戦。

 

そして、「最強外国人決定戦」としてマッチアップしたのがハンセンvsベイダーでした。ハンセンは、この試合が8年2ヶ月ぶりの新日マット里帰り。一方のベイダーはIWGPチャンピオン。さらに80年代、昭和の時代に猪木、馬場のライバルとして一時代を築いたハンセンと、わずか2年でトップに立った超新星のベイダーの日本最強ガイジンの座を賭けた世代交代マッチでもあり、どちらも意地とメンツとプライドと、団体の看板までを背負った、負けられないシチュエーションでした。

 

IWGPヘビー級選手権試合 (王者)ビッグバン ベイダーvsスタン ハンセン(挑戦者)

試合は、あの伝説の「田園コロシアム アンドレ ザ ジャイアントvsスタン ハンセン(1981年9月23日)」と並ぶ、日本マットにおけるスーパーヘビー級ガイジン同士のベストバウトとなりました。

実績やキャリアでは上ですが、アウェーであるハンセンが先に入場。ホームのベイダーが入場するや否やいきなり突っかかり、場外で取っ組み合いのケンカが始まります。

もみ合いの最中、ハンセンの打撃がベイダーの顔面に直撃し、ベイダーが痛みに耐えかねてトレードマークのひも状のマスクを取ると、オーロラビジョンに腫れ上がり、変色した右目が映し出され、場内は騒然となりました。

 

ドクターストップ、試合続行不能となってもおかしくない、といいますか実際にベイダーは眼底骨折をしていて後に手術する程の大怪我、重傷だったのですが、ベイダーはまったくひるむどころか、さらに強烈な打撃戦をハンセンに対して猛ラッシュを仕掛けます。

 

ハンセンも先輩の意地、まったく引かずに両者は超ド級の打撃戦を展開。15分47秒、両者リングアウトで引き分けとなりました。

 

あのハンセンに臆することなく、大怪我を負いながらも最後までド迫力のベイダーもスゴイですし、若き王者に対してフルパワーで真っ向から激突したハンセンもスゴイ。両者リングアウトという不完全決着ではありましたが、物足りなさどころかそこまでやるか、と感動すら覚える名勝負でした。

 

ちなみに・・・この大怪我の手術では、眼球を一度取り出して眼底骨折部分を治療しもう一度戻す、という壮絶なものだったとか・・・。

 


 

●真冬の神宮決戦、vs高田延彦戦

 

もう1試合は、1993年12月5日に行われた真冬の神宮決戦。プロレスリング世界ヘビー級王座を保持して北尾光司、オブライトらを撃破して「最強」を自負していたUWFインターナショナル、高田延彦との一戦です。

この試合も私は会場で生観戦しましたが、12月にも関わらず、会場はプロレス初となる神宮球場、野外です。底冷えのするグラウンド席で観戦しましたが、パイプ椅子が並べられただけ、花道もなく、ビジョンもモノクロ。Uインターはリングも白色で、なんだか昭和の日本プロレスの興行を観に来たような錯覚に陥りました(観たことないですが)。

 

後に聞くと、現役のWCW世界チャンピオンであるベイダーの招聘に巨額のギャランティがかかり、大会場を埋めなければペイせず赤字になる、というギリギリの採算で、この会場、この設備になったのだとか。

 

ベイダーは新日プロとの著作権絡みで「スーパー ベイダー」として登場。さらには来日直前にロン シモンズに敗れてWCW王座陥落。これだけでも契約的にホントに大丈夫?とかなり不安になります。そもそも、この当時のUWFインターナショナルはイケイケではありますが、アメリカマットの現役メジャー王者を招聘するのはかなりリスキーな新興マイナー団体です。実際、当時マッチメイクなどを担当していた宮戸優光氏は「ベイダーが本当に会場入りするのか、当日まで不安だった」と語っています。

 

プロレスリング世界ヘビー級選手権試合 (王者)高田延彦vsスーパー ベイダー(挑戦者)

試合は持ち前の巨体からくる猛烈な打撃の連打でベイダーが高田を何度も、KO寸前に追い込みます。猛攻に耐えに耐えた高田は強烈なローキックで形成を逆転すると、最後は必殺の腕ひしぎ逆十字で逆転勝ちとなりました。

 

後に高田が自著で明かした裏話によれば、ベイダーは試合直前になって自身の負けブックを拒否してトラブルになり、高田自身が「だったらシュートでやるか」と交渉して、なんとか話をまとめた、のだそうです。

それはさておき、この試合は真冬の神宮球場のモノクロの景色、寒さと共に、印象に残る名勝負でした。

 

R.I.P. Big Van Bader

 

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