「男のロマン」とアントニオ猪木

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私は何を隠そう、昭和50年代後半からのプロレスブーム、中でも新日本プロレス、アントニオ猪木直撃世代です。

アントニオ猪木といえばいまや「元気ですか」とか「1、2、3、ダー」、ビンタする政治家のおじいちゃん、
ちょっと詳しい人でも「いけばわかるさ」レベルですが、

黄金時代の猪木の言葉といえば、

利害を超越して 
誰も出来ない事
誰もやらない事を夢として
それに挑戦する
それが私のロマンである

かつて新日社長室に直筆で飾られていたものですが、

これに尽きます。

 

「ロマン」・・・もはや死語ですね。

宇宙戦艦ヤマトの主題歌でも、ささきいさおさんが

地球を救う 使命を帯びて
戦う男 燃えるロマン

と唄っていました。(作詞:阿久悠さん)

 

ところでロマンとはなんなのでしょう。

辞書を紐解くと

【(フランス)roman】

1.「ロマンス1」に同じ。
2.小説。特に、長編小説。
3.感情的、理想的に物事をとらえること。
夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと。
「―を追う」「―を駆り立てられる」

なのだそうです。

最近ではこの「ロマン」は、
くだらないヲタ趣味に没頭することを指したりどうしようもなく矮小化されていますが、本来はこういう意味なのですね。

 

「男のロマン」

女性が興味があるのは「ロマンス」の方でしょうし、いまどきの男子は草食系、さとり世代、低欲望と言われ、口を開けば「癒されたい」「ほっこりしたい」。

 

私はこの「男のロマン」というのが、かつて日本が熱かった時代のひとつのキーワードではないかと思うわけです。


 

話をアントニオ猪木に戻しますと、かつての猪木は圧倒的に

3.感情的、理想的に物事をとらえること。
夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと。

そのものでした。

利害を超越しまくり、省みることを一切せず、

「人生というリングを、フルスロットルで駆け抜けて参ります燃える闘魂、アントニオ猪木」(舟橋アナ←古舘アナの先輩)

なところに、多くの人々は「自分ではできないロマン」を感じて、身震いするような興奮を与えられたのです。

 

猪木の根底には、

「人を驚かせてやる、世間をあっと言わせてやる」

だけしかなかったように思います。

もっと具体的には、世の中の、「良識的」と評される、冷めた目をしたオトナの人たちに、

「あの猪木ってのは思ったより大したもんだ」

と言われたいだけ、だったのだろうと思います。

 

政界進出は自由党員だった父親の、事業への展開は師である力道山の影響が大きいと言われますが、猪木の根底にはいつもこれがあったと考えると、非常に理解しやすいのです。

 

「俺はプロレスだけで終わりたくない」

猪木はそれを称して「ロマン」と言いました。

男の「美学」といってもなんの問題もありません。

ただし、「美学」というのは自身の生き方、ポリシーのようなもので、外に向かって、周囲を巻き込んでいくのであれば、やはりそれは「ロマン」なんだろう、と思うわけです。

 

昔の男は皆、「私にはロマンがある」と言う男に憧れました。

戦争に敗れ、あらゆる価値観がひっくり返り屈辱にまみれ、なんとかいま一度、世界の列強に肩を並べて目にもの見せてやりたい、と誰もが願っていた時代、

政治にも実業界にもスポーツにもスクリーンにも、あらゆるジャンルで、そういうロマンに溢れたスーパースターが輝いていました。

そんな狂乱の高度成長期がやや落ち着き始め、経済的に日本が復興をなし遂げつつあり、自信を回復した社会が冷静さと安定を求め出した頃。

まさに「日本列島改造論」というロマンを掲げた稀代の政治家、田中角栄が収賄容疑で起訴された1976年、猪木はいよいよロマンの大旗を掲げて、当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリへの挑戦をブチ上げたのでした。

結果は知っての通り、派手な展開のないフルラウンド引き分け、となります。

日本中はおろか世界中、そして国内でも戦前熱心に猪木を支持したインテリ層、さらにはプロレスファンを含む全方位から「茶番劇」「凡戦」「最初から決まっていた筋書き通り」「高いカネとっといて詐欺か」「口ばっかり偉そうな事を言って、意気地なし」と猛烈なバッシングを受け、大借金だけが残りました。

得てして、利害を超越したロマンを追い求めると、そういう事になるのですね。

最初から男のロマンなんてくだらない、という連中は、実際に命懸けでやってみせても「ほーら見ろ」と嘲笑するだけで、なにも変わらないのです。

 

そして、ロマンを求めて結果を出しそうになると、そもそもありゃインチキなんじゃないのか、結局カネなんじゃないのか、とケチをつけて貶めようとします。

自身は安全な場所で動かずに、指をさして嘲笑うだけなのです。


それでもその一方で、自身では決して叶えられそうにないロマンを、いつの日か実現してくれるのではないか、と熱烈に応援、支援し、信者の如く慕う者たちも現れます。

 

かつて黄金時代の猪木のマネージャーを務めた新日本プロレス営業本部長、新間寿さんが語っていた、

「闘魂と書かれたハチマキを締めて猪木のポスターを壁に貼って受験勉強する学生はたくさんいるが、馬場のポスター貼って勉強してる者がどこにいますか?」

という差がここにあるのです。

自身へのコンプレックスからプロレスを安住の地とした馬場と、自身がジャンルを超えようとした猪木。

見ていて面白いのはどっちか、といえば答えは明白です。

ダイナミズムがハンパなく、常に驚きを与えようと動きまくる猪木は
「それは何故か?」と訊かれると、

「それが私のロマンだから」

と答えるしかなかったのでしょう。

 

だから馬場を支持する連中は
「猪木は信用ならない」
という一点で猪木を否定しました。

そもそも、人に信用されよう、などと思ったらロマンは追い求められないのですが。


あれから40年の歳月が流れました。

いまの世の中、安定志向、無難な事を好み、少しでもそこからはみ出すものは徹底的に叩いて炎上させて焼き払ってしまいます。

もはや時代というものが、成熟から円熟、退廃に進み、そういうものを求めていないのでしょう。

これはもう、仕方のないことだろうと思います。

 

あらゆる世界でリアルタイムにネタバレし、ファンタジーの許されないリアルなものだけ、またはネタバレ込みのよくできたフェイクしか、評価されないのです。

 

そしてその当事者も実際、無私ではなく所詮、私利私欲でしかなく、どうしようもなくスケールが小さくてセコイんですよね。

「稀代の英雄か、はたまた時代と寝た娼婦なのかアントニオ猪木」(古舘伊知郎)

 

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