SWSとは何だったのか?~④失敗の原因は?早すぎた企業スポンサード・プロレス

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1990 天龍全日離脱~旗揚げ

1991 週プロとの確執、WWF合同興行

1992 内部分裂~崩壊

 

ここまでが時系列でのSWSの3年間の歩みです。これ以降はトピックごとに「何だったのか」について分析をしていきます。

 


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​●キーパーソンは若松市政

メガネスーパーをプロレスファンが認知したのは、第2次UWFのスポンサーとしてだったと記憶しています。(当時のパンフの背表紙に田代まさしがキャラクターの全面広告が載り、初の東京ドーム興行 U-COSMOSは“メガネスーパー プレゼンツ”の冠がついていました)

ですので、メガネスーパーのプロレス進出プランは普通に考えれば「UWF丸抱え」であったと思うのですが、田中社長の狙いは結果的に「従来型のプロレス団体」の経営となりました。(後にSWSはUWF選手の出場を計り、藤原の貸し出しが発表された事もありましたが、それが選手とフロントの関係悪化を招き、第2次UWF崩壊と分裂の遠因を作ることに)

 

真意の程は定かではありませんが、一説ではバブル期に株の売買で百億近い資金を得た田中社長が、税金に持っていかれるくらいなら、と興した新規事業がプロレス団体経営であったとも。これは「そうでもないとあんなに大盤振る舞いしないだろ」という意味では納得感がありますが。

 

ここで暗躍したのが若松市政でした。

 

後に判明しているところでは、メガネスーパー田中社長とUWFを観戦するなど旧知の仲だった若松市政がSWS旗揚げ前年の89年にカルガリーでミスターヒトに新団体設立への協力を要請、その後アトランタでケンドーナガサキとWCWで活躍中だった新日プロ所属の武藤敬司も勧誘。その後、フィラデルフィアとロングアイランドでWWF、ドイツのCWAトーナメントを視察して11月に帰国しています。

 

武藤はWCWから帰国した直後、引退シリーズを控えた坂口征二氏に挨拶をしに行った際、メガネスーパーからの勧誘について口にしますが当然、坂口氏は猛然と留意し、結果として武藤は動きませんでした。

 

これを裏付けるように、のちにメガネスーパーの田中八郎社長はSWS崩壊後に

「最初の予定は、武藤敬司選手を誘って、3年から5年かけていい選手を育てていくつもりだった。そうしたら来ると思っていなかった天龍選手が取れてしまった。天龍選手が来たことにより5年も遊ばせることは出来ないので、試合をしなくてはいけなくなった。そうしたら天龍選手が来たことでいろんな選手がついてきた。連れてきた以上はダメとは言えないし。当初、考えていた構想とは違う方向に行ってしまった」

と語っています。

 


 

●寄せ集めの悲劇

 

そして新日から実際動いたのはジョージと佐野な訳ですが、なぜこの2人だったのか。マシン、ヒロ斎藤らのカルガリー勢ならばまだわかりますが、特にJr.のタイトル戦線にも絡みメキシコ遠征を控えた佐野の離脱は接点としても謎です(一説ではこの時期に同期の畑が引退、その処遇を巡って新日に不満を抱いての離脱とも)

 

一方、全日からはカブキ、冬木、石川、高木、鶴見、北原、折原、谷津、高野俊二、仲野らがSWSに移籍しました。天龍派と言われていた冬木、カブキ、付き人の折原、相撲つながりの石川、高木、兄のいる高野俊二はわかりますが、鶴見、北原、そして谷津と仲野は天龍からしても「なんで来るの?」という感じだったのではないかと思います。おそらくは先の田中社長の指示の元、あらゆるツテを辿って声をかけまくった挙句、「いろんな選手がついてきた」のでしょう。

 

集まったメンツをみれば、当然元々所属する団体でストーリーラインに乗れない、不満を持っていたレスラーが飛び出して来ているワケです。そしてこの「寄せ集め」が後々、さまざまな確執の原因となりました。

 

プロレス団体や興行の仕組み、を理解していれば、誰がどう考えても天龍が絶対的なエースで、観客の多くもそれを期待するのが当たり前の話なのですが、集められたレスラーの多くはそれに納得しませんでした。「道場制を敷いて、対抗戦でやるから」と言われていた、とも思いますが、とにかく予想以上に「俺は天龍を担ぐために来たんじゃない!」と不満をもらすレスラーが多すぎました。

 


 

●マッチメイクへの不満

 

一つ目の不満は、天龍派がマッチメイクの主導権を握っていた事でした。

 

初期のマッチメイクはカブキが務めていましたが、観客の期待通りに天龍を主役にしたカードを組むと「反天龍派」が不満をもらします。そのため、天龍はなんとなく遠慮したような位置で絶対的なエースとして、というより勝ったり負けたりの気を使っている様子が伺え、全日時代からの天龍支持層はモヤモヤした感覚を抱きます。

 

旗揚げ当時のプランニングでは、三部屋それぞれに専用道場を全国各地に建設し、人材育成と選手による社会奉仕の構想が練られていましたが、結局、当初建設された新横浜仮道場、さらには1992年4月に川崎・百合丘に総工費7億円をかけて建設された本道場(当初はレボリューション専用となる予定だった)を使い回ししたため、道場は単なる「派閥」となっていきます。

 

北尾事件の責任を取るカタチでカブキが降りてからは、道場「檄」からは谷津、パライストラからドン荒川が補佐役的にマッチメイクに参画しますが、このメンツでは混乱が増すばかりで、結局は谷津の選手会長辞任からの暴露記者会見で対立は決定的なものとなりました。(この前日には反天龍派が田中氏の自宅に押しかけて直談判しひと騒動あった、とも言われています)

 


 

●WWFとの提携にも不満

 

もう一つの反天龍派の不満は、大金を払い提携したWWFに対してでした。
旗揚げ当初はサクラダルートでジェフ・ジャレットらを招聘していましたが、天龍自らアメリカに渡り当時WWFのエージェントだった佐藤昭雄と提携をまとめます。全日出身の天龍は「いい外国人がいないと客が入らない」という考えで、メガネスーパーの田中社長も「そんなに高いお金じゃない」(!)とこの提携を認めます。

 

事実、SWSがこの短期間に2度も東京ドームで興行したのも、WWFとの提携があったお陰でした。さらには別にWWFと提携したら自分らのギャラが下がる、という事はなかったにも関わらず、反天龍派の主張は「WWFのショッパイ選手らに大金を払うくらいなら、自分らにもっとよこせ」という主張だったようです。

 

 


 

●金の不満が原因ではない?

 

天龍がオーナーの田中氏から一任され社長として契約更改を行った最後期の契約時にも誰一人ギャラを落とさなかった、と言われています。それでも、全員の契約更改が完了した直後に反天龍派の田中邸直訴事件が起こり、谷津が記者会見で天龍体制を批判、完全に分裂状態となりSWSは解散。天龍派と反天龍派に分かれて団体を興すことになりました。

この時に何があったのか、は諸説ありますが、おそらくはオーナーの田中氏としてもこれ以上、団体の運営に関わるのは困難、と判断したのだろうと思います。そこには当然、運営側の企業としての理由もあったのだろうと思われます。
選手達は少なくとも、かつて所属していた団体よりは数倍のギャランティを貰っていたワケで、おとなしくしていれば保証されていたのです。

それでも結果的に団体が成り立たないほど揉めたのには、ギャラだけではない、「なんでアイツの方がいい思いするんだ」とか「俺の方がアイツより上だ」とか、プロレスラーとしてのなんらかの理屈があったのでしょう。

しかしながら一般企業の論理としては「ここまでしてやっているのに、どこまでもキリがない、もう付き合いきれない」となったのが解散の理由ではないか、と思います。

 

つづきます!

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