SWSとは何だったのか?~⑤企業のプロレス参入、他団体とその後への影響

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●企業のプロレス参入

メガネスーパーはその後、低価格店の攻勢ほかで売上が厳しくなり、田中氏が会長職を退いた翌年の2008年に赤字に転落、以降債務超過に陥り上場廃止の猶予期間入り銘柄となっていました(継続的な資本増強策により16年に約10年ぶりに黒字に転換、債務超過の状況を解消)。

 

メガネスーパーが当時、SWSに注ぎ込んだ資金は60億とも99億とも200億とも言われます。

一方、ブシロードが新日を買収した際の金額は5億円。8億円の債務放棄や潜在的な売り上げ成長の余地、長年、新日が築き上げてきたブランドバリューやコンテンツ価値、そしてブシロード本業とのシナジーを考えれば激安では?と言われました。

本業のカードゲームでプロレスコンテンツが買収後1年目にして3億円もの売り上げに迫り、なによりプロレスファンからの反応も好意的で、以降ブシロード、新日共にWin-Winの成果を挙げ続けています。

メガネスーパーとブシロードの違いは、メガネスーパーが「既存団体からの引き抜き」で立ち上げたのに対して、ブシロードは「既存団体を丸ごと買収」である点です。

 

ブシロードは創業者の猪木が新日と半ば絶縁して株を放棄し、ユークスという企業を経てちょうど選手も若手が台頭して登り調子の時期、というタイミングだった事もありますし、当時の全日や新日を丸ごと買収、というのに当時の団体側が応じたか、はわかりませんが、メガネスーパーの「カネの力にモノを言わせた引き抜きによる団体設立」という業界参入方法は、予想以上にファンの反感を買い、そしてそれ以上に選手間の不仲というのが大問題で、文字通り手がつけられない混乱状態に陥りました。

 

メガネスーパーSWSの崩壊は「金のチカラでプロレスを壊そうとする侵略者」「カネにつられて集まった理念なき寄せ集めのレスラー達」、というターザン山本・週刊プロレス編集長が強烈に印象付けたバッシングの影響、というのも少なからずありますが、改めてこうして足取りを振り返ってみると、前者はさておき後者はまるっきりその通りなんですよね。

(*なお1990年当時、新日所属の橋本真也は、週プロ誌上で「プロレスにお金を出してくれるヒトを悪く書いたら、これからスポンサーになろうと思っている人も逃げちゃいますよ」とコメントしています。

また後年、山本氏は馬場さんから金銭を受領しその見返りとしてSWSをバッシングしていたこと、SWS崩壊後に「今後週刊プロレス誌上で実名を上げてのバッシング活動を行わない」約束の見返りとして田中社長から1年間に渡って月50万円以上を受け取っていたことを暴露本で告白しています)

SWSを旗揚げしてからの天龍は、いくら激しい試合をしても対立概念もなく、ストーリーも作れず、袋小路に入りつつあった全日後期と比べても、まるで自由でもなく、なんだか気の毒な印象でした。

 

そしてその時、プロレスというものは団体、上がるリング、そして師弟関係や遺恨のあるライバル、などいろんなものが混じって初めて面白いんだ、という事を初めて理解した感じがしたものです。

 

田中社長は経営者としては立派な方だったと聞きますし、自らの経営理念でプロレス団体を運営すれば成功する、という勝算ももちろん大いにあったと思います。田中社長が旗揚げ当初、記者会見で語った「企業経営者の我々の目から見たら、プロレス業界は企業努力が足りない」という発言にもそれが現れています。

そして結果的にエースとなった天龍もまた、レスラーとして一流ですし、当時も人気も支持もありました。さらにはWWFとの提携で外国人にも事欠くどころか信じられない程豪華なメンツ揃いです。

それなのにこうなってしまう、というのがプロレスというものの難しさなワケですね。

 


 

●田中社長vsレスラーズのズンドコ エピソード

 

一方、「田中社長がプロレスの仕組みを理解していなかったのが悪い」という声も多いのですが、そんな田中社長に同情を禁じ得ないエピソードをいくつか。

 

・田中社長はプロレスラーをプロアスリートだと信じており、どんな凄いトレーニングをするんだろう?と忙しい時間を割いて道場へ足を運んでみたら誰一人道場に来ておらず唖然。そこで出欠簿を作り、社長命令として「道場に顔を出せ」と通知し、練習メニューも作成、レスラーに練習を課してもなんだかんだ言って出てこない

 

・そのくせ道場へ長距離電話をかけにやってくる連中がいて、電話代だけが物凄いことになり、道場での私用電話禁止令を出すハメに

 

・勝ったレスラーに渡される勝利者ボーナスをプールして、負けたレスラーと折半していたことが田中社長にバレて大問題に

 

などなど…

結局、田中社長を「団体のオーナー」として「この人を男にしよう」ではなく、「太いタニマチ」としか見ていない選手だらけだったのですね。

田中八郎 メガネスーパー社長は1939(昭和14年)3月生まれ。
1990年のSWS旗揚げ時は51歳なんですね。
2010年12月、71歳でお亡くなりになりました。合掌


●他団体への影響

 

当時、ジャンボ鶴田と並ぶ2枚看板の天龍をはじめ中堅選手とスタッフを多く引き抜かれた全日本プロレスは、一時崩壊の噂も流れました。しかし残留した三沢光晴・川田利明ら「超世代軍」と鶴田率いる「正規軍(のち聖鬼軍、読み方は同じ)」との抗争を軸に据え、残った選手の奮闘などもあって勢いを盛り返します。

結果的に全日本の社長だったジャイアント馬場は1999年に没するまで、天龍以下の離脱組を再び全日本のリングへ上げる事はありませんでしたが、天龍の全日本参戦をWAR社長の武井正智の主導で幾度か交渉をしたことがあるそうです。馬場さんは「全日本が困ったときには頼むかもしれないけど、いまはいいよ」と答えた、とされ、完全な絶縁関係ではなかったといいます。

後に天龍は、三沢引き抜き計画があったことを明かしており、天龍が「今の給料の倍を出す」と言ったところ、三沢は「今の状態で満足ですよ」と返答し、天龍は「酒の席の事だから、そのことは忘れてくれ」と三沢に告げたといわれています。

SWSは、前述の武藤敬司のほかにもさらに藤波辰巳(現・辰爾)の獲得も狙っていたそうです。

なお1990年当時新日本所属であった橋本真也は、当時の週刊プロレスの取材に応じた際に「プロレスにお金を出してくれるヒトを悪く書いたら、これからスポンサーになろうと思っている人も逃げちゃいますよ」と答えスポンサーとしてのメガネスーパーの存在に対しては肯定的意見を述べていました。

後にNOW派のレスラーが次々と離脱し団体を旗揚げ、WARも活動停止後、次々と出身レスラーが枝分かれしFMWやUWFと共に現在のインディペンデント団体乱立の遠因にもなりますが、部屋別制度は違うスタイルのプロレスラーが対戦することから現在における団体対抗戦の先駆けになった、とも言われています。

 

つづく

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