昭和特撮「レッドバロン|マッハバロン|ガンバロン」~1973-1977 3連続打ち切り! 不運なロボ特撮3部作

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今回は日本テレビ系の特撮テレビ番組「バロンシリーズ」3部作。

 

「スーパーロボット レッドバロン」「スーパーロボット マッハバロン」そして「小さなスーパーマン ガンバロン」をご紹介します。

 

バロンシリーズ

 

正式名称は「特撮ロボット戦記バロンシリーズ」。「シリーズ」と括られてはいますが、ストーリーもバラバラ。前2作は巨大ロボットものですが、3作目は等身大のヒーローが主役(しかも子ども)で、共通点は「日本テレビの社員が企画した、日本テレビの特撮番組」「制作を担当したのは(実質的に)日本現代企画」であることです。

 

3作品とも視聴率も人気も高く、玩具の売れ行きも絶好調だったにも関わらず・・・それぞれ異なる理由で「3作すべて打ち切り」となった、不運で不憫なシリーズ。

 

しかし当時の技術を駆使した巨大ロボット同士の戦闘シーンや特撮は記憶に残り、いまだに根強い人気を誇っています。

 

 

 

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「スーパーロボット レッドバロン」とは?

「スーパーロボット レッドバロン」
1973(昭和48)年7月4日~1974(昭和49)年3月27日
日本テレビ系
毎週水曜19:00~19:30
全39話
宣弘社

 

「史上初の、人が操縦する巨大ロボットもの特撮番組」という、エポックメイキングな作品。

 

 

日本の特撮番組で巨大ロボが主役、というのは実はそう多くありません。古くは「鉄人28号(実写版)」「ジャイアントロボ」(いずれも原作 横山光輝)、「大鉄人17」(原作:石ノ森章太郎/東映)くらいのもの。アニメでは「マジンガーZ」以降、次々と制作されたのに、意外な感じです。

 

本作はその「マジンガーZ」よりも前の、1972(昭和47)年春頃に日本テレビと日本テレビ音楽の社員、それも番組を企画する立場じゃないお2人、斎藤汎司氏と渡辺一彦氏が企画。

 

これは、他局でウルトラマンや仮面ライダーなど特撮ヒーローが続々と誕生する中、日本テレビには子供に人気でマーチャンダイズに強い特撮番組が少ないことに危機感を持ち、本業の傍らで同人的に企画したのだそうです。

 

 

齋藤、渡辺の両氏は、当時の「テレビマガジン」(講談社)編集長の紹介で漫画家の野口竜氏を紹介され、ビジュアル選考で企画が進みます。

 

その後、「シルバー仮面」「アイアンキング」を制作していた宣弘社(日本現代企画)に引き取られた上で日本テレビに売り込まれ、タイミングよく「日本テレビ開局20周年記念番組」として放送開始・・・という経緯で誕生したのだそうです。

 

そんなこんなで結局「マジンガーZ」より遅れての放送になりますが、企画自体は先だった、というのがポイントです。

 

制作には「アイアンキング」のスタッフがほぼそのまま参加。シリーズう構成および脚本は「帰ってきてウルトラマン」の上原正三氏、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の藤川圭介氏、さらに「仮面ライダー」のメインライター伊上勝氏という豪華な布陣。

 

真っ赤なボディの巨大ロボット・レッドバロンが、万国ロボット博覧会に出展された世界各国の巨大ロボットすべてを強奪した悪の組織「鉄面党」に立ち向かうというストーリー。

 

ロボットアクションだけでなく、等身大でのスパイアクション、ガンアクション、カー(バイク)チェイスを盛り込み「一粒で二度おいしい」特撮番組を志向。さらに後半からは、当時人気を博していたブルースリーの「燃えよドラゴン」を意識したカンフーアクションも。

 

 

「制作費200万円」と言われたグラスファイバー製のロボは、シンプルなデザインながら硬質な存在感でちびっこに大人気に。スタート当初は視聴率1ケタ台と苦戦しますが、2か月ほどで2ケタ台の平均視聴率を稼ぐ人気番組になりました。

 

 

特筆すべきは商品化権許諾社数が80社、関連商品500点以上という点。これは当時、日本テレビ番組の版権収入で新記録(当時の額で1億円)を樹立するほどでした。

 

2クール(24話)終了時点で放送延長が決定。悪の組織を「宇宙鉄面党」とスケールUPし、視聴率も17%を記録するなど人気を博します。

 

ところが・・・メインスポンサーの日本空気販売の経営不振により、制作費の調達が困難になるという、思わぬアクシデントに見舞われます。この会社は「100円玉で作動するレンタルエアコン」を販売していた日本熱学工業の子会社で、1974(昭和59)年5月20日、会社更生法を申請して倒産。

 

その余波を受けて本作は人気好調の中、1974年3月末での終了を余儀なくされました。

 

主題歌

「レッドバロン」
作詞:阿久悠 / 作曲:井上忠夫 / 編曲:ボブ佐久間
唄:朝コータロー

▲作詞は「スター誕生」などで日本テレビと結びつきの強い、阿久悠大先生です。

 

 

「スーパーロボット マッハバロン」とは?

 

マッハバロン

「スーパーロボット マッハバロン」
1974(昭和49)年10月7日~1975(昭和50)年)3月31日
日本テレビ系
毎週月曜19:00~19:30
全26話
日本現代企画

 

前作の「レッドバロン」がアクシデントで打ち切りを余儀なくされたため、仕切り直しで制作された本作。「特撮ロボット戦記 バロンシリーズ第2弾」と銘打たれているものの、前作とのストーリー上の関係は全くありません。

 

マッハバロン

ちなみにストーリーは、真紅の巨大ロボット・マッハバロンが、ララーシュタイン率いる悪のロボット帝国と戦う、というもの。

 

制作は前作「レッドバロン」の宣弘社が特撮部分を中心に外注していた日本現代企画が単独で担当。前作の等身大アクションやスパイアクション要素がなくなり、前作以上に「巨大ロボ」をメインにした作品になりました。

 

マッハバロンの造形も前作よりカッコよくなり、特撮シーンも前作をしのぐ気合の入り方。「帰ってきたウルトラマン」の団次郎さんも出演しています。

 

中でも、海中の基地から水につかり発進するシークエンスが有名ですが、子どもゴコロに「カッコいいけど時間かかりすぎじゃね?間に合うの?」と、いつもハラハラしました。

 

特撮人気が下り坂になる中、本作の視聴率は前作より下回ったものの一定のラインを維持。そして本作も、玩具の売り上げは目覚ましいものがありました。

 

玩具商品化収入は制作費を軽く賄う黒字を生み、中でもアオシマの「合体マシン」は一躍大ヒット商品に(当時の関西模型小売商組合連合会から1975年度の最も売れた商品に贈られる「プロフィット賞」を受賞)。

 

しかし、日本テレビの番組編成の都合で冷遇され、全40話の予定が26話にまで縮小。前年に発生した第1次オイルショックの影響もあり、またしても打ち切りに。

 

結局、物語が完結しないまま、終了してしまいました。

 

主題歌

「マッハバロン」
作詞:阿久悠/作曲・編曲:井上忠夫
唄:すぎうらよしひろ

 

「日本音楽史上最強のグラム・ロック」「特撮史上最高のOP」などと一部でカルトな人気を誇る主題歌。

 

歌詞も過激で「じゅうりんされて黙っているか」・・・阿久悠ワールド全開です。ギターを弾いてるのはChar?というウワサも。

 

 

「小さなスーパーマンガンバロン」とは?

 

「小さなスーパーマン ガンバロン」
1977年4月3日~12月24日
日本テレビ系
毎週日曜18:30~19:00
毎週土曜7:00~7:30(26話以降)
全32話
創英舎

 

バロンシリーズの最終作。日本テレビの意向で大幅な路線変更となり、前2作とはまったく毛色の異なる作風です。制作会社も「レッドバロン」「マッハバロン」の日本現代企画に替わり、その分派である創英舎が担当しています。

 

ガンバロン

主人公はメイン視聴者と同年齢の子供。物語後半に巨大ロボット「ダイバロン」も登場しますが、ロボットより変身少年ヒーローがメインでした。

 

 

主題歌

「ガンバロン’77」
作詞:千家和也 / 作曲・編曲:ミッキー吉野 /
唄:ザ・バーズ、ジャニーズ少年団、ミッキー・スティーブとアサノシ

▲なんとミッキー吉野さん作曲!

 

明るいコメディタッチになり、特撮ファンにはおなじみの黒部進さん(ハヤタ隊員)や天本英世(死神博士)なども登場。さらには日本テレビ音楽とのタイアップで、当時の人気アイドルのゲスト出演(フォーリーブス、リリーズ)も行われますが、スケジュール調整や予算の問題で短期間で終了。

 

開始当初は予算にも恵まれ視聴率も好調で、中盤にはグアムへ海外ロケを敢行するほどでしたが・・・

 

ブルマァク

まさに、2度あることは3度ある。今度は、スポンサーである老舗玩具メーカー、ブルマァクが倒産。第一次石油ショックを背景に「第二次怪獣ブーム」が終焉し、株主や債権者が経営悪化を理由に債権を引き上げたこと、さらにポピーとの「超合金戦争」に敗れたことが原因とされています。

 

放送時間も25話までは毎週日曜の夕方18:30~でしたが、第26話からは毎週土曜朝7時に。この影響で放送局によっては25話までで放送をやめていたり、福島中央テレビでは逆に、最後の7話のみ放送だったとか、いささかヒドイ扱いを受けています。

 

そして資金調達が困難となった本作は、ギャラの高い大人の俳優を切って子役だけでなんとか続行するものの力尽き、32話で打ち切りに。

 

予告編で明るく「また来週も見てね」と言いつついきなり番組終了という、伝説を残してしまいました。

 

放送終了から30周年を迎えた2007年に、不本意な終わり方をしてしまった本作のファンの熱意に応える形で、当時の俳優達によって30周年記念イベントが行われたそうです。

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